第87話 出航


 大量の荷物を預かり、ツカサは何故だか体が重くなったような気さえしていた。


 この後ミルが言っていたあれ出せこれ出せの大変さを味わうのだが、それは船が出航してからわかることだ。

 ツカサはミルと共にの荷物を収納した後、冒険者ギルドの有無を尋ね案内してもらった。

 そこでラングとアルからの最後の手紙も受け取り、この大陸スヴェトロニアでは最後になる残高の引き出しも行った。念のため確認をしたがリーディはこちらも向こうも変わらないらしい。

 また、こちらで向こうの大陸オルト・リヴィアの冒険者証が作れたことに驚いた。カラーは今と同じ銀にした。

 ラングとアルの手紙には自分たちが船に乗る前に注意したことが記載されていた。

 海風邪の予防のために、分配した柑橘類を定期的に口に入れるように、とあった。所謂脚気かっけのことだろうとツカサは思った。海賊の漫画で見たことがある。

 野菜が腐らない空間収納であれば日ごろから野菜も摂れるので問題はないだろう。

 二人が準備したものの羅列にそれぞれ想像が出来て笑ってしまったが、ありがたく参考にさせてもらった。

 ラングからはとにかく体調を崩さないための工夫が記載されていて、アルからは如何に快適に過ごすかを重点的に記載されていた。

 新鮮な食材をバランスよく、と父親くさいことを言うラング。

 酔い止めは苦いがしっかり飲むこと、ハーブを噛むと楽になるぞと自分の実体験を元に言うアル。

 出発前に自然と肩の力が抜けた。

 二日に分けて空間収納に大量の食材と資材を積み込んで、さらに三日後、年末まであと十日と言ったところで船に乗せられた。

 雪のちらつく中での乗船、灰色の空と海から吹きすさぶ潮風が肌を痛めつける。初めての船旅に心躍らせる余裕もないまま、ツカサは赤くなった鼻を擦った。

 ダヤンカーセは厚手のコートを羽織って操舵に腕をかけていた。じっと船首を見据えているが何を確認しているのかツカサにはわからなかった。


「お待たせしたかしら」

「ひゃぁ、寒いね」


 すらりとした上質な魔導士用のローブに身を包んだエレナと、もこもこに着ぶくれたモニカが乗船しツカサに微笑む。なんとなく似ていると感じた。


「準備を任せちゃってごめん」

「いいのよ、なんだか不思議な気持ちだったわ。…お嫁さんのお世話ってこんな感じなのね」


 エレナはふふ、とモニカに笑いかけ、モニカも同じように笑った。

 それを面映ゆく眺め、ツカサは一つ頷いた。


「船室の一つをエレナとモニカの部屋で、俺は他の船員と同室だって。それから注意事項で二人は夜は出歩かないように、ってさ。その…」

「数名の女性はいるものの、男所帯だものね」


 エレナは周囲を見渡して呟いた。

 ダヤンカーセの船には女性もいる。厨房のコックはエッテ・イーサとエリス・イーサの姉妹である。どちらも魅力的な赤毛の女性で非常に快活だ。とはいえ船員のをするのではなく、誇りある海の料理人なのだそうだ。手を出す者があれば殺して良いとダヤンカーセからの許可もあるという。実際それで三人ほど魚の餌にしたのだと聞いて、今まで食べて来た魚の身になっていたらと思うとゾっとした。


「そう、ダヤンカーセの船員だから乱暴なことをする人はいないと思うけど、念のため。新年祭フェルハーストでお酒が入るとタガの外れる人もいるらしいから」

「船を操るのだもの、大事な息抜きを邪魔しないようにしましょう」

「俺は二人と食べるからね」


 それは念のための護衛でもあり、酒で酔っ払った船員に絡まれるのも面倒だからだ。


「船室はもう聞いてるんだけど、入る?」

「しばらく見ていたい! 私海も船も初めてなの」

「風邪ひかないようにね。船室はそこの扉を入って階段を降りて、左手にあるリボンが巻いてあるドアだって。俺はダヤンカーセと話して来るよ」

「えぇ、またあとで」


手すりに手を置いて少しだけ身を乗り出す姿に不安でもあったが、エレナがついているので大丈夫だろう。

 巨大ガレオン船は波を受けてゆっくりと揺れている。小型の船だともっと揺れるのだと聞いて、足場がしっかりしていることに胸を撫でおろした。

 操舵のところへ向かい、この船の船長に声を掛けた。

 

