第26話 地下牢で風と <ラング・アルside>
ブルックの本によると、エルキスは精霊信仰が盛んな女王が治める国だという。
文化風習もあまり外には出ず、自給自足や狩り、限られた場所での交易によって生活が成り立っている中立国家でもある。特産品は精霊の加護があるという宝石。
水を神聖視しており、ある一定の周期で祭事が執り行われる。
それだけしか記載のなかった国だ。その程度しか筆者にはわからなかったのだろう。
むくりと体を起こしてストレッチをし、ラングはシールドの位置を直す。
仕切り布をめくってアルを覗けば穏やかな寝息を繰り返している。影縫いのナイフで自身を刺したことで血が抜け、さらに冷たい湖で動き回ったことが原因でショック状態を起こしていたのだろう。
風に巻き上げられ体勢が崩れたせいで着水に備えられず、ラングはがつんと頭を殴られたようになって気を失っていたのだ。
ラングはポットに水を入れ直して三脚コンロで再び湯を沸かした。薬湯のためでもあるし、テント内を温めるためでもある。
室内に干していたマントはまだ湿っていた為、ラングは別のマントを羽織った。ジェキアで買った冬用のマントだ。ここではこれで良いだろう。
一度テントを仕舞いさえすれば装備は綺麗になってベッドの上に置かれるが、アルを動かす訳にもいかない。
懐中時計を確認する。眠ったのは五時間程度だ、もう少し早く目覚めるつもりでいたので舌打ちが出た。
もう一度アルの顔に手を当てて呼気を確認し、ラングはテントの外に出た。
急にひやりとした空気が肺を責める。テントで温まった体が縮こまりそうになるのを堪え、無理矢理胸を張って筋肉の縮小を抑える。
陽の差さない暗い地下牢、連行した近衛たちが松明も持って行ってしまったので灯りは一つもない。
ラングは自前のランタンをなぞり明かりを確保してから、さて、と独り言ちた。
「なんだ、これは」
まる三日経ってから近衛の男たちが地下牢にやって来た。
鉄格子の向こうに広がる光景に唖然とし、言葉を失う。
鉄格子の向こう、地下牢はとても広い。
その広さが暖かさを逃がし、罪人は体力を奪われる仕様になっている。
だが、これは一体どうしたことか。
天井から布が垂れ下がって空間が仕切られ、微かな隙間から漏れる灯りが暗闇を苦としなかったことを教える。近衛たちも長く滞在しない想定で薄着のまま来ているのでカチカチと歯を震わせているのに、その布の向こうでは暖かな火の音すら聞こえるのだ。
「おい! これはなんだ!」
男が叫ぶと、しばらくして布の隙間からラングが顔を出した。
身に纏うマントは分厚く冬仕様であることもわかる。
「仲間が凍えそうだったのでな」
「罪人がこのようなことをして許されると思っているのか!」
「罪人なのだろう、これ以上何をしても罪人は変わらん。悪いが食事の準備中だ」
再び布の向こう側に戻ってしまったラングに男は歯噛みした。
言うとおり、罪人なのでこれ以上罪を重ねたところで罪人は変わらない。かつ、拷問や尋問をしようにも姫巫女より禁じられている。
「いいにおい…」
ぽつりと呟いた近衛を睨みつけ黙らせる。
布の向こうからじゅわぁと何かを焼く音がして、嗅いだことのない良い匂いに生唾を飲み込んでしまった。
「…戻るぞ!
