第89話 隠された港


 一路拠点だという島を目指して船は進路を変え、黙々と距離を稼いでいく。


 新年祭フェルハーストから二日で目的地に着き、ツカサは甲板でダヤンカーセと並んだ。


 航海の途中で深い霧に包まれ二メートル先も見えない中、船は迷わずに進んでいく。

 この中に目的の島があるのだ。

 航行にコツがあり、知っている者だけしか辿り着けない島。

 だからこその天然要塞としてその島は存在していた。

 ここは何代か前のアンジェディリスの頭が見つけた。

 霧深いこの島は緑に恵まれ水も豊富、秘境というにふさわしい海の楽園だった。

 頭は船を降りる者たちをここで休ませることにした。略奪してきた女たちを世話をさせる目的で住まわせてみたら夫婦になる者たちが出てきて、いつからかここはアンジェディリスの拠点であり故郷と化していった。

 今ではアンジェディリスが認め、航路を教えた者だけが辿り着けるのだ。

 そこで何をするのかと問えば、隠れるというわけではなく協力者と合流するのだという。


「アンジェディリスだ! 若が戻った!」


 どこかから声がして、ぬぅっと霧から人影が出て来たので思わず飛び上がった。

 まるでホラー映画のような登場の仕方に心臓が早鐘を打つ。

 いつの間にか船は崖の間を通っていて、徐々に霧が晴れて来た。

 並走していた男が狭まった幅を利用して船に飛び乗り、よぉ、と端的に挨拶をするダヤンカーセへ駆け寄った。

 親しい間柄なのだろう、軽く拳を当て合って無事を短く喜んだ。


「まだ来る時期じゃないだろう、どうした。お前ともあろう者が船のどこかやられたか?」

「馬鹿言うな、陸のトラブルがあったんだ。人を呼んでいる、二、三日だけ滞在してスカイへ向かう」

「もっとゆっくりすればいい、新年祭フェルハーストが終わったばかりだ」

「そうしたいが、俺たちは鎮魂祭レクイレリムをする羽目になった」

「…誰が来る?」

「【快晴の蒼】」

「見張りに伝えておこう」


 また幅が狭まったタイミングを利用して男は船から島に乗り移り、そのまま消えていった。

 崖の間を進み切れば霧が晴れ、そこは大きく開けた円形の港になっていた。鬱蒼としていた先ほどまでの空気とも違い、ざわざわと活気のある人々の姿があった。心なしかここは少し暖かい。

 港に注ぐ滝も、それを追って見上げた崖や緑が神秘的な光景に見えた。淡水と海水の混ざり合う水面は不思議な透明度と色合いを兼ね備えていて、冬だというのに数種類の魚が見える。

