第25話 落下した場所 <ラング・アルside>



 吹き上げる暴風に体が捻じれそうになった。

 

 ラングを掴んでいたアルもその風に煽られて腕を放し、槍を抱いて着水に備えた。

 ふ、と落下していた勢いが無くなった瞬間、逆流した水に抱きこまれて湖に引きずり込まれた。必死に水を掻いて水面に辿り着き、ぶはっと息を吸ったのはアルだ。


「ラング!」


 沈まないようにしながら、周囲を見渡す。槍が重くて沈みかけたのでポーチへ仕舞った。


「ラング! どこだ!」


 自分の掻く水音がうるさく感じた。何度も首を回して探したが見つからず、息を大きく吸って潜り直す。綺麗な水の中でラングの深緑のマントが揺れていた。

 槍をもう一度出して重りにしてラングの元へ急ぐ。ごめんな、あとで手入れするからなと心の中で槍に詫びる。応える様に槍が重くなった気がした。

 ラングの脇に腕を入れ水を蹴った。槍を仕舞って空いている腕で再び水を掻く。


「――― っぶはぁ!」


 再び水面に出る。息を整えるのもそこそこにラングを引っ張って岸まで泳ぐ。こんな時でもシールドは外れず、ちゃぷちゃぷと水面にぶつかっては水を滴らせている。

 途中離れたところで遺体を浮かべているグリフォンを見たが、構っていられなかった。


「貴様ら!」


 岸にようやく辿り着こうというところで、そこにいた人々に気が回った。

 剣や槍や弓をこちらに向けて構え、岸に近づくことを許さない人々。アルは勘弁してくれと思った。

 足が着くところまでしっかり進んでこちらを威嚇してくるせいで、アルは必死に足を動かし浮いていなくてはならなかった。

 加えて、着水の際の衝撃がラングの意識を奪っていたのでアルは支え続ける必要があった。


「おい、とにかく、上がらせてくれ!」

「この不届き者が! 神聖な神の水鏡にあのような穢れた生きものを落とし、その汚れた身を沈めるとは!」

「不可抗力だ! わざとじゃ、ない!いいから、どけ!」


 綺麗な刺繍の刻まれた布を身に着け、革鎧を重ねている兵士たちにアルは叫んだ。

 影縫いのナイフを刺した腕から血が抜ける。走り回り、魔獣を倒していた体が今になって限界を迎えている。

 目の前で不敬だ処刑だ叫んでいるのが徐々に遠くなる。


 不味い、と水を蹴る足から力が抜け、体がぐらついたのを強い力が支えた。


 アルの体を思い切り引っ張り、岸に強く足を掛けラングが水の羽を広げながら飛び上がった。


 素早く双剣を抜くと自身へ向かって矛先を向けている者の武器を斬り捨てる。木材柄の武器はそれだけである程度の危険を排除できる。

 ようやく岸に乗り上げることが出来たアルはぜぃぜぃと息をしながら、自分の前で双剣を振るうラングを見上げた。


「ラング、まて、待て!」


 声は届いたらしい。

 双剣を振るうのをやめ、アルの元へ駆け寄りその腕を掴む。


「すまん、着水かなにか、意識を少し飛ばしていたようだ」

「みたいだな、無事そうでよかった」

「影縫いのナイフをグリフォンに刺したと思ったら、自分に刺していたのか」


 腕を取られ、苦笑を返す。


「グリフォンに刺すっていう手があったな」

「馬鹿な真似を」


 それはナイフの件なのか、それとも落下時のことか。もしかしたらすべてかもしれないと思い、アルは苦笑した。

 ラングは空間収納から青いポーションを取り出してアルの腕にかけた。不思議だ、ラングの故郷では怪我がこんなにすぐ治ることはなかった。アルの腕はすぅっと傷が消え綺麗に治り、健康的で筋肉質な肌が残った。


