第80話 きっかけを


「エド! 材木をくれ」

「わかった!」


 エドは翌日から親方の組合に正式に仲間入りを果たし忙しなく働いていた。


 日雇いから正式組合員になっただけで急に毎日が変わった。給料は十二日に一回、金額も二倍近く上がった。生活は楽になり貯金が出来るようになった。

 こうなると表通りの方に引っ越した方が良いだろう。スラムに近いこのアパルトメントでは治安が悪く、時折押し込み強盗などが起きる。

 モニカもそれを不安視しており、表通りにほど近い一般住宅へ移ることになった。これは親方の組合の持ち物なので部屋は少し狭いが家賃が安いのだ。

 引っ越しは組合の先輩たちが手伝ってくれたこともありスムーズに終わった。元より荷物も少なく、大変だったのは鍋や食器くらいだ。ベッドは備え付けがあるので置いて行った。あの部屋もすぐに人が入るだろう。

 途中エドの持ち物が少しだけ話題になった。


「やっぱり冒険者だったんじゃないか?」

 

 綺麗なショートソードを手にしながら言ったのはマルクスという先輩だった。

 マルクスは元々冒険者だったが若い頃に怪我をして引退、早々に次の職場として親方の組合に入った世渡り上手だ。怪我自体も大きなものではなく、単純にそれがきっかけで魔獣が怖くなったのだ。

 そんな元冒険者がエドの装備を広げて観察した結果、先程の発言に繋がる。


「ギルドカードはないのか?」

「無いんです、だから一度冒険者ギルドに登録できるか行ってみたんですけど…門前払いで」

「ぇえ? なんでだ」

「あの、実は、そのとき持ち合せが」

「あぁー、銀貨三枚を要求されたわけだ。でも今ならいけるだろ、一度試した方が良いんじゃないか?」

「あんなところ、二度と行きたくありませんよ」


 エドは何があったかを話し、マルクスは苦笑を浮かべてその肩を叩いた。

 それから向こう側で作業しているモニカから少しだけ距離を取って肩を組む。


「あのな、エド、俺はうだつの上がらない銀級手前の銅級で終わった雑魚な冒険者だった。それでも先輩冒険者の装備はよく見て来たつもりだ。お前が持っているこのショートソードにしても、マントにアイテム、全部良いものだ。それなりの冒険者をしてたんじゃないかって思う」

「そんなまさか」

「忘れているだけでもしかしたら、ギルドに預金もあるかもしれない。ソロじゃなくてパーティだったかもしれない。意地を張らずにもう一度だけ登録を確認に行った方が良い」


 組合に入る前から何くれとなく面倒を見てくれていた男からそう言われれば気持ちは揺らぐ。

 恥はかいたがマルクスがここまで言うなら不発にはならない気がした。それに預金があるかもしれないというのはそそられた。


「それじゃぁ、その内に」

「そう言ってると行かないだろ。今日明日でなくてもいいけど、いつ行くか決めるぞ。俺もついてってやるからさ」

「わかりましたよ、じゃあ、次の休みでどうです?」

「六日後な、迎えに来てやるよ」

「はいはい、頼みました」


 このやろ、と笑いながらヘッドロックをかけられて笑う。なんだかこのやり取りが懐かしい気がして胸が締め付けられた。


「ちょっと! お手伝いしていただきたいのですが!?」


 モニカが腰に手を当てて怒り、男二人は慌てて作業に戻った。


 ―― 次の休みまで三日といったところで、仕事現場に来客があった。


「エド、ちょっと降りて来られるか」


 親方に声を掛けられ、あちこちに足を置いてひょいひょいと足場から降りる。

 汗を拭って顔を上げればそこにいたのは冒険者たちだった。嫌な気持ちを思い出し自然眉を顰めてしまう。

 

