第83話 お世話になりました
モニカがほかほかのつやつやになって湯気を立たせながら夕食をとっているところにツカサは帰宅した。
ぱっと破顔して出迎えられるのはやはり嬉しい。おかえり、ただいまと返しながら空間収納からランタンを取り出して点ければ、眩しさにぎゅっと目が細められた。今まで夜を蝋燭の明かりで過ごしていたのだから然もありなん。ランタンの明かりの下照らされた肌はいつもより綺麗で髪もふわふわになっていた。
明かりの下良く見えるのはツカサもそうだ。革鎧を着けなおしただけなのに先ほどよりもカッコ良く見えてしまい、モニカはさらに茹りそうになった。
ツカサはマントを椅子にかけるとモニカに笑みを返し、いただきます、と言った後食事に手を付けた。
「親方に挨拶をしてきたよ」
ばくりと大きな口で食べるが下品ではない。そこに男らしさを感じてまたキュンとした。名前を呼ばれて我に返り、うん、と答えた。
「突然のことだったけど、わかってもらえた」
「そっか」
「明日はモニカの職場に挨拶して王都を出よう」
「うん」
「…無理矢理連れ出す気もしてるんだけど、その、大丈夫?」
「大丈夫! 置いて行かれなくて本当に、よかった。思い出したら…出てっちゃうかと思ってた、あの人、と、どんな関係か、わからなかったし」
食事をする手を止めて、お互いに黙り込む。
ツカサは小さく深呼吸をしたあと、顔を上げた。
「フェネオリアって国で護衛を引き受けたんだ。ミリエール…彼女は、まぁ、いろいろあったけど命を狙われていて、それで、死ぬこともないだろうと思って、護衛を」
守れなかったけど。呟いたツカサの表情は暗い。
「あの人は自分で選んで、決めたのよ」
モニカの見た事実だけを伝えられ、それにも少しだけ救われた。
ただ、守れなかったという事実だけは自分の選択と覚悟の結果として受け止めるのだ。
気持ちを切り替えよう。引きずったところで結果は変わらない。
今目の前の人を、この手の届く場所にいる人を守ろうと思った。自分のためではあるが許して欲しいと胸中で呟いた。
「風呂、さっぱりした?」
「うん、とっても! あの石鹸すごいのね、良い香りで柔らかくて…すべすべになったの!」
「エレナ…俺のパーティの人が作った石鹸だよ」
「そうなの?」
「その人にも会えるよ」
「楽しみにしてる」
「今日はもう休んで」
「そうね…」
泣き腫らした目がまだ腫れぼったい。ツカサは氷を掌に創りだし、それを布で包んで渡した。
「少し冷やして置いたら楽かも」
「うわぁ、すごい…、ありがとう。…おやすみなさい、
モニカは微笑み、ベッドに潜り込んだ。
「おやすみ、モニカ」
小さく笑って返して、その日ツカサは椅子に座ったまま腕を組み警戒しながら休んだ。
―― 無事に朝を迎え、さっと風呂を済ませて朝食を準備してモニカが起きるのを待った。
空間収納にあった食事と卓上コンロでお湯を沸かしハーブティーを淹れれば、匂いに釣られて目を覚ましておはようと声がかかった。
おはようと返し、ぬるま湯を出して渡した。
「お湯が出る魔法があるの?」
「いや、水魔法で出して炎魔法で沸かすんだ」
「すごいのね、ありがとう…」
モニカはまじまじと手桶の中の湯を眺め、大事に使って顔を洗った。
魔法が使えない生活をツカサも知っているので気持ちはわかる、すっかり慣れてしまったので有り難みが薄れていたが、日常に魔法があるだけでかなり便利だ。
あぁ、でも、と思い返す。
仲間たちは常に感謝を伝えてくれていた。それは慣れに甘えないように、自分を律していたからなのだと気づいた。
風呂を沸かせばありがとう、髪を乾かせばありがとう、空気を冷やせばありがとう、火を、水を、氷を、言われなかったことは一度もなかった。
そんなことを思い出していたら手ぬぐいで顔を拭ってさっぱりしたモニカが席についた。