「貴様ら! 武器を捨て投降せよ!」


 一際大きな冠を被った女が叫ぶ。祭事で杖を振るう巫女のような出で立ちだ。

 不思議な眼をしていた。青かと思えば緑に移り、時に黄色が煌めく宝石を思わせる眼だ。たわわな金の髪を結い上げ、美しい部類に入る顔立ちをしている。ラングは、祭事や神事に関わるものは美しい方が畏怖を集めるのだと、誰かから聞いたことを思い出した。

 呆気に取られているアルを他所に、ラングは警戒を解かないでいる。


「汝らは何処いずこより現れたか! 斯様な不浄の生きものを引き連れ、神の水鏡トゥネオルタェに波紋を立て、許されざる大罪を犯した!」

「言葉は通じるか、ならば話は出来るだろう」


 ラングは双剣を納め、両手を挙げ敵意がないことを示した。それは遅いのではと思ったが、アルはもう声を出す気力もなかった。体が震え始めていて自由がきかない。


「ヴァロキアで迷宮崩壊ダンジョンブレイク魔獣暴走スタンピードが起きた。これはその弊害で、我々がここに来たのも不可抗力だ」

「愚かなヴァロキアよ、ことわりの外の物を頼るからだ」

時の死神トゥーンサーガはダンジョンも理の内の物だと言っていたが」


 ぴくりと女の眉が動いたことをラングは見逃さなかった。


「とにかく、邪魔をしたのは悪かった。我々はすぐに出て行く。道を開けてもらいたい」


 ラングは蹲ったままのアルを引っ張り上げ、肩を貸す。そして異変に気づいた。


「どうした」


 立ち上がらせようとしたのを座り直させ、ラングはアルの顔を上げさせる。

 寒さにがちがちと歯を鳴らし自分の体を抱きかかえるようにして震えているのは、普通ではない。


「さ、さむ、寒くて…」

「いかん、布を貸してくれ、温めなくては」


 ラングは女を振り返った。


「神域なのだろう、ここで死者を出したくなければ温められるだけの布を寄越せ」

「いけません巫女様エルティア、このような賊の言葉に頷いてはなりません!」


 銀髪を束ねた男が口を出し、女はしばし口を噤んだ。

 膝を突いている場所がまだ浅瀬なのも不味い。アルは聞き取れない言葉を言いながらラングを見上げて笑い、そのまま白目を剥いた。


「アル!」


 ラングが叫んだのと同時、足場から水がすぅっと引いて無くなった。

 そのまま水は人型を象り、ラングの背に立った。女とも男とも言えないその人型は、ただことしかラングにはわからなかった。敵意もなくそこにあるものに、ラングはアルの体を守る様に支えた。


<手当てを>


 不思議な声音が響いた。

 ラングの肩に置かれた手はひんやりと冷たく、先ほどまで浸かっていた湖そのものだと知れた。


「そんな、しかし、私どもの儀式は」


 女どころか全員が困惑と怒りに震えているのがわかった。


<もう一度言う必要がありますか>


 風にさざめく水面のように、それが震えて細かな水しぶきが女たちへ降り注ぐ。ざわめく人々を手で制し、女は膝を突いた。


「承知いたしました…、その暁には…」


<貴方>


 女の問いかけには応えず、はラングへ声をかけた。声を受けて頭上を見上げれば、それは穏やかな顔で微笑んでいた。


<また会いましょう>


 ラングはそれにどう反応すればいいのかわからなかった。はラングの答えも待たずに形を崩し、ばしゃりと水に消えた。

 ラングとアルの周囲だけが濡れていない状態はそのままだ。


「…彼らを運びなさい」

巫女様エルティア…」

「それが理の意思なのです。ただし、牢へ運びなさい。神域と神事を犯した罪は罪」

「承知いたしました」


 恭しく頭を下げた男は、周囲の近衛らしき男たちに指示をしてラングとアルを取り囲んだ。

 ラングはさっと武器を全て空間収納へやった。男は目の前で武器が消えたことに忌々しそうにして、昏倒しているアルをラングから奪い取り、体を引き摺るようにして運んで行く。


