第31話 精霊降ろし <ラング・アルside>



 精霊降ろしシェンリエテムの日が来た。


 マルキェスは当日に、少しだけ豪華な食事を持って挨拶を済ませに来た。

 聞けばそれはマルキェスの午餐に出されたものらしい。自由に出回れるのも、最後だからということでお目こぼしが続いているのだそうだ。少年一人、どうせ逃げられないと思われているのである。

 やはりなんとも言えない顔をしながら、ありがとう、とアルが受け取り、それはそのまま横に置かれた。


 ラングは沈黙を貫いてアルとマルキェスのやり取りを見守り、お茶だけは出した。

 マルキェスは最後だからかよく喋った。


 エルキスで魔力持ちが虐げられるようになったこと、その中でも一番魔力が強いものを贄にするために育てていること。

 そのためにわざわざ他国から魔力測定の魔道具を仕入れ、十歳の年になると測定されるようになったこと。それまでは温かい両親に抱かれていたのに、魔力値が高いとわかったらすぐさま捨てるように宮に差し出されたこと。

 諸々を笑顔で話すマルキェスに狂気を感じながら、アルはうん、うん、と頷いて話を聞いていた。

 

「ありがとうございました。少しでしたが色々お話を聞けて、できて楽しかったです」

「本当に贄になっていいのか?」

「そのために生きて来たのですから」


 ふんすと鼻を鳴らし、胸を張るマルキェスは少しだけ震えていた。

 アルは困ったような顔でマルキェスを撫でた。


「あの」


 少しだけ口をもごつかせてマルキェスは言葉を選び、二人を見上げた。


「鍵を開けておいたのに、なんで逃げなかったんですか?」


 アルはラングを見遣り、ラングはそちらを向かなかった。

 肩を竦めてアルはマルキェスを振り返った。


「いざとなればどうとでもなるから」


思わぬことを言われたのだろう。マルキェスは目を瞬かせたあと、楽しそうに笑った。


「それは、すごいですね、この地下牢を見ればなんだかわかります」


笑った声が徐々に収まり、最後に小さく息を吐いてマルキェスは改めて二人を見上げた。


「ありがとうございました」


 もう一度頭を下げて、マルキェスは子供らしい足音を立てて地下牢を出て行った。

 やはり鍵は開いたままだ。

 足音が完全に聞こえなくなってからアルは腕を組んだ。


「マルキェスは連れて逃げて欲しかったのかな」

「だろうな」


 そうでなくては子供が何度も、苦労をしてまで食事や水を持ってこないだろう。

 近衛の銀髪の男がどう考えているか、巫女様エルティアがどう考えているかは置いておいて、数人はマルキェスがちゃっかり逃げるのを見過ごすつもりでいたのだろうか。地下牢に見張りがいなかったのもそのためかもしれない。

 意に反してラングとアルは残り続けたので、これが最後のチャンスだった。

 

「あいつを連れて逃げたところで、別の者が贄にされるだけだ」

「やめようって声が上がらないのはなんでだろうな?」

「宗教とはそういうものだ」


 すぱりと言って捨てたラングにアルは肩を竦めた。


「それで? 、今日はどうするんだ?」


 アルは腕を解いて体をほぐしながら尋ねた。


「そうだな、精霊降ろしシェンリエテムとやらの見学くらいはしてやろう」


 ラングは地下牢に広げた部屋を空間収納にしまい、双剣を吊る下げた。

 

「楽しい見学会になるといいな」


 アルが笑えば、次はラングが肩を竦めて返した。

 



