第29話 理 <ラング・アルside>
ラングは首を傾げた。
「それになることで何がある」
「はいはい、説明しますね」
すっかりやり取りを掴んだらしいアクアエリスは笑みを浮かべて説明を続けた。
「そもそも、手当せよと言ったはずなのに食事も水もなく放置されていることに、私は喧嘩を売られていると感じているんですよ。もういっそのこと全て綺麗に洗い流してしまってもいいかなと思うくらいには。ここが
アルはそっとウィゴールの背中に隠れようとしたが、ウィゴールの方が一歩早くアルの背中に隠れていた。
アクアエリスは深呼吸して座りなおした。ふわりと衣を揺らしながらの動作には品がある。
「
「風も呼んでいいぞ」
「大地は薬草や食べ物を教えてくれますし」
「あいつ人見知りだけどな」
「火は貴方の料理の幅を広げてくれると思いますよ」
「どうしたらなれる」
ラングの食いつきようにアルが天井を仰いだ。
「印をつけている時点で既に理使いと言って差し支えないのですが、貴方は精霊を認識していない世界から来ていますからね、少しだけ訓練しましょう」
にこりと微笑んでアクアエリスはアルを見た。
「貴方も、魔力持ちですが性質が理に好かれやすい。いざという時力を貸してもらえるように、並んで訓練なさい」
「お、おう!」
アルはラングの隣に並んで座った。ウィゴールはアルの隣に戻り、それからにっかりと笑った。
「ま、アルは俺の友達だから風は大丈夫だぞ」
「ありがとうウィゴール」
そうして突然始まった
風を感じろと言われ目を瞑らされたり、水を感じろと言われ水に手を浸けさせられた。
風がそよげば感じるし、水に手を浸していれば冷たさを感じられる。それは当然のことで改めて感じるにはもどかしいものだったが、理使いとしては大事なことなのだという。
「風の中にも水があり、水の中にも大地があり、大地の中にも炎があり、炎の中にも風がある。ぐるぐる回る円環を、在り方を、貴方の頭ではなく体で、本能で感じ取る必要があるのです」
さぁ、続けて。アクアエリスは容赦なくラングに
単純に水よ、風よと声をかければ良いのではない。
そこに
その点、アルは元の素養に救われウィゴールとの友情を早々に育んだ。
契約という観点では
そんなアルを傍目に、ラングはなかなかコツを掴めず時々首を傾げ、アクアエリスは微笑んだままじっと待ち続けた。
そんな日々がまた十日ほど続き、マルキェスは二日に一回の頻度で地下牢を訪ね、食材や水を持って来た。少年の腕に成人男性二人分の食材と水は重いだろう。それでも笑顔で届けてくれた。
外の状況は変わらず、もはやラングとアルのことはなかったことのように日常が回っているらしい。
姫巫女や近衛にそれを尋ねれば、近衛には振り払われ、姫巫女はマルキェスをいないものとして扱うのだという。
それが真実か嘘かをラングは疑い、アルは信じた。
だがお互いにそれを責めはしない。
どちらであってもお互いが別の警戒と信頼をしていればそれでいい。
さらに五日後、ようやくラングはコツを掴んだ。
一度地下牢の外に出ましょう、とアクアエリスに誘われ、夜に抜け出したことが切っ掛けだった。
巡回する兵を僅かに心配をしたが、そこはアクアエリスが上手だった。
大きな水音を立てて近衛がそちらを向いている間にラングを呼び、移動させた。
それはまるで使い方の一例を見せる順路のようであった。
水音を立て、跳ねさせて目を眩ませる。
水の中へ入り顔の周りに空気の膜を作り、呼吸が長くできるようにする。
水を足場にして高いところへ上り、水を利用し滑り降りる。
なるほど、これは相性が良い、とラングは思った。
それと同時に水の動きを感じ、肌がピリピリとするものを得た。
「やはり、貴方には実践のほうが早かったようですね」
アクアエリスは呆れたような微笑ましいような、なんとも言えない顔でラングにそう言った。
実際にアクアエリスの手を借りて水に触れれば、我儘な子供ような場所もあれば、素直に力を貸してくれる場所もあった。
理を感じるというのは難しいものだ。
「理の内であればこそ、私たちも命ですから。こうして話す私に人格があるように、理には全て命が、意思がある」
ラングが理解したことを感じ取って、アクアエリスが言う。
いつの間にか地下牢からは遠く、
神聖な湖、湖畔で松明を持つ衛兵がいるが、ラングはアクアエリスと共にするりと音もなく水の中に潜り込んだ。
月明りを反射する湖面のさざ波。
冷たい水の中を自由に
思わずほう、と息が漏れた。
しばらく湖面を見上げていたが、アクアエリスに行きますよと声を掛けられてそちらを向く。
