第85話 ヴァンドラーテにて
「ツカサ…!」
朝焼けの中、久々に見たエレナは少しだけ痩せて、憔悴した顔をしていた。
ぎゅっと抱き留めれば前よりも細くて申し訳ない気持ちが目頭を熱くした。
「心配かけてごめん、何から話せばいいのか」
「無事ならいいのよ、怪我はない?」
「大丈夫、エレナこそ痩せて…」
「少しだけよ」
顔を何度も撫でて無事を確かめてくれる相手に思わず鼻がぐすりと鳴った。滲んだ目元を拭い、後ろでそわそわしているモニカを差し招いた。
「説明をさせて欲しいんだ、エレナ。こっちはモニカ、恩人だよ」
「は、初めまして! モニカです、エレナさん…」
「モニカ、こっちはエレナ。俺の…母さんみたいな人」
「ひぇ! おかあさま!」
急に緊張して縦に伸びたモニカに、エレナは涙を拭って微笑んだ。
「まずは何があったのか教えて頂戴、ルノアーからの手紙では取り急ぎだったから、詳しくは知らないの」
「もちろんだよ」
また頬を撫でられてそれが心地良く、少しだけ猫のように寄せてしまったのが恥ずかしい。
モニカがよかった、よかった、と言いながら涙ぐんでいたのがまた照れ臭さを煽った。
そんな感動の再会もダヤンカーセには関係のないことで、大きく伸びをした後欠伸をしながら叫んだ。
「夜通しの移動で俺は疲れた! エレナ、そいつらの部屋も館に用意してる、話すなら連れて来い」
「感謝するわダヤン、貴方にはどうお礼を言って良いか」
「ならうちの野郎共の臭いをどうにかしてやってくれ」
「えぇ、腕を振るうわ」
ダヤンカーセはひらひらと手を振って消えていった。その方角を見れば街の高い所に白い館があったので、恐らくそこだろう。男たちは逆側へ行った。
それに釣られて視線をやれば、遠くに海が見えた。独特の香りもあってツカサは少しだけ目を細めた。
不思議と【適応する者】のスキルは発動しなかった。記憶にある香りとは違うからだろうか。
その表情がエレナには眠そうに見えたようだ。
「馬車があって乗り継いだとはいえ、疲れているでしょう。顔を見れて安心もしたから、まずは休みなさい」
ツカサとモニカの肩を撫でてエレナはダヤンカーセと同じ道を行く。
確かに、ダヤンカーセとその部下が用意してくれたおかげで馬車を乗り継ぎ早い移動が出来、三日程度でこのヴァンドラーテに辿り着いた。だがそれは強行軍でもあった。
その間ツカサは眠ることなく、モニカは突然の大勢に緊張が解けず休まらず、ヘロヘロの状態だった。
お言葉に甘えて館で湯あみをさせてもらい、ふかふかのベッドに倒れたらあっという間に眠ってしまった。
翌日まで寝こけてしまい、丸一日眠れたことに驚いた。
館で用意されていた朝食はかなりしっかりしたもので、魚介をダシにして作られたリゾットは良い塩分がじわりと五臓六腑に染み渡った。
少し遅れてモニカも目を覚まし、初めて食べた魚介のリゾットに目を輝かせていた。
気風の良い女性がどんどんと食事を出してくれるので、出されるがままに食べていたらはちきれそうになった。エレナは途中から穏やかにコーヒーを飲んで助けてくれなかった。
けれど、エレナも昨日より顔色が良い。余程心配をかけていたのだとわかり、反省した。
「そろそろお話ししましょうか」
食後のコーヒーで一息ついたところで、エレナは慣れた様子でサンルームに案内してくれた。ダヤンカーセが賓客としてエレナを招待し、保護してくれていたのだとツカサにもわかった。冬宿も数ヶ月生活をすれば家になる。この館も似たような感じになっているのだ。
移動先のサンルームは冬の陽光を受けて暖かく、菓子と紅茶が用意されていて、笑顔の青年が待っていた。
「体調はいかがです?」
「おかげさまで、お世話になりっぱなしで…」
「良いんですよ、こちらにはこちらの事情もありますし。初めましてですね、ミルと申します」
す、と手を差し出されて強く握手を返す。
焦げ茶色の髪はバンダナの跡なのか頭頂部がぺちゃんこで、横が跳ねていた。深い緑の眼は興味津々でツカサを眺めているが不愉快な視線ではない。
「初めまして、【異邦の旅人】のツカサだ。兄が…お世話になった?」
「ラング殿ですね、それからアル殿。ダヤンカーセ船長は現在お忙しく同席は出来ませんが、俺から話を通しておきますので、代わりに同席させていただきます」
「よろしく、ええっと…悪い、ラングからはダヤンカーセ・アンジェディリスを頼れとしか聞いてなくて…」
「あぁ! なるほど、だからですか。知らなければ警戒されるのも納得です。後ほどご説明します」
ミルは腑に落ちたように頷いて全員をソファへ促した。
まずエレナからはぐれた後の話を聞いた。
