第34話 悪魔の手腕 <ラング・アルside>
「俺やっぱりやだよ!」
盛大に駄々を捏ねたのはアルだ。
あれから三日、ラングはさくさくと舞台を整えてしまった。
魔導士たちには悪魔について知りたくないか、敵の弱点を知りたくないかと炊きつけ学び舎に参加させ、エルキスの民にははっきりと精霊のことを学べと言いつけた。
エルキスの民は
だが、まさかエルキスの民と魔導士を同じ部屋に突っ込むとは思いもしなかった。
短気を起こそうという者があれば、どちらにも突風が吹いたり水が飛んできたりした。目に見えぬものの恐怖と、精霊をある程度知るからこその恐怖で今はどうにか保たれている状況だ。
そこを任せたと言われたアルが駄々を捏ねたわけだ。
「任せたじゃないんだよ、俺は人に物を教えられるほどの知識はないんだぞ!?」
「何を言う。ここにいる誰よりも精霊との付き合い方を知っているだろうが」
「ウィゴールが気まぐれに気に入ってくれてるからだってば!」
「何も答えを言う必要はない」
「あぁぁもう! ちゃんと説明してくれ!」
講堂まで聞こえる声量でわんわん騒がれ、ラングは肩を竦めた。最近この動作ばかりだ。
「お前が気を付けていることや、スカイでは精霊についてどう言われているのか。そういうことを話せばいい」
ラングがそう言えば、アルは何度か地団太を踏んだ後、恨めしそうな顔を向けて講堂に入って行った。
「あーもうヤケクソ、アルだ、よろしく」
円形に、下に向かってすぼまっていくすり鉢状の講堂。真ん中に歩み出て一身に視線を浴びることの居心地の悪さに深呼吸をして、アルは席をぐるりと見渡した。
「俺は魔力持ちだ。でも精霊と友達になっている」
「裏切ったか!」
「穢れし者がなぜ!」
ざわざわと講堂の中は二分している。だが敵はアルに定まったようだ。
「あのな、俺はスカイの出身だ。スカイじゃ精霊はすごく身近なものなんだ」
悪魔の国だ、と言ったのは誰だったのか。
がりがりと頭を掻いてアルは知ることかと言葉を連ねた。
「聞くまで何度も話すからな、理解するまでその席立てないと思えよ。俺が習った精霊って言うのは…」
元々声の大きいアルだ。
ざわざわとした中でもある程度音が通り、抗議を続ける声よりも徐々に強くなっていく。
ウィゴールが風に乗せて声を広げているからだというのはすぐにわかった。
ラングは講堂の外でしばらく様子を見てから踵を返した。
「どちらへ?」
声を掛けて来たのは
「資料や歴史をまとめているものを見たい、どこにある」
「それは図書室に。何を見るのですか?」
「この国がどこから狂ったのかを調べる」
ラングを案内するオフィエアスの背にそう言えば、ラングの後ろから殺気が放たれる。
「エルキスが狂っただと、言い方には気を付けるのだな」
付き添いのツェルテが絞り出すように言う。
怒りのあまり歯を食い縛って声を発しているのだ。
それを相手にせずラングは質問を重ねた。
「先代、先々代より前と何が違うのか調べたりはしたのか」
「えぇ、しました。祝詞の言葉を変えたということだけはわかったのですが…それ以上は」
「祝詞が変わった、か」
そよそよとそよぐ風にふと足を止める。
晴れた空に木々の緑、初夏を纏った風の暖かさに少しだけ目を細めた。
「どうした」
ツェルテは突然立ち止まったラングに怪訝そうな声をかけ、少しだけ後ろから覗きこんだ。
「いや」
それ以上の言葉を言わずにラングはオフィエアスの先導で図書室へ辿り着いた。
ジェキアで見たような書物ではなく、木の板に書かれた物がほとんどだった。
紙というものがあまりにも少ない。
加えて木版に書かれた文字も特殊だ。公用語ではないのでこれは調査に時間がかかりそうだった。
「ツカサが居ればな」
思わず呟いてしまい、ラングは唇を結んだ。
「ツカサ、とは?」
聞こえていたらしく隣でオフィエアスが言葉を拾った。
「弟だ。言語に強くいつも頼っていた」
「今はどちらに?」
「さぁな、国境都市のキフェルについているとは思うが。先に進んでいるならどこだろうな…。そうだ、ここには冒険者ギルドはあるのか?」
「あの野蛮な組織ですか? ありませんそんなもの」
ふい、と不機嫌にそっぽを向いたオフィエアスの首をラングが掴んだ。
軽々と持ち上げられ、オフィエアスは苦しさにもがきラングの腕に爪を立てた。
「お前はその野蛮な冒険者に救われたということを忘れるな」
「
ツェルテが剣を抜いて襲い掛かって来る方へそのままオフィエアスを向ける。
歯噛みして足を止め、ツェルテは剣を仕舞った。
それを確認しラングはオフィエアスを放り、慌ててツェルテが受け止めた。
「自分の国が至上と思うのは構わん。だが、相手に敬意を払えない者が敬意を払ってもらえるとは思うな」
げほげほと咽込むオフィエアスにそれ以上視線をやらず、ラングは木版をいくつか手に取って中身を確認する。
