第79話 どうして



「エド!」


 ざわざわと人々が忙しなくしている中で悲鳴にも似た声が響いた。


「モニカ」


 泣きそうな顔で飛びついてきた幼馴染を受け止めてその髪に顔を埋めた。

 甘いにおいとでも言ってあげられればいいが、少しだけ埃っぽい。石鹸も思う存分使えるようにしてあげたいものだ。


「モニカ、エドはすごかったぞ!」

「そうそう、崩れる足場を飛び移って、地面に叩きつけられそうになったところ助けてもらったんだ!」

「それにだ! 見ろよ!」


 エドの胸で安堵の息を吐きたいモニカにその隙を与えず、男たちが口々に賞賛を贈り腕で指し示す。

 モニカは眼前に広がっている氷の壁に目を瞬かせた。


「これなに…?」

「氷だよ! 魔法さ! ブルーノじゃないって言うなら、エドがやったんだろう、これ」

「魔導士だったなんてな!」

「わからない、無我夢中で」


 今は怪我人の手当てと氷の破砕作業中だ。中には氷を持って帰る人もいる。溶かして生活用水や生ものの保存に使うらしい。

 つるはしや杭を打つハンマーで削られて行く氷壁を眺め、エドは己の手を見遣った。

 慣れた感覚だった。こうすればいいとわかっていた。


 使というものがあった。


「う…っぅ」

「エド!?」


 眩暈がして眼を抑えた。頭の中でチカチカと光が舞って場面が凄まじい速さで切り替わっていく。

 光の中で黒い人影が現れては消え、景色がぐるぐると廻る。

 

 真っ赤な炎の中で自分を包んでいた力強い腕を思い出して思わず目の前の体を抱きしめた。


「あの、エド?」


 人前で抱きしめられて恥ずかしそうなモニカの声に引き戻され、慌てて顔を上げる。親方や監督、作業仲間たちが生暖かい目で見守っていることに気づいて赤面し、立ち上がって誤魔化した。


「まぁ、なんだ、魔導士だったらうちじゃなくても仕事はあるだろうが、今回の礼も兼ねて良い待遇にはしたい、朝の会話を検討してくれ」

「ありがとう親方」


 ドシリと肩に置かれた手が重い。そこに感謝を感じて自然と胸を張った。


「朝の会話ってなに?」

「嫁さんがいるなら丁度いい、実はな、エドをうちの組合で正式に引き取りたくてな」

「え!? 本当ですか!?」


 ぱぁっと笑ったモニカの表情が全てを物語っていた。周囲はどっと笑いに溢れ、エドの雇用を歓迎してくれた。


「はは! 嫁さんってところじゃなくて、雇用に目を輝かせるってのぁ堅実だな!」

「あ、そんな、嫁さんなんて!」

「ははは!」


 祝ってくれたのは表通りの者たちばかりで、スラムの奥で暮らす者たちにとってそれは妬みとなった。

 敏感に悪意を感じ取ってエドはモニカの手を取った。それを見て親方はにんまりと笑った。


「エド、今日はもう上がって良い、また明日頼むぞ」

「わかった、氷、すまない。壊し方がわからなくて」

「いいさいいさ、無償で配ってる、欲しい奴は多いからすぐになくなるさ。下手に材木に傷もつかなくて良かったぜ」

「ならよかった、そうしたら、また明日」


 これから仲間になる人たちに声を掛けられながらその場を離れ、大通りに出て人の多いカフェにモニカを連れて行った。

 なかなか来る機会もなくもじもじ落ち着かないモニカに微笑んだ。


「冒険者ギルドに行ってくるよ、モニカはここでお茶を飲んでから帰って」

「親方のところで働けるのに行くの?」

「それはそれ、これはこれ」

「でも…」

「今朝決めたことだから」

「こんなカフェ、私お金が…」

「今日はあんなこともあって、功労者だからって多めにもらってるんだ」


 はい、と銀貨を渡せばモニカは困惑した顔で見上げて来た。贅沢に慣れていないモニカが縋るような眼で見つめて来たので、エドは慣れた手つきで店員を読んで甘いコーヒーとチャンベロネと呼ばれるケーキを頼んだ。


