第37話 聞き込み <ラング・アルside>



 マルキェスが消えた話はオフィエアスにも伝えられた。


 とはいえ、もはや逃してしまった後。

 精霊にすらその姿を追えないとなれば、慌てたところで意味がない。

 伝えられたのは翌朝、図書室で合流してからのことだった。


 なぜもっと早く教えてくれなかったのか、と叫びたいのを抑え、オフィエアスは眉間を揉んだまましばらく黙っていた。

 

「…マルキェスが逃げた理由などに思い当たりは…?」


 かろうじて絞り出した言葉にアルは肩を竦めた。


「居た堪れなくなった、とか、まぁ思いつくものはあるけどどれも違うと思う」

「見張りがいて、鍵が閉まったままだった」


 天気の良い窓辺で壁に寄り掛かっていたラングが言う。ふわふわと風に揺れるマントが小さくぱたりと音を立てた。


「いなくなった衛兵がいるかどうかと、魔導士たちにも聞いた方がいいだろう」

「それは尋問を?」

「魔導士たちにはアルが聞いた方が早い。衛兵ヘはお前が聞くんだ、ツェルテがいるだろう」

「わかりました。貴方はどうされるのです?」

「精霊に少し尋ねておきたいことがある」

「んじゃ、また夕飯の時にでも合流かな?」

「そうしよう。その他の話はその後だ」


 ざ、とラングとアルが図書室を出て行く。

 椅子に座ったまま取り残されたオフィエアスと、困惑気味のツェルテが残った。


巫女様エルティア…」

「その他の話もあるのですね…」

「そのようですね…」

「ツェルテ、近衛たちを集めなさい。人員を把握しているのは貴方です、立ち合いもお願いします」

「もちろんです」


 ふらりと立ち上がったオフィエアスに手を貸し、ツェルテはその肩に手を置こうか迷い、やめた。


「参りましょう。すぐに召集します」

「頼みました」


 そよいだ風がオフィエアスの背中を少しだけ押した。


「――― じゃあ、いなくなったやつはいないんだな?」

「あぁ、全員いる」


 襲撃の夜、先頭に立っていた年嵩の魔導士がむすりと答えた。

 疑われたことへの不愉快さがにじみ出ているが、アルは気にも留めなかった。


「元々どうしてここに襲撃しに来たんだっけ」

「同志を贄にするという話と、救援を求む手紙が来ていたので導師が決めたのだ」

「その導師ってのは? どの立場なんだ」

「所謂支部長のようなものだ。我々はアズファルの王都にあるマナリテル教から来ている」

「その手紙って誰が? マルキェスか?」

「さぁ、そこまでは私たちは知らない。導師に直接聞けば良いだろう」

「聞けるのか?」

「マナリテル教は門扉を開いているからな」


 ふむ、とアルは考えた。

 確かに聞いてしまった方が早い気がした。


「まぁ、いい。とにかく疑って悪かったな。マルキェスを逃がすなんて、それこそ魔力持ちの同志しか浮かばなくてさ」

「…致し方ないことと今はわかっている。我々もここで不可思議な経験をしているのだ、少しは考えも変わる」

「そうであってくれたなら、喉を枯らした甲斐もあるさ」


 アルはからりと笑って魔導士の肩を叩く。その力の強さに多少よろめいたものの、嫌な顔はされなかった。


「あんたらはこれからどうするんだ?」


 話題を切り替えれば魔導士たちは顔を見合わせた。


「難しい所だ」


 言い、トンガリ帽子を外して胸に抱き、魔導士は目を伏せた。


「少なくとも、魔力があってもなくても、こうして生きていることには変わらないとわかった。それに、お前もそうだが、仮面の男もここがもう生贄を出さないように奔走しているのだろう?」

