第61話 アズリアのマナリテル教 <ラング・アルside>



 いつでも王都を逃げられる準備をしてからマナリテル教へ行くことで決まった。


 アルはラングの話を夢物語のように感じていた。

 神に少しでも触れたことのある者と、ない者の差だった。

 ラングの視線の先に何が見えているのか、頭の中で何がつながっているのか。全貌はわからないが試してみたい気にはさせられた。

 不安を潰しておきたい気持ちもよくわかる。後顧の憂いを断ちたいのはアルも同じだった。


 意見を求められたアルは、確認をしたい、それからだな、と苦笑を浮かべた。

 ラングはそれでいいと頷き、マナリテル教の教会へは二日後に行くことにした。


 翌日はゲイルニタス乗合馬車組合に出向いて道を調べた。

 ここでラングは目的のヴァンドラーテだけではなく、すべての港を教えてもらった。組合の者にはまだどこに行くか決めてはいない、とも伝えた。

 アルは最初なぜそんなことをするのかと思ったが、後になってそれが追っ手を危惧してのことと気づいて唇を結び続けた。何か露呈することが怖くなったからだ。


 常に追っ手や最悪を考えられる思考をすごいと思う傍ら、そういったことを常に考え続けなければならなかったラングの人生に憐憫を抱いた。


 夕食にルノアーを誘い、斡旋業のお試し状況を聞き、なかなか良い走り出しだと聞けて一安心。

 ラングは早ければ明日には出立することを伝え、ルノアーは口に含んだ果実水を忘れぽかんとしてしまい、すべて服に零した。

 宿の女将が手拭いを持ってきてくれたので服を拭いながら、ルノアーは声を震わせた。


「あ、明日ですか? 早くないですか?」

「早ければ、だ。宿は引き払っておくが」

「そんな、まだお礼もそんなに出来ていないのに…。あ! あの、護衛報酬をお支払いしますから、そう、せめてあと六日…」

「ルノアー」

「お礼は儲けの一割でしたから、六日後ならそれなりにお渡しが」

「ルノアー」

「ですから」

「カシア・ルノアー」


 ラングが強い声で呼び、ルノアーはびくりと肩を震わせた。


「私たちは旅立つ」


 有無を言わせぬ決定事項を改めて伝えられ、ルノアーは肩を落とした。

 わかってはいた。アズリア王都までの契約で、すでにそれは達成している。ルノアーが忙しく事業を立ち上げようとしているのをわかっていて、報酬については任せてくれていることも。

 ただ、ルノアーは厳しくて強くてまぶしいこの二人をいつの間にか大好きになっていた。

 出来ればこのまま護衛を続けてほしいという厚顔無恥な願いも、頼れる兄のような二人に甘えたい気持ちもあった。

 商人として立つのであれば、甘えは捨てなくてはならない。

 わかってはいても寂しいものは寂しい。


「…そうですね…」


 声がどうしても震えてしまう。膝に置いた手が滲んでしまい、涙が落ちそうで瞬きが出来なかった。

 