「ダヤンカーセ船長、こっちのメンバーは全員乗った」

「おう、じゃあそのまま乗ってろ」

「船乗るの初めてなんだけど、いつ出るんだ?」

「ほう、落ち着いてるから経験あるのかと思ってたぜ」


 ダヤンカーセはポーチから草を取り出してパキリと噛んだ。見ていたら差し出されたので噛んでみる。ローズマリーか何かのハーブのような香りだ。形は違うが香りがよく似ている。


「すっきりする」

「気に入ってんだ」

「わかる気がする」


 ダヤンカーセを真似て食んでいれば、琥珀の眼がちらりとツカサを見た。


「乗るのは初めてっていうが、海や船自体は見慣れているのか? お前の兄貴はもっと浮ついてたぜ」

「え、本当?」

「あぁ、初めて海を見た日はそこの桟橋まで駆けて来て、しばらく見続けてたってよ」

「ラングもそういう反応するんだ…!」


 ダヤンカーセが顎で指した桟橋を覗き、なんとなくそこに立つラングを想像した。

 どんな風に感動をしていたのだろうかと思いを馳せ、ツカサは小さく笑った。


「見たかったな」

「お前がいないからの反応だったんだろうよ」

「それはちょっと寂しいなぁ」

「兄貴のプライド考えてやれ」


 へっ、と苦笑を浮かべてダヤンカーセはすっと背筋を伸ばした。

 ツカサの真横でトランペットが鳴った。

 パァン、と空気を震わせてダヤンカーセの声が飛ぶ。


「風が来た、錨を全て上げろ! 帆を張れ! 出すぞ!」

「おう!」


 船員たちは手早く錨を上げ、船は先ほどよりも揺れを掴んだ。すでに半分は上がっていたのだろう、どこかでガラガラという音が聞こえ、船はそれに合わせて揺れを大きくした。

 バタ、と帆が音を立て、ゆっくりと船は海原を目指す。停泊中、錨が船を押さえていたのだと知りそれにも感動し、ツカサは強く拳を握ってアンジェディリス海賊団の動きを見守っていた。


「アギリットォ!」

「了解だ、船長」


 顔に紋様のある大男が柔らかい動きで両手を差し出す。

 冷たい風が背後から吹き抜け、三本のマストに張られた帆が風を掴む。

 急にぐいと体が揺れた。船が風に押されて先ほどよりも推進力を上げたからだ。

 ぐわりぐわりと揺れる足元、風を掴んだ船は容赦なくツカサの顔面にも冷風を叩きつけた。


「うっ…」

「そろそろ船室に居た方が良いぞ、ここからしばらくは風が凍る」

「どのくらいで落ち着く?」

「沖に出ればまだマシだ」

「…お言葉に甘えます」

「おう、そうしろ。酔ったらレヴァンを訪ねろ。船医室は階段を降りて突き当りの右手、白い布が取っ手に巻いてある」

「ありがとう」


 操舵をガラガラと回しながら言うダヤンカーセに礼を言い、ツカサは船室を目指す。

 中に入る前にもう一度振り返り周囲を見渡した。

 三本のマストに張り巡らされた物は、どの綱がどの意味を持っているのかもわからない。頑丈なマスト自体が鳴いているのか船自体が鳴いているのかわからないが、波の揺れに合わせて、風に合わせてギィィギィイと音を奏でていた。

 アギリットはダヤンカーセの隣で腕を前に出したり引いたり不思議な動きをしている。あれもあとで聞けるだろうか。


「ツカサさん、中へ。安定航行に入るまで慌ただしくなるので」

「あぁ、わかった」


 いつの間にか横にいたミルに促され、ツカサは扉をくぐった。

 入ってすぐは広くなっていて、両手に広がるのは武器や資材だ。これはいざという時すぐに使うものらしい。マジックアイテムでいくつかにまとめられてもいるのですっきりしている。ここでも船員が慌ただしく動いていてツカサは圧倒されながらその間を進み、ギシギシ軋む音を聞きながら薄暗い階段を降りた。ランタンは火ではなく魔道具だ。

 降りて振り返れば、向きとしては船尾から船首へ向かうようにドアが続いている。この内の一つがエレナたちの客室で、ツカサの寝床なのだ。

 もう一つ折り返して階段を降りれば船底だという。

 ツカサは海賊の映画で見たものよりも衛生的だと思った。恐らく、船の建造としては航海時代と近代の間なのだろうが、魔道具などのアイテムのおかげでそこまで衛生環境は悪くないのだ。

 足元がぐわんと揺れた。船の揺れに少しだけ頭痛を感じ、酔う前にと船医室を訪ねることにした。

 冷たい冬の空気が船中に満ちている気がした。

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