「いってくるよ」


 モニカの頬を撫でてからエドは店を出て行く。その背に声を掛けようとして、出来ずに座り込んだ少女のことを風だけが見ていた。


 目を覚ましてから冒険者ギルドには行ったことがなかった。

 けれど、やはり記憶のどこかにあるのだろう、真っ直ぐに目的地を目指すことが出来た。

 大通りを歩くには少し服が汚いらしく、冒険者からの視線はないが住民からの不潔な物を見る視線を感じる。少しだけ恥ずかしく思いつつも仕事帰りだ仕方ないと言い聞かせる。

 立派な建造物の前に出る、冒険者ギルドだ。初めて見るはずなのにこれもまた。ということは冒険者としてここを訪れていたのだろう。


 中に入れば様々な冒険者が各々好きに過ごしていた。

 ボードを確認する者、カウンターで叫ぶ者、併設の酒場で仲間を労う者。エドは迷わずにカウンターへ向かった。

 順番が来るのを待ってスタッフが手元で最後の処理をしながら言った。


「お次の方どうぞ」

「あの、冒険者登録をしたくて」

「銀貨三枚です、文字は書けますか?」

「文字は書けるけど、銀貨の持ち合せが…二枚しか」


 登録料がかかるとは思わなかった。先ほどモニカのところに大半を預けて来てしまったので、懐にあるのは銀貨が二枚だ。

 カウンタースタッフは小さく嘆息して視線をエドの後ろへやった。


「お次の方どうぞ」

「待って! 俺記憶が無くて、登録しているかどうかをまず確認がしたいんだよ!」

「では登録できるか試すしかありませんね」

「お願いできないかな」

「登録料をお持ちください。次の方」

「どけよ、貧乏人」


 どん、と押しやられて床に倒れる。

 頭の上から嘲笑が聞こえ顔が熱くなる。悔しくて腹立たしくて堪らず逃げるように駆けだした。


「ツカサさん? ツカサさん!」


 冒険者ギルドを飛び出しながら必死に追いかける声を聞いた気がした。


 ―― とぼとぼと道を行く。


 恥をかいただけだった、魔法が使えたのでもしかしたらと期待していた自分が悪かった。

 登録料がいくらか、何が必要かを事前に調べて行けばあんな目にも遭わなかった。あれでは二度と冒険者ギルドに顔を出せない。


「大工が関の山か」


 はぁ、と深く息を吐いて顔を上げた。しょぼくれて歩いていて、いつの間にか空に昇った月光に照らされて少しだけ落ち着いて来た。

 冒険者になれなくても、ならなくても、自分を必要としてくれる人はいる。それで良いのだと思い始めた。

 せめてあと一枚銀貨があれば己を知れただろう。

 運命の悪戯か、それともこれが定められたものなのか。

 エドは自身を知ることもなくモニカの元へ帰った。


「――― 人を探してください」


 冒険者ギルドのカウンターでカシア・ルノアーは依頼紙を出した。

 その剣幕にギルドスタッフは驚きつつも依頼紙を受け取り、内容を確認した。

 人相と特徴、わかっている情報を事細かに書き込んだ依頼紙は手続きしても問題なく見えた。


「【異邦の旅人】のツカサ…【異邦の旅人】というと、先日ルノアーさんの護衛をした女性の」

「そうです。王都を出る前に諸事情あって離れてしまって、私の仕事もあったのでエレナさんと先に出はしたのですが」


 ルノアーは報酬の革袋を差し出しながら続けた。


「ツカサさんともう一人の同行者がトラブルに巻き込まれたようで。先ほど見かけたのですが追いつけなくて」

「なるほど…、王都は広いですからね」

「そうなんですよ! ですので冒険者の皆様のお力を借りたいのです。銀貨三十枚あります。こちらで登録をしていただけないでしょうか」

「それは構いませんけれど、連れて来るのはこちらへ?」

「はい、冒険者ギルドで、私を呼んでください」

「では追記しておきます」


 無事に手続きを引き受けてもらえて胸を撫で下ろした。

 ツカサとミリエールが飛び出して行ったあと戻るのを待ったがタイムリミットが来てしまい、一先ず予定通りエレナと共に王都を出た。

 ツカサのことだ、無事でさえあれば自力でヴァンドラーテに来るだろうと思ったのだが、ヴァンドラーテで十二日間待っても来なかった。

 流石にこうなるとトラブルに巻き込まれただろうと思い、ルノアーはヴァンドラーテから戻りがてら街々で尋ね歩いた。


 それでも見つからず、王都に戻ったのはつい先日だ。


 エレナは憔悴していたが毅然としてヴァンドラーテで待つと言い、スカイへ向かう船があり次第、手紙を預けることにした。もしかしたら別の航路で渡った可能性もゼロではなく、渡っていたとしたらツカサが向かうのはイーグリスかエレナの妹のところだろうとあたりをつけていた。

 それぞれが探し続けていたツカサが、まさかまだ王都にいたとは。


「でも少し様子がおかしかった」


 名前を呼んでも振り返らなかった。

 僅かな時間でしかないが、ツカサが律儀なことを知っているルノアーは違和感に襲われていた。

 カウンターでやり取りをした人に聞けば、銀貨が一枚足りなくて登録が出来ず、断ったという。ツカサがそれを持っていないはずがない。

 そもそも、登録をしようとしていたことがおかしい。

 服装も以前とは違い、それこそ下層民が着ているような服だった。シャドウリザードのマントやダンジョン産の服、しっかりとした革防具を身に着けていたのが何故。


 さらに詳しくやり取りを聞けば、記憶がなくて確かめたいと言われた、と対応したスタッフは泣きそうな顔で言った。斡旋業を営むルノアーの立場は、今や護衛稼業を担う者からすればなくてはならない存在だ。ギルドの中での立ち位置もそれなりに確保されている。不味いことをしたと気づいたのだ。

 滞在中、ツカサもエレナもミリエールもあまり顔を出さなかった。顔を覚えていないスタッフも多かったことも今回の失態だ。


「慎重にいかなくては…、すみません、条項を追加で。見つけたら決して武力で行使はせず、平和的に、お連れしてください。記憶が…無いようなので」

「わかりました、記載しますね」

「お願いします」


 ツカサさん、あなたに一体何があったんですか。

 ルノアーは強く拳を握りしめ、再びラングとの約束の為に動き出した。



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