第81話 記憶


 ふぅ、と意識が飛んで行く感覚は初めてだ。


 ふらついた体を目の前の青年とマルクスが慌てて支えてくれた。その腕にハッと意識を取り戻した。

 連れて来た冒険者たちも心配そうに覗き込み、それから頭を掻きながら尋ねた。


「ルノアー、こいつかい?」

「えぇ、少し痩せてますけどこの人です。ありがとうございました、カウンターで報酬を受け取ってください」

「あぁ、ありがとな」


 冒険者たちはエドの肩をそれぞれ叩いて励まし、カウンターへ足を向けた。


「おい、大丈夫かエド」


 マルクスの声にぼんやりとそちらを見るがエドの眼に覇気はない。ルノアーと呼ばれた青年は困ったような顔をしてマルクスへ声を掛けた。


「ええと、ツカサ…エド、さんのお知り合いですか? 場所を移したいのですがご一緒いただいても?」

「あ、あぁ、わかった、どこに行けば」

「二階に部屋を借りているのでそちらへ」

「お、おう、エド、行くぞ?」


 半ば引きずられるようにして二階へ連れていかれ、個室に移動した。

 部屋に入り椅子に座らされ、エドはどうしようもない脱力感と喪失感に襲われて項垂れていた。


 しばらく誰も声がなかった。

 エドの状態から何を言える空気でもなく、マルクスは何度か立ち上がったり座ったりを繰り返し、ルノアーはただ見守っていた。部屋の空気は重く、言いたいことや聞きたいことはあっても今は待つ方が良いだろうと二人は感じ取った。

 四半時ほどしてエドが深いため息を吐き空気が動いた。切り出したのはルノアーだ。


「一応、今はエドさんとお呼びします」

「あ、あぁ」

「何があったのか覚えていますか? 聞かせていただけますか?」

「えっと、怪我をして…目を覚まして、モニカに看病をされて…モニカって言うのは…」


 エドは今この時までのことを話した。

 怪我をした話では服をめくり右肩から左脇までの薄い傷跡を見せ、日雇いの大工仕事を始めたあたりはマルクスも補足をしてくれた。

 記憶を失ってからの生活の話は思いのほか長く、あっという間に夕方を迎えてしまった。

 エドと呼ばれてからおよそ三ヵ月近く、こうして話してみると思い出はそれなりに多い。何より目を覚ましてからのモニカとの関係が嘘だとはどうしても思えなかった。


「あんたの知る俺は、そのツカサっていうのはどういう?」


 他人事のように聞いてしまったが自分のこととは思えなかった。

 お話しします、という丁寧な前置きの後、ルノアーはほんの数日しか過ごさなかったツカサについて話しだした。


 見た目から、装備、【異邦の旅人】の仲間の話。

 特に兄の話は重点的にされた。きっかけがあれば思い出すかもしれないという期待がエドにも分かった。

 装備の部分では驚いた。ルノアーはエドよりも詳しいのだ。

 見た目が綺麗な水のショートソードはオルワートで、羽織っていたシャドウリザードのマントはヴァロキアで冬支度の際に購入し、愛用している風の短剣は兄と買ったのだという。その話をから聞いたそうだ。

 それから、首には赤い宝石と白い宝石の首飾り。どちらも兄からの贈り物だという。


「今着けられていませんが、どうしたんですか?」

「綺麗だったから、モニカに渡した…」

「ふむ、今のところ思い出した感じはしませんか?」

「うん、そうだな…、でも、たまに黒い人影が見えるんだ。聞いたこともないのに、聞いたことのある声が聞こえるんだ。もしかしたらって思っては来たよ」

「そうですか」


 ルノアーの声色はほっとしていた。それと同時に表情を曇らせる。


「お話を窺う限り、モニカさんとは良い関係を築いてきたように思えます。それに水を差して申し訳ないですが、私はあなたのお兄様の期待に応えたい」


 これまた丁寧な前置きをおいて、ルノアーは少し体を乗り出した。


「装備の話もあなたから聞いたことなんです、実際に装備を前にもう一度お話をしても? それから、モニカさんにも事情を伺いたいのですが…」


 言い淀むのはの気持ちを慮ってだろう。なんと親切で配慮のある青年だろうか。だから、少しだけ信頼しても良いかもしれないと思った。

 実際、エドと呼ばれてから右も左もわからない中、共に居てくれ、居る理由をくれたのはモニカだ。それは変えようのない事実で今のエドの真実だった。

 同様に、にも興味が沸いた。聞く限りそれなりの冒険者で自信もあったように見える。冒険者ギルドのカウンタースタッフが顔を知らなかったのは関りが薄かったからだとも、ここが旅の中継地点だったからだということもわかった。


