第55話 十五階層へ <ラング・アルside>
三日目、十二階層まで進んだ。
十日で十五階へ行く予定なので、それを考えるとかなりのハイペースだ。
ルノアーは相変わらずアルの背中に乗っていて、すれ違う冒険者に珍妙なものを見るような目をされた。流石に食料の落ちる十階層からは冒険者の数が増え、新人商人にダンジョンを経験させているのだと真実百パーセントで説明もした。
珍しいが、八階層を含め無い話ではないので冒険者はなるほどと納得をした。
途中、乗合馬車で絡んできたパーティにすれ違った。
彼らは転移石を持っており、九階層まで直接降りてきたという。
九階層は景色ががらりと変わり、広々とした草原が広がっていた。ここで冬の食糧である兎魔獣を狩って売っているのだ。
狩場が被ることを懸念していたが、目的が十五階層なので留まらないことを伝えればホッとした表情を浮かべた。
乗合馬車での挑発も、自分たちの稼ぎに直結する狩場問題があったからなのだろう。
ラングはジュマも似たような草原が広がっていて、目印を参考に進んでいたのだと教えてくれた。アルは飽きそうな景色だと言い、ルノアーも感動が過ぎた後は飽きてしまった。
日の移り変わりがそこにはあって、夜になれば周囲は暗く、焚火とランタンの明かりが不安な心の支えになった。
癒しの泉エリアではさらさら水の沸く音がして、微睡みを誘った。
ルノアーがぐっすりと夢の中に堕ちたのを確認して、アルは大きく伸びをした。
「明日は変わるか?」
「いや、気配を察知するのはラングのが上手いから、引き続き背負うさ。地図も俺はちょっと不安だし」
三脚コンロに乗せた小鍋からホットワインの良い香りがした。
「ツカサ、どうしてるかな」
ダンジョンの夜空には月も星もない。真っ暗な闇を見上げて呟いた言葉はラングにも空を見上げさせた。
ちらりとそちらを窺い見れば形の良い鼻が上を見ていて、シールドの奥はやはり暗くてよく見えなかった。
本当に見たいとは思っていないが、たまに気になることはある。
ふぅ、とわかりやすくため息を吐いた。
「ラング」
「なんだ」
「ギルドで手紙を送らないのも、ツカサとエレナの安否を調べないのも、怖いからか?」
ゆっくりと、ラングのシールドがアルを向いた。
僅かに首を傾げて見せたのは誤魔化しだろう。
「ラング、ツカサのことばかり考えているだろ」
「何がだ」
「ルノアーを見て、ツカサはこうだったああだった、そう考えてるのがわかる。俺の言葉にも返して来るしさ」
「失態だな」
「そうじゃないだろ」
ラングはホットワインの仕上げにシナモンで数回混ぜ、二人分のコップによそい差し出した。それを受け取りつつもアルは苦笑を浮かべた。
「エレナの心配は全くしてない癖にさ」
「そんなことはない」
「いいから吐けって」
アルは至極真面目な顔でラングを見た。
「今は、二人だけのパーティだ。俺は本音を言うに値しないか?」
横で燃えていたクズ魔石がパキリと断末魔を上げた。
三脚コンロの中でジジジと音を立てる魔石がその後を引き継いだ。
「…気にさせたか、すまない」
「いいって、俺も余計なお世話かもしれないけどさ」
ふぅ、と吹いた息が湯気を揺らす。一口含んで口の中で転がし、ゆっくりと飲み込む。これがラングのホットワインの飲み方だった。
「もし死んでいたら、真っ先に冒険者ギルドの掲示板に乗るだろう。サスターシャなる王女は我々に目を掛けているようだからな」
「そうだな」
「だから、信じている」
ラングはホットワインを手に、しっかりとアルを見据えた。
「大丈夫だ、あいつは弱くない」
意思のある強い声、確信を込めた鉄心石腸な佇まい。常に姿勢は良いのだが、こうして凛然としたものを感じさせられると、何を言う気も失せる。
アルはに、と笑みを浮かべた。
「ならいい。でもさ、どこかでちゃんと連絡とってやろう?ラングは良くてもツカサは心配性だから」
「む…そうだな」
「どこで連絡するか決めよう」
「ならばアズリアの王都で」
「なんでそこ?」
ラングはすぃと顔を横に向け、寝息を立てている新人遍歴商人を見た。
「あいつがどこまで育つかによって、ツカサの力になるかが変わる」
「あー、ツカサがもし後から来るなら、力になってもらえるように今協力してるもんな」
あぁ、とラングは短く返してホットワインを口に運んだ。
腕利きの冒険者が二人、新人に力を貸すなど目的と理由がなければしない。ラングが乗り気でルノアーの護衛を申し出たことがアルには不思議だった。
だが、ルノアーと朝食を共にする前、ラングは言った。
ツカサが進む道の手助けにはなるだろう、と。
親が子供の歩く先の小石を取り除くことほど、余計なことはない。手助けの塩梅というのは非常に難しいのだ。
