第84話 迎え
追っ手か?
ツカサは歩が速まらないように気を付けながら背中に感じるピリピリした物を意識した。
昼頃に歩き始め、夕方頃にキャンプエリアに辿り着く。旅が初めてのモニカを気遣ってそこで朝まで休むことにした。
周りに冒険者や商人の
ポーチを叩いて簡易竈と小鍋、食材を取り出して温かいスープと炙ったパンで夕食を済ませる。モニカは野営の食事にも、焚火の明かりだけでよく見える星にも感動をして、慣れない緊張で早々にテントで寝息を零し始めた。テントの中には柔らかいラグと布団を用意しておいたのでぐっすり眠れているようだ。
ツカサはシャドウリザードのマントの中でいつもの姿勢を取り目を瞑った。
時折酔っぱらった商人の声に気を取られたが無事に朝日を迎え、ひんやりとした空気の中で目を覚ます。冬の女神の吐息が来る前には屋根のあるところに辿り着きたい気持ちで伸びをした。
簡易竈にクズ魔石を放り込んで火種にし、昨夜の残りであるスープを温め直した。
少しだけ野菜を足してテントの中を覗きこむ。流石朝から晩まで働いていた体力は健在だ、すっかり起きて髪を手櫛で梳かしていた。そうか、櫛も必要なんだな、と気づいた。
ツカサの視線に気づいてぱっと笑う。
「おはようツカサ!」
「おはようモニカ、朝食そろそろ出来るよ」
「ありがとう! 旅って思ったより快適なのね?」
「準備が出来てさえいればね。これは結構特殊な方だよ」
「え、そうなんだ…気を付ける」
モニカはとても柔軟に、そして素直に物事を受け止めてくれる。そしてそれを当たり前のことと思わない。
今いる現状が恵まれていることは苦労を感じないことでよくわかるのだろう。
ツカサはそれにホッとした。今自分が用意できる最大の安全を提供しているが、それ以上を求められても困るからだった。
朝食を済ませ、僅かな食休みのあと再び歩き始めた。
街々を寄り道してもいいが、かなりの時間を記憶喪失で過ごしてしまった。
ルノアーが手紙を送ってくれるというが、エレナはやきもきして過ごしているだろう。早く顔を見て安心したかった、させたかった。モニカには真っ直ぐに目的地に向かうことを伝え、その道中でツカサの素性を告げて置いた。
もしこれで離れることになるのなら、仕方ないと覚悟した上でのことだった。
けれど、全く想像もしなかった反応が返って来て毒気を抜かれてしまった。
「すごい! 私迷い人を見たの初めて! 迷い人だからツカサは強いの?」
「いや、努力したよ? 剣だこなんてなかったんだ」
「そうなのね、それで、元の…故郷? に戻るために、スカイへ」
「そう」
「…スカイでお別れ?」
「いや、何か方法が無いか探すよ。モニカも連れて行けるような、そんな方法を」
「いいの?」
「モニカが嫌でなければ」
「嬉しいよ! ツカサの故郷楽しみだなぁ!」
この花が開く様なぱっと向けられる笑顔が堪らなく胸を掴む。とてつもなく可愛い、というわけでもなく、かなり綺麗、というわけでもない。素朴な可愛らしさが好みだったのだと初めて気づいた。
今まで熟女にどきりとさせられてきたのは、出会った彼女たちがそういった自然の美しさを見せていたからだと納得させる。
スカイへ渡って元の世界に戻ったら、今はどうなっているだろうか。
両親には心配をかけただろうし、勉強はすっかり置いて行かれているし、大学に通うタイミングも逃した。社会勉強だけは出来ているが、誰かと合わせることが苦手になっている気もしていた。集団行動の面倒くささと厄介さを感じてしまうと、今の自由気ままな自己責任がとても気楽に思えるのだ。
代わりに、これは命をかけた自由だ。生活も保障されていない。社会という枠組みも、学校や会社というコミュニティも助けてはくれない。
自由というものが命を懸けて手に入れるものなのだと学べたのは大きい。
加えて、自分は人殺しでもある。
止むに止まれぬ事情があってのこととはいえ、故郷でバレたらどう判じられるのだろう。
その時はその時だ。
今手持ちにある金を【変換】したらいくらになるのだろう、と考えたこともある。
その金額が少なかったらどうしようと思うと【変換】を使うことが出来ず、今の今まで来ている。これもどこかで覚悟を決めて検証する必要がありそうだ。