「おい、丁重に扱え」

「黙れ」


 男が叫ぶような、喉の奥から絞り出したような、形容のし難い声で返す。

 ラングは肩を竦め、他の近衛たちに大人しく縛られて連れられて行くことにした。シールドを外そうとされたのでその手からは避けた。


「やめろ、呪われるぞ。そのために隠しているんだ」


 ラングがそう言うと、シールドへ伸ばされていた手は瞬時に引き下がった。ひそひそとした会話の後、ラングは槍の石突で突かれて先を促された。


 綺麗な石畳の道を過ぎ、水と調和した美しい宮殿へ入る。これが王宮と神殿を兼ねているのだろう、美しくはあるが華美ではなく、厳かなものがある。

 いくつもの細い滝が庭園の泉を満たし、緑を青々と輝かせる。魚が橋の下を悠々と泳ぎ、透明度の高い水は様々な命を抱きかかえていた。

 そんな光景に思わず目を奪われながら歩き続け、長い階段を降りれば石で造られた牢へ辿り着く。下層にあるので恐らくは水の中に造られているのだろう。空気が冷えていて吐いた息が白いことに驚いた。


「おい、まさかここに入れるというのではあるまいな」


 装備は水浸し、仲間は寒いと震えながら意識を失った。こんなところに寝かされては死んでしまう。

 男はラングの問いににやりと笑うとアルを石の床へ放り投げた。ラングはそれを追い、自ら同じ牢へ足を踏み入れた。


「神域を穢した罪を、ここでしっかりとその身に刻むがいい」


 ガシャン、と強く閉められた扉にも微動だにせず、背後で鍵のかかる音にも振り返らず、ラングはアルの顔を覗きこんだ。

 小さくかちかちと歯を揺らしているのでまだ寒いのだろう。

 笑い声と足音が遠のいた後、ラングは取り出したナイフで戒めを解き、暗い牢の中を目測で測り広さがあることを確認した。それからテントを取り出して広げ中へアルを運び込んだ。

 テントの中は適温で暖かいが、三脚コンロにクズ魔石を放り込んで火を点け、ポットで湯を沸かす。脱がすぞと声を掛け、アルの衣服を剥ぎ取って布団を掛けてやり、体を温める薬湯を煎じ、スプーンで何度も流し込んだ。

 様々な処置と手当てが終わり、ラングは座り込んで大きな息を吐いた、


「空間収納に感謝だな」


 ツカサの布団も、ラングの布団もアルにかけてやり、ラングも服を着替えてようやく落ち着いた。

 アルも震えが収まり今は寝息を立てて眠っている。

 ラング自身も薬湯で体が温まると抗えない睡魔が頬を撫で、そのままベッドに倒れ込んだ。




「―― 彼らは大人しく牢に入りましたか」


 宮殿の女王の座で女が尋ね、その眼下で膝を突く男が自信満々に頷いた。


「えぇ、もちろんです巫女様エルティア。地下牢にいるので、早々に音を上げるでしょう」

精霊降ろしシェンリエテムは次の機会を待たねばなりませんね」


 ふぅ、とため息を吐く姿すら美しい。

 男はそれを恍惚とした表情で見守った。


巫女様エルティア!」


 ばたばたと走り込んできたのは神官の一人だった。


「騒がしいぞ、何事だ」


 男が問えば、神官は慌てて頭を下げて礼を取る。


「あの者たちと降って来た魔獣を引き上げ、神の水鏡トゥネオルタェの浄化を行なおうと致しました」

「えぇ、そのように言い付けました。どうしたのですか」

「いないのです」


 神官の震えた声に、女は思わず立ち上がった。


「なんですって?」

神の水鏡トゥネオルタェの水底まで覗きました。けれど、あの魔獣はどこにもいないのです」

「それはどういう」


 男の問いかけに、神官はさらに深く跪いて叫んだ。


「対価か贄に精霊が持って行ったのかと…!

 精霊降ろしシェンリエテムは成功しています、おそらく、あの者たちに精霊が微笑んだのだと思われます!」


 女は、氷のような表情で神官を見下ろしていた。

 


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