第30話 人と精霊 <ラング・アルside>



 エルキスは精霊と共にある国だ。


 それは建国の時、かつての祖がこの地に辿り着いて精霊から加護をもらい、愛されたことから始まったという。

 それから人は精霊と語らいながら繁栄をし、国を興した。

 不思議と病になる者もおらず、体調を崩しても精霊石と呼ばれる石があれば困らなかった。今は神の水鏡トゥネオルタェと呼ばれるその水底から拾った石は治癒の加護を持ちながら、かつ、綺麗な宝石のように輝いて価値を成した。

 運河を利用しての交易で必要なものだけを仕入れる。

 自然の恵みに感謝しながら毎日を送る。


 たったそれだけの幸福で満たされていたのはいつまでだろうか。


 いつからか精霊との語らいは減り、そこに在るものを見なくなった。

 それを少しだけ寂しいと思いながら精霊は、在って当然という理解の下、加護を与え続けた。

 やがて人の意識は変わり、精霊に力を借りるのではなく操る、従えるという心になった。

 精霊の瞬きの間に代わる世代、もはやいつから裏切られているのかわからなかった。


 ただ、時折現れる、精霊に寄り添ってくれる人が居ればこそ、今までもっていたのだ。


 私はもう、どうすればいいのかわかりません。


 目の前で泣く眷属を慰めながら、アクアエリスは体が沸騰するような怒りを確かに感じた。

 優しい気質の子だからこそ、神の水鏡トゥネオルタェは清らかで、スヴェトロニアでの重要地点を任せることが出来ていた。

 けれど人を愛しすぎた。悪いことではないが、今はデメリットでしかない。


 アクアエリスは穏やかな本拠地オルト・リヴィアにその子を連れていき、神の水鏡トゥネオルタェにて人と対峙した。


「精霊の声を聴きなさい、聞きなさい。私たちは命あるもの、物ではない」

神の水鏡トゥネオルタェの精霊だ! おお、加護を授けよ! 今宵は船の漕ぎ手に加護を!」

「お前たちの気持ちがあればこそ、私たちは寄り添えるのです」

「気持ちなら差し出した、さぁ、疾く応えるが良い!」


 騒ぎ立てる人の足元に転がる、命を失った塊。

 アクアエリスは悲愴な思いに強く瞑目した。

 精霊とて涙は流れる。けれど、ここで泣きたくないと思う気持ちがただ月を仰がせた。


「精霊よ、どうした、疾くわらわの言うことを聞かぬか!」


 アクアエリスは強く瞑目して、水に還った。




 ――― 世界がある限り存在する精霊にしてみれば、昨日のような出来事だ。

 

 アクアエリスは怒りに体が熱くなるのを感じた。


「落ち着け」


 隣からかかった声に、ふ、と熱を収める。月明りをこの場所で見上げ、ふとを思い出して波立った心が、諭すような声に凪を取り戻した。

 アクアエリスは小さく微笑んでラングを見遣った。


「帰りは…実践で行きましょうか。バレないようにまで戻ってください。いざとなれば手助けはしましょう」

「それは構わんが、大丈夫か」

「えぇ、もちろん。八つ当たりに付き合ってもらってすみませんね」

「まだやるとは言っていないがな」

「ふふ、それもそうですね」


 ゆったりと立ち上がり、アクアエリスはまた月を見上げた。


「あの時も、こんな月の光でした」


 それ以上のことは言わずに霧になって還ったアクアエリスに、ラングは黙って風に攫われて消えていくそれを眺めていた。


 精霊と人のことを正しく理解できているかと言われれば、わからない。

 ただ、自分の命をその手で救われていることは事実。


 大きな借りがあるものだ、とラングは心の中で独り言ちた。


 ラングは改めて湖に入り、すぅ、と大きく息を吸って水に潜った。

 水よ、息をくれないか。と頼めばアクアエリスが作ってくれたような泡の塊が顔を覆う。水を掻き泳げばヒレを得た魚のようにスイスイと進むことが出来る。水の抵抗というものが無いように感じた。