ツカサはモニカに
二つ目のキャンプエリアを無事に抜け、三つ目のキャンプエリアで商人に絡まれ、四つ目のキャンプエリアでようやくヴァンドラーテへの道のりが半分のところまで来た。
氷竜の月に入り女神の吐息も降りた。どうにかもう十二日もしたらヴァンドラーテに着くだろうと地図を見ながら会話をした。快適な睡眠としっかりした食事を用意しても、モニカは冒険者ではない、疲労が溜まっているらしく口数も減って来た。目が合えばにこりと微笑むし、食事はしっかりと食べられるがベッドでしか取れない疲れというものがあるのだ。
ツカサはその日、キャンプエリアに他の人がいないのを確認して土風呂を作り、モニカをゆっくりと休ませた。
風呂に入れることに感動しモニカは鼻歌を歌いながら湯をぱしゃぱしゃと言わせていた。四方を高い壁で覆い、着替えたら出口を作るよ、とプライバシーを守ってあげたのですっかり羽を伸ばしていた。
ツカサはその間、手に武器を持っていた。
モニカが風呂に入り始めたあたりからぞろぞろと焚火の明かりの下に男たちが現れ、今は睨み合ったままだ。
焦れたのか一人が前に出て下卑た笑みを浮かべた。
「良いご身分だな、エド」
「どちら様? 知らない顔だ」
「思ったよりも人が多くて困ったが、ここに来て一人になるとはな。女も湯に入れておいてくれて助かるぜ」
「質問に答える気はない? 誰だ?」
ハッ、と鼻で笑う先頭の男を皮切りに男たちが笑いだす。
その声量にモニカも気づいたようで水音が止む。
「ツカサ…?」
「大丈夫、そのままゆっくり入ってて。その方が安全。あ、でも着替えておいてもらえると移動が早いかな」
「わ、わかった」
すーはーすーはー、息を深く吸った。とん、とん、と足を馴染ませてショートソードと短剣を構えた。
「知ってるんだ、こういう烏合の衆の潰し方」
暗殺者のように統制のとれた一団でない事はわかった。
ならば簡単だ。
思い切り地面を蹴った。
師匠のように鍔のない武器はないのでショートソードを前に突き出し、驚愕する男の顔をスローモーションで見ながらその喉に撃ち込んだ。
「あっ」
不味い、やりすぎた。
メギョ、と何か砕いたような音がして手に響いた感触が生々しい。
ラングは事も無げにやっていたが、これは絶妙な力の加減が必要だったのだと気づいた。
慌てて吹っ飛んで行った男に駆け寄りヒールをこっそりとかけた。
それがトドメを刺している様に見えたらしく、男たちがじりじりと後ずさっていく。
「まだやるか?」
「ひっ」
「俺は降りる!」
何人かが走って逃げたが、まだ半分は残った。思ったよりも気骨があるらしい。
先ほど喉を潰した男がまともな息をし始めたのを掌に確認し、ゆっくり立ち上がる。こういう時素早く立ち上がるのは余裕のなさを見せる。
ラングは常にゆったりと構えて見せていた。本人の実力もさることながら、そうした見せ方を上手に使っていたのだ。全て真似だが上手く行けばいい。
「モニカが準備出来る前に終わらせたいんだ、さっさとかかって来いよ」
「このガキ…!」
ならず者たちは剣を抜いて隊列もなく襲い掛かって来た。
だがあちこちから襲われるというのは面倒だ。片側をいつもなら盾で防ぐことも出来るのに、左手首が軽い。いなし、躱し、一つ一つ丁寧に傷を負わせていく。出来れば逃げ出して欲しい、モニカに死体を見せたくはない。
「おらぁ!」
「うざったい!」
ドン、と右足を踏み出して氷を這わせ、もはや十八番になった氷漬けを仕掛ける。
男たちは急に足が凍り前につんのめり無様に倒れる者も居れば、勘が良くていつかの暗殺者のように大きく離れる者もいる。
捕まえられた男たちは凍死しない程度に凍らせて一先ず自由を奪った。
まだ動けるやつをどう捕まえようか。そう考えていれば隙が出来ていた。
右耳にピリッとしたものを感じて振り返ればそこに飛び掛かる男がいた。
「
言いながら左腕を差し出し、しまった、と胸中で叫ぶ。
ざぐりと革の籠手にめり込んだ剣をそれ以上進ませないために右のショートソードで男の首を斬る。勢いを殺しきれずに地面に倒れ込み、相手の剣が首の横に埋まる。
「今だ!
