第64話 ヴァンドラーテ <ラング・アルside>



「ルノアーさん、お手紙が来てますよ」


 冒険者ギルドでスペースを借りて斡旋業に励んでいたルノアーへ手紙が届けられる。

 受け取り料を支払って差出人を見れば、それは恩を返す間もなく旅立った恩人たちからだった。ルノアーは昼休憩を口実に借家へ一度帰宅した。

 あれから既にひと月は経っており、ルノアーは逸る気持ちを抑えて深呼吸、それから封を切った。

 書かれていたことは驚愕の連続だった。

 マナリテル教会に忍び込んだこと。

 そこで見たもののこと。

 追っ手とやり合い、今現在追撃を危惧して遠回りを繰り返していること。

 弟が強い魔力持ちなので、すぐにでもアズリア王都を出れるように手配をしておいてほしいこと。

 命の危険があれば即座に逃げるように。


 端的なラングの手紙を補足するように、アルが事細かに書いてくれていた。

 それを報せてくれるだけの信頼があるのだと思えば、ルノアーはぎゅっと拳を握った。それから、一言一句を頭に叩き込んだ。


 本当なら取っておきたい手紙だった。


 何度も何度も読み返して諳んじることが出来るようになってから、手紙を暖炉へ放った。チリチリ音を立てて燃えカスになっていくのを眺めて、それが跡形もなくなってから火を落とした。


 元々、マナリテル教は良い噂と悪い噂が流れていた。

 魔導士たちも信仰は半々、同じ魔導士でありながら感じ方が違うことも不思議だったが、その理由の片鱗を見た気がした。

 ルノアーは早速根回しを開始することにした。


「まるでこうなるとわかっていたかのようですね」


 ラングからもらった袋を開いて、中から出てきた宝石を前に姿勢を正す。


「上手くやってみせます」


 きらり、みすぼらしいテーブルの上でダイヤモンドが輝いていた。



 ――― 道中で送った手紙は届いているだろうか。


 冒険者ギルド内で仕事をしているルノアーのことだ、冒険者ギルドの職員からの覚えもよく、きっと受け取っているだろう。

 あまり連絡を取りすぎて目につくのも困る。ラングは思い、揺れる荷馬車の上で体勢を直した。街から街へ通っている乗合馬車は今は貸し切り状態だった。


「おー! 見えた!」


 アルが明るい声を上げ、ラングはそちらへ視線をやった。

 遠く、見たこともない青が太陽の光を受けて輝いていた。

 ざぁ、と風が吹き抜け荷馬車の中を湿気た風が通る。

 明るい色調の家屋に高い屋根、港町が下り坂の先に見えていた。

 追っ手を撒くためにあちこちへ寄り道、時間をかけて移動した結果、すでに初夏に入りかけている今日この頃。ついに目的地ヴァンドラーテに辿り着いた。

 見たこともない鳥が空を飛び、ラングはべたつく肌に顎をさすってしまう。浄化の宝玉で常に身綺麗には保たれるが、同様に常に潮風に晒される。

 この風のにおいも感触もラングは初めてだった。


 ヴァンドラーテはアズリアの今までの街とは違い、非常に気さくだった。

 門兵は朗らかに声をかけて来て、ようこそ、と歓迎の言葉もくれた。宿の仲介所はなく、どこも良い宿だと笑われた。心配であれば門兵が仲介所と同じ対応してくれるというのだから驚いた。 


「いや、見て歩きたい」


 ラングはそれだけを言ってヴァンドラーテへ足を踏み入れた。

 まるで誘われるようにラングは足早に街の奥へ向かう。

 港へ向けて真っすぐに続くこの道の先へ早く出たかった。後ろでアルが待ってと叫ぶのにも振り返らず、市場を抜け、宿場を抜け、ラングは最後の一歩を踏み出した。


 ざぁ、と鳴ったのは風ではなく海。


 波間の反射がシールド越しに目をチカチカさせた。寄せては返す波が常に表情を変え、波音に合わせて風が吹き抜け、ぎぃぃと重い音を立てて船が揺れる。言い知れない感動が足先から全身へ走っていく。