「あぁ、そうなるように正しい在り方を模索してる」

「…ならばアズファルの導師に、ここはもう異端ではないと伝えられる」


 魔導士の言葉に、後ろの者たちも小さく頷いて見せた。

 ここ数日殴り合ったり議論を交わしたり、そんなことをしていれば名前を覚えたりもする。食事は全てエルキス側が出していることもあり、魔導士たちはそれに多少の感謝を覚えなくもなかった。

 

「関わらなければ良い、というのも、まぁ、わかるのだ」

「関わっちゃったけどな。襲撃して」

「知らなかったのだ」

「そうだな、でも今は知ってる」

「ええい、嫌味な奴め! そのにやけ顔をやめろ!」


 言われ、アルは悪い悪い、と笑った。


「聞きたい話は聞けた、ありがとな。もうしばらくは付き合ってもらうから、のんびりしててくれ」


 じゃあな!と軽く手を振って走って行ってしまう背中に少しだけ笑みが浮かんだ。

 のんびりしててくれと言われて本当にのんびり出来るとは、普通思わないだろう。ここは敵地だと思い武器を持って来たのだから。

 だが、あの不思議な男が懸け橋となって今はここが安全で、知的探求心を満たすに良い場所であることがわかる。

 最初はいがみ合っていた神官たちも、魔導士について知りたい欲求を素直に向けて来るようになり、互いに魔導士と理について意見交換が出来ている。


 こうなってしまえばもう、相手を殺せないだろ。だって知ってるんだから。


 と言ったのはあの男だ。

 一体どんな経験をすればそんな言い方が出るのかと問えば、男はうーんと子供じみた仕草のあと笑った。


 俺の故郷にはいろんな人がいるからな。と。


「やれやれ、すっかり丸め込まれてしまったな」

「言いっこなしですよ」


 年嵩の魔導士の背中をぽんと叩いて、苦笑を浮かべながらも楽しそうに若い魔導士が言った。



 ――― 一方、オフィエアスは近衛を前にツェルテと共に尋ねていた。


「では、マルキェスの逃亡を手助けした者はいないのですね?」

「身命に誓って」


 近衛たちは一様に膝を突き、頭を垂れて答えた。

 