ツカサとミリエールを待ったが戻らず、そのままルフレンを連れルノアーと共にヴァンドラーテに辿り着き、しばらく待ったが音沙汰がなく心配したこと。
別のルートで行ったのかもしれないと手紙をスカイへ送ろうと次のアンジェディリス船の出港を待っていたこと。
ルノアーからの手紙で無事が知らされダヤンカーセに報告したところ、待つのは性に合わないと迎えに行ったこと。そのおかげで怪我もなかったのだと言えばエレナは胸を押さえてほぅっと息を吐いた。
ツカサの方の話はとても長くなった。
三か月と少し行方不明だったので詳細を聞かれたが、モニカはもじもじするしミルは目を輝かせて聞いているしで居心地が悪く、話し出すまでに時間がかかった。
結局一から二人で全てを話し、モニカはツカサが記憶を取り戻した夜のことをうっとりと語った。最終的にエレナは仕方なさそうな微笑を浮かべていた。
その顔はかつてツカサが朝帰りした時と同じで、見ていられずに膝に視線を落とした。とはいえ、実のところモニカとそういうことをしたことはなく、はっきり言うと体の関係はない。記憶を取り戻せたらと思っていたが、結局幼馴染でもなかったので踏み込むことが出来なかったのだ。
閑話休題。
ルノアーのおかげで記憶を取り戻し、自身を、ミリエールを斬り捨てた男に見つかるのも不味いと慌てて王都を脱し、道中襲われたところでダヤンカーセに救われたところまでようやく追いついた。
あのならず者たちは腕の善し悪しがバラバラで、かつてフェネオリアで戦った暗殺者とは雲泥の差だった。最初に喉を潰した男をダヤンカーセが手際よく尋問したところによると、奴らは人身売買の一味の実行犯で、ツカサの金とモニカを狙ったのだという。
そしてその黒幕がジャンナとその恋人の男なのだと知り、モニカは顔面蒼白になっていた。
本当ならツカサを拾ったあの時、モニカは騒動に乗じて捕まえられるところだった。たまたまスラムで騒ぎがあったのでそれに乗じて
だがモニカが真っ直ぐに歩いて隙を見せなかったので手が出せず、止まったと思えばそこには死体と瀕死の二人がいて困惑し、結果スラムから逃がす羽目になったのだと男は語った。
ジャンナが店主と共にモニカの家に行ったのは、穢されたモニカが傷心で傷ついているところをクビにさせ、それから手を差し伸べて逃げられなくするためだったのだという。だが予想に反してモニカは無事な上に
店主はジャンナと仲間ではなく、ここ二、三年でそうした被害に遭う少女が多かったので純粋にモニカを心配して駆けつけていたそうだ。ジャンナは定期的に店を変え同じことをしていて、年齢も実はモニカより五つも上と知り、モニカは肌の手入れについて少しだけ真面目に考え込んでいた。
いつもならその手段で女を娼館へ売り、いくらかの報酬を得られたはずだった。どうりで金払いが良かったわけだとモニカは一人で納得をしていた。
ツカサが店に顔を出さなくても迎えに来たりしていたこともあって、毎回思惑は潰されていた。
ジャンナは予定数の女を卸せないことを男に責められ、随分焦っていたらしい。
それが今回の直接の襲撃令となったようだ。
銀級と聞いたのでそれなりの腕の男たちが差し向けられたが、魔導士とは聞いていなかった。どうやら氷壁事件の首謀者はあまり広がらなかったらしい。実力も知らずに手を出してすみませんでした、と謝った男の首はダヤンカーセによって斬り落とされた。
モニカはそこで一度気を失ったのであとは馬車で運ばれていただけだ。ツカサも同様に運ばれた。
ミリエールのことはモニカが話した。
ツカサを蹴り付け、自分がやってやる、と叫んでスラムの奥へ消えていった背中。ほんの僅かな時間の後、ツカサの肩で見た生首は忘れられるものではない。
ツカサの看病で必死だったので引きずらなかっただけで、改めて思い出した今からがトラウマの始まりだろう。その心に寄り添おうとツカサは誓った。
エレナは二人の手をとって強く握りしめた。
「運が良かったわね、その男に追われていたら二人共死んでいたわ」
「そう思う。…あれは、なんだったんだろう。ラングのように、立っているだけなのに隙がなくて…怖かった」
「ラングという強敵を知っていてよかったわね」
「本当に」
エレナと共に苦笑を浮かべていたら、モニカがそれを眩しそうに眺めていた。
「やっぱり少し似てるのね、笑い方が一緒」
ふふ、と笑ったモニカの言葉は、ツカサが迷い人だということも忘れて自然と零れた一言だった。これはエレナの涙腺を簡単に崩壊させた。
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