 最後に総身がぶるりと震えてしまった。


「――― 素晴らしいな、これが海か」


 ふらりと桟橋に歩み出て、思わず少しだけ両腕を広げた。

 全身を撫でて通る海風がやはり不快なべたつきを感じさせる。生臭いような、懐かしいような、独特のにおいが鼻孔をくすぐり、深呼吸は憚られた。


「はは! ラングでもそんな風になるんだ」


 アルがあとから追いついて笑う。ラングは笑われても振り返らず、しばらく海を見続けていた。

 ぎゅ、と噛んだ唇は見られないで済んだが、少し気恥ずかしさが浮かんだ。

 なので振り返り通り過ぎ様に蹴飛ばしておいた。


「なんでだよ!?」

「知らん、宿を探すぞ」


 蹴り返そうとするアルの足を避け、ラングは街に戻っていく。

 

 見たこともない魚や貝が並ぶ市場はいろいろと試したい気にさせられた。宿を取った後、手紙を送ってから食事に出ることに決めた。


 宿は潮風に傷みにくいよう、太い木を使って建てられ、漆喰が塗られていた。

 布団は柔らかく港町の開放的な印象はそのまま、一室が広い。到底二人部屋とは思えない設えにラングは驚いてばかりだった。アル自身もこうだとは思わなかったようでしばらく無言だった。その反応に首を傾げ、尋ねた。


「お前はどこの港へ来たんだ?」

「俺はアズディエールって港町に最初は来たよ。スカイのハーベルフェネアから出ている船の一つに乗ったんだ。海賊対策の護衛って名目で」

「海賊、話には聞いたことがある」


 ラングはふむ、と顎を撫でた。


「ヴァンドラーテがこんな港町だとは知らなかったな、ここ、スカイによく似てる」

「ほう?」

「雰囲気がな」


 なんとなく、とアルは笑った。


 宿で一息をつきつつ手紙を書いた。

 ヴァンドラーテに到着をしたので、船が見つかるまでは滞在を続けることになる。

 

 【真夜中の梟】にヴァンドラーテで船を探すと書けば、ここが終着点だとカダルがわかるだろう。

 ツカサに手紙を書き終えて畳めばアルからは不評だった。


「え、それだけ?短くない?」


 仕方ないな、とアルが意気揚々とペンを持つ。


「エルキス…滞在が長引いて…四ヶ月くらい?だっけ?」

「半年ほどだな」

「あれ、そんないたっけ、まぁいいか、えーっと。…宝石類は…」

「ツカサにも使うように書いてくれ」

「わかった。まぁ、言われなくても…まともな金銭感覚の…ツカサなら…、っと、睨むなって!あー、とにかくこっちは五体満足…」


 書いている内容はラングも覗き込んでいるので見えるのだが、アルは声に出しながら楽しそうに書いた。無事を知っていても、無事を知らせる連絡は出来ていなかった。吉報を送るのは気持ちが明るくなるものだ。


「よし、出来た! これを同封してくれ」

「あぁ」


 分厚くなった封筒を机にあった蜜蝋を使って封する。短剣の柄でぎゅっと押せば完成だ。

 同様に【真夜中の梟】宛の手紙も封をして冒険者ギルドへ向かった。


 冒険者ギルドの雰囲気も穏やかだった。

 近くにダンジョンはないので専ら護衛や魔獣狩りでの依頼になるそうだが、生活に困ることはないらしい。ヴァンドラーテまでの道は途中から整地されて揺れも少なく、定期的に狩りが行われるので魔獣の襲撃もない。夜盗も見回る冒険者がいて仕事をしにくいらしくそうそう出ないという。

