第88話 船の上での新年祭



 船に乗って早三日。

 忙しなく船の操作に従事する船員比べれば、朝晩の食事だけが楽しみな囚人のようだ。


 何せ移動の時期が悪い。

 甲板に出れば容赦のない冷風が体力を奪う。少しだけちらつく雪もまた曇天の結果で、気が滅入りそうになった。

 四日目、耐えかねたツカサはそんな船の中で暖房とお湯の役割を買って出た。

 酸素だけは気をつけながら船を歩き回り、頼まれれば船内を温めた。

 エレナとモニカが風呂に入る際にお湯を用意していたこともあり、ツカサは風呂番などもすることになった。床が格子状に抜けている部屋が風呂場で、かけ流した湯は海へ落ちるのだ。本来貴重な水を風呂に使うことはなく、ここは単純に体を拭う場所なのだが、今回は話が別だ。

 ほぼ無尽蔵に水もあれば湯に変えることも出来るので非常に重宝してもらえた。


 五日になったところでようやく食料や資材が必要になったらしく、ついでにあれ出せこれ出せと声もかかるようになり、ツカサはやっと暇を潰すことが出来た。

 船から釣り糸を垂らして、とか、海賊たちの歌を聞きながら、とか、能天気なことを考えていたので、そうした憧れとの遠さに少しだけ不貞腐れそうな気持ちもあった。

 だが、何もやることがないよりはましだ。変な不安を考えなくて済む。

 もし船が沈んだら、もし嵐に遭ったら、もし。初めての航海はツカサにそう言ったマイナスな妄想もさせてしまうのだ。

 逆に、エレナとモニカは時間が足りない様子で過ごしていた。

 エレナが石鹸の作り方をモニカに教え、モニカがそれを監修されながら実践し、まるで師弟のように作業に没頭していた。

 試作の石鹸は船に卸され、使い勝手や汚れ落ちなどを聞いて回り、本当に石鹸屋のようだった。

 ツカサは船員がもらう形の悪い石鹸を覗き込み、モニカに尋ねてみた。


「俺には無いの?」

「ツカサにはまだだめ」


 ぷいとそっぽを向かれてしまい、船員に笑われる。

 モニカはこそりとツカサに顔を寄せて、ちゃんと作れたらあげるね、と言った。楽しみにしていようと思った。


 船は順調に海を進み、新年祭フェルハーストの日がやって来た。

 ツカサは朝から厨房に引っ立てられエッテ・イーサとエリス・イーサの姉妹にあれ出せこれ出せをやられていた。空間収納の良いところは単語かイメージでぽんぽんと取り出せることだ。そうでなければどれを出せばいいかわからなかった。ミルが用意してくれていた目録を指差してもらうことで効率化を図った。

 目の前で山盛り仕上がっていく料理を味見するのは許されたので、それは役得。とても単純な料理が多いが、シンプルイズベストを深く納得する味だった。

 牛肉豚肉鳥肉に塩を振って炙ったもの、レモンを絞って作った酸味のあるスープには白身魚がたっぷりで、野菜もとれる。ここぞとばかりに果物も籠に山と積まれ、酒樽が並べられた。


「雪は上がったようだな」


 ダヤンカーセ、アギリット、ミルの三人で甲板に立って天気と航路を確認していたが、そんな言葉に笑顔が浮かぶ。

 まだ空は灰色のままだが、このままいけば雪も雨もちらつかないで済みそうだ。

 天気を読むのに長けるのは草原の民と海の民だ、ダヤンカーセは天気予報を外したことがない。その安心感もありミルは頷いた。


「よかったですね船長、昨年は大雪だったから船室が大変なことになりましたもんね」

「ったく馬鹿どもがな」

「ダヤンもその一助を担っていたのを忘れるな」

「うるせぇっ」


 ダヤンカーセは悪態を吐いた後ミルに料理と酒を甲板に運ぶように言った。今年の新年祭フェルハーストは船の上、それも甲板でと決まった。

 となればまたツカサの出番だ。

 仕上がった料理を次々に空間収納に仕舞い、冷めないようにギリギリまで預かる。

 酒樽だけを抱えてまだかと騒ぐ船員たちに苦笑しながらエリス・イーサが良いというまで耐えた。

 テーブルは邪魔と言われ置かれなかった。テーブルクロスを敷いただけの、酒樽と酒瓶が並ぶ甲板でエリス・イーサが良しと言ったのでツカサは空間収納から食事を思い切り出した。

