第68話 魔術師と仕事 <ラング・アルside>



 ――― 翌朝、手際よく帆を開き、船は風に押されて海原へ出て行った。



 初めて感じる不思議な揺れに体を任せれば、時折波を踏んだ振動を感じられる。

 風に押されて、風を切って進む帆船はぐんぐんと港町から遠ざかっていく。


「良い風だ」


 ダヤンが操舵に肘をかけ片手には酒を持ってご機嫌に煽っている。適当に操縦しているようで、その実きちんと波を読んで動かしている。


「気持ちが良い、風に乗ったようだ」

「っは! 知ったような口利くじゃねぇか。まぁうちには隠し玉もあるしな」

「ほう?」

「隠すもんじゃねぇ、アギリットだ」


 くい、と顎で指した先でアギリットを見つける。船首の方で弟のアシェドと並んで立っている。その周りに見覚えのある光を見た。


「精霊か」

「ぁあ? なんだ知ってんのかよ」


 驚きを期待していたダヤンカーセはつまらなそうに操舵に寄り掛かり、やがて手を離してミルに任せた。

 

「普通の船はここまで速くないんだな」

「当然。あぁ、まぁスカイの軍船は遭いたくねぇけどよ」

 

 手招かれて船首へ向かう。アギリットの近くに寄れば、精霊たちがラングの方へ群がった。


「精霊の祝福持ちか?」


 アギリットは少しだけ驚きつつも歓迎してくれた。アシェドはアギリットの後ろに少し隠れ、窺うようにちらりと顔を出した。

 

「見えるの? それ」


 シールドのことを問われているのだと気づき、見える、と返す。不思議そうに覗き込んでいるが中は見えず、かと言って見せてと頼む度胸もなく、アシェドはまたアギリットの後ろに隠れた。

 ラングはアギリットへ尋ねた。


理使いナーラーだったのか」

「いいや、魔術師だ」

「何が違う?」


 アギリットはとんと腕を叩き、それから袖を捲った。不思議な文様が刻まれていて二の腕まで続いていた。


「魔力を持つ者が精霊に気づいてもらい、力を貸してもらうための目印だ。精霊紋という」


 腕を差し出されたので覗き込む。人の手で書いたようには見えない。

 頬の文様もそうかと問えば、これは一族の物だ、と言われた。


「魔力持ちはよほど性質が合わなければ精霊と言葉も交わせない。知っているか?」

「あぁ。アルはその珍しい生き物の方だ」

「ほう、それは羨ましいことだ」

「それで、これにはどんな意味がある?」

「魔力を捨てる代わりに、どうか見てくれ、という熱烈な恋文だ」


 アギリットの言葉にラングは少しだけ唇を開けて呆気にとられた。ここ数日の付き合いではあるが謹厳実直だと思っていた男が、ふ、と微かな笑みを浮かべて恋を説いた。それに驚いてしまったのだ。

 船乗りであれば必要な力だろうとはわかる。こうして風を味方につけて進む船は早く、有利なのだと想像もできた。

 ふと疑問が浮かんだ。


「魔力は捨てられるものなのか?」

「ふむ…興味があるようだ、良ければ少し話をしようと思うが、どうだろう」

「助かる。生来、気になったことは掘り下げたい性質たちでな」

「ふ、苦労しそうだ」

「そうでもない」


 アギリットはアシェドをミルの方へ促して、船首の甲板で座り込んだ。その前に同じように座り、ラングはマントを広げた。ダヤンカーセは船員にラグを用意させ、悠々とクッションに体を預けて見学の体勢だ。


 アギリットの話は興味深かった。そして精霊についての造詣が深いとも感じた。


 魔術師とは、己の魔力を理に還すことで精霊と関り合う者なのだという。代わりに魔力を用いた術は使えない。腕に刻まれた文様は魔力を理に還すためのもので、精霊が気づきやすくなるのだという。

 ヴァッサーが言っていたことを思い出した。魔力が理に還るには時間がかかる、と。それを助けるための紋なのだと気づき、ラングは首を傾げた。


「弟が魔導士でもあるから問うのだが、魔力を使いすぎると疲れたり倒れたりするのだろう? 大丈夫なのか」


 ロナ然り、ツカサ然りである。

 ダンジョン帰りにツカサが睡魔に耐え切れず眠ってしまうのは、緊張だけでなく、魔力を使いすぎたからではないかとエレナに言われたことがある。それを置いても体調管理と眠るようなことはないようにしたいと思っていたが、今はどうしているだろうか。

 

 アギリットは穏やかに首肯し、続きを話してくれた。

 曰く、身の内から湧いて出る魔力を無として体から解き放つための紋様は、合わない者だとすぐに死んでしまうという。

 精霊が呼び声に応えてもその後紋を刻むかどうかは適性によるのだ。アギリットは紋を刻み魔力を還しても死なない性質だったから、そのまま魔術師として成れた。体質と運なのだそうだ。