 今までは街の色合いや空気に感動していたが、美しさに息を飲んだのは初めてだった。

 ツカサの様子に満足げにして、ダヤンカーセは言った。


「隠された港、名前はハミルテ」


 ハミルテ、と復唱する。

 ここは許された者たちだけの補給所であり、療養所であり、修理場であり、故郷なのだという。

 船は手慣れた手つきで港に着き、錨が降ろされた。

 先ほどとは別の老齢の男が船を降りたダヤンカーセの前に立つ。深々と礼をする姿はまるで執事のようだ。


「珍しいな、時季外れの来航は不吉の象徴だ」

「やめろ、こっちだって死神の真似はしたくねぇよ」

「どうした」

「ヴァンドラーテが襲われた」

「なんと」


 驚愕の表情を浮かべた後、男は僅かな瞑目を示した。

 肩を竦めて返し、ダヤンカーセは朗々とした声で言った。


「何隻か生き残った船が来るかもしれねぇ、受け入れてやってくれ。それからスカイから人が来る、【快晴の蒼】だ」

「あぁ、聞いている。お主の客分だな、承知した」

「船はスカイの物で来るだろう、少し騒がせるが長居はさせない」

「補給は必要か?」

「こっちは必要ねぇ、が、余分はあってな。必要なら荷を下ろす」

「助かる」

「ミル!」


 ミルは、はい、と応えてダヤンカーセの隣で早速男と話を始めた。

 ダヤンカーセはくるりと振り返るとツカサを手招いた。それに従い船を降りて隣へ降り立てば、ダヤンカーセは港を一度見渡したあとツカサに向き直った。


「何があってもここのことは話すな。ここで見たものも、聞いたものも、全部テメェのここだけに隠せ」


 どすりと胸を拳で押され、けほ、と咽る。


「いいな?」

「わかった」


 強く頷いて返せば満足げに琥珀の目が細められた。


「エレナとモニカの嬢ちゃんには悪いが、あの二人は船から降ろすな。俺が許可をしたのはテメェだけだ」

「ラングたちもここへ?」

「言っただろう、テメェだけだ」


 話が少しだけ混乱したが、ダヤンカーセの言うツカサだけというのは【異邦の旅人】というパーティ全体を通してのことのようだ。

 ツカサはそれに気づいて少しだけ嬉しくなった。

 初対面女連れで来て、予定と違うことをしたツカサに対してダヤンカーセは厳しかった。それは一挙手一投足、全てに対してだった。

 海賊だからと自由奔放な訳ではなく、彼らはきちんと下調べを行い、準備を行い、海に徹底的に備えていた。それを崩すような行動は嫌われて仕方ないのだとあとで知った。

 やむにやまれぬ事情で連れて来た場所ではあるが、自慢もしたい。それに加えて新年祭フェルハーストでツカサに八つ当たりしたこともこの行動の理由の一つに思えた。

 不器用なダヤンカーセなりの謝意なのだと感じ、ツカサは素直に受け取った。

 大きな子供のようなダヤンカーセをようやくわかり始め、ツカサは肩から力が抜けた。

 いつ船を降りろと言われるのかと怖くて関わらないようにしていたのも、きっとバレていたのだろう。

 一度船に戻りエレナとモニカに言われたことを伝え、スカイへの到着が少し遅れると話した。

 二人から絶対に船を降りないと約束を取り付けてツカサはまた港へ降りた。

 モニカは甲板に出て美しい景色に言葉を失い、港を歩くツカサにお土産を頼むと叫んだ。エレナも便乗し、ツカサは許されるならと笑った。


 ツカサはミルと共に老齢の男性に呼ばれ、言われた品物と食材を出して見せた。

 貴重なスキルだと上から下まで観察をされ、どうだ働かないかと勧誘も受けたが丁重に断った。

 崖に木造の家々が連なっているかと思えばそうではなく、崖に横穴を掘って中に居住区があったりもした。階段や横穴、探検したい少年の心がうずき、素直にダヤンカーセに相談をすればアギリットとアシェドを付けられた。

 てっきりミルを付けられると思っていたので驚いた。

 高身長の大男であるアギリットと会話したことはほぼなく、ツカサは少しだけ緊張を覚えた。自身よりも頭二つ分は大きい男と言葉を交わした経験もない。アシェドはアギリットの服を掴んでじっとこちらを窺っていた。

 

「アギリットだ、よろしく頼む。こっちは弟のアシェド」

「あ、はい、ツカサですよろしくお願いします」


 ぺこりとお互いに頭を下げ合い少しだけお見合いした後、それじゃぁ、と切り出したのはツカサの方だ。


「ハミルテを探検したいんですが、お願いしても?」

「構わない、どういった所が見たいのだろうか」

 

 ツカサは眼を見開いた。全てを闇雲に案内するのではなく、希望に沿った案内をしてくれるのだという。

 アギリットは大柄だが静かな表情で、一見怖いが視線の優しさに気づけば整った顔立ちをしている。この世界の人は顔面平均値が高いなと考えていたら、アシェドに声を掛けられた。