 先ほどまで騒いでいた船員たちは食事に目を輝かせてごくりと生唾を飲みダヤンカーセを見た。するりと綱を利用して手すりに立ち、ダヤンカーセは一度全員を見渡した。


「死んだ奴もいた、生きている奴もいる。今ここで腹ぁ空かせられることに感謝しろ。飲めや歌えや騒ぎやがれ!」

「おう!」


 酒のたっぷりと入った木製のコップを掲げ、隣同士、ダヤンカーセへ、いなくなった者たちへとそれぞれ乾杯をしたい相手に向けた後、一気に煽られる。

 そこからは賑やかな酒盛りだった。

 ツカサは最初だけ参加し、料理を空間収納にそっと分けてもらってエレナとモニカの船室へお邪魔した。

 こちらはこちらですでに準備が出来ており、ツカサは甲板からもらってきた料理もそこに並べた。ツカサが屋台で買っておいたものや、エッテ・イーサとエリス・イーサに少しだけ場所を借りてエレナが作った料理などがテーブルに所狭しと置いてある。

 ミートパイがあるのは嬉しかった。


「こんなに御馳走のある新年祭フェルハーストは初めてだわ!」

「ゆっくりお食べなさいね」

「はい!」

「それじゃ、乾杯しようか」

「あら、ツカサ、口上はないの?」

「やるの?」


 エレナに揶揄われて苦笑を浮かべれば、モニカが首を傾げる。

 あの宿での口上は冒険者ならではなのだろう。せっかくなのでこほんと咳払いをした。


「ええっと、いろいろご迷惑をおかけしました、次回はラングとアルもいるだろうし、来年もよろしくお願いします」

「ふふ、はぁい、よろしくね!」

「全く仕方のない子だこと」


 乾杯、とこちらも木製のコップで赤ワインと果実水を揺らす。

 とても穏やかに時間が過ぎた。

 モニカが王都に辿り着くまでの話をしたり、エレナの旅路を聞いたり、ツカサはサイダルに辿り着いてからのことを話したり、お互いのことをよく知るには十分な時間だった。

 モニカは王都を出る際、世話をしてくれた行商人に手紙を残すことを忘れてしまったことだけが心残りだという。スカイに渡ったあとも手紙を送る手段があるとエレナが言えば、ほっと胸を撫でおろしていた。

 エレナの話は「暗くなるわよ」と前置きがあった上で語られた。夫であるヨウイチとの出会いから、スヴェトロニアに渡った後のこと。夫を失い旅をする理由を失ったが、ツカサとラングのおかげで帰る気力が湧いたこと。そして息子を持てたことを感謝していること。

 元々感受性が豊かなのだろう、モニカはうんうんと頷きながら目が真っ赤で、エレナに肩を撫でられて少しだけ泣いた。

 ツカサはサイダルで兄ラングと出会った時のことを、それから旅をして、ダンジョンに行って、様々な経験をしたことを話した。

 壊れてしまった身代わりの指輪と守護の腕輪をテーブルに出して、考えなくてはならないと呟いた。

 それは戦い方のことでもあるし、強くなるために、人を守るためにどうすればいいのかを知ることでもある。

 エレナは沈黙を守り、モニカは言葉が選べず、ただ二人から温かい掌がツカサの体に置かれた。それだけで十分だった。


 甲板では賑やかな歌が響いていた。

 アルであればここに混ざり、べろべろに酔わされて最後は吊るされていたかもしれない。

 ラングであればダヤンカーセに捕まって隣で飲まされていたかもしれない。

 アギリットは楽しそうな様子に目を細めていたが、ふと、立ち上がりアズリアの方を見た。


 風が囁く。

 アギリットが恋を歌うように、風は悲しみを歌った。


 一頻り船員に絡んで上座へ戻って来たダヤンカーセを視線で呼んで、アギリットはそっと耳打ちをした。

 浮かんでいた笑顔が消える。ダヤンカーセはアギリットを見上げるとしばしの間拳を強く握り締めた。

 

