第63話 追っ手<ラング・アルside>



 もしやバレたか?

 ラングは僅かに足に力を入れた。


 最悪、一足飛びで出口まではいけるが出口も魔力を介して開くものなら困る。

 指が炎のナイフに伸びる。


「ネズミ? いやだ、汚い」


 乙女が軽蔑するように言い、ぶわりとローブを翻す。


「お待ちを、主様。貴女様がお力をふるえば我らもただでは済みませぬ」

「えぇ? じゃあどうするの」

「私が」


 ヴォルデイアが止め、ペリエヴァッテがぬらりと背中に吊っていた剣を手にした。

 湾曲した細長い刀身、師匠から習ったものの中に記憶がある。タルワールだ。

 ラングは細く長い息をして整えたが、別の気配が近づくのを感じて僅かに顔を上げた。


「あ、あの、申し訳、ありません」


 恐る恐ると言った様子でまだ若い少年魔導士が歩み出てくる。

 それはきっと、祭壇を触っていて開いた扉に好奇心で入り込んだか、先ほど息絶えた男が目を覚まして周囲を確認せずに入ったか。


 となればチャンスだ。


 司祭が入ってすぐに閉じたのは、開閉するための仕様があるからなのだろう。

 この少年が閉じて来たとは思えない。


「困りましたねぇ、この男、つけられたか閉じ忘れたかでしょうね」


 ラングと同じ予想を並べ立てながらペリエヴァッテは足元で転がる魔導士を蹴り、のんびりとした動作で恐怖に震える少年へ歩み寄った。

 そして躊躇なく長剣を振り抜いた。


 その瞬間、ラングは出口に向かって走り出した。


 ペリエヴァッテは少年を殺した愉悦の表情から驚愕の表情に変わり、振り抜いた長剣を引き戻しながら地を蹴った。


 ついてくるか。


 ラングは足の幅の広さで追いつかれる可能性を危惧した。

 耳に響くターンターンという音は直線で追う者としては良い技法だ。ラング自身も足音が立つことを厭わず全力で走っている。

 真っすぐに走り途中何度か曲がる。ブレーキをかけないように壁を走って曲がれば背後から感嘆の声が聞こえた。

 曲がり角が何度かあったおかげで完全に追いつかれることはなかった。

 予想通り扉は開きっぱなし、ラングはすぅぅ、と息を吸って整えると強く地面を蹴って一息で階段を上がり切り扉から抜けた。

 そのまま振り返りざまに炎のナイフを投げれば後を追って出てきたペリエヴァッテが長剣を振るい叩き落とす。


「この私を掻い潜るなど、余程の暗殺者ですねぇ」


 僅かに上気した体、肩は上がっておらずまだ余力はあるのがわかる。

 とんとんと足を止めずラングは戻れと呟き、ナイフを腰に戻す。


「どこの回し者ですか?」

「ほう、つまりいくつか思い当たるところがあるのか」


 こてりと首を傾げて問うてやれば、ペリエヴァッテは口元に笑みを浮かべた。


「多少痛めつける必要がありそうですね、大丈夫、拷問は得意ですから」

「ぬかせ」


 ラングはすぅはぁすぅはぁ、といつもの呼吸をし再び床を蹴った。

 大広間から真っすぐに大門に向かうと思っていたペリエヴァッテの裏をかいてラングは側廊へ向かいドアを肩で跳ね開けて抜けた。

 大きな物音を立てて移動したので眠っているマナリテル教徒も目を覚ます。ラングは居住区へ駆け上がりまた廊下を走り抜ける。

 物を倒し壁にかかった燭台を斬り落とし、わざと派手に物音を立てる。

 ペリエヴァッテはラングの意図を察知して舌打ちをした。

 地下の祭壇、ラングが来たのとは別の扉から出てきたペリエヴァッテは、公式的なマナリテル教徒ではないとラングは考えた。

 顔を見られたりその存在がばれるのは得策ではないだろう。

 なんだどうした、と廊下へ顔を出す眠気眼の魔導士を次々すり抜け時に放り投げペリエヴァッテの行先を邪魔する。


 目的地に着いた。


 ラングは最初に入り込んだ部屋へ、壁を経由してドアを飛び蹴りで壊し、そのまま腕を前にクロスさせて窓から飛び降りた。


「なんだと!?」


 背後でペリエヴァッテが窓枠に腕をつき叫んだのがわかる。

 ラングは体を回転させて鋼線を投げ、教会を取り囲む塀に飛びつくとそのまま駆け上がった。

 そして振り返らずに市内へ降りた。


「ほう、ついてくるか」


 ラングは後ろから殺気を放って追ってくる気配に感心した。

 ペリエヴァッテは長い手足を利用して飛び、途中木を経由して塀を越え追ってきた。

 路地へ入り込んだラングをしっかりと視認して追い、ラングが屋根へ駆け上がればペリエヴァッテもついてきた。

 ここまでされるとラングにとっては面倒な相手になる。


「しつこいぞ」

「黙れネズミが、主様の神聖なる宮を穢した罪人め」


 屋根の上を走りながら長剣を振るわれ、ラングはそれを避け、短剣でいなして返す。

 ふぉんと音を立てて顔の横を通り過ぎる剣戟には殺気がこもっている。


の宮だと? あれは食事場だろう」

「貴様! を呼び捨てるなど!」

「ふふ、はははは!」

「何がおかしい!」


 思わず笑みが零れてしまった。ここまで笑ったのは久々な気もした。

 