 水脈を通り神の水鏡トゥネオルタェへ戻る。月光が降り注ぐ澄んだ湖が美しくて、ラングはまたしばらく、水面を見上げていた。

 追加、と声が聞こえた気がして振り返るが誰もいない。ただ、吸って吐いて減っていた泡がまた元に戻っていた。

 ふ、と息が漏れたのを自分で感じた。思ったよりも長い間見上げていたのだろう、気持ちに寄り添うように精霊が時間をくれたことに、素直に感謝を抱いた。

 恐らく、エルキスはこの気持ちを失ったのだとラングは思った。

 ラングは再び水を掻いて上を目指し、水の中から見張りを探る。

 遠いところでばしゃりと音が立つようにして、衛兵がそちらを見ている間に水を出た。

 マントを濡らしていた水はするりと湖に消え、不思議なもので体は乾いている。


 あとは早かった。


 水音を立てて目を掻い潜り地下牢へ。地下牢の見張りが皆無なのは笑ってしまう。


 悠々と階段を降りて戻ればアルが難しい顔をして考え込んでいた。


「ただいま」

「おかえり、ってこんな地下牢で言うのもおかしいけどな」

「どうした」

「あー、ウィゴールから聞いたんだ。二日後に例の儀式をもう一度やるって。俺たち一か月もここにいるってことなんだよな」

「そうだな」


 ラングはポットに水を入れてお茶を淹れ始めた。


「それで、力には慣れた?」

「お陰様でな」


 コップにハーブティーを淹れお湯が沸くのを待ちながら話す。

 窓もない地下牢でそよそよと風を感じる。ウィゴールの親切が残っているのだろう。

 

「俺たちどうなるんだろうな」

「アクアエリスから代弁者になれと言われた」

「代弁者? なんの?」


 アルはお湯を注いだコップを渡され、ありがと、と受け取りながらも首を傾げた。


「二日後の儀式で精霊の力を見せろと」

「もう少し補足してくれ」


 逆側に首を傾げたアルに、ラングは肩を竦めた。

 それから、湖の先で言われたことを繰り返した。

 アルはまた難しい顔をして腕を組み、たまに解いてはハーブティーを啜った。

 ラングもまた言葉を発さずにハーブティーを飲み、喉を潤した。


「俺はさ」


 ぽつ、とアルが声を落とした。


「小さいころから、精霊が見てるぞ悪いことをするな、とか。感謝を忘れるな、とか言われてたわけだよ」

「あぁ」

「冒険者になって世界を見て回るぞってなったとき、こう、風の向くままって言うのかな。あ、この風の吹く方に行ってみよう、って思うこともあって」

「あぁ」

「その先で見つけた景色に、あぁ、ありがとう、って思うこともあったんだ。もちろん、そっちに行く選択をしたのは俺だから、小さなきっかけをくれたって意味でありがとう、なんだけど」

「あぁ」

「今なら精霊が求めるのは、そういうことでいいんじゃないかって思える」


 アルは確信を持ってそう言った。


「不思議なものだな、今なら私もそれが少しはわかる」


 水の中から見上げた美しい景色。

 それはほんの少し精霊の助力があって見続けることができる景色だった。

 アルはアルで、本能かそれこそ性質が似ているのか、風に誘われて世界を見てきた。

 

 そんな小さな関りから、力を借り、互いに少しだけ笑えるような関係性がきっと良いのだ。


 ラングは自分の中で精霊というものを理解した気がした。

 アルはにこりと笑ってハーブティーを飲み干し、毛皮布団に横になった。


「まぁ、あとは子供が死ぬのは気分良くないし」


 そう言ってアルは明かりに背を向けた。

 ラングは返事をせずに自身も毛皮布団に横になった。


 ふわりと暖かい風が髪を撫ぜたのが、何故かとても悲しく感じた。

 

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