第52話 商人の冬 <ラング・アルside>



 すべての冒険者が良い奴なわけではない。中には生来の悪い奴もいれば、どうしようもない理由で悪に身をやつす奴もいる。

 

 ルノアーは盛り上がりを見せる酒場でこそこそと食事をしながら圧倒されていた。

 他の冒険者に向かって朗々と冒険譚を語るアルにも、酔いに任せて絡んでくる冒険者へ泰然自若に対応するラングにも、そしてこの場の空気にも。

 冒険者は冒険譚が好きだ、という話は聞いたことがあった。酒場で酒を片手に、飯を片手に冒険者たちは盛り上がる。

 マジェタからの魔獣暴走スタンピードが追い迫ってくる光景、弟を馬車に乗せ逃がす情景、背中を合わせて戦い続けた戦場の風景。

 アルの音吐朗々な声は冒険者を惹きつけた。


「それから、急に降下してきたグリフォンの爪に俺は捕まった」


 ざわ、と冒険者たちがざわめき、最高の聞き手になっていた。

 すっかり夢中で聞いている者もいれば、食事のお供に話半分な者もいる。


「ラングがグリフォンの背に乗って、俺たちは空へと飛びあがった! グリフォンの爪に掴まっていなければ最高の景色だった。遠くまで広がる緑の森が、朝焼けで赤く染まって、高いところの空気は冷たくて、なかなか感じられないものだった」

「もう一回掴まりたいか?」

「それは御免だな!」


 ど、と空気が沸いた。

 ラングは酒を断り、果実水を強請っていた。


「そして俺たちはエルキスに落ちた」

「エルキスってーと、あの、厳しい国か?」

「そう、だけどもう、エルキスは冒険者にも国を開くはずだ」

「どんな国だった?」

「綺麗なところだったなぁ」


 アルはエルキスの水がいかに綺麗で、国民が穏やかで、自然を愛しているかを語った。興味があれば行ってみてくれ、と促す言葉に頷く者も数名見える。

 まだまだエルキスの話を聞きたがる冒険者たちの前で、ラングは席を立った。


「そろそろ帰るぞ」


 ラングがそう言えば冒険者からブーイングが飛ぶ。

 それに一瞥もくれずにラングは店を出ていった。


「また聞かせてくれよな」

「おう! 飯驕れよな!」


 アルは軽く手を上げて笑い、困惑顔のルノアーを呼んで一緒に店を出た。

 酒場の熱気が嘘のように外は寒い。

 紅潮していた頬が風に撫でられて違う意味で赤くなる。アルはマントをぎゅっと前で結び直して手をすり合わせた。


「寒いな」

「はい」

「飯食えた?」

「は、はい。食事代をお支払いしないとですね」

「いいっていいって、あれほとんど驕りだし」


 アルはからからと笑ってくれた。ラングはいつの間にかランタンを手にして先を歩いていた。


「気の良い方々が多いんですね。それだけではないと思いますけど」

「だな、まぁ基本的には良い奴が多いさ」


 屋台から香る食べ物の匂いに、満腹なのに深呼吸してしまう。商人や冒険者、街の人々が営む音が温かい。

 あっという間に宿に戻ればおやすみ、と挨拶されてあっさりと【異邦の旅人】は部屋へ戻る。

 ルノアーはしばらく廊下でぼんやりしていたが、後ろから失礼、と声を掛けられて我に返り、部屋へ戻った。

 不思議とドキドキしていた。

 感じたことのない高揚が胸を満たし、水を浴びてもルノアーは落ち着かなかった。

 冒険者が入る食事処というのに入ったのは初めてだった。

 師匠と行動していた時は商人向け、大衆向けの食事処で定食を頼み済ませていて、今回もそうするつもりだった。だが価格も量も甲乙つけがたく、量だけなら確実に冒険者向けの食事処の方が多い。

