第86話 準備を


 エレナが落ち着くのを待って、次はミルが話し出した。


「我らがダヤンカーセ・アンジェディリスはアンジェディリス海賊団の船長です」


 海賊と聞いてツカサは驚いたが、そうであればあの粗暴さにも納得だった。ただの商船の船乗りが簡単に人の首を斬ったりはしないだろう。

 今は荷運びを主に仕事にしていて、海賊としての仕事は年一、二回程度なのだという。その貴重な仕入れの際、ラングとアルは活躍を見せた。船医のレヴァンはラングをとても気に入り、航海中付き纏いすぎて海に落とされたこともあったらしい。

 アルは甲板で船員たちと手合わせをしたりと伸び伸び楽しんでいたそうだ。

 なんとなく目に浮かび、ツカサは笑った。

 一頻りミルからアンジェディリス一味の説明が終わった後、さて、と手を叩き空気を変えられた。


「ラング殿からあなた方をスカイへ運ぶように依頼を受けています」


 ミルの表情は先ほどまでにこにこしていた青年ではなく、笑顔はそのままに、有無を言わせぬ責任感のある男の顔になっていた。

 ツカサは膝に肘をついて前傾姿勢で耳を傾けた。


「こちらも恩がありますし副船長の言いつけでもあるので、ツカサ殿にを手伝えなどは言いません。ただ、お約束と違うことがあるようで」


 ちらりと視線がモニカを向いて、その先でモニカは姿勢を正した。


「我々の話をしている手前、運ぶか、死ぬかの二択なのですが」

「運ぶのに何が必要なんだ?」

「お! いいですね、お話が早いです」


 望む応答にミルはにっこりと笑って腰のポーチから紙筒をいくつか取り出した。

 手でどうぞと指し示されツカサはその紙を広げた。

 中に記載されていたのは食材や水などの一覧だった。


「ラング殿から聞いていますが、便利なスキルをお持ちですよね?」

「ラングが言ったの? ならいいか、うん、確かに持ってる」

「我々の荷物を持っていただいて、航海中きちんと提供していただきたい」

「それだけでいいのか?」

「航海する上でとても大事なことなんですよ。それに、あれ出せこれ出せは思ったより面倒なものです」


 ミルは紙筒をするすると開いては伸ばし、ツカサの前に並べる。

 なるほど、こうして見てみればかなりの量になる。食材だけではなく織物や素材など、これを一個人で管理するとなると確かにかなり大変だろう。


「仕入れはどうすればいい?」

「準備は出来ています、が、まぁご覧の内容なので乗り切らずでして…」

「うん、すごい量だもんね」

「何せ新年祭フェルハーストを船上で迎えますから、食事だけは豪勢にと言いつけられてもう…」


 言われてハッと顔を上げた。そういえばそうだ、氷竜の月になったということは、年末が来る。

 行動を別にしてから一回目の新年祭フェルハーストは慎ましやかに過ごし、誕生日にはエレナからヨウイチの形見である破魔の耳飾りを譲り受けた。

 二回目の新年祭フェルハーストもラングたちはいない。

 けれど、とツカサはモニカの首にかかった赤い石を見遣り、自分の胸元を握り締めた。

 ラングは忘れずにいてくれた。

 お守りはどちらもモニカに渡していたが、ヴァンドラーテまでの道中でこれも意味のあるものだったのだろうとモニカから返されていた。ツカサはもし自分とはぐれてしまっても、このお守りがあれば兄が気づくと赤い方をモニカに譲った。白い魔力石のお守りはツカサが変わらず身に着けている。

 そういえばこちらからラングに贈れるものがないな、とツカサが思考の海に沈みそうになったところでミルに呼び戻された。


「ツカサ殿?」

「あ、あぁ、悪い、考え事してた。何か言ってた?」

「ラング殿から預かりものをしていると言いました」

「預かりもの?」


 はい、と言い、ミルは綺麗な白いナイフを差し出してきた。

 美しい装飾が日光に当たるとキラキラと輝いて少しだけ眩しい。すらりと抜いてみれば刃は透き通るような錯覚を目に起こさせ、光が吸い込まれるような白さだった。


「これは?」

「今年も新年祭フェルハーストは共にいられないだろう、と」


 つまりこれは今年の新年祭フェルハーストの贈り物なのだ。

 鑑定をすれば銀のナイフと出た。特殊な効果はないが、これだけでかなりの芸術品のように思えた。切れ味を試すのに指先を刃に当てればするりと切れたので実用的でもある。慌てるモニカの気配を感じながらヒールで怪我を治し、鞘に納めた。