「悩んでるなら、上、おすすめだよ」

「上?」

「港が見渡せるんだ、すごくきれい」

「へぇ、いいな! ぜひ!」

「では行こうか」


 するりと先を行くアギリットには道中で様々なことを聞いた。

 ハミルテの成り立ち、ここで生まれ育つ者の話、協力関係にある者たちの出入り。そこまで話して良いのかと問えば、胸に隠すのだろう?と目を細められた。

 そこまで信頼されれば応えるよりほかになく、ツカサは強く頷いた。

 崖の中を上り、外に建てられた階段を上り、一時間ほど会話を楽しみながら辿り着いた場所は壮観だった。

 きっと、これが春や夏ならもっと美しかったのだろう。

 滝の注ぐ港は緑と青と透明に包まれ、どこまでも深い海の底が遠くまで見えた。

 僅かに積もった雪が白を添えて、篝火が熱を添える。

 サァサァと零れる滝しぶきは風に吹かれて揺らめいて、幻想的だ。

 春や夏の日差しを受ければ虹に変わっただろう。

 何故か胸が締め付けられる、それほどの感動があった。


「すごいな」

「でしょ? 島に来ると必ず来るんだ」

「わかるよ」


 アシェドに頷けば自慢げに胸を張られた。

 港への感動が落ち着いてから振り返れば、崖の上にも家々があった。ここからはもちろんかなりの距離がある。淵に建てるようなことはしないのだなと安心した。


「ここは?」

「崖の方は港で働く者たちのための仮眠所や食事処なのだ、ここからがハミルテの街さ」

 

 素朴だがしっかりとした造りで貝殻の飾りが付いていたり、木造と石造りが混ざり合って少しだけファンタジーだ。


「先ほど話した協力関係にある者の話を覚えているか?」

「ジャ・ティ族だっけ」

「そうだ。強き者を好み、戦いを愛する一族。俺もそうだ」

「え!? そうなの!? 全然見えな…いや、ごめん」

「構わん、良く言われる。その一族がアンジェディリスの配下になってもう二百年ほど、俺もここで生まれた」

「兄ちゃんはね、族長になるはずだったんだよ! でもね、ダヤン兄ちゃんの片腕になるんだって言って、ならなかったんだ」

「そうなんだ。ダヤンカーセもここで?」

「あぁ、生まれた」

「すごいなぁ」


 家々の煙突から上がる煙を眺めて足を向けようとすれば、す、と前にアギリットが出た。

 行ってはならないのだなと察し、ツカサは前に出した足を戻した。

 それを見てアギリットは一つ頷いた。


「すまないな、君の為だ」

「理由を聞いても良い?」

「初対面の人間を見ると襲い掛かる者ばかりだ」

「止めてくれてありがとう」


 お互いに頷き合い、さっさと降りることにした。


「アギリット」


 低めの女性の声、あぁ、嫌な予感がした。

 アギリットはわかりやすく額を抑え天を仰ぎ、アシェドはぱっと破顔して声の方に走って行った。


「アーシェティア姉ちゃん!」

「久しいねアシェド、魔法は?」

「ちょろっとお水が出るよ」

「やるじゃないか。で、そいつは?」


 振り返れば長く鮮やかな翠色すいしょくを上の方で結い、立派な戦斧を背負った長身の女が立っていた。アシェドを見る撫子色の眼は次にしっかりとツカサを見た。

 その視線を遮る様にアギリットが立った。


「船長の客人だ」

「だからなんだ、腕はたつのか?」

「怪我をさせる訳にはいかない」

「手当てをすればいい」

「聞かぬというのならば容赦はしない」


 アギリットから重い空気を感じた。威圧だ。

 ツカサはちらりとアーシェティアなる女性を見た。

 筋肉質で薄い革鎧しか身に着けておらず、背中の戦斧はぎらりと研ぎ澄まされている。アギリットと並んでも大差のない身長に、ただ圧倒されていた。

 多少暖かいとはいえ雪の積もるような場所だ、薄着で寒くないのかと心配になってしまった。

 アギリットと睨みあっていたアーシェティアはふむと一つ頷いた。


「では罰は後で受けよう」


 そう言って戦斧が抜かれたのだった。



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