「黒髪に黒い目、身長の具合、現れた時期感といい、まぁこいつだと思うけどな…」

「どちら様なんだ? 挨拶もせずに人のことをじろじろと」

「なんだと?」

「おいやめろ、依頼紙に書いてあっただろ、平和的にだ」

「っち…! 俺たちは【麦の歌】ってパーティだ。なぁ、あー、お前ツカサか?」

「ツカサ?」


 エドは首を傾げた。


「記憶がないんだっけ?」

「何でそれを知ってる」

「冒険者ギルドに人探しの依頼が出てんだよ。お前この間ギルドで登録しようとしてただろ? そこでお前のことを知ってる奴がいて、探してる」

「本当に俺のことを?」

「ルノアーは人の顔と名前は忘れないからな」


 親方とつい顔を見合わせてしまう。

 もしこの冒険者の言うことが本当で、もし自分が【ツカサ】なのだとしたら、【エド】は一体何者だというのか。

 モニカが嘘を吐いていたというのか。

 困惑した様子を感じ取ったのか、冒険者のうちの一人が進み出て出来るだけ優しく声を掛けて来た。


「俺たちはスラムの出身で冒険者として身を立てた。パーティ名は豊穣の女神にあやかって…というのは置いといて、だからスラムに顔見知りも居たりする、そこからいろいろ聞きこんでお前に辿り着いた」

「だから確実だって言いたい?」

「ルノアーのところに連れて行くまで確証はないさ。でも、聞きこんだ感じお前が現れた時期と、【ツカサ】がいなくなった時期は同じなんだ。記憶がないなら覚えてなくても仕方ないと思う。…何があった?」


 それは俺だって知りたい。

 言葉には出なかったが胸中で呟き、拳を握りしめた。

 真実を知りたがっていたのにいざそれが目の前に現れると知りたくない気持ちにさせられた。

 自分が何者なのか思い出すことで、モニカの嘘を知る可能性が出てしまったからだ。

 いや、もしかしたら【ツカサ】が偽名で【エド】が本名なのかもしれない。


「どうした?」


 マルクスが降りて来てエドの横に立つ。掻い摘んで状況を説明すればエドの背中を叩いて喜んだ。


「手がかりが向こうから来てくれたんだな! やったじゃないか!」

「だけど、もし俺がその【ツカサ】だとしたら、俺は誰なんだ?」

「それを知るために行くんだろ! 自分が何者なのか知りたくないのか?」

「それは知りたいけど…」

「だったら!」


 がしりと両肩を掴まれ目の前のマルクスが真剣な顔で言った。


「知って来いよ、そのあとお前が自分で決めれば良い」


 ヒュゥ、と口笛を鳴らしたのは冒険者だ。


「良いこと言うじゃないか、まぁその通りだと思うけどな」

「それにあんたを連れて行かないと俺たちは報酬がもらえない」

「それな」


 気の抜ける様な会話のおかげで肩から力が抜けていく。その肩を親方が叩いた。


「今から行って来い、気になるだろう」

「じゃあ俺もついて行く」

「マルクスは仕事だ、と言いたいが、元から話していたんだな?」

「三日後の休みに一緒に冒険者ギルドに行こうと言ってたんです」

「すぐにでも行けば俺が報酬もらえたんだよなぁ!」

「悪いな」


 マルクスに冒険者が鼻で笑う。それもまた場の空気を和ませることになって笑ってしまった。

 もし、自分にいくらかの預金があるのならマルクスに礼をしてもいいかもしれない。そんなことを考えた。


「混乱して飛び出しても敵わないしな、マルクス、ついていってやれ」

「了解、親方」

「んじゃ、仕事中に悪いがこのまま冒険者ギルドまで来てくれ」

「…わかった」


 また一度汗を拭い、親方に背中を押されて歩き出す。

 汗と埃とで汚れたままの姿はまた人目を引いた。けれど、前に比べれば少しだけ質が違う。

 親方の組合に入った時点で同じ服をもらっていたのでを見る目なのだ。衣服一つでここまで違うことにも驚きつつ、あっという間に冒険者ギルドへついてしまう。


 また嫌な思いをさせられたらどうしよう。

 結局【ツカサ】ではなく【エド】だったらまだいい、【ツカサ】だったらどうすればいい。

 葛藤が胸を渦巻くが容赦なく冒険者とマルクスに連れて行かれた。

 足を踏み入れればざわっと音が変わり、先を越されたか、本物か、いやまだわからないぞ、と声が聞こえる。

 それにしても不思議だ、やはり冒険者ギルドは懐かしいのだ。

 きょろりと見渡していれば二階からこちらを見る人と目が合った。

 エドから視線を外さないまま階段を駆け降りて来て、それに気づいた人々が道を開ける。


 エドの両肩に手を置いて真っ直ぐに見たまま、そいつは言った。


「どこにいたんですか! ツカサさん!」


 目の前が真っ暗になる気がした。


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