第51話 冒険者向けの宿 <ラング・アルside>



 ダンジョン云々は一度置いておいて、まずは宿で手続きをすることにした。


 【揺り籠】は思ったよりも大きな宿だった。

 冬を越すために滞在する冒険者が行きかい賑やかで、装備の重さも物ともしない芯の太い作りになっていた。階段の手すりも太く、階段も幅が広い。大き目の暖炉がロビーにあり、それが全体をよく温めているようだった。

 これぞ冒険者の宿、と言った風体の、居心地の良さそうな宿にラングとアルは顔を見合わせて頷いた。

 ルノアーはざわざわした空間に慣れず、周囲をきょろきょろ見渡している。

 ラングはそんなルノアーを顎で呼び、受付へ名刺を出した。

 男性は静かにトレーを回収し、板を確認した。それが案内所とやり取りをしている物だというのはすぐにわかった。


「【異邦の旅人】だ、部屋は一か月で依頼している」

「承っております。お二人部屋でございますね。お食事はいかがいたしますか?」

「明日の朝食は頼む。夕食を取るのに良い店はあるか」

「それでしたら当宿を出て左手、少し歩かれると【子山羊亭】という店があります」

「わかった」

「ダンジョンは行かれますか?」

「その予定だ、確保を頼む」

「かしこまりました。それでは一か月のご滞在で明日の朝食はご用意させていただき、必要であれば都度お声掛けください。十八万五百リーディです」

「えっ!?」


 男性がトレーを差し出し、ラングが支払う横でルノアーは驚いた声を上げた。

 不思議そうな顔をしつつも目の前のラングへの対応は手を抜かない。鍵を受け取り手続きを終えると、ラングはルノアーの背をぐいと押した。次はお前の番だ、ということだ。


「名刺はございますか?」

「は、はい」


 ルノアーは慌てて名刺を取り出し、先ほどラングとスタッフがやり取りしたものを繰り返した。


「お一人様、一人部屋、商人ですね?」

「そ、そうです。こちら泊まれますか?」

「もちろんです、馬車は庭に馬房がございますのでそちらへお願いいたします。お食事はどうされますか?」

「えっと、明日の朝食からつけていただきたいのですが」

「かしこまりました、それでは馬の世話代も込みで二十三万リーディです」


 毒気を抜かれたような顔でルノアーは支払い、鍵を渡されて男性をじっと見てしまった。後ろに並ぶ者もいたので、ラングにまた首根っこを掴まれて移動させられた。

 興奮した様子でルノアーはラングとアルを振り返った。


「すごい! あの、お安いんですね!? それに思った以上に丁寧です!」

「対応が良くて暴れる冒険者はいないからな、宿側も無用なトラブルは御免だろ?」

「言われてみればそうですね」


 周囲を見渡し、行きかう冒険者たちもすれ違う時に声をかけたり、ぶつかればすまないと謝罪をしたりと穏やかに見える。

 時間が経てば経つほど良い悪いは見えてくるが、宿で表立って騒ぎを起こすようなことはしない。騒ぐなら往来かギルドだ。

 

「馬車を置いてこい」


 ラングはルノアーの背を押して外にやり、浮足立った様子で馬車を移動させに向かったのをアルが護衛についていった。

 一人になってラングは宿の中を改めて見渡した。

 

 鼻につく冒険者の体臭。装備の鉄や皮の臭い。ガシャガシャなる金属の音、ギシギシ耐える階段や床の軋み。

 怪我をしている者もいるのだろう、酸化した血の臭いが鼻の奥をツンとさせた。これから夕食時、宿の調理場では大鍋でシチューが作られているのだろう、ふわりと時折ミルクの香りが漂っていて、ごちゃ混ぜになった全てがぶわりとラングを包んだ。

 粗野だが賑やかな、この音と空気とにおい。

 この宿はラングの故郷によく似ていた。


「ただいま、どうかしたか?」

「いや」


 無事に馬車を収めたアルとルノアーが戻る。背中には道中売り切れなかった毛皮が背負われていて、アルの手にも持ち切れなかった分があった。

 尋ねられたラングは少しだけ肩を竦めた。


「夕食には少し早いが、混み合う前に行こうと考えている」

「賛成、俺はもうおなかぺこぺこだ。ルノアーはどうする?」

「ご一緒していいんですか?」

「冒険者の装備や衣食住を知るのは良い経験になると思うぞ」

「でしたら、荷物を置いたらぜひ!」


 言い、階段を上がり隣り合った部屋へそれぞれが入る。アルはルノアーの部屋の入口に荷物を置いてから来た。


 部屋は長細かった。小さな暖炉が備え付けられていてクッキングスタンドがある。小さなテーブルに椅子が一つ、壁にかかったランタンは蠟燭で、火種は自分でどうにかしろということか。