「豆なんだよな」


 優しさが嬉しくて申し訳なくて銀のナイフを胸に抱いた。これもまたの一つなのだろう。

 ミルはツカサの感動を少しの間待っていてくれて、顔を上げれば次の話へ進んだ。


「荷物の収納はすぐにでもお願いをしたいのですが、どうでしょう?」

「いつでも構わない、今から行こう」

「ありがたい、生ものもありますからね。ではツカサ殿はこちらへ」

「呼び捨てで構わないよ、ミル」

「ではお言葉に甘えて。エレナさんとモニカさんは今しばらくごゆるりと」

「えぇ、石鹸を作って待っているわ」

「あ! 石鹸! そうだ、ツカサからもらって使いました! すごく良い匂いでお肌すべすべですごかったです!」

「あら、お気に召した? よかったら作るところを見る?」

「ぜひ!」


 女性陣は女性陣で打ち解けられそうで安心した。ツカサは紙をまた筒にして仕舞い込むミルを手伝い、それから港へ向かった。

 先程まで晴れていた空はいつのまにかどんよりとしていた。あれは雪雲で、アズリアはどかりと雪が降ってすぐになくなるのだとミルは言った。


「とはいえ海辺ではそこまで積もりません」

「そうなんだ」


 薄暗い空の下、家々は暖かいオレンジ色と木の色合いで王都と変わらない。空気の冷たさとはうらはらにヴァンドラーテは活気に溢れていた。

 ヴァロキアの街に似た空気、アズリアに入ってから忘れていた開放感がここにはあった。

 坂道の先には海が広がっていて、透き通った水面がザァンと音を奏でていた。

 テレビでは透明度の高い海も見たことがあるが、自分の肉眼で見た海はもう少し緑がかっていて、ここまで透き通っていなかった。

 揺れる波間に吸い込まれるような感覚を覚え、僅かに足を引いた。深呼吸をすれば冬の寒い空気が肺を満たし、肌を刺す潮風に眼を開く。


 もうすぐ目的地だ。

 思い返せば様々なことがあった。

 初めてソロでダンジョンも踏破した。

 三脚コンロも作ったし、その収入もある。あぁ、ここでも冒険者ギルドはあるだろうか。

 オルワートでは初めて人を引率し、守り、護衛依頼を受け、そして果たせなかった。

 瀕死の経験も、まるで漫画のような記憶喪失も経験し、ようやくここまで来た。

 故郷程の安全性はないだろう。

 見上げた巨大ガレオン船は強固だが、かつてこういった船が大嵐に巻き込まれ転覆し、海底から歴史的発見物として引き上げられるのをテレビで見たことがある。

 いざとなったら、何が出来るだろう。


「――カサさん、ツカサさん!」

「わぁ!? あ、ごめん」

「大丈夫ですか? 随分とぼんやりしてましたが」

「大丈夫、悪い…行こう」

「はい、こちらです」


 肩を叩かれてびくりと我に返る。

 この悪癖、本当にどうにかしなければ。いろいろと考え込んで思考に深く潜り込むのは、検討と検証を重ねて行動できるので良い癖だ。だが、今のような移動中や戦闘中に出てしまえば時として悪癖となる。

 ミルの案内で着いたのは大きな倉庫だ。ガレオン船と目と鼻の先、今もブリッジを人が行き来して樽や箱がせっせと運び込まれている。そういえば出発はいつなのだろう。


「ミル、聞き損ねたんだけど」

「ではツカサさん」


 声が被り、くるりと振り返ったミルに急ブレーキをかけた。

 にっこりと笑ったミルは体をスススと避けてその後ろを手で差した。


「お願いします!」

「ひぇ」


 倉庫を埋め尽くす大量の箱樽革袋吊るされたハムなどの加工品いまもどんどんと運び込まれる焼きたてのパン。

 ツカサは空間収納頼むぞ、と祈りながら腰のポーチを叩いた。




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