「はっ!」
これ以上ここに居てはいけないと判断し、男は全員を引き上げさせた。
ざっざ、という足音が遠ざかって、アルはくくくっと笑いを堪えた。
「意地悪だな」
布の内側にテントはもうない。
居住空間を急遽拵えたラングは
温かいスープを手にアルは咳き込み、薬湯を隣に置かれる。
「ありがとう。しっかしまぁ、空間収納の力というか、ラングのサバイバル力というか」
天井に投げたナイフで布は止まり、それが壁になる。
野営用の簡易竈、燃料はクズ魔石が大量にあるし薪もある。食材や水も空間収納にたっぷりあるし、元々ラングが故郷で使っていた寝床セットもあるのでテントがなくても困らない。
外からテントを傷つけられては困るという判断で片づけたことはアルに理解を得ている。ついでに、服も回収済みだ。
「無茶をさせてすまなかった」
「いいって、俺もまぁ、グリフォンに刺すって脳がなかったよ。ん?これすごいなんか、回復って感じする、なにこれ」
「癒しの泉エリアの泉の水で薬湯を煎じた」
「なんつーもの持ってきてんだよ…」
かつてジュマで砂漠エリアに備えて空間収納に入れていたものだ。傷を癒し、魔力を回復させるということから薬湯にも良いのではと思い、今回使ってみたのだ。効果は良いらしいので次もこれで作ることにした。
「それで、ここがエルキスなのは間違いない?」
「あぁ、ブルックの本に記載は少なかったが、独特の風習がある、間違いないだろう」
じゅわぁ、と焼いていた肉を取り分けアルに差し出す。
「起きてから肉ばっか突っ込まれてる気がするんだけど」
「血が足りていない時は肉に限る」
「いやまぁそうだけどさ」
美味いし、と言いながらアルは肉を齧る。
大量狩りしたミノスの肉は程よい弾力を歯に返し、赤身の旨さと脂の旨さを舌に残す。
ラングの料理上手のおかげで味付けも毎食違うため、飽きも来ずに食べられている。付け合わせが野菜スープなのでバランスも悪くない。
ごほ、と再び咳き込む。
「風邪ひいたかな」
「かもしれん、凍えたまましばらく引きずられていたからな」
「足先がゴリゴリしてたのはそれかぁ」
爪先が削れてブーツが傷んでいた原因を知り、アルはため息を吐いた。肉をモリモリ食べスープを飲み干し、薬湯を飲み切る。
「まさか薬師にもなれるとはね」
「私が持っている薬草に限りだ。こちらの世界での薬草は傷薬草、毒消し草、気付け草くらいしかまだ見分けがつかん」
「あー、初心者用の依頼のやつか。俺もある程度学んだから、ここから出たら薬草探してみる?」
「道すがらそれもありだな」
ラングは空間収納からクズ魔石と薪を竈に足した。火がゆらりと風になびいた。
「へぇ、すごい。人にとっては過ごしやすい空間になってるな」
ラングとアル以外の声がして、ラングはすぐに双剣の柄に手をかけた。
「うわぁ、すごい、初めて見た。精霊だぞラング。これだけ人型をとっていられるのは高位の精霊だ」
アルの呆けた声にラングは柄からゆっくり手を離した。
湖で見たのとは違い、はっきりとした人型を持ち、ふわふわと浮いている青年を見上げる。白くてふわふわした衣は風を受けて彼方此方を向き、淡い緑の髪も常に揺れている。
きょろりとした大きな目は好奇心いっぱいにラングとアルを見ていた。
「これが精霊?」
「そう! 風の精霊のウィゴールって言うんだ」
ふわ、と暖かな風を纏いながら風の精霊、ウィゴールが床へ座る。
「これ、俺も食べてみたい」
スープに興味を持ったウィゴールにラングはアルと顔を見合わせてからコップによそってやった。手渡してやれば人のように笑った。
「ありがと!」
「味がわかるのか?」
「わかるとも。俺は風の長だからな」
アルがごほごほと咳き込んだ。
「大丈夫か」
「か、風の長ってマジ?」
「まじまじ、うわー美味しいな!」
「風の長とはなんだ」
「この世界の風の理の、最上位精霊、風の精霊のとりまとめってことだよ」
美味い美味いとスープを平らげて行くこの青年が、風の精霊の頭と聞いてラングは首を傾げる。
「なぜ、そんな精霊がここに?」
当然の疑問だ。それはアルも同じようでスープをぺろりと平らげたウィゴールを見遣る。
「いや、最初は呼ばれたから。今は好奇心」
「呼ばれた?」
「お前が呼んだんだろ?」
きょろりとした目がアルを捉え、アルはびっくりしてラングを見た。その先でラングは肩を竦めた。視線で問われてもわかるはずもない。
「呼んだ? 俺が?」
「呼んだ。精霊の呼び笛は精霊の耳に届きやすいんだ」
「あれってマジで精霊を呼ぶためのものだったのか!兄貴がいざという時のために覚えとけって…」