 ―――― 夜、満月が湖に浮かんでいた。


 今夜は快晴、精霊降ろしシェンリエテム日和と言える。

 巫女エルティアであるオフィエアスは輿の中で人知れず緊張の息を吐いた。


 先々代から理の加護は薄れ、気まぐれな精霊の加護を受けた者たちが船を動かし、交易をどうにかこなしていた。

 けれど巫女エルティアが得る力が無ければ大きな水害に抗うことは出来ない。

 昨今、エルキスは少しずつ国力を落としていた。

 中立国家、独特の宗教国家であればこそ、今まで他国より不可侵を勝ち得ていた。その背景には精霊石の貢献もある。


 病を治し、傷を癒す精霊石は神秘の石として各国の王が求めてやまない代物だ。


 それが先々代頃から数が減り、代わりに魔導士が増えたことでその価値も下がり始めていた。

 先代がどうにか力を得て多少は取り戻したものの、エルキス独自の力を手中に収めたい他国から再三ちょっかいを出されていた。

 高い山々を防壁としているエルキスは直接攻められることもなく、危うい時こそ水の精霊が脅かし、追い返していた。

 小さな国土ではあるが肥沃、恵まれた土地を欲しがる国家は多い。


 今代でエルキスを奪われるわけにはいかない。

 その焦燥は残酷な決断を容易にさせた。

 本来なら守らねばならない、民を殺すという決断を。


「大を守るために小を捨てねばならぬのだ」


 巫女エルティア・オフィエアスは強く拳を握りしめた。


巫女様エルティア神の水鏡トゥネオルタェです」


 近衛のツェルテが声をかけてくる。

 背を伸ばし、はい、と応えれば輿の御簾があげられる。



 春も過ぎたというのに、凍えるような月の冷たさだ。


 

 オフィエアスはぐっと胸を張り月に対峙するように顎を上げた。

 しゃらりと音を立てた装身具の、その重さを悟られぬように一歩、また一歩と厳かに歩を進める。

 飾られた桟橋を進めば祭壇がある。

 曲線を描いた像は水の柔らかさを示し、その前の台座には今回の贄であるマルキェスが横たわっている。


 睡眠薬は効いてくれているだろうか。

 祭壇に寝かされているマルキェスの意識がないことを祈った。


 歩く度にしゃんしゃんと音を立てていた神具はオフィエアスが祭壇に辿り着くとその鳴りを潜めた。しんとして空気が張り詰める。オフィエアスは静かに大きく息を吸った。


ことわりの諸人よ、我が声を聴け、我が声に応えよ。盟約に従い我らが糧に力を使え、疾く現れよ、疾く応えよ。我汝を使役する者なり」


 決まっている歌を唱える。


 神の水鏡トゥネオルタェに響く声はやがて消えていく、息の詰まる静けさだけが残る。

 微かに人のざわめきが起こる。


「やはりだめなのか」

「もう精霊は我らを見放したのか」

「贄が良くないのか」

「まだ生きているからなのか」


 オフィエアスは赤く紅が塗られた唇を噛んだ。

 

 ―― 精霊が言いつけたことを守らなかったからなのか。


 加護を受けているかは確認をしていない、だが、もしそうであれば死んでしまえと思っていた。

 冒険者だったらしく外界で聞くマジックアイテムわるいものにより生き延びていると報告を受け、許されざる事態だと思っていた。

 ツェルテも同意し、だからこそ水も食料もいずれ尽きると放置した。

 マルキェスが何か声をかけて来ていたが、それも無視をした。

 