 いろいろと考え込んでいたらマルクスがしびれを切らせた。


「俺はモニカ嬢ちゃんに話を聞くべきだと思う」

「あぁ、うん、俺もそのつもり」


 答えを待たせていたのだと気づいてエドは力なく笑った。


「そういえば、ミリエールさんはどうされたんでしょう」

「ミリエール…?」

「えぇ、ツカサさんが護衛を担っていた女性です。あの日、ツカサさんは飛び出していったミリエールさんを追って行ったんですよ。そのまま行方不明に…ツカ、エドさん?」


 ミリエールの名を聞いた途端、頭が割れるように痛くなった。

 鈍器で内側から殴られているような激痛に襲われ、頭を抱えた勢いで床に崩れ落ちた。

 ガンガンと痛み熱を持つ脳を抑え込もうと力を入れる。脂汗をかいて耐え切れずに苦鳴をあげた。床をのたうち回り頭を振りかぶり、エドは狂ったように叫んだ。


「ああああ! 痛い! 熱い!」

「ツカサさん!」

「おい、エド!」


 眼球がぐるぐると動き視界に様々なものが映る。もはや目の前のマルクスとルノアーは視認されていなかった。


 パッパッと変わる視界に吐きそうになった。


 田舎のような場所で芋の皮むきをする手。

 階段を駆け下りて縋り付いたマントの感触。

 歩き続けた足の重さ。

 短剣の重さ。

 地面に転がされる痛み。

 優しく促す声。

 肩を掴む力強い手。

 移り変わる季節、街々の顔、色、におい。

 大剣を振りかぶる大男。

 白いローブの少年の笑顔。

 馬に乗った男性の姿。

 大柄な男の屈託のない笑顔。

 お兄ちゃんと似るなよという声。

 優しく微笑む女性。

 くしゃりと笑う老人。

 青年の晴れた日の草原のような笑顔。


 炎の中自分を庇う腕。


 常に前を歩く背中。


 ふわりと鼻孔をくすぐったのはの香り。


 男が殺された。

 得意の盾は砕かれた。


 斬り捨てられ、倒れ、意識を――――

 

