第70話 解毒剤 <ラング・アルside>



 仕入れは無事に完了した。


 港に戻りの確認と、船医の部屋では早速調合が行われた。

 レヴァンの船室には調合のための器具が所狭しと揃えられ、これにはラングも驚いた。繊細な手つきで調合を行い、高価なガラス瓶の中で色がくるくる変わっていく。何がどう反応して色が変わっているのかわからなかったが、成功することをただ祈った。何度か水を求められ癒しの泉エリアの水を提供し、まる一日かかってようやくレヴァンはスポイトを置いた。


「ダヤン、試せ」


 時刻は既に深夜、それでもダヤンカーセは琥珀の双眸でしっかりと薬を見据えて受け取り、ご苦労、とレヴァンを労った。

 レヴァンはそのまま床に座り込むとがっくりと睡魔に落ちた。


「来いよ」


 ダヤンカーセは顎で呼び、ラングとアルも同席させた。

 客室にあたる部屋の前を通り過ぎ、船員の部屋を越えて歩いて奥の方まで、積まれた荷の多さに改めて驚きつつも、船底が近づけば奇声が聞こえるようになってきた。

 ドアを叩き爪で削り、出してくれ、ではなく、薬をくれ、と叫ぶ声。


「ヒューゴ、持って来たぞ、だ」


 ドアをバリバリと掻いていた音が止まる。


「ほ、ほ、んとうか、本当に?」

「あぁ、お前が欲しがってたもんだ」

「あぁぁぁ薬が薬が薬」

「ヒューゴ、アズリアで何があったか話せるか?」

「薬をくれ! 薬がほしい! 薬だ!」


 ダヤンカーセは肩を竦めた。


「こんな状態で会話になりゃしねぇのさ」

「余程なのだろうな」

「あぁ。アギリット、開けろ」

「了解」


 錠前に鍵が差し込まれ、鉄製の重い閂が外され、ごどんと音を立てて扉は開いた。

 中から飛び出て来たのは痩せた男だった。頬はこけ、体中は拷問と掻き毟った痕で紫だったり青だったり、赤く腫れあがったり、髪も掻き毟ったのか頭皮が見えているところが多い。目だけがぎょろりと生きている。


「薬、薬だ、は、はやく!」

「ほらよ」


 ダヤンカーセがレヴァンから受け取った水薬を差し出すと、男は浴びるようにしてそれを飲んだ。

 その光景を眺めながらそっとアルは手の甲で鼻を隠した。


「ひどい臭いだ」


 アルがラングへ言い、あぁ、と返す。

 男がいた部屋は飛び散った血と垂れ流された糞尿で酷い有様だった。暴れて手が付けられないので部屋を掃除することも出来ず、致し方なしにそのままになっていたのだろう。


「うまいか?」


 ダヤンカーセは顔色一つ変えずに男に尋ね、男は薬を味わうようにして目を瞑っていた。うんうん言いながら男は恍惚としていたが、しばらくして体の震えが収まり、ぼうっと天井を見上げ始めた。


「…ヒューゴ?」


 ダヤンカーセが名を呼べば、びくりとして男は振り返った。

 その目は先ほどまでの狂気はなく、困惑が浮かんでいた。


「船長、俺、あれ? どうして」

「ヒューゴ、アズリアで何があった?」


 汚れた男の体にも拘わらず、ダヤンカーセはその肩を掴んだ。

 少しずつ頭がはっきりとしてきた男、ヒューゴは少しだけ唇を震わせた。


「アズリアが、また、戦争を起こそうと。でも、上手くいかなかった」

「あぁ、そう報告を受けていたな。どこに仕掛けるつもりだった?」

「フェネオリア、内陸の方の国だ。でも、第三王女が…出奔して、計画が」

「そうか。お前はどうしてそんな状態に?」

「わから、ない。わからない、でも、男が嗅ぎつけて」

「誰だ」

「アズリアの軍の、上の方の奴だと思う、良い服を着てて、細くて身長が高い…、あぁ…嫌だ、来る…痛いのは嫌だ…!」

「ヒューゴ! 俺を見ろ!」

「船長…せんちょぉ…嫌だぁ…!」

 