「お前のおかげで確証がとれた」


 屋根の上で立ち止まり、ラングは短剣をしまい双剣を抜いた。

 とん、とん、と軽く飛んだあと、しっかりと足をつけて両腕をだらりと落とし、構えた。

 ペリエヴァッテは意図を察知して嬉しそうに笑った後、長剣タルワールをピュシ、と振ってから構えた。


「女神の剣、ペリエヴァッテ・ヴァーレクス」


処刑人パニッシャー・ラング」

 

 じっとお互いに間合いに入らない時間が続いた。

 ペリエヴァッテは今にも飛び掛かりそうな殺気を放ってはいたが、冷静にラングを見据えていた。


 この男はなんなのだ。


 ペリエヴァッテはラングを探る。

 ここまで逃げおおせた体力と脚力、それにペリエヴァッテが追い難いように騒ぎを起こす判断力。大門を狙ってくれれば魔力の壁シールドが逃げようとする男を弾いたはずだ。

 そういった防衛機能に思い当たりがあるわけではなく、追手が困るルートを選択できる冷静さが腹立たしい。

 幾人かに顔を見られたので記憶した魔導士はに回すようにしなくてはならない。


 だらりと落としただけの両腕は一見すると隙だらけだ。

 命のやり取りを好むペリエヴァッテにはそれが誘い込むためのものだというのがわかる。


 どうこの男を甚振ろうか。

 ペリエヴァッテは唇の渇きを舌で宥めた。


「いきますよ」


 宣言をしてからペリエヴァッテは屋根を蹴った。

 バキリと屋根が砕けて破片が落ちる。


 長い腕を利用した大振りからの凄まじい速度の振り、ラングは半身を躱して剣先を避けると双剣を振り上げて顎を狙う。

 ペリエヴァッテはそれを上体を逸らして避け、そのまま長剣と足を振り上げてラングの胴を狙う。

 長剣を双剣で滑らせて逸らし、足はそのまま受けた。


 蹴られた勢いを利用して空を飛び、体を回転させて城郭に張り付く。鋼線を引っかけ体勢を整えると振り返り、言った。


「礼を言うぞ」


 たった、と軽い音を立ててラングは城郭を駆け上りそのままアズリア王都を脱した。


「きっさまぁあああ!忘れんぞ!パニッシャー!」

 

 ペリエヴァッテの怒号はアズリアの憲兵を呼んだが、ラングはもう振り返らなかった。



 ――― 走り続けた。


 追手が来ないとも限らず、ラングは足を止めずに走り続けた。

 ぱちりと懐中時計を鳴らす。約束の時間はとっくに過ぎているので、アルは目的地を目指し移動を始めただろう。

 日は高く上りもう昼を回っていて、アルの体内時計が正確ならば次のキャンプエリアで食事をしている頃だ。


 はたしてラングの予想通り、キャンプエリアでアルはパンを頬張っていた。


 ゆっくりと速度を落とし最後には歩きでキャンプエリアに入り込む。

 急に止まるのは体に良くないのだ。

 あ、と大きな口でパンを頬張ろうとしていたアルが、ラングを見つけてホッと笑った。


「無事だったか、結構かかったな」

「あぁ」


 水の入った革袋を差し出されたので礼を言い、一気に飲み干す。


「で、どうだった?」


 アルはラングを覗き込むようにして尋ねた。

 いつも涼しい顔をしているラングが汗だくでいるのが珍しくて、ついまじまじと見てしまう。

 それでもマントは脱がなかったのだから徹底したものを感じる。


「残念だが予想は当たった」


 アルは目を瞠って、それから空を仰いだ。


「そうかぁ」

「とても自由奔放な少女だった」

「マジか、マジで女神なのか」

「人を食っていたぞ」

「うえ!? どういうこと」

「私にはあれがなんなのか理解が及ばないが…そうだな、命とでもいうのか」


 ラングは革袋を返し、手で包み込むように丸を作った。


「それをこう、飲み干していた」

「ううう、何の話か全然わからないけど、人のすることじゃないってことだな?」

「そうだ」


 一頻り怖い酷い騒いだあと、アルはふぅと息を吐いた。


「無事でよかったよ」

「あぁ、待たせた」

「んじゃ、ラングの体力が戻ったらヴァンドラーテを目指そう」

「それから」

 

 ラングがまだ会話を続けたことに驚きつつ、そちらを向く。

 シールドがアルを向いていた。


「マルキェスは


 アルは少しだけ唇を開けた。

 黒い瞳は僅かに揺れて、さっと空を見上げた。


「そうか」


 どういう関わりであっても、どんな目的があっても、あの薄暗い地下牢で過ごした時間は本物だった。



「そうか」



 少しだけ寂しそうなアルの声は風に攫われて空に溶けて行った。





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