第39話 これからのことを <ラング・アルside>



 さくりというなら和解した。丸く収まった。


 それは魔導士とエルキスの民の間もそうであるし、エルキスの民と精霊の間もそうだ。

 ラングはさくさくと魔導士と近衛と神官諸々を一所に集めると、エルキスの歴史を話し出した。

 第三者のラングが調べたことでわかったこともあり、三代を経たエルキスの民はよもや自分たちが行っていたことが手探りだったとは思っておらず、そうなった原因が魔導士であったと聞いて魔導士たちは困惑した。


 ラングはその件をばっさりと「水に流せ」と言った。


 曰く、過去のしでかした魔導士を今更どうこうするのも現実的ではない。

 過去に縛られて前を向くことを忘れ、過去のことを都度持ち出すようなことがあれば非生産的なことだと言った。

 忘れてはならないが、掘り返し繰り返すことがどれほど意味のないことか、と。


 過去のことの決着はもう、どう足掻いてもつかず、責任の所在を求めるのも難しいのだ。


 ただ、現在のことは決着がつく。

 ラングは手を取り合えとは言わなかった。

 近衛と魔導士を引き合わせ、魔導士は同胞を贄にされかけたことで武力行使したことを謝罪した。

 近衛は沈黙を貫き、それでも武器は手に取らなかった。

 オフィエアスはこれからのエルキスは在り方が変わることを大々的に宣言し、その場でヴァッサーとの対話が行われた。

 その場にはそのまま魔導士、神官、近衛、それに駆けつけられた民が同席していた。


 ヴァッサーは精霊が、理が求める穏やかな在り方を望んだ。

 時々自然に感謝するお祭りなんかがあればご機嫌で、友人として在りたいと言った。

 オフィエアスは泣きそうな顔で今まで使役などと言ったこと詫び、どうか教えてほしいと懇願し、ヴァッサーはそれを受けてオフィエアスへ加護を与えた。

 オフィエアスは神の水鏡トゥネオルタェの上を歩き水を纏い、エルキスの民を沸かせた。


 水しぶきにまぎれて涙が流れていたことに、誰が気づいただろうか。


 改めて、エルキス中に儀式が成功したことと、今までの在り方から変えるということが伝えられた。


 内容としては、国を少しずつ開くということ。

 魔力を持つ者は堂々と胸を張っていいということ。

 希望があれば他国へ出ることも可能だということ。

 逆に、他国の魔力なしを受け入れる体制でいること。


 小さな国ではあるがそれなりの人口を有するエルキスは一時騒然となった。

 オフィエアスはアルがしていたように芝生に座り、疑問や不安に一つ一つ答えていった。

 ラングはそのそばに控え、オフィエアスは確認したいことがあれば素直にラングを頼った。


 アルは魔導士たちをアズファルへ送るための手筈を整え始めた。

 当初はエルキスに滞在を続けていた魔導士たちの安否を心配し、アズファルから援軍が来ることを懸念していたが、連絡を取る手段があると聞いてからはすっかり居ついていた。

 ダンジョンのドロップ品だという魔道具で短いが言葉のやり取りが出来たのだ。

 それを何度も何度も繰り返し、アズファルの魔導士は魔力持ちを引き受けることも了承してくれた。

 元々、贄を出すようになったのは過去の魔導士のせいだと知り、現在の魔導士は違うのだというのを知らしめたいようであった。


 ついでに、アルは魔導士たちとアズファルへ出て、アズリアへ行こうと言った。

 

