第36話 二人の悪魔による調査2 <ラング・アルside>
「お取込み中?」
木版をランプで覗き込んでいた男女にアルが揶揄う声をかけた。
ウィゴールと共に精霊へ聞き込みをしていたら遅くなってしまったが、目的の人物はまだ起きていた。
シールドで表情こそ見えないが、何を言っていると言いたげな空気にアルは笑う。
「ラング、そっちの進捗は?」
「なかなかえげつないぞ」
「マジか」
図書室の中の死屍累々の神官を踏まないようにしつつ、ランプの傍へ行く。
明かりに照らされて疲れた顔をしているオフィエアスと再び木版に視線を戻したラングを交互に見る。ツェルテは机に溶けていた。
「ちょっと休まないか?」
とんとん、と自分の胸を叩いてアルが言う。
ラングは少しだけ顎を撫でた後、そうだな、と頷いた。
「私があれほど休みましょうと言っても聞かないというのに…」
オフィエアスの淑女の仮面はどこに行ったのか、ぎり、と隠しもせずに唇を噛んだことに驚く。
アルは苦笑を浮かべ、両手を上げた。
「ラングに相談したいことがある、って伝わっただけだ」
「相談ですか?それはエルキスの未来に関わることでしょうか」
言いながら巫女の顔をするオフィエアスにも驚いた。
母に言われたことがある。
女は百の表情と百の立ち居振る舞いを身につけられる。騙されるなよ。と。
実際それであんたの父親を捕まえたのよ、と惚気られたことまで思い出して頭を振った。
「どうだろうな、まだ気づいたことがあるってだけで、俺もまとまってない」
「私の方もいくつか気になった点がある」
「では私も参加させてください」
ずい、と自身の胸に手を当てアピールをするオフィエアスにアルは苦笑し、ラングはため息を吐いた。
「男部屋に女を連れ込めというのか」
「さすがに俺も肩の力抜きたい」
軽蔑するような声色のラングと、まだ穏やかにお断りするアルにオフィエアスは流石に慌てた。
「そのような破廉恥なこと! 誤解しないでください! 私はただ、エルキスの未来に関わることであればこの眼で耳でしっかりと聞いておかねばと!」
「はいはい、わかったわかった、とにかく今日はここまで! いいな?」
「構わん」
じゃ、そういうことで、とアルは伸びをしながら図書室を出ていく。
「ここで倒れている者たちを休ませろ。お前も休め」
「わかりました」
ラングが言いつければオフィエアスは渋々頷いた。それを見届け借り物のランプをテーブルに置き、ラングは図書室を出て行く。
あの、と声がかかったので振り返る。
「おやすみなさいませ」
「あぁ、おやすみ」
頷き応え、ラングはマントを翻して扉の外へ消えた。
廊下は細い月明りのみで照らされていて、アルは大きくあくびをしている。
ラングは手持ちのランタンを出して明かりを点け足元を照らした。
「ありがと。ところで…懐かれたみたいだな?」
それがオフィエアスのことだと思い至るまで少しだけ時間がかかった。
「
「そうですかい」
「そちらはどうだった」
「長くなる。なんか食べながら話さないか?腹減ってんだ」
「良いだろう」
あれから宛がわれた部屋へ入り、ラングは空間収納からすぐに食べられるものを取り出した。
パンとハム、三脚コンロにくず魔石を入れポットを乗せる。
アルはパンにハムを挟んでかぶりつき、はぁーと息を吐いた。
テーブルに置いてあった水差しからとりあえずコップに注ぎ、一気に飲み干す。
「なんか、何かおかしいんだよ」
一頻り口の中に突っ込んだ物が無くなってからアルが呟いた。
「精霊を信仰する国なのに精霊の言葉を誰も把握していなくて、なんとなく
ポットを退けて火種をもらい、部屋に置かれている蜜蝋に火を入れる。
ぽわ、と部屋が明るくなり、アルの顔も良く見えるようになる。何かを探るように瞳が揺らめいた。
「何かがおかしい」
言い、アルはパンに視線を落とす。
ラングも同じようにハムサンドを作り、かぶりつく。
沸きかけのぬるい湯をポットからコップに淹れ、ごくごくと飲んで流した。
ぷは、と息を吐いてラングはシールドの中に手を入れ、おそらく眉間を揉んだ。
「引き受けなければよかったと、正直思っている」
「お、おぅ」
「お前の言う通り、この国はおかしい」
はっきりと言い、ラングは姿勢を正した。
空間収納から紙を取り出し、メモを見せて来る。
それがラングの故郷の文字で書かれていたのでアルは首を傾げた。
「読めない」
「読ませないために故郷の文字で書いた」
「なるほど、それで?」
「エルキスはここ三代分しか記録が残っていない」
「三代? えーっと、ていうと、オフィエアス、その先代、生贄を最初にやった先々代?」
「そうだ」
メモを決まった順に並べ直し、ラングは一枚ずつランタンの明かりで照らした。
「一番近いところからだ。オフィエアスが
「文字、なんて書いてあるんだ?」
ラングはメモを指差し、祝詞は変わったものが定着、精霊は使役するもの、贄は必須、魔力持ちの地位は落とす、などの決まっていることを読み上げる。
「うん、俺が聞いたのとだいたい一緒だな」
「次に先代、ここで大きく変わり、その変わったことが決定事項として今の基本になっている」