「ほら、早ければ、だ。もしかしたら明日もいるかもしれないだろ?」

「だが、いないものと前提をしておく方が傷は浅い」

「ラング、お前なぁ」


 フォローを入れるアルの横から容赦なく突き落としていくラング。

 そのやり取りが二人らしくて、ルノアーはふふ、と笑ってしまった。落ちた涙をそっと払って顔を上げる。


「いえ、はい、わかりました。大丈夫です」


 ふぅ、と深呼吸してからそう応えた。

 ここで別れたとしても、出会った縁は変わらない。何より、目を掛けてもらった感謝はいつまでも忘れない。


「明日、朝食のあとに報酬をお渡しします。今夜は計算しますのでお時間をください」

「あぁ」

「それから、目を掛けて頂いて、息のかかった商人にとのことでしたけど、何が目的だったんですか?」


 育てることも役目だと言ってくれていたが、その裏にしてほしいことがあるからだというのはわかっていた。

 ルノアーが問えばラングはことりと小さな革袋をルノアーへ差し出した。


「アズリアを抜けていれば関わらないと思うが、もし【異邦の旅人】のツカサを見かけたら、気にかけてやって欲しい」

「弟さんですね、わかりました。ところでこれは…」

「会えたらでいい、ツカサへ。それからこちらはお前に」


 もう一つの小さな革袋を差し出し、これも同じようにルノアーへ寄せた。

 紐が緑のものはツカサへ、黒いものはルノアーへ渡った。


「これは?」

「部屋で開けろ」

「わ、わかりました」


 ツカサの方は少し軽く、ルノアーの方は思ったよりも重い。

 

「頼んだぞ」


 ラングに言われ、ルノアーは渡されたものから視線を上げた。黒曜石のようなシールドは相変わらず目を見せないが、視線だけはわかる。


「はい」


 もしかしたらこれが最後の会話になるかもしれない。

 ルノアーは真摯に頷いて応えた。



 ――― 翌日、いつもよりも早く朝食を済ませ、【異邦の旅人】は宿を出た。


 ここアズリアの王都アズヴァニエルでも、マナリテル教の教会はトンガリ屋根が赤い。

 早朝、市内馬車はまだ走っておらず、人目が無いのをいいことに屋根の上を走り真っすぐにそれを目指した。

 そう時間もかからずに目的地に到着し、正門前で見上げた。

 アズファルで見た教会よりも大きく、かつ、古い。壁の色合いからそれが随分古い時代からここにあり、修繕を繰り返されたことがわかる。


「アズリアではマナリテル教は国教ではないらしいな」

「その割にでかいの置いてるよな」

「あぁ」

「そもそも、アズリアって国教には豊穣の女神を置いてるんだよ」

「ほう?」


 アルはアズリアに渡ってすぐ戦争に巻き込まれたが、それでも国のことを知る努力はしたらしい。その話を聞くにはこうだ。

 アズリアは豊穣の女神・ハルフルウストを国教に置いているという。

 小麦がよく実り、食事に困らない生活を豊穣の女神に感謝する。それがアズリアの国の在り方なのだ。

 だが、現在では豊穣の女神は追いやられ、マナリテル教が大きな教会を立てているような状況だ。もちろん、豊穣の女神の神殿もある、神官や司祭もいる。アズリアの国を挙げた祭事などでは王家の横にも立つ。ただ、それは反対側に立つマナリテル教よりも質素な衣服で立つことになる。

