第27話 地下牢で水と <ラング・アルside>



 ウィゴールとの不思議な邂逅から六日、地下牢での生活は快適を極めていた。


 汚い話、トイレだけならあったので排泄にも困らず、食事はラングが持っており、風呂はないが水はあるので体を拭くことは出来た。

 ウィゴールは忙しい忙しいと言いながらも毎日顔を出し、風の滞りやすい地下牢の空気を一気に入れ替えてくれたり、アルの体に良い薬草をいろいろ持ってきてくれた。これはラングも有難かった。自然の物だからとウィゴールは薬草を良く知っており、ラングに名前と効能、どんな場所に生えているのかをつぶさに教えてくれた。


「若が薬師みたいなことをしてるから、それでな」

「若?」

「秘密!」


 ウィゴールの言う若が誰なのかがわからないが、詳しく聞いたところでのらりくらり話さないだろう。ラングはそれ以上踏み込まずに調薬に気を戻し、手を動かした。


 そんな助けもあったおかげでアルはすっかり体調を取り戻し、今は体力が有り余って困るほどだった。


「そういえば、何で未だにここにいるんだ? ずっと地下牢にいるな」


 お茶を片手にウィゴールが尋ね、ラングは肩を竦めた。


「さぁ? ここに入れられてから一度だけ奴らが来たが、すぐに戻って行った」

「アクアエリスが手当てするように言っただろ」

「アクアエリス?」

「水の取りまとめ。ラングとアルをこう、水の手で受け止めた奴」


 下から吹き上げて来た水はその精霊のおかげだったらしい。


「手当てなど何もされていないな」

「だな、俺の手当てと看病は全部ラングとウィゴールの薬草のおかげだな」


 ラングとアルの言葉にウィゴールはふーん、と返した後、鍋を出すように言った。


「その鍋に水だして、癒しの泉のほうがいいな」


 言う通りに水を入れる。

 ウィゴールはその水に声を掛けた。


「アクアエリス、これで顔出せるだろ」

「えぇ、そうですね。ですがもう少し早くてもよかったのですよ、ウィゴール」


 ぽちゃんと水音がして鍋の中から水が浮き上がり、泡のように弾けたあとには美しい精霊がそこにいた。湖のときのように水そのものが象っているのではなく、きちんとした人の姿だ。

 長い水色の髪は透き通って水面のように反射しており、ゆったりとしたローブはそれもまた寄せては返すさざ波のように揺れていた。

 どこまでも透き通った白い肌は深海のサンゴを思わせ、男性型だというのに女に錯覚してしまうほどだった。

 気品のある目元はウィゴールを見た時は冷ややかだったものの、ラングを振り返る時は暖かな色を帯びていた。


「一応、初めましてと言いましょう、アクアエリスと申します。湖では碌に挨拶も出来ず、すみませんでした」

「ラングだ。ウィゴールから聞いたが、助けてもらったそうだな。感謝する」

「いえいえ、それについてはお気になさらず」


 アクアエリスはウィゴールの腕を捕まえて隣に座らせた。


「あなた、真っ先に説明すべきことをまだ話していないのでしょう?」

「え、なんかあったっけ」

「全くこれだからウィゴールは」


 アクアエリスの盛大なため息、そのやり取りが人間の兄弟のようでアルは笑ってしまった。

 