儀式の度に祝詞の内容を変えたこと。
贄の選別に時間をかけたこと。
精霊の加護が薄れたことへの焦燥、不利益。
贄の質と数によって加護を得、使役できるだろうこと。
「うーん…手探りなのは、わかった」
「そして先々代」
ラングが紙を並べた。
だが、そこに書かれたものは今までよりも少ない。
「なんて書いてあるんだ?」
「巫女の突然死、それから、神殿で大火事があったようだ」
短い文字を撫でる。
形の良い爪が紙にめり込み、ぐしゃりと音を立てた。
「死者の記録を見せてもらいたかったが、そこは頭が回らなかったようだ」
「なんで死者の記録なんて」
「口伝が何一つ残っていない」
言われ、アルはハっとした。
「どの国にも、どの町にも村にも一つはあるだろう。言い伝えや風習、口伝が」
「言われてみればそうだな。それがあれば精霊との関係性とか、そういうのはきちんと残っていたはずだ」
「三代前のここから、精霊に対してのスタンスが使役であると強調されている気がしてならない」
とん、とん、と机を叩くラングの指先から、シールドへ視線を移してアルは問うた。
「…誰かがわざと火を放って、誰かが在り方を変えようとした?」
「私はそう考えている」
「なるほど…。先々代から徐々に形が変わったのは、儀式とか神殿に関わる者が死んだからなのか」
「だろうな。見ていただけの民には巫女や神殿が何をしていたのか詳細がわからぬまま。ただ、やらねばならないことだという理解だけが残った結果だろう」
ラングは先代の紙を改めてアルへ寄せ、ランタンを近づけた。
「先代の時に時折名前の出てくる神官がいる。先々代から仕えていたそうだが、名をテリアという。神殿長を務め、いろいろと形を作った功労者だそうだ」
「一番疑わしいわけだ。こいつの家族は?」
「生涯独り身だったようだ」
「近親者もいないのか」
「あぁ、こいつの軌跡を追いたくて資料をひっくり返したのだがな」
「何もなし、か。怪しすぎるだろ、なんで気づかなかったんだ」
「指導者を失った羊は、先導する羊飼いの真意を確かめぬまま従うものだ。それに、民の中に少し敏い者があれば殺されていてもおかしくはない」
アルは難しい顔でしばらく考え込み、それから頭を掻いた。
「ウィゴールの力を借りて、この場所に残ってる精霊から話を聞いたんだ。中にはアクアエリスとウィゴールの呼びかけで戻ってきてくれた古いやつもいた」
「あぁ」
「何があったのか覚えてる限り、近いところから話を聞いたんだけどな。火事の話は出なかった」
これにはラングが小さくハッと息を吸った。
「魔導士か」
「あぁ、だと思う」
今でこそある程度魔力や魔導士を知っているエルキスの民だが、過去はどうだっただろうか。
ツカサのように強い魔力を持っていて、かつ、精霊と性質が似通らない者は精霊には見え難く、聞こえ難いという。
「火も精霊がいたな? そちらからはなんと」
「ここは水が強いからよく知らないと言っていた。これは確実かもな」
魔力の炎で燃やされた神殿と巫女、神官たち。
これは大量虐殺を経て物事が歪んだ結果だった。
「では、何のためにそうしたか、だな。あまりに時間が掛かりすぎている」
うーん、とアルが腕を組む。
「逆にさ、時間が掛かってもいいからそうしたかった理由、を考えてみるのもいいんじゃないか?」
「妙案だな」
しばらく沈黙が続いた。
ラングは食事の続きを、アルは沸いたお湯をコップに入れ、ハーブティーにして飲んだ。
十五分もしたところで食事を終え、ラングが言った。
「ここは
「うん? あぁ、へそ…つまり大事なんだよな、確か」
「時間が掛かっても良いから精霊離れを起こさせ、魔導士たちに攻めさせる。…まるで長い神の計画のようだな」
「…マルキェス」
「なに?」
「マルキェスに会いに行こう、今すぐ!」
がたりと立ち上がったアルの剣幕に、ラングは仔細を問わずに頷いた。
バンッ、と扉を開けて駆け出ていき、自身たちがしばらく過ごしていた地下牢を目指す。
今はきちんと火が入れられ明かりが灯され、寝具やテーブルも設置されているはずだ。
地下牢に入れられてから一度も面会をしていなかった。
ラングとアルが駆けてくれば見張りは一礼を返すが構っている余裕はなかった。
階段を何段飛ばしで降りているかわからないが、たーんたーんと降りる足音が響く。
二人が入れられていた牢から明かりが漏れていて、アルはがしゃりと鉄格子を掴んだ。
「やっぱりだ!」
アルが鉄格子を殴る。
明かりだけが残ったその地下牢は、誰もいなかった。
「アクアエリス! ウィゴール! マルキェスを探せ!」
「いない」
水の代わりに姿を現したウィゴールが凍った表情で言う。
精霊に顔色があるのを初めて知った。その顔は青ざめていて、ぶるぶると震えていた。
「見つけられない。魔力が強いか、それとも」
ウィゴールはぎゅっと唇を噛み、姿を消してしまった。
「もっと早く顔を見に来るべきだったな」
ラングは空っぽになった地下牢に一瞥をくれた。
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