「居なくなった者はいない、だが、牢から出し、鍵をかけ直すくらいは出来るだろう。同情心などで手を貸した者もいないのか?」

「近衛の誇りに誓って! 斯様なことはございません!」


 誇りを傷つけられ酷く憤慨し、近衛は叫んだ。

 ツェルテは手で制しそれを収めた。


「確認をせねばならないことを問うているだけだ、決めつけている訳ではない」

「…申し訳ございません」

「よい、その反応も誇り高きエルキスの近衛だからこそとわかっている」


 ツェルテのフォローは近衛たちに届いたらしく、ほ、と肩から力が抜けるのがわかる。


「不思議なことはありませんでしたか?」


 オフィエアスが気づいたように尋ねた。


「例えば、見かけない者が居たり、いつもと違うことなどありませんでしたか? 小さなことでもいいのです」


 オフィエアスの問いに近衛たちは顔を見合わせ、少しだけひそひそ声が出た。


「あの…」


 恐る恐る、それは罰を恐れる子供のように小さな声だったが、オフィエアスは聞き逃さなかった。


「どうしましたか?」

「…申し訳、ありません、あの…」

「このような事態です。精霊すら掻い潜ったのですから、我が民を罰することはありません」


 オフィエアスはしっかりと頷いて見せて、微笑んだ。


「小さなことでもいいのです、教えてください」


 その声に手を上げた近衛はゆるりと立ち上がり、深呼吸をした。


「昨晩、私は地下牢の牢番でした」


 ぎゅっと拳を握りしめて話し出したのはまだ若い青年だ。年のほどはアルよりも下かもしれない。

 青年が語るには昨晩、地下牢への階段の入り口、地上で牢番をしている際、しばし記憶がないという。

 二人一組で組んでいたはずなのに、一緒に組んでいた者を覚えていない。加えて記憶がない時間も良く分かっておらず、もしかして寝てしまったのだろうかと不安に駆られた。

 だが、その時はどうせ地下牢で逃げ場もなく、最近いろいろあって気が張っていたから疲れたのだろうと思った。


「そこへあのお二人が駆けこんで来たのです」


 血相を変えて地下牢へ飛び込んでいく二人の後を追い、地下牢に誰もいないことを知って蒼白した。

 鍵は確かに腰にあるのに、どうして、なんで。

 罰せられる、処せられる、と目の前が真っ暗になった。


 仮面の男が不思議な気つけ薬を飲ませてくれてどうにか自身を取り戻し、今夜はもう休めと促され、ふらふらと兵舎へ入り横になった。

 目が覚めたら大騒ぎで召集され、今に至る。


「申し訳ありません…」

「そうでしたか、では、昨晩なのですね」


 オフィエアスは一つでも分かってよかったと言いたげに深く頷いた。


「魔導士たちを留め置いていることが、近衛のお前たちに強い緊張感を与えていたのでしょう。誰かの妨害だったのかもしれません、今回のことで咎めはないので安心なさい」


 青年はほっと力が抜けてふらつき、近衛の仲間に支えられた。


「魔導士たちはいつまでいるのですか?」


 思い出したように他の近衛が尋ねた。


「あの人が良しと言うまでです。

 …不満はわかります、私とて我が民を傷つけた魔導士たちをどうにかしてやりたい気持ちはありますとも。

 けれど、今私たちは国の、私たちそのものの存続の危機。些事にこだわっている場合ではないのです」


 しゃらりと音を立ててオフィエアスは椅子を立った。


「怒りはいずれ私が引き受けましょう」


 凛と答えたオフィエアスに近衛たちは一斉に膝を突いた。


 



 ――― ラングはアクアエリスと、もともとこの場を治めていた【あの子】と会っていた。場所はあの水の通路の先だ。


 水の特質なのか優しそうな面差しの精霊は、少し気の弱い青年に見えた。

 この場所のとりまとめでもある青年の周りにはふわふわと様々な精霊が漂っている。


「初めまして、お手間をおかけしております」


 深々と頭を下げて水に濡れた髪がさらりと落ちる不思議な光景。

 ラングは肩を竦めた。


「構わん。ここがどうにかなってしまえば弟の行く先に影響があると聞いた」

「あぁーそうですね、確かに」


 ほんわかと応えて青年はぬるりと体を起こした。


「覇気がない、なんだこいつは」

「ひぇ、怖いヒトだなぁ」


 ラングがアクアエリスに問えば青年はぱしゃりと水音を立てながら後ずさった。


「本人やる気がなく見えるのがかっこいいと思っているのですよ」

「精霊にも思春期というものがあるのか」

「長い思春期です」

「やめてくださいやめてください! やっと元気になってきたところなんですから! はい! はい! もうシャンとします! はい!」


 青年は慌てて背筋を伸ばし、濡れた髪を片側に流して整えた。その髪はアクアエリスよりも深い青で、ラングが月を見上げていた湖の底を思わせた。

 なるほどこいつがそうなのだろう、とようやく納得がいく。

 

「いろいろ骨を折っていただいていると伺っています、感謝を」

「先ほども言ったがこちらも私欲が入っている。命を救われた返礼にしていることだ」

「それでもです。人に上手く声が届かなくて、諦めていたので…今こうして貴方に通じていることが、まず嬉しい」


 ありがとうございます、と改めて礼を言われラングはあぁ、と返した。


「本題は昨晩のことですね?」

「そうだ」

「では、みんなに聞いてみましょう」


 青年は両手を広げた。


「懐かしき友よ新たな友よ、我が声に応え集え。祖より賜りし我が名はヴァッサー」


 ぴち、ぴち、と魚が跳ねるような音がして、青年、ヴァッサーの周りに様々な色が浮かんだ。


「ご質問をどうぞ、我が隣人よ」


 頼りなげな顔はそのままに、ヴァッサーはラングへ微笑んだ。



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