「どこにでも姿を現せて会話できる人がこうだと、心配事が絶えませんよ」

「俺の兄貴も似たようなこと言ってた」

「えぇ、でしょうね。貴方とウィゴールは性質が似ています。だからこそ、ウィゴールは魔力のあるなしを置いておいて、貴方と友人になりたいのでしょう」


 優しい微笑みを受けてアルは照れくさそうに肩を竦めた。


「アル、貴方が唱えた精霊の呼び笛が切っ掛けにはなりましたが、私たちはずっと、ラング、貴方を探していたのですよ」

「なんだと?」

世界神のリガーヴァル・気まぐれウィムシー、正規の手順を踏んで世界を渡った者に与えられる加護です」


 アルはラングをぱっと振り返った。

 ラングは動揺こそしていないが少し考え込んでいるようだった。


世界神のリガーヴァル・気まぐれウィムシーとやらの効果を正確なものは知らない」

「三つのご褒美が授かれることは?」

「ツカサに聞いた」

「では、精霊の加護を受けられることは?」

「初耳だ」

「そういう感じの加護です」


 これまたざっくりとした説明だ。

 だが、それ以上の補足はないのだろう。


「今まで私を見つけられなかった理由は?」

「あなたの傍にいた人があまりに強い魔力を持っていたからです。理と魔力の関係性は聞きましたか」

「あぁ、水と油だとか」

「そうです、それで貴方が見つけられなかった。今はもう印を付けたので問題ありません」

「印」

「見えませんから、大丈夫。けれど優先的に精霊は力を貸してくれるでしょう」


 アルがラングを覗きこみ、アクアエリスは小さく笑った。


「貴方がこの世界に来た望みは?お手伝いできることならいたします」

「もう済んだ」


 ラングははっきりと答えた。

 アクアエリスは驚き、それから微笑んで頷いた。


「では、これからの貴方に力を貸しましょう。貴方は水の性質がとても強いので、私が貴方の守護精霊となります」

「それは強制なのか?」

「呼ばれたり、必要とされる時にはお手伝いしますが、基本的には何も」

「それならば有難い」

「無欲ですね、人には珍しい」


 淡々と、けれど軽口にも取れるやり取りが続き、アルはなるほど似ている、と思った。


「身の回りには精霊が必ずいます。アクアエリスの名を呼ばずとも、水へ語り掛ければ応えてくれるでしょう」

「わかった、覚えておこう」

「こんなに精霊と話せるなんて、それも最上位精霊と。理使いナーラーに羨ましがられるな」


 アルが感嘆を込めて言えば、アクアエリスもウィゴールも微笑んでそちらを向いた。


「貴方には感謝していますよ、おかげで見つけられましたからね」

「兄貴に会ったら礼を言おうと思うよ。改めて助けてくれてありがとう」

「どういたしまして。けれど、先ほど何となく聞きましたが手当されなかったとか」


 アクアエリスが問えば、アルは苦笑を浮かべた。

 ラングは肩を竦めて視線に答えた。


「これは水の精霊だけが持つ力ですが」


 小さく嘆息をこぼし、それからアクアエリスは手をラングへかざした。

 こぽりと水音がしてラングの肩や足などを水の塊が包む。ラングはそれをじっと見つめ、されるがままに任せていた。しばらくして水はぱしゃりと床に落ちて水たまりを作った。


「あまり大きな怪我でなければ、治癒が可能です」

「おお…!ってラング怪我してたのか!?」

「擦り傷やかすり傷ですよ。自身で手当てはされていましたが、精霊の力の一端をお見せしたくて」


 ラングが不服そうなオーラを出していたのでアクアエリスは肩を竦め返した。

 

「それから」

「あの」


 アクアエリスの声に被せるようにして、幼い少年の声がした。

 布の向こう側の音に全員がそちらを向く。


「そこに、何人いるんですか?」


「…また、折を見て声をかけてください」


 言い、アクアエリスは指で一度輪を描き、そして鍋に消えた。ぱしゃりと音がしたあと、そこには癒しの泉エリアの水だけが残った。

 ウィゴールは気付けばいなかった。


「誰だ?」


 アルが尋ねながら布から顔出せば、そこにはランタンを持った金髪の少年が立っていて、おずおずと声をかけてきた。

 年のほどは十三、四ほどだろうか。


「マルキェスと、申します。あの…、お加減はどうですか?」

「まぁ、うん、ラングのおかげですっかり大丈夫」

「すみません、あの、姫巫女様が、なかなか沙汰を下さず、手当てがされていないと聞いて」


 よく見れば少年の手には籠がぶら下がっており、そこには包帯や薬が入っていた。

 アルは布をめくり、ラングにそれを見せた。


「そちらにお邪魔してもいいですか?」

「鍵はあるのか?」

「はい、ここに」


 少年の手には大きい鍵を見せ、錠へそれを差し込んだ。錠が重いらしく、簡単に回らなくて苦戦している。


「なぁ、俺が言うのもなんだけど、一人で来るなんて止められなかったのか?」

「内緒で来たんです」

「もっと悪いだろ、鍵開けて俺たちが脱獄したらどうするんだ」

「その時は、その時です」


 ガチャン、と重い鍵が開いて少年が扉を開ける。


「罰せられて、もし処刑されたとしても、思い残すことなんてありませんから」


 年若い少年のあまりな言い方に、アルはぞっとした。

 ラングがいつの間にかアルの横にいて、少年、マルキェスをじっと見据えていた。


「茶でも飲むか?」


 ラングが顎で中に呼べば、マルキェスはぱっと笑って頷いた。

 アルは苦笑を浮かべながらマルキェスが通れるように布を持ち上げてやった。そのあと、マルキェスが開けっ放しにした扉を閉め、錠を引っ掛けて鍵がかかっている風を装わせた。


「ラングが知らない奴をお茶に誘うなんて珍しいな?」

「いざとなれば人質くらいにはなると思ってな」

「本当かよ」


 ひそひそと話すラングとアルは気にならないらしく、マルキェスは布の内側を目をキラキラさせて見渡していた。

 

「すごい! この地下牢がこんなにあったかくなるなんて!」

「俺もびっくりしたよ、流石ラング」

「座れ」


 ラングがぴしゃりと言えばアルもマルキェスも床に敷いてある毛皮の上に座った。

 その感触と、床が冷たくない事にもマルキェスは感動したらしく、ぺたぺたと毛皮を撫でている。


「何が目的でここへ来た?」

「手当てをしに来たんです、もう、いらなそうですが」


 籠をラングに差し出し、マルキェスは笑った。

 それを受け取って中を確認すれば、見たままの包帯や塗り薬だ。蓋を開けて匂いを確認するが、毒のようなものは感じなかった。

 籠を横に置いてラングはハーブティーをマルキェスに差し出した。

 なんとも言えない空気に耐え切れなくなったのはアルだ。


「あのさ、外どうなってるんだ? もう十日だかそこらここに入れっぱなしで。なんか儀式をダメにしたっぽいことはわかるんだけど…それにしたって音沙汰なさ過ぎて」

「えぇ、そういうのもご説明するつもりで来ました。あ、美味しい」


 マルキェスはハーブティーにほっと息を吐いて感想をこぼした。

 ラングの顔が僅かに傾いて、どういたしまして、を示す。


「まずはここがどこなのか、からご説明しますね。ここはエルキス、閉じられた理の国です」


 マルキェスは部屋を見渡していた時とは違い、感情のない暗い目でラングとアルを見た。

 

「ぼくは、姫巫女様の贄です」


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