水の中を
しばらくして空気のある場所に辿り着き、顔を出す。
広い場所だった。山が凹み、出来た窪みに草木が生い茂り、通ってきた場所がそのまま泉になっている。細い滝がさらさらと注ぎ込んでいて幻想的だ。
「美しい場所だ」
満月になろうかという月光が降り注ぎ、飛び交う蛍が落ちた星のようで、ラングは素直に感想を零した。
そしてここが特別な場所であるとも理解した。
「こちらへ」
アクアエリスに呼ばれ、ラングは促された倒木に腰掛ける。
倒木の横に大木が立っている。倒れはしたが、命は繋げられたのだろう。
「感じられるようになったなら、貴方にはこれから言うこともよくわかっていただけるはずです」
そうした前置きを置いてアクアエリスは月を見上げた。
「ここは、
「バランスという観点では、今ならよくわかる。ここは空気が体に馴染む気がする」
「理の強いところであれば、
「だが、命であり死神とは?」
ラングの問いにアクアエリスは月を見上げたまま小さく笑った。
「人が増えすぎれば理のバランスは崩れます。生きるためには理を侵さねばならないことも多いですから」
「…例えば?」
「一例を出せば、人は生きるために火が必要で、木々を薪にします。ですが伐りすぎは良くないのです。山が、森が蓄える水がなくなってしまう。本当に一例ですけれどね」
「ふむ、確かに火を得る手段は死活問題だ。だが、この世界であれば魔石があるだろう」
「そう、そのために魔石があるのです」
「答えから欲しい」
首肯とヒントを繰り返すアクアエリスにラングはすぱりと切り出した。
アクアエリスは小さく微笑んでようやくラングを見た。
「ダンジョンは人を燃料にする場所なのですよ」
ラングはその言葉をじっくりと嚙み締めた。
足を組み、顎を撫で、時に腕を組み、時間をかけた。
「言葉が上手く見つからないが、そうだな…言い方があっているかはわからないが、ダンジョンは人を減らすための場所なのか?」
「おおよそ、その理解であっています」
アクアエリスは空中に水の球をいくつか浮かび上がらせて説明をした。
「人が増えすぎることを防ぐ、そのための循環手段としてダンジョンがあるのです」
「いまいちわからないが、ダンジョンに死体が飲み込まれるのは、それがそのまま魔石に変わるからなのか?」
「そんなに直接的ではありませんよ。人の遺体はともかく、ダンジョンはその中で戦う人間のエネルギーを貯め込んで、それを魔石や魔獣に変換しているだけです」
「とんでもない真理に触れた気分だな」
「おめでとうございます」
嬉しくはないが肩を竦めた。
「理のバランスが良い数というのが、ありとあらゆるものに定められているのです。人が増えすぎれば自然がその命を刈り取る。理が強くなれば人は栄える。不思議ですよね」
「精霊にそう言われるのはおかしな気分だ」
アクアエリスは小さく笑って、それから真面目な顔をした。
「ラング、私たちは理そのものです。ゆえに、理の一部である人のことも愛しています。それと同時に酷く憎んでもいるのですよ」
「穏やかではないな、何故だ」
アクアエリスがぱちりと大きな水球を割ると、どさりと落とされたのは濡れたグリフォンの遺体。
あの人たちの糧になるのが癪で預かっていました、お返しします、とアクアエリスに言われ、空間収納にしまった。
マルキェスの言う見つからない、はアクアエリスが確保していたからだと知った。
僅かな間を置いた後、アクアエリスは言う。
「人は私たちを苦しめる」
アクアエリスの声があまりに悲痛で、ラングは何を、どうして、どのように、という質問を飲み込んだ。
恐らく、今までの会話の中に答えがあるのだろうとも思った。
ただ、一つだけ質問をした。
「何故、私を真理に触れさせた?」
アクアエリスは答えた。
「貴方が真摯に向き合ってくれたからです」
しばらくお互いに視線を交わしたまま沈黙が続いた。
先に肩を竦め反応を見せたのはラングだ。
「そうか」
「そうです」
ふふ、とアクアエリスは可笑しそうに笑い、真面目な顔になった。
「ウィゴールから聞いていますが、二日後の満月に彼らは改めて
「聞くだろうか?奴らは理そのものであるお前の言葉も反故にしているんだぞ」
「外の者が精霊の加護を得た、という、所謂パフォーマンスですよ。ある程度のショックは与えられるはず」
「それでだめなら?」
「精霊の怒りを見せるつもりです」
アクアエリスはとんとラングの胸に指を置いた。
「貴方の訓練の一環として、ね」
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