「良い兄貴持ったな」
ウィゴールが揶揄うように笑ってアルの髪をくしゃくしゃに混ぜる。
「
「よく覚えてるな、それだよ」
ラングが確認をするように言えば、ウィゴールは頷く。
「内容が自分の為でないことも、気にかかってさ」
ウィゴールは頭の後ろで腕を組んで視線を右上にやる。思い出すような動作が人間じみていてラングはシールドの中で眉を顰めた。
「間に合って良かったよ。でもさぁ、あんな空から落ちてどうするつもりだったんだ?」
「水を強く放出すれば、多少は浮力になると考えていた」
「あぁー、ラングはラングで考えがあったのか!」
空間収納に水があることを知っているので、どうしたかったのかは理解した。結果として今無事なので精霊の力を借りたことは良かったのかもしれない。
「もう一度同じ問いをして悪いが、なぜ、ここに?」
ラングが問えば、ウィゴールはうーん、とこれまた人間の様にもったいつけて見せた。
「俺が呼ばれて助けようとしたのはこっちで」
こっち、の指先がアルを向く。
「水のやつがお前を気に入って横から手を出した」
お前、で指先がラングを向く。
「そいで、俺はこんな寒いところで野営している人間に興味を持って姿を現した!」
ラングとアルは何度目か、顔を見あわせて首を傾げた。
そもそも精霊などというものを知らないラングはウィゴールの言うことを正しく理解できず、アルはアルで縁遠いものと思っていた精霊と会話していることが、すでにいっぱいいっぱいだった。
ラングは逡巡のあと呟いた。
「質問をしてもいいか」
「いいぞ」
「そもそも、私は精霊というものをよく知らない。可能ならばそこから知りたいのだが」
「うーん、そう言われてもな。俺、以上終わり。まぁ、見たままというか」
「精霊のすべてがお前のような存在なのか?」
「あ、それは違う。火、風、土、水で天辺にいるのが俺みたいな感じ。えーっと、人は確か、なんか分けてたはず」
精霊のことを聞くにしても、本人は人間が分類したことまでは詳しくないらしい。
アルがこほこほと咳き込みながら説明を引き受けた。
「俺も学校で習った程度だけど、ウィゴールみたいな精霊は、この世界の風の理を治める存在で、最上位精霊と呼んでるんだ。
高位精霊はこう、冒険者ギルドみたいにエリアを管理しているイメージ。中位や低位の精霊は至るところにいる。すこし理の力が強い場所だと、子供みたいな精霊がいたりして、それが中位だったはずだ」
ウィゴールはうんうんと頷いてその説明を肯定して見せた。
「そんなことを学び舎でやるのか」
「スカイは特に精霊が多いって言われているからな。
こほ、と咳が止まらない様子にラングはハーブティーを淹れて差し出した。アルが受け取ったら空いたその手で新しい薬湯を作り始める。
「魔力とやらがあると
「そうなんだよなー、俺たち理の精霊と魔力って水と油ってやつでさ。契約ってなるとオエーって感じ」
ウィゴールはオエーっと舌を出して吐く真似をした。やはり人間臭い。
ラングはすり鉢で薬草をすり潰しながら尋ねた。
「その割にはアルの呼びかけに応えた」
「風はそういうところがあるんだ。興味のあるところ、行きたいところに自由気まま。人間に魔力があっても手を貸すことは出来るのさ」
「へぇ…じゃあ、魔力があっても友達になったりは出来るんだ?」
アルがぽつりと言った言葉はウィゴールを驚かせた。きょろりとした目はさらに見開かれ、ぱちぱちと瞬いた。
「友達…友達か、そうだな、なれないこともない」
ぴくぴくと鼻が揺れているのは一体どんな感情の表れなのか。
ラングはお湯を注いで漉し、薬湯を仕上げる。
「熱さましだ、飲んでおけ」
「本当、薬師顔負けだな。ありがと…」
受け取り、アルは薬湯を啜って苦い、と文句を言う。
「友達になりたいか?」
ウィゴールはアルにそわそわと尋ねた。
ぼんやりとした様子でアルは力なく笑った。
「そうだな、精霊と友達っていうのは、楽しそうだ」
その言葉に満足そうにして、ウィゴールはふわりと浮かび上がった。
「そうか、そうか! お前、名前は?」
「アルだ」
「アル、アルだな。覚えたぞ! また来るからな!」
にぱっと笑った笑顔を残して、ウィゴールはふっと消えてしまった。
風が僅かにそよいでアルを撫で、地下牢から消える。
あとに残された二人は再び顔を見あわせた。
「お前、面倒なやつに好かれたのではないか?」
「悪いやつじゃなさそうだし、いいだろ」
ラングの言葉に、アルは笑って答えた。
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