学んだ文字に造形文字が混ざっているような、不思議な書かれ方をしている。規則性は感じるがもう少しヒントが欲しい。
「これを声に出して読んでくれ」
「貴様! まずは詫びが先だろう!」
ツェルテが叫ぶが、ラングは木版を差し出して応えた。
「そう長くここに滞在する気はない」
「それが詫びとどう係わる!?」
「限られた期間でお前たちが変わらなければ、精霊は場所を移すだけだと言った」
は、とツェルテが目を見開く。
「本来、私がこうして時間を割く必要もない。私が行動をするのはお前たちの為ではないんだぞ」
咽込んでいたオフィエアスも喉を抑えながらラングを見上げた。
「お前たちに後がないのだとわかったのなら、すぐに動け」
ラングは机に木版を置き、他のものもガラガラとその腕に抱えていく。
オフィエアスは苦しさに涙ぐんだ目元を拭い、震える手で木版を取り、掠れた声で読み始めた。
「…記録、春の月七日、
その作業は深夜まで続き、オフィエアスの喉が枯れたらツェルテが代わり、ツェルテが枯れればオフィエアスが代わった。
ラングは時折文字を指差し繰り返すことを要求し、オフィエアスとツェルテはとにかくそれに従った。
眠くなって瞼が落ちそうになれば肩を叩いて起こされ、ツェルテが代わりの人を呼ぶと言ってもラングは二人を逃がさなかった。
ようやく解放されたのは日が昇って朝食を尋ねられた頃だった。
疲労困憊でもしょりもしょりと食事を摂るオフィエアスに神官たちは心配し、オフィエアスに代わり読み上げる役を引き受けた。
だがラングは横になっていても良いからとオフィエアスを同席させた。
「私のやることを横で見るのだろう? 誤れば命を懸けて止めるのだろう?」
ラングは自身が吐いた言葉の不言実行を強要し、オフィエアスは憎たらし気に歯を食いしばって立ち上がり、横に立った。
その姿は美しい巫女ではなく、ただの少しだけ意地っ張りな女だった。
ツェルテも神官も驚いたが、オフィエアスはラングに負けなかった。
それを十二日も続けていたらオフィエアスの態度が変わってきた。
「ですから、そこは【祈り】の文字です、何度言えば覚えるのですか」
「昨日は【捧ぐ】だと言っただろう」
「それはこちらの文字です、似てはいますが全く意味が違います」
「いいや、お前が間違っている。見ろ、私は書いている」
「説明不足なのは認めましょう、前後の文字と接続詞で意味合いと読みが変わるのです。ほら、少しだけここに
「使えない女だ」
「なんですって?」
ラングの一言に食って掛かり、オフィエアスは木版を持ってきては事例を並べ立てた。
ラングはその時はじっくりとメモを取り、文字の意味や文法をあっさりと習得していった。
探求心旺盛なラングの質問にオフィエアスは必死で応え、いつでも応えられるようにオフィエアスは過去の資料を読み漁った。
負けないように、バカにされないようにという気持ちが、いつからか困らせたくないという動機に代わっていったことは本人も気づかないまま。
図書室に入り浸る様になって十八日が過ぎた。
ラングは時折躓くがスムーズに木版が読めるようになり、そこから作業の方法が変わった。
記録ごとに並べ直し、読み直し、どうして変わったのかを調べることに着手し始めた。
オフィエアスにはその作業が何を意味するのかわからなかったが、数日を共に過ごして意味のない事はしない人だと理解したのでただ付き合った。
夜になりツェルテが居眠りをし、神官たちがお茶を取りに行っている間、オフィエアスはそっと声を掛けた。
「申し訳ありませんでした」
木版をランプで覗きこんでいたラングがその言葉に顔を上げる。
シールドで反射したランプの灯りは、それを透かすようなことはないが視線を感じた。
「冒険者のことを野蛮と言ったことも、精霊の言葉を軽んじて貴方や、貴方のお仲間の命を危険に晒したことを、改めてお詫びしたいのです」
手をすり合わせもじもじとしてしまい、オフィエアスはここ数日で荒れてしまった指先に視線を落とした。
「貴方の仰る通り、本当なら貴方たちが私どものために時間を使う必要はないのです。…ありがとうございます。私だけでは、私たちだけでは、きっと何もわからない」
いえ、今でも貴方が何をしようとしているのかわかってはいませんが、とオフィエアスは申し訳なさそうに続けた。
自分の爪先を揉んでいたら、ちゃり、と金具の揺れる音がした。
顔を上げればラングがオフィエアスへ体の正面を向けていて、ランプの灯りの角度でいまいち見えにくいが少しだけ微笑んで居るように見えた、気がした。
「怖がらせてすまなかった。
「あ…」
それは初めてラングがオフィエアスに見せた敬意だった。
敬意には敬意が返って来る。
まさしくそれを体現したラングに、オフィエアスはむず痒い笑みを浮かべた。
「
にっこりと美しい笑みを浮かべ、オフィエアスはラングを揶揄った。
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