 様々な冒険譚や入手した素材やその卸先の話を聞けたのも大きい。

 こんなに商売に有利な情報が飛び交う場所があったのか。ルノアーは己の視野の狭さに恥ずかしくなり、穴を掘って潜りたい気持ちになった。

 今なら宿一つ決めるだけであんなにごねた自分の行動が、物を知らないと露呈させる事態だったのだと堪らない気持ちでいっぱいだ。


「あ、ダンジョンの同行、相談し損ねた」


 布団に入ろうとしてふと思い出す。

 宿の手続きを優先し、その後食事処でのこともあって聞きそびれた。明日、朝食の席で会えたら話そう。

 ルノアーは旅疲れに瞼を撫でられて早々に寝息を立て始めた。


 ――― 翌朝、雪がちらつき始めた。


 布団の中で縮こまり、ぶるりと震えて目を覚ました。

 宿の布団だけでは足りず、売り物の毛皮を布団の上に乗せた。ふと、もしかしたら宿の中でもこうして商売になるかもしれないと思った。

 ダンジョンに行く冒険者にもいいかもしれない。宿に必要かどうか問うのもありだ。

 毛皮が売れれば荷が軽くなる。塩は残り少なく、自分が利用する分をよくよく計算し直すことにした。

 アズリアの王都までで何を調達できるのかが心配だが、楽観的な何かがどうにかなるさと笑った気がした。

 荷物の整理をしていたらドアがノックされた。


「ルノアー、起きてるか? これから朝飯行くんだけど、どうする?」

「ご一緒します!」


 広げた荷物をそのままに、ルノアーは鍵を持ってドアを開けた。


「おはようございます」

「おはよう、んじゃ行こうか」


 ラングはマントなしの姿、アルも装備を置いた軽装で階下へ降りていく。

 対してルノアーは厚手の衣服を身に纏っている。


「寒くないんですか?」

「ちょっと体動かした後だからな」

「どういう…?」

「鍛錬後、ってことだ」


 首を傾げて問えば、ラングもアルも朝起きてから中庭で鍛錬を行ったという。あちこちの部屋からぐぅぐぅ寝息が聞こえているので、多くの冒険者は早起きはしないのだろう。今度鍛錬を見せてほしいといえば、起きられたら来いと返ってきた。来れると思われていないことが悔しかった。

 階下へ降り食堂に行けば、女将が席を割り振ってくれた。

 座っているとモーニングプレートが出てきて、おかわりは銅貨一枚と教えてくれた。アルは食べる前から銅貨一枚を支払い、おかわりをすぐに欲しいと依頼していた。

 寒い朝に嬉しい野菜スープ、炙ったパン。

 保存食の生ハムに焼いた根菜。それだけの朝食だが十分に美味しい。カチャカチャと食器のこすれる音と、ぱりぱりというパンの音、また別のテーブルからはずず、とスープを啜る音が聞こえた。


「俺たち、ちょっとギルドに顔出すんだけど」


 正面から声を掛けられてルノアーは顔を上げる。


「お前、ダンジョンに同行したいって言ってたろ?」

「はい! もちろん、お邪魔でなければですが…」

「邪魔に決まっている」


 ラングがぴしゃりと言い放ち、ルノアーは肩を縮こませた。


「だから、依頼として出して欲しくてさ」


 苦笑を浮かべアルが言い、ルノアーはすみません、話がよく、と顔を俯かせた。


「要はさ、俺たち実績作りたくないんだよ。頼まれたからいいよ、って誰かをダンジョンに連れて行くっていう実績をな」

「はぁ」

「依頼で連れて行きました、なら、やりようがあってさ。依頼報酬額と行くタイミングの相談がしたい」

「なるほど。冒険者ギルドは依頼額の何割かがギルドでしたね」

「そうそう、話が早くて助かる」


 アルは二杯目のスープをごくりと飲んでご馳走様をし、テーブルに両肘をついた。


「今回は特別に、ルノアーが出せる額で良い」

「通常ならいくらくらいなんですか?」

「俺は一階層につき十万はもらってる。ラングは?」

「一階層につき百万」

「おー。流石流石」

「ひゃっ!?」


 ルノアーはお湯を吹きそうになりぐっと堪えた。


「高かったんだな」

「護衛料もそのくらいからだ」

「信用と実績があったわけだ」

「私がいる、というだけで賊は避けたからな」


 さすが、と笑うアルに顔面蒼白のルノアー。


「私は、すごい、分不相応している気がしています」

「故郷での話だ」

「こっちが良いって言ってるから良いんだよ。それで、ギルドに行くからついでに依頼紙作って手続きしちゃいたいってわけ。こっちも準備したいしさ」

「わかりました、ご一緒させてください…」


 目の前の冒険者たちの底が知れない。


 食休みを置いてから行こう、ということになり、午後の鐘一つが鳴るころ、ロビーで待ち合わせすることになった。

 ルノアーは午前の間に雑貨屋と防具屋を覗き、毛皮を持っている商人であると自己紹介をしたりした。中には防具に使う皮がなかったり、思ったよりも毛皮のマントが品薄になっている店もあって、良い値段で売ることが出来た。やはり冒険者向けは消費が多いだけあって需要が高い。

 加えて仕入れた物が良かったようで、どちらからも名を覚えてもらうことが出来た。駆け出しの遍歴商人としては上々だ。いずれ定住商人を目指してはいるが、今はこれで良い。


 宿に戻り、毛皮を卸す相談をしていれば背後から冒険者に声を掛けられた。

 宿が毛皮を所持していて、いくらかの金で借りられるなら有難いという。冬が終われば持ち歩く必要はないが、今寒くて良い睡眠が取れないとなれば冒険者の財布の紐も緩む。

 宿はルノアーが持っていた残りの毛皮を先の買取と同額で買ってくれた。

 これで積み荷はほぼ空だ。

 仕入れを考えなくてはと腕を組んでいたら、上階からラングとアルが降りてきた。


「早かったな」

「少し出ていたもので。間に合ってよかったです」

「行くぞ」


 厚手のマントを羽織ったラングが先に外へ出た。

 その後を追いかけ雪を踏みしめ、ルノアーはフードを被った。



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