「俺土地勘あるしさ。今から戻っていくよりはもう、早いと思う」


 ラングもそれに同意し、魔導士たちと共に発つことになった。


 エルキスのこれからの土台、儀式などを行うならば気を付けること。

 何より精霊を愛し、愛されるようにしていくこと。

 魔導士のことをよく知り理解し、それでこそこちらも理解を求められること。

 それは魔導士にも逆の言い方でアルが伝えた。


 様々なことを手掛けていたらあっという間にが経とうとしていた。


 すっかり相談役になっていたラングとアルも、近々魔導士たちと共に出立をする。

 ラングが伝えたこと、アルが聞いたことをまとめる夜も、もう少ししたらおさらばだ。


 この日もそんな夜を過ごしていた。


「思ったよりも政務に慣れているのだな」


 声を掛けられ、アルは木の板から顔を上げた。

 この板も魔導士との交流、アズファルとの交流が活発になれば紙の技術を輸入し、整えられていく予定だ。


「あぁ、うん、俺もびっくりしてる。なんだかんだ爺さんとか父さんとか、見てたからかな」


 ぽりぽりと頬を掻きながらアルは少しだけ面映ゆく笑う。

 

「なんつーか、やっぱり経験に勝るものってないな」

「同感だ」


 卓上コンロで沸かした湯をコップに注ぎながらラングが答える。

 その動作をじっと見守り、コップを差し出されたので礼を言う。


「ありがと、でもそれを言うならラングもだよな。こう、上に立ち慣れてる」

「故郷では何度か、大規模パーティのとりまとめをしたことがある。冒険者連中に比べればどうということはない」

「なるほどね、そっちも経験ってわけだ」


 不意にアルが机に突っ伏す。


「ツカサとエレナ、元気にしてるかな」

「大丈夫だろう」

「連絡取れてないけど、心配してるよな」

「だろうな」

「アズファルに着いたらとりあえず【真夜中の梟】に手紙出さないか? 懇意なんだろ?」

「そうだな」


 そして沈黙。とはいえ苦痛ではない。

 アルはのそりと体を起こすと木の板に向き直し、書きにくそうにペンを走らせる。


 ランタンの明かりを強めたところでドアがノックされた。


 癖なのかラングは手が腰の短剣に伸びる。

 アルは苦笑を浮かべそれを手で制し、対応に出た。


「誰だ?」

「近衛のツェルテだ、遅くにすまない」


 ドアを開ければツェルテと最側近が二名居て、礼儀正しく礼をした


「アル殿、今からお時間良いだろうか」

「何か用か?」

「近衛側が魔導士の話を聞きたいのだ、もう近々貴殿らはエルキスを出てしまうだろう。その前にもう少し理解を深めておきたい」

「いいけど、今からか?」

「そこは申し訳なく思っている」

「まぁ俺自身は明日予定もないしいいけど、ラング、ちょっと出てくる」

「あぁ」


 アルの方を向かずにラングが答え、アルはツェルテに伴われて部屋を出た。

 遠ざかっていく足音が消えればランタンから時折聞こえるキンと高い音と、自身が走らせるペンの音だけが響く。


 ラングはこうした時間が嫌いではなかった。


 飄々としていた師匠も読書は愛し、別々の部屋で、時に同じ空間でただ読書をしたり日記を書くだけの時間があった。

 元々騎士団の詰め所だった家は郊外の森の中にあり、師匠が上手い下手は置いておいて、過ごしやすいように徐々に改築し、ラングがそこに混ざった頃には詰め所感はどこにもなかった。

 最初に好きに使えと放られた部屋は師匠に倣って改築したり、物を置いて整えて。気づいたら食卓に自分用の椅子があったり、器があったりした。

 ふ、と息がこぼれる。


「年だろうか」


 懐かしむことが増えた。肉体こそ若いが精神年齢は順当に年を重ねているらしい。


 不意に、その空間へ忍び寄る気配を感じた。

 扉を見る。近づいてきた人は小さくドアをノックした。この気配には覚えがある。足音も立てずにそちらへ向かい、小さく嘆息した。


「何をしている」


 ドア越しに尋ねれば向こうで息を飲む音が聞こえた。

 微かに震えた声が返ってきた。


「夜分遅くに申し訳ありません、お部屋へお邪魔しても?」

「用件は?」

「…誰にも聞かれてはならないことなのです」


 嫌な予感がした、加えて脱力感が襲ってきてシールドの中へ手を入れ、眉間を揉んだ。

 入れても無駄だと胸中で呟く。最初から断ってしまえと思う。

 だが、それで引きずられても迷惑千万、ならば断ち切るか。


 ラングは扉を開けてやった。

 そして眩暈がした。


 扉の外にいたのは予想通りオフィエアスだった。

 だが、その身に纏っていたのはいつもの巫女服ではなく、白いローブを羽織った簡素な寝間着だった。オフィエアスがそっと肩にかかったローブをずらして見せれば、その下はさらに布が少ない。

