第28話 精霊と贄 <ラング・アルside>



 少年の発言にアルは眩暈がした。


「贄とは?」


 眉間を押さえているアルを他所に尋ねれば、マルキェスはにこりと微笑んで説明をした。


「精霊様がご機嫌を直してくださるように、精霊降ろしシェンリエテムで命を捧げるんです」

「難しい言葉をよく知っている」

「精霊様の御許へ行くのに、学がなくては無様だということで」


 年若い少年の達観か、諦観した様子にラングはわずかに首を傾げた。

 シールドの下で眉を顰めているのだろう、とアルは思った。

 

「シェンリエテムとはなんだ」

「俺も気になった、なんだそれ?」

「外の国の方はご存じないのですね、精霊降ろしシェンリエテムは精霊様のご加護をもらうために必要な儀式です。ええと、公用語では精霊降ろしと言います」


 大人二人がほう、と声を出し続きを促した。

 マルキェスは興味を持った二人に、嬉しそうな様子で少しだけ胸を張った。


「精霊様はどこにでもいらっしゃいます、けれど、お二人が落ちてきた神の水鏡トゥネオルタェ…あの湖だけは少し違います。あの場には大精霊様がお住まいなのです」

「へぇ」

精霊降ろしシェンリエテムはその大精霊様に贄を捧げ、姫巫女様に加護を頂戴する儀式なのです」


 ラングはふむ、と顎を撫でた。


「エルキスという国そのものに詳しくないのだが、その姫巫女なる者に必ず加護をもらうのか」

「そうです。姫巫女様はことわりのお力が一番強い方がなります。その姫巫女様が大精霊様の加護をいただくことで、水を操り、交易や農業に広く役立てていただくのです」

「重ねて言うが、難しい言葉をよく知っている」

「えへへ」


 マルキェスは照れた様子でもじもじとして、少年らしい素直さを見せた。

 

「精霊降ろしがなければ、精霊から力は借りられないのか? 私は精霊とは縁のない生活をしていたのでな、農業ならば水を引けば良い、交易ならば足や馬や船を使えば良い、と考えてしまう」

「もちろん、そうしたこともしています。たとえば雨が続いて川が溢れたり、そういうときに水の方向を変えたりするのに操る力が必要なのです。あとは、大河を使って交易しているので、船がちゃんと進むように押したりとか」

「なるほど」


 ラングは、人の手で大変なところをどうにかするために使う、という理解をした。

 アルは話を聞いているうちにじっと黙り込んでしまった。


 マルキェスはエルキスについて様々なことを教えてくれた。


 ここ三代ほど、姫巫女が精霊から力を授かりにくくなっていること。

 前任から生贄を捧げ始めたこと。

 最初は作物、次に動物、その次に魔獣、最後に人間。

 人間を捧げたところで加護を授かることが出来たので、そのまま慣習化されたこと。

 生贄にされる人間は、加護を授かる可能性のない魂であること。


「可能性のない魂、とは、定義はなんだ?」

「魔力を持つことです」


 これには納得した。

 理と魔力は水と油。この国では魔力を持つ者がなのだろう。マナリテル教徒が聞いたら戦争になりそうだ。

 マルキェスは魔力を持って生まれ、贄になるためにここまで生きてきたのだそうだ。

 アルは何とも言えない表情で口を噤んでいた。


「次の精霊降ろしはいつだ」

「いつでしょう、満月の夜が一番親和性が上がるとかで、なので来月だと思います」

「そうか」


 簡易竈の中でぱちりと火が爆ぜ、ラングは魔石を投げ込んだ。


「あのさ、俺たちのことってどうなってるんだ?」


 アルが沈黙の隙に声をかけた。

 マルキェスは少しだけ悩んだあと、そちらを見やる。


「何やら、一緒に落ちてきた魔獣がなかなか拾い上げられないらしくて、それどころじゃないとか、なんとか」


 ラングとアル、二人に対しての優先度はかなり低いようだ。

 話題にも出ていないとなれば、このまま牢暮らしは長くなるだろう。食材や水がたっぷりあるとはいえ、限りがあるのも事実。


「というか飯くらい運んでくれてもいいじゃん」

「そうですよね、すみません」

「いや、マルキェスが悪いわけじゃない」


 マルキェスの落ち込んだ様子にアルは慌ててその頭を撫でる。

 撫でられることもあまりないらしく、マルキェスはくすぐったそうに笑った。

 