「もう一度言え」

「港が襲われた」

「生存者は」

「わからない、見えないというからには魔導士だろう」

「そうか」


 数秒の黙祷、それ以上の時間はダヤンカーセには無駄だった。


「酔いの回ってない奴は今一度帆を広げろ!」


 突如響いた厳しいトランペットに船員が顔を上げる。

 酒に赤らんだ顔は多いが眩暈が起きないようにゆっくりと立ち上がるだけの理性はあった。


「全速力で島を目指せ」

「おう!」


 理由は問わない。我らが船長がそう決めたのだから従うだけだ。

 エッテ・イーサとエリス・イーサは手早く後片付けを始めた。

 通りすがりに船員が摘めるよう、トウモロコシの粉で作った生地で肉を巻いて皿に置いておく。

 まだ食べ足りていなかった者たちはそれを片手に作業へ従事した。


「あのガキに伝える」

「そうか」


 ダヤンカーセは手に持っていた酒瓶を空にするとアシェドに押し付けて船室に向かった。


 中では穏やかな会話の音がする。

 ドアを乱暴にノックすればツカサが迎えに出た。


「ダヤンカーセ、ようこそ。ホットワインがあるよ」

「酒は良い、手早く話をさせろ」

「わかった、どうぞ」


 目を瞬かせながらも瞬時にダヤンカーセを迎え入れるために半身を切る。もっと質問が飛んでくるかと思ったが、最低限そういったを兄貴は済ませたようだ。

 ダヤンカーセは中に入ると扉の外でミルに番をさせ、アギリットに扉を閉めさせて言った。


「ヴァンドラーテが襲われた」

「なんだって!?」


 ツカサは和やかな空気の中でホットワインを飲もうとし手を伸ばしたところだった。

 驚愕のあまりコップを弾き、残り少なかった中身が床にびしゃりと広がった。それをごめんと謝る余裕はなかった。

 

「じゃあ、助けに戻るんだな? 俺も加勢を」

「んなことするかバカ、ちげーよ」

「どういう…!?」

「俺たちはこれから全速力で前に進んで島を目指す」


 ダヤンカーセはツカサから視線を外さずに一歩、また一歩近づいていく。

 微かな怒りの炎を灯した琥珀の双眸はツカサの心臓を鷲掴み握り潰すようだった。


「まず誰が相手かもわからねぇ。俺たちが掴んでいるのは襲われたってことだけだ。ヴァンドラーテは俺の港、俺の街、住んでる奴らにはいざという時の逃げ方も隠し方も教えて来た。何人が生き残ってるか知らねぇが、全滅ってこたぁねぇだろう。

 お前にわざわざ言いに来たのはあとで、どうして教えてくれなかったとか、言ってくれたら手伝ったのにとか、ピーチクパーチク言われたくねぇからだ。

 それから、お前のせいだがお前のせいじゃねぇ」


 ぐぃ、とツカサの胸倉を掴んで引き寄せる。

 ダヤンカーセの方が僅かに身長が高く、思わず顎を逸らす形になった。


「この船の船長は俺だ。船乗りとして、積んだ荷を無事に送り届ける責任がある。お前らの安全のために一度、隠れ家の一つである島へ向かう」

「…わか、った。でも、俺のせいで、俺のせいじゃない、って」

「ッチ!」


 ダヤンカーセは舌打ちをしてツカサを放り投げた。

 足を浮かせて投げられたので船の揺れもあり尻餅を着く。


「お前のせいじゃねぇのは、誰が相手かわからねぇっつっただろうが、それだ。お前のせいだっつったのは、予定通りの日程でお前が船に乗ってりゃ、今俺は港で部下を守れただろうってことだ」


 合点がいった。

 様々な物事の積み重ねが、今の状況を作り上げていた。


「…わかった、悪かった」

「おう」


 ダヤンカーセはそれだけ聞ければいいらしい。傍から聞いていれば一種の八つ当たりだが、拠点を攻められたと聞いて誰が冷静でいられるだろうか。

 むしろ、そんな八つ当たりで自身をここに引き留めているダヤンカーセが苦しそうに見えた。

 思い当たる責任もあれば、理不尽な八つ当たりもあって、文句を言いたい気持ちが無いわけではなかった。

 だが、そんな気持ちは絞り出したようなダヤンカーセの掠れた声音で吐息になって消えた。


鎮魂祭レクイレリムになっちまった」


 船は進行方向を変え、島を目指した。




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