 がしりとダヤンカーセはヒューゴの顔を掴み、自身へ注目させた。恐怖に滲んだ目がダヤンカーセの琥珀を見ると、少しだけ落ち着いたように見えた。


「何をされた、何を話した、言え」

「あ、アズリアで何を、しているって聞かれた、だから、俺は商売を、しに来ただけだって」

「あぁ」

「でもあいつ、どこの間者だって、譲らなくて、俺…」

「なんて答えた?」

「お、おもわず、スカイだって、答えた」

「それで?」

「女が言った、食べていいか? って、なんのことかわからなくて」


 ヒューゴは徐々にぶつぶつと言い始めてしまい、ダヤンカーセはその顔を叩いて意識をこちらに向けさせた。


「薬はどこで?」

「薬…あぁ、そう、そうだ、情報を抜けるかも、って、使い道があればって、白いじいさんが…」

「どこでだ、どこで!」

「暗い…青い…あ、あがが薬ぃ…!」

「ダヤン!」


 ヒューゴはガタガタと体を震わせると口元に泡をつけながら暴れ始めた。

 アギリットが叫んだ瞬間、ダヤンカーセは表情一つ変えずにその首を掻っ切った。


 小さな呻き声を上げたあとヒューゴは床に倒れ伏し、血だまりを広げその中で少しだけ泳いだ。

 アルは黙とうを捧げ、ラングは自身の親指に唇を付けた後、人差し指と中指の甲をヒューゴの体に当てた。


「暗くて青い、か」


 ラングは脳裏に浮かぶ場所があった。確証はないが、何故かそこだろうと思えた。


「ヒューゴは独り身だ」


 血の付いた短剣をアギリットに渡しながらダヤンカーセは立ち上がる。


「だから潜入する役割だった。家族がいる奴は帰るために情報を売っちまうからな」


 ふぅー、と大きなため息が吐かれた。


「ヒューゴはアズリアでずっと活動してた。今回、薬を与えられて正常な判断も出来ないだろうに、それでもこいつはヴァンドラーテが根城だとバレないよう、遠回りして戻って来た。その間に正気は失っちまってたがな」


 恐らく、頭の奥深くか心の奥深くに、仲間を危険に晒すまいという強い決意があったのだろう。


「拾えたのはアズファルの近くだったさ」

「随分遠くまで逃げてくれていたのだな」

「あぁ」


 バンダナを外したダヤンカーセは少しだけヒューゴを眺めたあと、踵を返した。


「アギリット、ここを片づけるように言っておけ。ヒューゴの死体は丁重に丘へ葬れ」

「了解、船長」

「アンタらも付き合わせて悪かったな」

「構わん」


 ッハ、とダヤンカーセは喉で笑って甲板へ上がる。そのあとをついて行きながらアルは首を傾げた。


「結局、ヒューゴに薬盛った奴が誰なのかわからなかったな」

「細くて身長の高い男、女、白いジジイ。せめて薬と花の出所が掴めればと思ったんだがな」

「花の出所はわからんが、ヒューゴが居た場所ならわかる」


 ラングの言葉に二人が振り返る。


「アズリア王都のマナリテル教、地下だ」


 ダヤンカーセはそれを聞いて嘲笑を浮かべた。


「ってーとなんだ? アズリアはマナリテル教を国教に変えたってか?」

「知らん。私は私の持つ情報を渡したに過ぎない」

「なんでまたそこだと結論付けた」

「細身の長身の男、女、白い爺、場所の色がその場所を私に思い浮かべさせたからだ」


 淀みなく言い切るラングに、ダヤンカーセは少しだけ思案顔を浮かべた。


「詳しく聞かせろ」

「良いだろう」


 ラングはアルに話して聞かせたのと同じことをダヤンカーセにも話した。

 マナリテル教の地下に広がる資料室と拷問部屋、最奥の青い炎の儀式をするような部屋。実際にそこで見た女のと細身の男の背格好。付き添う司祭の白い服。

 いくつかの質問を経てダヤンカーセは一言、そこかもしれねぇ、と納得を返した。


 話し終えればダヤンカーセは腕を組んだまま考え込み、そのあと反応を返すまでに時間がかかった。何回か顔を上げたが声を発するまでに至らなかった。

 なので、ラングから切り出した。


「何故一介の海賊…いや、運び屋であるアンジェディリスがアズリアへ草を放つ?  何故薬の出所を知りたがる?」


 ダヤンカーセは一瞬、ラングを品定めした。瞬きのあとはその色を無くしたが気のせいではない。

 二回目の深いため息が響いた。


「仕事をするなら平和な海の方が良い、国の状況と情報は略奪仕事の質にかかわる、ってのが建前」

「本音は?」

「染色に使うだけならいいが、ヒューゴみたいな中毒者を生産して各国で暴れさせる…なんてなったら癪だろうが。何より俺自身があぁいうのは許せねぇ。加えて俺の代はスカイに付くと誓っている。アズリアが戦争をしかけたあとも悪だくみを続けてるもんだから、無理のない範囲で見張っておいてくれと言われてる。いろいろ理由はあるが、…あー…、いや、そうだな、まぁいいか」


 手すりに寄りかかりダヤンカーセは真っすぐにラングを見た。


「正しくはスカイじゃなくて、今代の軍師、ラス・フェヴァウルに忠誠を誓っている」


 思わぬ名前にラングが驚く番だった。

 ラングとツカサから聞いていたアルも驚き、上擦った声で叫んだ。


「ラス・フェヴァウル軍師と懇意なのか!」

「ぁあ? なんだ知り合いか?」

「いや、違う!違うけど、ラングとツカサの帰還のために、【自由の旅行者】って本の著者に会いたくて俺たちスカイへ戻る、行くんだ。ラスって名前が同じだから軍師殿にも会えたらいいなと…手当たり次第であれだけど」


 ダヤンカーセは目を丸くしてから大笑いした。それはそれは涙が出るくらいの大笑いだった。


「なんだ、元の世界に戻る手がかりって【自由の旅行者それ】のことだったのか」

「知ってるのか?」

「知ってるも何もお前は」


 ひぃひぃ笑って腹を抱え、ちょちょぎれた涙を指で拭いながらダヤンカーセは言った。


「軍師ラス・フェヴァウルの実体験だぜ」




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