 ―――― ッハ、と息を吸った。


 まるで今まで水に潜っていて、水面に顔を出した時のような気分だった。

 頭がすっきりして、それでいてかつ、複雑な思いが胸を駆け巡る。


「エド…さん?」


 恐る恐るかけられた方へ顔を上げる。

 ぱたりと落ちたのは自分の鼻血だ。


「ルノアー」


 はっきりと名を呼んだ。

 しっかりとその目を見据えた。瞬きをしても強さは変わらなかった。

 名を呼ばれたルノアーはじわりと目に涙を浮かべた後、一度強く頷いた。


「はい、ツカサさん…!」


 ズキリと痛みを訴えたのは頭と胸だ。

 怪我は治っているとはいえ、今斬られたのだと思い出したことで痛みだけが再現されていた。


「お、おい、エド…?」

「マルクス、悪い、ありがとう」


 記憶を失っていた時のことも覚えている。

 世話焼きなマルクスがここまで共に来てくれたことも、自分を看病してくれたモニカのことも、その笑顔も。

 鼻を擦って血を拭い、同時にヒールを使う。

 立ち上がった青年はゆっくりと前を向いた。


 まるで別人だ。とマルクスは思った。


 立ち居振る舞いに自信があり、立っただけだというのに威圧されるものを感じた。

 一つ息を吐いた後はいつもの朗らかな青年のようだが、隙のない佇まいに少しだけ後ずさった。


「ルノアー、エレナはどこに行った?」

「先にヴァンドラーテへ。そこで待っているそうです」

「わかった。ミリエールのこと、俺もわからないんだ。それをはっきりさせてから俺もヴァンドラーテを目指す。…その前に、モニカと話さないといけないな」


 ぐ、ぐ、と手を握っては開き感覚を確かめ、青年は言った。


「俺はラングの弟のツカサだ」


 はもう、どこにもいなかった。


 ―― 不味いことをしたかもしれない。


 マルクスはそう思いながらエドの家への帰路を共にしていた。

 目の前を歩く青年は胸を張り顔を上げていて、自信なさげでそれでも前向きだったエドとは全く違う。

 経験を礎に自分の行動に責任が取れるだった。

 同行を申し出た斡旋業を営むルノアーという青年と共に迷いなく家を目指す。

 同じ建物の中の後輩だ、行先は同じだが目的が違う。

 ツカサは言った、気にかかることを解決したらここを出ていく、と。

 既に同棲していて周囲からは新婚として囃し立てられていたのが、出ていくと言った。

 マルクスは言い知れない不安と後悔でいっぱいだった。


「マルクス、どうした?」

「なんでもない、なんでもない」


 そうか、と笑ってエドだった青年が頷く。

 すでに在り方は冒険者そのものだ。誰に傅くこともなく、敬語を使うでもなく、弱みを見せない。それがなんだかとても寂しかった。

 ツカサはぶるりと肩を震わせた。

 取り戻した記憶の時はまだ暖かったのに急に寒くなった気がした。暦は雪花の月、十一月、それも後半に入っていたからだ。薄い職人服で普通だったものが、冒険者としてきちんと着込んでいた肌の記憶が気候に追いつかなかった。


「モニカ、家に帰っているとは思うんだけど」


 ツカサの手には屋台で買った食事がある。どこからか金を出してひょいひょいと買っている姿に目を見開いた。秘密だぞ、と唇に指を立てて言われ、マルクスはこっくりと頷いたのだ。


 アパルトメントに着いた。その中の一つに迷わず向かい、深呼吸してからツカサはノックをした。


「モニカ、戻ったよ」

「エド! おかえりなさい」


 ぱたぱた、かちゃり、開いた扉からは眩しい笑顔が飛び出してきた。

 それを愛しいと思えたことに安堵し、はいこれ、と屋台物を渡す。ぱぁっと嬉しそうな顔をしたあと、気づいてむすりとツカサを見上げた。


「また無駄遣いしたのね!?」

「違うよモニカ、これは違う」

「でもこんな…」

「お客さんもいるからさ」


 ツカサが身を避ければその後ろにはルノアーとマルクスがいる。

 マルクスは知っているがルノアーはわからず、モニカはそっとツカサの陰に隠れた。


「カシア・ルノアー、冒険者ギルドで護衛斡旋業をしているんだ」

「あぁ…噂だけなら知ってる人だわ」

「突然すみません、ルノアーと申します。少々…エドさんと、あなたとお話しをさせていただきたくて」

「お話し?」

「モニカ嬢ちゃん、とりあえず中入っていいか?」

「あ、はい、どうぞ」


 促されて全員が家に入る。二人暮らしで家具を揃えているので四人が座るには難しく、ツカサはポーチを持ってきて折り畳み式の椅子を二つ出した。

 全員がびっくりした顔で見ていたので笑って見せた。


「使い方を思い出したんだよ」


 本当は空間収納から取り出しているのだが言わない方が良いだろう。


「私が開けても開かないし、エドが開けても全然なにも入ってなかったのに、どうして」

「思い出したんだよ、モニカ」


 またポーチから物を取り出して机の上に置いた。

 モニカは銀色に輝く冒険者証に目を見開いて、ツカサを恐る恐る見遣る。


「怒ってはいないから、大丈夫」

「本当…? だって、私…」

「助けてくれたのも、生きる場所をくれたのも、わかってる」

「だって…!」


 モニカはぼろぼろと泣き出して膝に置いた手を震わせた。

 その背中を撫でて、髪を撫でて宥め、ツカサは苦笑を浮かべながら言った。


「もう少し早く思い出していたら、モニカに苦労はさせなかったと思うよ」

「本当に、おこ、怒ってない、の?」

「怒ってない、でも、知りたい。何があったのか」


 エドとして過ごしていた時のように、ツカサはモニカの手に手を重ねて困ったような笑顔を浮かべた。

 一緒に過ごした時間は嘘ではないのだ。愛しいと思う気持ちにも嘘はない。


 栗色の長い髪も、同じ色の大きな瞳も、そばかすの散った健康的な肌も、いつも笑顔で愚痴を言わない性格も、愛おしいと思っていた、思っている。

 短い時間しか共にしてはいないが、ツカサはモニカをここに置いていくつもりはなかった。


「話してくれる?」

「…うん」


 涙を零して少しだけ鼻も垂れているが、なんだかそれも可愛く見えてしまうのだから笑ってしまった。


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