「お湯ありがとう! すごい気持ちよかった! ご飯も用意してくれたのね、全部任せてごめんね、ありがとう」
ツカサは嬉しくなった。モニカが一つ一つに感謝を伝えてくれたことが嬉しくて、ツカサもそうであろうと改めて心に誓った。
「どういたしまして、今日は忙しいからね。食べ終わったらモニカの荷物も俺のアイテムバッグに仕舞おう。元々あった家具だけ残す感じで」
「そうね、次に入る人がまた助かるだろうし」
豊穣の女神に祈りを捧げ、いただきます、と二人で言って朝食を済ませた。
日頃朝は固いビスケットだったモニカはハムのたっぷり挟まったサンドイッチに大興奮で、その反応に笑ってしまい少し怒らせてしまったが、ハチミツでご機嫌は直すことができた。
家の中のモニカの私物などを全て空間収納へ仕舞い、少しだけドアから中を眺めてぱたりと閉じた。
鍵は親方に言われた通りドアの隙間に差し込んだ。
「行こうか」
「うん」
モニカの着ている服も旅装束だ。日頃着ている物では冬が近づく旅路には寒くて向かないことから昨夜併せて用意しておいた。
長距離歩けるように柔らかい革の靴も渡し、朝から何度も足をぱたぱたさせて落ち着かない様子だった。
歩いて先を目指すつもりだが、途中で馬を借りるか馬車が安全かもしれない。じっと見ていたらその視線に首を傾げられた。
「どうかしたの?」
「ううん、モニカ、一つ確認しておきたいんだけど」
「なぁに?」
「旅路に関して、調べてはあるから俺がルートを決めていいかな。移動の方法とかも」
「もちろんよ、私、王都に来てから出ていないの。頼って良い?」
「あぁ、任せて」
頷いて見せて、ツカサはモニカの手を取った。
記憶を失ってエドと呼ばれていた時、こうしてモニカとデートに出かけたこともある。
記憶を取り戻しても忘れなくてよかった。二人で屋台を回って食事を買うのはたまの贅沢だった。あの長身の男の件さえなければもう少しだけそうした時間を過ごせていただろう。
朝早く、まだ人の少ない大通りを歩き、朝食の屋台を回って食事を買い込んで行く。モニカはハラハラした様子で見ていたが、ツカサがちらりと銀貨でいっぱいの財布の中を見せれば気を失いそうになっていた。空間収納に金貨と白金貨が山のようにあるのを伝えたらどうなるのだろうか。
寄り道をしながらモニカの出勤時間が近づき、店へ顔を出す。
「モニカ! 遅かったじゃない…? なにその服…」
ジャンナが椅子を運びながら声をかけ、二人の装いに首を傾げる。
「店主はいるかな」
「え? え、あ、い、いるけど、エド?」
「お邪魔するよ」
「ぇえ…!?」
するりと中に入り込み、まだ人のいない客席で帳簿をつける店主の男の前に座った。
「おい、もう掃除は終わったのか?」
「おはよう、ちょっといいかな」
「うん? なんだエドか、どうした…?」
店主が顔を上げ首を傾げる。目の前の男は死にかけた姿とそれからの姿を知っている者からすれば全くの別人に見えた。真っ直ぐに眼を見て来るのも違和感を感じさせた。
「モニカを連れて行きたいんだ、今日このまま辞める」
「なんだって? どこに連れて行くんだ」
「俺の活動拠点、思い出したんだ」
ほう、と店主は口ひげを撫でた。上から下までツカサを眺め、ぱしりと膝を叩いた。
「見るからに冒険者だな、腕はたつのか?」
「一応銀級」
「すごい!」
ギルドカードをちらりと見せて詳細は見せない。周りで開店の準備を進めていた少女たちが聞き耳を立ててはしゃぎ、ギルドカードを覗こうとする中、店主の値踏みするような眼が次はモニカへ向いた。
良い旅装束だ、日ごろモニカが店で働くのに着ている服とは違って生地が厚い。羽織った外套も軽く温かい魔獣素材、足元もまた新品の物で文句なしの準備。モニカに支払っている給与や最近組合に入った給与では届かないだろう。つまりそれを簡単に稼げるだけの冒険者なのだと推察が出来た。