「また来てもいいですか?」


 取り留めもないことを話していたらマルキェスがそう尋ねた。

 ラングは無反応だったがアルは頷いて見せた。


 薬の籠をそのまま置いて、マルキェスは牢を後にした。

 鍵は閉めて行かなかった。





 ―― 今日は魚の気分だったのだろう、ラングは魚を焼いて夕飯に出した。

 パリパリに焼かれた魚にはふんだんに塩が振ってあり、たまに噛むしょりしょりした食感が魚の甘みを強くした。


「たぶん、逃がしに来てくれたんだろうな」

「恐らくな」


 魚をかじり、野菜スープを飲みながらアルが言えば、ラングは淡々と返した。

 スープのコップを強く握り、アルは呟く。


「子供だ」 


 ラングは食後のハーブティーを淹れながら沈黙を守った。


「あんな達観してていいわけがない、そうだろ?」

「国のことで一個人が口は出せないだろう」

「そうだけどさ」

「だが、精霊ならその限りではない」


 ラングは空いている鍋を放り、そこに癒しの泉エリアの水を入れて呼んだ。


「アクアエリス」

「水を用意していただいて助かります。困ったものです」


 ぬるりと現れたアクアエリスは鍋の淵に腕をかけて深いため息を吐いた。上半身だけ出ているのもシュールな図だ。


「いやもうほんと、困った」


 ふわっと炎が揺らぎ、ウィゴールも空中に現れる。こちらは呼ばずとも来る。


「贄ってどういうことなんだ? 俺が知っている精霊じゃないのか?」

「いいえ、貴方もよくご存知の精霊です、ただ」


 アクアエリスは言葉を選んでいるのか言い淀む。焦れたのはウィゴールだ。


「はっきり言っちゃえよ、国全体で精霊に対して感謝がなくなっているから、俺たちは力を貸したくないし、精霊離れが始まってるって」


 むすりと腕を組んでウィゴールが吐き捨てる。

 ラングは詳細な説明を求めてアルを見遣った。


「俺は学校で学んだことしかわからないから、本人たちに聞こうぜ」

「話してくれるならな」

「えぇ、もちろん。構いません」


 アクアエリスはようやく鍋から出て、毛皮の上に座った。鍋の中には水が残ったままだ。


「私たちが人間に求めるのは、気持ちだけなんですよ」


 曰く、感謝や、そこにあるのだと思ってくれるだけでいい。

 少しだけ気を向けてもらい、ふとした時に礼を言い、思いついたときに感謝を込めた祭りをしてもらえたら、大豊作にしたくなるのだ。

 そこにあって当然だと思われることは、理の自然もそこにあるのが当然なので気にも留めない。


 ただ、操る、扱う、従える、などの心は非常に嫌なのだ。


 人の手に理が収まらないように、自然を収めることは人にはできない。

 それを可能にするのは理側の譲歩であり、人側の態度なのだ。


「それを説明はしなかったのか」


 こうして説明を受けたラングは理解した。であれば態度を、対応を変えれば良いと気づくものだ。

 同じことを説明さえしてやれば改善は出来よう。

 そう思い問いかければアクアエリスは悲しそうな顔で微笑んだ。


「この場所の管理を任せていた精霊から話を受け、私が出たこともありました。言葉を連ね重ね説明をしたことも」

「聞き入れられなかったのか?」

「はい。もう少しお話ししますね」


 人の気持ちが変わってしまった事に悲しんだ中級精霊が、人を見なくなって加護を授けなくなった。

 ある日水の中に様々なものが投げ込まれるようになった。

 貴金属、宝石、魚、鳥、森の生きもの。

 形ばかり丁寧なそのは精霊を困惑させた。

 さらにしばらくして、大きな物が投げ込まれた音に眼を開いてみれば、手足を縛られ薬で眠らされた人間で驚いた。

 精霊は慌てて人間を掬い上げ水面へ運んでやろうとした。その湖面に音が響く。


 精霊よ、贄を捧げます

 精霊よ、汝が加護を我に

 精霊よ、精霊よ


 精霊は絶望した。

 そんなものは求めていないのに、なぜこんなことをするのか。

 水面に掬い上げるのはやめて、水脈を開き、眠り続ける人間を遠い場所で陸にあげてやった。


 続けて人を捧げられては困ると少しだけ加護をやってやったが、それが悪手だった。

 人間は味を占めて贄を捧げることを覚えてしまった。

 

 そこでアクアエリスに声がかかった。

 憔悴した精霊の言葉に、アクアエリスはラングを守った時のように姿を現した。

 先ほどラングに説明したのと同様のことを語りかけたが人々は大精霊が現れたと有頂天になり、アクアエリスの言葉を都合の良いように解釈した。


「加護を授ける前にお前に声を掛けるべきだったのだろうな」

「そう思います。兎角そのようなことがあって、精霊離れが始まっているのです」

「精霊離れって、俺も聞いたことないんだけど」


 アルの疑問にウィゴールがふわりと近寄った。


「まぁ、それは精霊が長い時間をかけて離れる物だからな、知らなくて当然だ」

「精霊が離れることでどんな影響が?」

「んー、何もしなくても水がきれいとか、何もしなくても土が良いとか、そういうのが消える。自力で頑張れって感じ」


 ラングからすればそれは当然のことだ。

 人に良いようにするには、人が手を加えるしかない。

 

「別に構わんだろう、人力で困ることがあるのか」

「エルキスという国が独特なんですよ、大河を利用しての交易は、川を遡りますからね」

「あぁ、それはなんか、大変そうだ」

「今までは船を押していたのが精霊の力なのです。船を漕ぐ必要があるだけでも、人の手には大変でしょう」


 アクアエリスは淡々と告げたあと、ラングを見た。


「けれど、精霊というものはその場に愛着を持つものです」


 ウィゴールは肩を竦めてアルの隣に着陸した。


「あの子はスカイで心を休めています。けれど、やはりここが好きなようでしてね。人の在り方が変わればと思っているのです。ここはこの大陸スヴェトロニアの重要な場所でもありますし」

「簡潔に求めたい」


 すぱりと言われ、アクアエリスはさらりと返した。


「貴方、理使いナーラーになってくれませんか」


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