 ベッドは大柄な冒険者でも寝れるように足が太い。布団は少し色が変わっているが一応干されているらしく、嫌なにおいはしなかった。ハーブの束が置いてあったので手入れは自分ですることになる。

 風呂場は狭く魔石湯が出るところに大きなたらいが一つ置かれている。この宿の規模なら十分だ。むしろ共用や湯桶を依頼しなければならない手間を考えると厚待遇である。

 隙間風はまぁまぁ。

 の男二人であればこれで十分だ。


「風呂はなぁ、ツカサがいればよかったなぁ」


 そうだな、と胸中で応え、冬支度のマントを脱がずそのまますぐに部屋を出た。


 ルノアーも荷物を置いて部屋を出てきて合流する。商人と冒険者の違いだろうが、ルノアーは動きにくそうなもこもこしたマントを羽織っていた。これはアズファルで良くとれる羊の毛皮を織ったものだ。温かいがとにかく嵩張る。

 ラングもアルも動きやすさを重視しているので魔獣素材の薄手のマントを身に着けている。ツカサがシャドウリザードのマントを羽織っているように、風を通さず、かつ乾きやすく軽いものだ。

 宿を出て屋台を見ながら【子山羊亭】を目指す。


「驚きました、私が考えていた宿よりもこう、なんというか、普通ですね」


 ルノアーは冒険者向けの宿に泊まったのはこれが初めてで驚くことが多かったようだ。道中興奮気味にラングとアルへ感想を溢れさせた。


「私が泊まろうとしていた宿と遜色ないんです。食事が朝晩、馬の世話がついてもまさか予算よりも低いなんて!」

「冒険者は宿に食材を持ち込むことが多いからな。安いところは安いし、ちゃんと美味い。ラングは宿の食事は美味しいところを選ぶし」

「そうなんですね!これを知らなかったなんて、マイロキアへの仕入れは失敗しました…」


 岩塩を仕入れたときは商人向けの宿に泊まったため、今考えると支払ったのが多く感じていた。


「商人だから、冒険者だから、じゃなくて、もっとこう、いろいろ見るといいかもな」

「ここだ」


 宿からそう遠くはない、けれど寒い中を歩くにはきつかった。ラングもアルもマントを脱いで腕に持ち、熱気の中に足を踏み入れた。ルノアーは慌ててマントを脱いでその後を追った。

 冬宿に停泊を決めた者が多いのだろう、店は混み合っていた。


「相席でいいかい?」


 気の強そうな女に言われ、肯定も否定もしないうちに顎で促される。

 ラングはするりと席の間を抜けて促された場所へ行き、座る。アルはルノアーを促してその後ろをついていった。

 酔いの混じった笑い声が空間を揺らしている。

 食事と饐えたアルコールの臭い。商人向けの大人しい雰囲気はどこにもなく、ざわざわした気配に背筋が震える。不愉快ではないがどこか怖い。

 席についてルノアーは落ち着きなく周囲を見渡した。

 商人が良くいく食事処は定食のようなセットがある店ばかり、相席になった冒険者の食べているような、パーティで取り分けるようなものではない。


「注文は?」

「おすすめの食事と果実水を人数分」

「んじゃチキンがいいよ、スープとパン付き。一人銅貨五枚」

「頼む。これはお前に」

「おやま! わかってるね旦那」


 銅貨を十五枚、おまけで一枚を女に手渡してラングはテーブルに向き直った。


「相席ですまんな」

「いいってことよ、ところで旦那はどこから来たんだ?奇抜な恰好してるなぁ」


 元から席にいた冒険者に礼を尽くせば手に持ったエールのコップを少し掲げられる。


「俺たちはヴァロキアの方から来たんだ」

「ヴァロキアァ? 山挟んで向こう側だっけな?随分遠くからだな」

「おたくらなんてパーティだ?」

「【異邦の旅人】」

「ってーとオイ、マジかよ、あれだろ、ヴァロキアのダンジョンの予言者」

「ははーまたいろいろ出回ってるな」


 アルも笑いつつ、握手を求められれば応える。


「あんたらは逃げた方か? それとも残った方か?」

「あー残った方だ、グリフォンに掴まって空にな」

「なんだって!? おいおい、ちょっと話聞かせろよ」

「ただではないだろうな?」

「おう、もちろんだ! おいネエちゃん! こちらの御仁に酒をふるまってくれ!」


 酔いも回っている冒険者は席を立ち大声で叫んだ。


「ヴァロキアの迷宮崩壊ダンジョンブレイクを予言した【異邦の旅人】だ!」



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