上の伸し掛かったまま絶命した男を蹴り上げて退かし、すぅはぁ、と一呼吸。瞬時に発動したヒールで腕を治し体勢を整え、剣を構えたツカサのもとに男たちが到達することはなかった。
ざぁ、っと雨のように男たちに矢が降り注ぎ、氷漬けにしていた男たちの命も奪う。結局生き残りは最初に喉を潰した男だけになった。
矢に撃たれて倒れ伏す男たちを呆然と眺めていたら、矢の飛んできた方から声がかかった。
「お前――― ツカサか?」
吹き抜ける様な声が響き、暗闇から暖簾をくぐるようにゆっくりと現れた切れ長の眼の男が、シャムシールで肩を叩きながら問うた。
ショートソードを構え直し、左手をついと動かしてトーチをばらまく。
眩しそうに、うっとおしそうにしながらも男はツカサから目を逸らさなかった。バンダナに納められた髪のおかげで、猫のように光る琥珀の眼がよく見えた。後ろには頬に紋様を持つ大柄な男を従えて、尊大に胸を張りツカサをねめつけた。
「…そうだと言ったら?」
「喜べ、迎えに来てやった」
両手を広げて大袈裟な歓迎を示してにっかりと笑う。
ツカサが首を傾げて意図を測りかねていたからか、期待した反応がないことに男は大層不満げに眉間に皺を寄せた。
「んだよ、あいつ俺の人相は知らせてないのか? この男前の人相をよ!」
「落ち着け、そんな御仁ではなかっただろう」
「めんどくせぇ寒空の陸をここまで来てやったのに! 感謝の言葉の一つもねぇと来た!」
「風が導いてくれてよかったな、すぐに見つけられた」
「うるせぇ! お前はもっと俺の心に寄り添え副船長だろうが!」
「甘やかすと為にならない」
「おふくろかテメェか」
「産んだ覚えはないな」
「俺もテメェの腹から出た覚えはねぇよ」
ぎゃいぎゃいと一人が騒ぎ、もう一人が冷静に受け答えする姿は故郷の漫才を思い出させた。
どうやら敵ではないと判断し、剣を納める。
「確かに、俺は【異邦の旅人】のツカサだ。…あんたたちは?」
隣の男とわんわんやり合ってある程度気が済んだらしい男は、サッと手を上げた。
トーチの届かない暗がりからまた数人の男たちが現れてその後ろに並ぶ。その手にある武器によって、先ほど降られた矢雨がその男たちによるものだとわかった。
別の方角からも血に濡れた武器を持つ者が出て来たので、逃げ出した奴らも悉く狩られたのだろう。
「感謝しろ。海の覇者、このダヤンカーセ・アンジェディリス様がお迎えに来てやったぞ、坊や?」
それはラングの手紙に書いてあった名前だった。
緊張が解けて肩から力がふっと抜けた。
「世話をかけたようで、ありがとう」
「感謝が遅ぇんだよ! 心込めろ心を!」
「本当にありがとう、来てくれなかったら危なかった」
「ッチ、素直かよ…」
そっぽを向いて唇を尖らせた姿は少しだけ幼く思えた。
「ツカサ、あの、大丈夫?着替えたけど…」
「あぁ、モニカ! ちょっと…驚かせると思うけど、死体は大丈夫?」
「え!? 死体!?」
言いながら土壁を壊し手を差し出して引き寄せる。
死体にふぅっと意識を失いそうになったので支えてやれば、ダヤンカーセは呆れたような顔でツカサを見ていた。
「マセてんなぁ、あいつ女連れてきやがった」
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