「護衛になるつもりはないか?」
「残念ながら」
「ふむ、しかしなぁ、突然人手が減るのは困るんだが」
「そうかな?雇ってくださいって人は結構多いだろ?」
「せめてもう少し早く言ってくれたらなぁ?」
「いつ言っても同じことを返しただろ」
穏やかに話していた目の前の青年から笑みが消える。
ツカサは内心では非常にどきどきしていた。
ラングの真似をして尊大に、かつハッキリと物を言うようにして相手を折らせるつもりでいるが、この店主だって一国一城の主、人を見る目はある。最悪暴れて逃げればいいか、とどこかの誰かと思考回路が似て来ていた。
この世界では辞めるのに一言辞めますとだけ伝えればいい。マジェタから逃げたクロムとジェシカのように、戻らなければそのままクビで良い、で済む緩さもあるくらいだ。
こうまでも面倒なことをしているのは、かつて自分の看病のためにモニカが働けない間、クビにしないでおいてくれたからだ。十日近く看病で休むとなればその間別の人を雇い入れることも出来た。モニカが無事に復帰できたのは配慮を得ていたからだ。その誠実さには形はどうあれ少なからず敬意を払いたかった。
店主はしばらくツカサと睨みあっていたがやがて肩を竦めて見せた。
「わかった。モニカ目当ての客もいたんだがな」
「よろしく伝えておいてくれ」
がたりと立ち上がるツカサに掌を軽く振るう。
ツカサは店主の視線を待ってから深々と頭を下げた。
「モニカを守ってくれてありがとう、助かった」
ぽかんと口を開けて見上げてくる店主をそのままにモニカの手を取って歩き出す。モニカは後ろを振り返って大きく手を振った。
「ありがとうございました!」
またね、幸せにね、と一緒に働いていた少女たちが手を振り返す。
その中でジャンナだけは強くスカートを握りしめていた。
―― 市内馬車に乗って東門へ辿り着いた。
東門へ親方やマルクスが見送りに来てくれていた。出門の列に並ぶ前に挨拶をした。
「エド! 気をつけて行けよ、嫁さん大事にな」
「親方、わざわざありがとう。突然でごめん」
「いいさいいさ、思い出したならそれに越したことはない。冒険者だってんだ、やりたいこともあるだろうさ」
「銀級だしな、本当怪我と魔獣には気をつけてな」
「ありがとうマルクス。そうだ、これ」
マルクスの手にとんと革袋を置いてぱちりとウィンクした。きょとんとしたマルクスがその場で開けようとするのを手で覆って止めて、ツカサは笑った。
「家で開けてくれ」
「そうか? わかった」
「それじゃありがとう」
「あぁ、いってこい」
「はは、いってきます!」
ツカサは笑って手を振り、二人分の出門税を支払って東の大門を出て行った。
体を慣らすために最初は少し歩きたかった。背後からの気配だけは気を付けて、ツカサはかつて兄がそうしてくれたようにモニカの歩調に合わせた。
旅立つ二人の背中を眺め、親方はぐすりと鼻を鳴らし、マルクスは苦笑を浮かべた。
「よく我慢しましたねぇ、親方」
「旅立ちを涙で濡らすのはよくねぇからな。お前、エドから何もらったんだ?」
「家で見ろって言われたんすよ」
「ちらっとだけ…」
「しょうがないおっさんだなぁもう」
「お前だって気になるだろうが! ほらこっちでこっそり、な?」
「やらしいおっさんだなぁもう!」
大の大人二人がこそこそと端に寄り革袋をそぅっと開いた。
中にはキラキラ輝く宝石の原石と、金貨が数枚。
バッと顔を見合わせ、親方はマルクスの背中をバシンと叩いた。
「でけぇ魚逃したな、マルクス!」
「親方こそ!」
いっそ清々しい気持ちで大笑いして、お互いにこのことを秘密にすることを誓った。
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