 上気した桃色の頬、緊張で潤んだ瞳。いつになく艶めく唇は何かを言おうとして小さく結ばれた。


「何の用だ」


 意図して服装にも表情にも気づかぬふりをして問えば、オフィエアスは焦れたのかローブを落としてラングの胸板にとすりと抱き着いた。

 ふわりと香ったのは特別な香なのだろう、ラングは鼻孔がむずりとした。これは毒の香りだ。


「もう一度聞くが、何の用だ」


 オフィエアスの肩へ手を置き、その体を離す。

 うっとりとラングを見上げ、オフィエアスの喉が鳴る。


「お慕いしております」


 ぎゅっと手を握りしめて伝う想いの熱いこと。

 ラングはそれを受けてなお態度を崩さなかった。


「勘違いをしているだけだ。かしずかれる者は苦言を呈すものに心惹かれやすい」

「いいえ!」


 叫び、オフィエアスは次はラングに思い切り抱き着いた。

 ラングはオフィエアスを庇ってしまったがために、数歩下がった。オフィエアスはその隙に扉を閉め、鍵をかけた。

 バタンと閉まったドアの前に立ちはだかり、ラングをしっかりと見据えた。


「貴方と過ごした月日は、短いかもしれませんが! 私は心からお慕いしているのです!」


 ラングはマントを着てから対応すればよかったと思った。

 マント以外は装備そのまま、双剣こそ空間収納だが背中側には短剣もある。鎧も着けたままだが振り払い怪我をさせても面倒なことになる。こういうとき、マントは良い緩衝材になるのだ。


「だから、勘違いだろう」

「いいえ! 貴方の、厳しいところは確かにございます。ですが、優しいところも存じております」

「人として普通の接し方をしていただけだ。お前もその他大勢の一人に過ぎん」

「いいえ、いいえ!」


 がばりと抱き着かれ、ラングは盛大にため息を吐いた。丁度胸鎧の下あたりに柔らかいものを感じる。だからマントが欲しかった。

 それでもラングは淡々と返した。


「小娘、私はもう五十を迎えるところだぞ」

「嘘です」


「顔も呪われている」

「構いません」


「一時の熱に浮かされるな」

「そんなこと!」


「どうしろというんだ」


 ラングはオフィエアスを見遣って尋ねた。

 叫んだせいか、の効果か、オフィエアスは先ほどよりも目を蕩けさせラングを見上げた。そこに女の色気と本気を感じて項が粟立った。


「一夜の思い出でも良いのです、どうか」


 白い指が背中からゆっくりと脇を撫で、胸を辿り頬へ到達する。

 シールドの中に手が入り込もうというところで、ラングの手がそれを阻む。


「お前は私に最低の恩人になれというのか」


 冷たい声にびくりとオフィエアスの動きが止まる。


「助けた代わりに巫女を傷物にさせた男として、後世に残したいのか」

「いいえ、そうではなく私はただ」

「責任の取れないことはしない」


 諦めろ、とラングが紡ぐ。

 涙の溜まった目でラングを見上げながら、オフィエアスは唇をぎゅっと噛んだ。

 やんわりと阻んでいた手の力が強まり、オフィエアスの両手は降ろされる。

 その手を離し、鍵を開け扉を開け、ローブを拾い肩にかけてやった。


「戻れ、それから、風呂に入れ」


 背中を押して部屋から出し、ラングは扉を閉めながら言った。


「悪い男には引っ掛かるな」


 バタンと閉じた扉。掛けられた鍵。

 オフィエアスはゆるゆると座り込むと小さな声で泣いた。


 確かに、貴方こそ、優しくて残酷で、悪い男だと思った。

 

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