 その紋様が魔力をどのようにして還すかはわからないが、ラングはなんとなく、濾過された水を思い浮かべた。


「アシェドは魔術師になることを望んだが、なれなかった」


 だからこそアギリットはアシェドをミルの元へ行かせ、会話を聞かせなかった。本人は適性がなかったことを知って受け入れているそうだが、わざわざ傷口を抉る必要もないだろう。

 

「どのようにして精霊の力を借りるんだ?」

「声をかける。それは理使いナーラーと変わらない」


 風よ、寄り添ってくれないか、とアギリットが言えば、海の香りがさぁぁ、と吹き抜けた。

 女を口説くように精霊に語り掛けるのだなとラングは思った。


「アシェドは魔導士として育つのだろうな」

「あぁ、ミルに魔法を習っている。水魔法を使えればそれだけで即戦力だ、少しずつ魔力を形にできるようになっているそうだ」

「そうか、では、兄弟で船の要になれるな」


 ラングの言葉はアギリットには嬉しいものだった。胸に手を当て目礼をし、感謝を示した。

 その光景を見ながらダヤンカーセは大きな欠伸をした。


「仲良くなって良いことだ、それで? 話は終わりか?」


 よっこら体を起こしてダヤンカーセは酒を煽る。常に飲んでいて酔わないのだろうか。


「そろそろ仕事の話でもしようじゃねぇか」

「ラング! ラング!」


 ダヤンカーセが続けようとしたところでアルが駆けてくる。船酔いして船医に薬をもらい寝込んでいたはずが、今は喜色満面だ。


「すごいぞ! 酔い止めって効くんだな!」


 アルは貰った薬がいかに苦くて飲むのが大変だったか、けれど徐々に収まって今はこうして起き上がれることが嬉しいのだと語った。その様子に海の男たちもまんざらでもなさそうな顔をしている。


「こうして見ると海もいいな!」

「そりゃよかった、話を続けていいか?」

「あ、悪い、どうぞ!」

「仕事の話だったな」

「おう、アズリアからマイロキアへ向かう船だ。商船、船の大きさはうちの半分。積み荷は織物、マイロキアで取れた綿花を加工したものだ」

「生産地に戻すのか?」

「話が早い奴は好きだぞ、アズリアは染色の技術を持ってる。マイロキアでは取れない花で染めた織物は特別人気がある」

「なるほど、その花がアズリアの特産でもあるからこその取引か」


 ダヤンカーセはくぅー、と嬉しそうに喉で声を潰してラングの肩を叩いた。

 ぽんぽんと進む会話が嬉しいらしい。


「ついでにその花も少量だが乗っているとみている」

「どんな花だ」

「あぁーどいつもこいつもアンタみたいに話が早いと良いんだけどな」


 言い、ダヤンカーセは懐からするりと花を取り出した。服の内側にアイテムバッグでもあるのだろう、出し方があまりに不自然だった。


 ダヤンカーセの手の中で可憐な花が揺れた。

 中心は血のような赤、外側に向かうにつれて濃い紫へ変わり、ほんのりと淵が輝いているように見えた。これを使うと紫の美しい織物に染まるのだという。


「よく覚えておけよ、この花は中毒を起こす。アズリアの特権階級では暗殺や傀儡によく使われてる。見た目の綺麗さに騙されるとたまぁ取られる、ヤベェ女と同じだ」

「そんな花を染色に使っていい物なのか?」

「そこが、アズリアの技術の粋って訳だ。特殊な技法で毒を抜く」

「ダヤンカーセ、お前にはその技術があるのか?」


 ダヤンカーセは花を仕舞い、憎らし気に言い捨てた。


「俺は染色に使いたいわけじゃない、解毒剤を作りたいだけだ」


 話に口を出さず、ラングの横に座っていたアルが解毒剤、と言葉を繰り返した。


「事情から聞いても良いか? 一緒に仕事するなら知っておきたいことだと思う」


 アルの言葉にダヤンカーセは甲板の木目を睨み続け、手を軽く振った。

 説明を引き取ったのはアギリットだ。


「アズリアの王都に潜入していた部下が一人、毒されて帰って来た。情報を聞き出して楽にしてやるために必要なんだ」


 ラングは腕を組んだ。

 アルはぎゅっと唇を噛んだ。

 アギリットの言葉からその船員がすでに手遅れなのだろうと察せられたからだ。解毒剤がどこまで利くかはわからないが、僅かな時間でも自分を取り戻すことが出来ればいい。出来ても、出来なくても、楽にはさせてやれる。


「アズリアって闇が深いんだな」


 ぽつりと呟いたアルの声は、僅かな怒りを含んで聞こえた。

 


 

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