ただ兄が弟を見守るためだけに面倒を引き受けたことが、アルは嬉しかった。
きっと、自分の兄もそうしてくれていたような気がしたからだ。
「早く雪が落ち着くといいな。そうしたらすぐにアズリアだ」
「そうだな」
すっきりした顔でホットワインを飲み、あちち、と笑うアルに真摯な声が届いた。
「ありがとう、感謝している」
涼やかなラングの言葉に、アルはぽかんとしてしばらくホットワインを飲み込むのを忘れてしまった。
口の端から零れそうになって慌てて飲み込み、いいって、と笑った頬が熱いのは、きっとホットワインの香りのせいだ。
――― 癒しの泉エリアには不思議な力が働いていて、魔獣は来ない。
そんな話を聞いていなければ、だだっ広い草原のど真ん中でここまで無防備に眠れなかっただろう。
目を覚ませば冒険者二人は既に起きていて、朝食の支度をしていた。
ルノアーに宿の食事を出し、ラングはパンを片手に地図を指差し、アルとルートの確認を行っていた。ジュマは道中に旗が立っているが、ここヴェレヌの草原には目立つ木がどんと生えているのだ。そこに紐で目印を括りつけ、少し遠くからでもわかるようにしてある。
食事の傍ら話を聞いていると、どうやら今日で十五階層まで行く気でいるらしい。アルを見遣って今日もお願いします、と瞑目した。
ヴェレヌのダンジョンは未踏破、現在わかっている階層は二十六階層まで。二十四階層からは毒が多く、気を付けなければ毒に沈み全身が焼かれるのだ。
実際、それで幾人もの冒険者が死に、多くのパーティが壊滅している。毒沼に落ちてしまった冒険者のギルドカードは拾うこともままならず、死の証明をされることはない。
乗合馬車のパーティのように生活のために潜っているパーティも、もちろんある。
だが、多くのパーティが八階層と行き来して二十六階層を越えるために競っている。アルが命懸けだぞ、と言ったのはこの緊張感を感じ取り、理解していたからだ。
今日も風が気持ちいい。
ダンジョンの良いところは雨に苦労しないところだ。
ざんざんと草を蹴って駆けていくアルの背中で、すっかりくっついていることにも慣れたルノアーには余裕がある。
周囲を眺め、このダンジョンを目に焼き付けていく。
道中は四つ足の魔獣が多く、これもまたさくりさくりと討伐されていく。
狼の毛皮に筋の多そうな肉。尖った牙は白いので、意外なことに宝飾品になったりするらしい。商売につながるアイテムをいくつも目にしてルノアーはうきうきする心を抑えられなかった。
だが、これらのすべては【異邦の旅人】のものなのだ。
依頼料を計算、手に入れたアイテムの換算、加工、売却。これは大まかな流れではあるが、ルノアーは計算してがっくり肩を落とした。
まだまだ、自分には分不相応だったからだ。
広い草原を一直線に走り続け、食事もとらず辿り着いた十五階層ボス部屋は、これまた一瞬で終わり、ルノアーは自分の感覚が狂っていくのを感じた。
十五階層ボスのベアドラド、大きな狼型の魔獣で毛皮が銀糸に輝いている。
僅かな風にふわりふわりと揺れる柔らかさ、ボス部屋の松明にきらきら輝くさまは黄金と見間違うほどだった。
そして容赦なく、呆気なく殺された。
もはやこれにも驚かなくなってきた。
先陣を切るのはいつもアルだ。雄たけびを上げながら強い脚力で床を蹴り突っ込んでいく。
ベアドラドは咆哮を返しながら見た目よりも素早く爪を振り下ろす。
アルはただ楽しそうな笑みを浮かべてそれを避け懐に入り込む。顎を狙って槍を振り抜けば、それを避けたベアドラドの動きも見事なものだった。
ぱぁ、とアルの顔が輝いたのは気のせいと思いたかった。
ふ、と、いついたのかわからないラングが狼の首を斬りつけた。
「む」
一撃で斬り落とせなかったことが不満だったらしく、短い声がこぼれた。
斬りつけられ毛皮を血で汚したベアドラドの牙がラングを向く。
ラングは不思議な動きで急に横に飛んで避け、壁を足場に飛び回った。
「トドメはどっち?」
「たまには貰おう」
「はいよ!」
アルが槍でベアドラドの足を刺して姿勢を崩させた。刺された腕を上に持ち上げたところをラングが下に入り込み、柔らかい首の正面部分へ双剣を突き刺した。
剪定ばさみで刈り取るように、ごきりと何かが切れた。
ベアドラドはラングの方に倒れ込みながら灰に変わり、ラングはそれを軽い動作で振り払った。
美しい毛皮と爪と肉、そして十五階層の報酬。
「もう、本当、なんなんですか」
ルノアーはもう何も考えたくなかった。
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