 驚いたのは隣の大陸オルト・リヴィアの冒険者証が作れたことだ。


 アルは元々持っているので、向こうで出すものが変わるだけだが、ラングはこちらで作れるとは思わなかった。アルも驚いていたが、おかげでわかったことがある。


 この港はスカイの息がかかった場所なのだ。


 ではあの男はスカイの者なのか。ラングはバンダナの男を思い出し、良いように誘導されたなとため息を吐いた。

 事前に新しい身分証を持てることを幸運に思うことにした。


 夕焼けが家々を飲み込んでいき、二人は食事にすることにした。

 生ものを食べる勇気はなかったのですべて火の通っている物を頼んだ。焼いてレモンを振ってある貝、魚の出汁を楽しむ酒蒸しのような料理、酒で蒸し上げた貝の料理。

 初めて食べるのだと言えば店員が気さくに食べ方を教えてくれた。


 黒い二枚貝をフォークでほじくり食べてみれば、ぷつんと嚙み切った身から甘い汁と酒の良い出汁が口に広がった。貝独特の不思議なにおいもあり、初めて食べたラングは美味いというよりは変な味だと思った。

 首を傾げるラングに、アルは聞いてみた。


「美味い?まずい?」

「わからん」


 素直に言えば店員は笑った。


「初めて魚介類を食べるとそうだよな、海の味ってことだ」


 今食べた二枚貝を使って他の貝を摘んで食べるのが通なのだと言われ、試してみた。フォークで食べるよりも楽で、特別感を感じた。

 レモンを振った貝はまるでミルクのような濃厚さ、出汁の張ってある魚は香草が利いていてこれは美味しい。

 しかしどれもラングには少ししょっぱかった。自然と果実水が進む。


「潮の味だな」


 ラングよりは海鮮上級者のアルが言い、ラングは口内に感じる塩味と甘みが不思議で仕方なかった。何とも言えない後味もまた、少しだけ引きずった。


「感想は?」

「こんなものか、と言った感じだ」

「おお、これはまずいぞ、苦手になっちまう」

「おい! ボンゴァ出せ、ボンゴァ!」

「ペスカテレアも良いだろ」

「全部出せ! だめならみんなで食えばいい」


 すっかり初心者の反応を楽しむ会になってしまった。

 ラングは出される料理を摘んでは率直な感想を繰り返し、ペスカテレアと呼ばれた魚介とトマトのパスタが気に入った。トマトの酸味が魚介の風味を感じなくさせ、食べやすかった。ボンゴァは貝のパスタだったが、やはりラングには少ししょっぱいものだった。


「よかったよかった、魚介類は調理法で美味い不味いが分かれるからな」

「個人差あるしな」


 近くのテーブルで見守る姿勢だった地元の漁師も、食事処の女将も、ただ居合わせただけの者たちも思い思いに楽しんでいる。

 ラングはペスカテレアを食べながら耳を傾けた。


 漁の話、天気の話、旅人の話。

 アズリアでは監視されるような会話も、ここでは誰もが大声で口にすることが出来ていた。

 だから聞いてみた。


「スカイへ行きたいんだが、良い船はあるか?」


 エールをあおっていた客も配膳をしていたウェイトレスも、ラングの声に振り返り、様々な声がかかる。


「スカイへ行くのか! あそこはいいぞぉ」

「船なぁ、結構いろいろあるけど、何がいいだろうな?」

「貨物と一緒に行くとすると、あんまりおもしろくないよな」

「でも冒険者なら腕っぷしもあるんだろうし、護衛として乗り込む方が安いんじゃないか?」

「船の上の飯は取れた魚が多いけど、あんた大丈夫か?」

「水も貴重だし、海風邪もあるしな」

「全員でしゃべるな、わからん」


 ラングが言えば全員がそれもそうかと笑い、一人の男が会話の役を買って出た。


「スカイのどこへ行きたいんだ? それによって港に着く船で選んでもいいだろう」

「スカイ王国フェヴァウル領、イーグリス」

「フェヴァウル領か、それならハーベルフェネアがいい」


 男はエールを飲んで体中をぱたぱたと触った。どうやら地図を探していたらしいが今は持っていなかったことを途中で思い出した。頭をガシガシと掻いて誤魔化し、咳払いの後に言った。


「スカイへの船は商船と、ここだけの話、私掠船がある」

「私掠船、とは?」

「要は海賊行為が許されている船、ってやつだ」

「その船、何に対して海賊行為するんだよ?」

「決まってんだろ」


 男はそっと酒臭い顔を寄せて、小声とは言えない音量で言った。



「アズリアからさ!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る