 魔導士の冒険者の多くがマナリテル教であることもあり、冒険者が運ぶ富と財宝に傾向した結果なのだ。


「いずれ、そのハルフルウストは古き良き時代の神になりそうだな」

「国の大半はどこも農民だし、農民はそういうゲン担ぎをしっかりするから大丈夫だと思いたいな」

「お前の…いや、ここではやめよう」

「あ、うん、そうだな」


 スカイでは戦女神を奉じている、と以前にエレナからさわりだけ聞いたことがある。ここでの話をするのは得策ではない。


 早朝に正門前で立ち話している冒険者が珍しかったのだろう。

 大門を開けた神官が首を傾げながら二人へ歩み寄った。


「お早いですね、いかがなされました?」

「早朝にすまん、アズファルの司祭フォーグラッドからの紹介状だ」

「ほう、司祭の…拝見しても?」

「あぁ」


 手紙を差し出し開けるのを見守る。最初は訝しげにしていたが、文に目を通していくほどに面白いほど目を開いていく。

 最後は何やら慌てた様子できょろきょろし、それから手招きながら教会に入っていった。


「フォーグラッドの爺さん、何書いたんだろうな」

「知らん」


 お早く、と手招かれたので大人しくついていった。

 教会の中はまだ神官しかおらず、彼らは粛々と掃除を行っていた。その空間でバタバタと足音を立てて走る神官は非常に目立つ。微かなざわめきが大広間に広がった。


 祭壇で大広間に背中を向けマナリテル像に祈りを捧げている男に駆け寄り、耳打ちをする。


 男はゆっくりと振り返った。


 マナリテルの白い司祭服。

 初老に入るかという険しい表情、眉間の皴もまた威厳を見せている。

 魔導士にしては体格がよく、身長が高い。じろりと目だけを動かして【異邦の旅人】を見ると、これまたゆっくりと目を細めた。

 ぴくりとラングの手が双剣に伸び、アルがそれを掴む。


「癖、気をつけろよ」

「む、すまん」


 こそりと指摘され、ラングは手を緩める。

 こつりこつりと硬い靴の音を立てながら白いローブの男が前に立つ。


「アズファルの司祭、フォーグラッドの紹介状を持って来たとか」

「そうだ。何を書いたかは知らない」

「アズファルのマナリテル教の恩人だとか、ふむ」


 上から下までじろりと眺められ、これはアルも不愉快だった。


「穢れし者…いいや、魔力なしだとか。マナリテル様の何を知りたい」

「自分が持てない力だからこそ、知りたいと思っただけだ」

「殊勝なものだ」

「謁見は出来るのか?」

「良いだろう、司祭の紹介状を蔑ろにしては奴の顔が立たんからな」


 文句は言われたが無事に謁見出来るらしく、尊大な態度の司祭に顎で呼ばれついていく。

 大広間の身廊を進み、祭壇の設置されているアプスと呼ばれる円形の場所へ促される。

 見上げればマナリテルを模した像が安置されており、それは素晴らしい出来だった。だがではない。

 ラングはしばらくそれを見上げた後、司祭を振り返った。


「この像はアズファルでも見た。フォーグラッドからはこちらにと聞いたのだが」

「あの御方には司祭、それも高位司祭でなくては謁見出来ぬ」

「それでは依頼した内容と違う」


 ラングが悠然と言えば、司祭はぴくりと眉を動かした。

 司祭はぬぅ、とラングへ身を寄せ、口を歪ませた。


「穢れし者がこの教会へ足を踏み入れられたことを感謝しろ」


 ラングはふぅ、とため息を吐いた。


「なるほど、それは感謝をしなくてはならないな」


 ラングより頭一つ分は身長の高い司祭にズイと身を寄せ呟いた。


「紹介状すら意味を持たない組織というのは、往々にして敵が多いものだ」


 ふわりとマントを翻して出口に向かい、アルは司祭に肩を竦め、そのあとをついていった。

 司祭は怒鳴りこそしないが顔を真っ赤にして睨みつけている。


 しばらく歩いて教会を離れ、屋台通りに混ざり込む。

 朝食を出す店やパン屋が開いていたので食事を買い込み空間収納に入れながら移動を続け、やがて噴水のある広場に辿り着いた。

 縁に腰掛けソーセージを挟んで焼かれたパンをかじる。


「で、どうするんだ?」

「お前、隠密はどの程度できる?」

「あーうー、あんまり得意じゃないなぁ」

「では私だけで行く」

「まさかの潜入?」

「態度が気に入らん」

「あぁーもう、ラングを敵に回すなよ本当…」


 へにゃりとアルは膝に項垂れ額を抑える。ラングは敵対するものを徹底的に潰す性質たちだというのは嫌というほど知っている。

 面倒なことになるので本当にやめて欲しかった、何のためにラングの手を止めたのかわからない。


 ただまぁ、確かに態度は気に入らなかった。


「俺どこにいればいい?」

「外だな」

「王都の外?」

「そうだ」


 つまりこの警備体制を掻い潜って王都に戻り、かつマナリテル教の教会へ潜入してくるということだ。

 そこまでする必要があるのか、いや、関わってしまったからこそ、あるのだろう。

 いろいろと確認しなくてはならないことがあるのだ。


「…わかった。このままいくか?」

「あぁ」


 立ち上がるラングに次いで腰を上げる。


「ルノアー、やっぱりあのままになっちゃったな」

「そうだな」


 【異邦の旅人】はその日、アズリア王都アズヴァニエルから出門した。



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