 ―― 文献で確認した過去の文言と違うからなのか。


 先々代、先代が苦労したことが何故なのか、調べなかったわけではない。

 先々代から唱える歌が様変わりし、先々代より以前が紛失されていた。神事にまつわることだ、管理が杜撰なはずもないのだが、何故かなにも無かった。

 ただ、変わったことだけは明記されていたので間違いない。


 古きを知る者ももういない。


 オフィエアスは焦燥に駆られ神の水鏡トゥネオルタェを見遣った。


「疾く応えよ!」


 怒声にも近い声を上げれば、人々のざわめきは消えた。

 精霊は現れない。


「何故だ」


 オフィエアスの呟きは祭壇で眠るマルキェスの笑いを誘った。


「ふふ、何故でしょうね」


 ぱちりと目を開けたマルキェスにオフィエアスはびくりと肩を上げ、一歩退いた。


「眠っておらなんだか」

「こんな面白いものを眠ってなんかいられますか」


 むくりと体を起こしたマルキェスに再びざわめきが広がる。


「精霊なんてもういない、加護なんてもうない!この国はなくなってしまえばいいんだ!」


 嬉々とした表情でマルキェスは両手を空へ上げた。


 贄に意識があれば湖に落とすだけでは済まない。

 近衛が槍を剣を手に祭壇に詰めかける。


「殺すなら殺せばいい、だけどもう手遅れだよ!」


 マルキェスは恍惚とした表情で武器を持つ近衛を眺めた。


 一瞬の戸惑いを見せた近衛へあらぬ方向から火の塊が飛んできて、その肌を焼いた。

 悲鳴が上がり神の水鏡トゥネオルタェへ飛び込んでいく。じゅ、と音はしたが肌を焼いた臭いが残る。

 オフィエアスはその臭いに我に返り、叫んだ。


「何事だ!」

「敵襲です!」

「いったい誰が!」


 エルキスの、それも神聖視される場所での襲撃。民の動揺は大きい。


「落ち着き周囲を見よ! 盾を構えよ!」

「構えたところで無駄だ邪教徒め!」


 オフィエアスの声に被せるように男の声が響いた。


 森の木々の隙間から姿を現したのはとんがり帽子を被り、ローブに身を包んだ者たち。

 見慣れぬその装束はオフィエアスでも知っていた。


「魔の者たちか! ここをどこと心得る!」

「魔の者と言うか、穢れし者どもよ! 我らが同志を殺さんとするその行動こそ、悪魔の所業!」


 ざ、と音がしそうなほど整った隊列でたちが杖を構えた。


魔法の女神マナリテルの名の下に、粛清を行う!」


 月夜の晩に神の水鏡トゥネオルタェに浮かんだ大きな火球は祭壇も民もすべてを焼き尽くす大きさだった。

 ツェルテが近衛を指揮してオフィエアスを守るために盾陣を組んだが、それすら破るだろうことが伺える。


 あまりに突然の出来事にオフィエアスは理不尽を感じざるを得なかった。


「何故だ理よ、我らが何をしたというのか!」


「消え去れ邪教徒ども!」


 一方的にぶつけられた暴力。

 オフィエアスは近衛を湖に落として守ろうとした。

 だが鍛えた近衛はオフィエアスの力をものともせず、逆に内側へ押し込まれる。


「あぁ! 理よ! せめて民を守っておくれ!」


 切実な声が迫りくる炎の燃える音に搔き消されていく。


 ご、と音がしたのは近くからだった。

 水がせり上がり炎を包み込み、じゅわぁ、と相殺し蒸気へ変えた。


「これは想定外の出来事だな」


 水の上を悠々と歩き深緑のマントを月夜に揺らして、死ねと願った者がオフィエアスとその民たちの前に立った。


「アクアエリス、聞きたいことがある」

「はい、なんですか?」


 男の問いに美しいヒトが現れる。

 ゆらゆらと水面を映すその髪や、さざ波のように寄せては返すその衣が、人ならざるものであると理解させた。

 ひと月前、水そのもので現れたものとは違い、神聖みを感じて思わず膝を突いた。


「あの魔導士たち、ここを攻めるようだが影響は?」

「大変大きいですね。ここを魔力で染められてしまえばバランスが崩れます」

「どこまで影響する?」

「大陸のほとんどは。様々なものが変わります。ダンジョンも含めて」

「ふむ、それは困るな」


 男は対岸で叫んでいる魔導士を見遣ったまま、軽く顎を撫でた。


「ツカサが行く道に不具合が生じるか。…一応、ヴァロキアにはもいるしな」


「一応なんて言うなよ」


 ぶわりと風が吹いて、死にかけていたはずの黒髪の男が隣に降り立つ。

 水は踏めないらしく、待って落とさないで、と何かに懇願している。


「致し方ない、加勢するか」


 すらりと抜いた双剣は月光を浴びて青白く輝き、死神を彷彿とさせた。


「さて問おう、お前は何を差し出せる?」


 男が肩越しにオフィエアスを振り返り、問うた。


「なん、だと?」

「私は冒険者ギルドラーだ、報酬次第では働いてやらんこともない」


 その言葉を理解するのに僅かに時間がかかった。


「我らが差し出せるものならなんでもやろう!」

「その言葉忘れるな」


 男は仮面をぎゅっと下に下げ、通る声で言った。


「これより冒険者ギルドラー・ラングがエルキスに加勢する」


 そのあとに快活な声が続いた。


「同じく俺も加勢する!」



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