第23話 ルフネールの街で
暗殺者の襲撃を返り討ちにして、一行は死体の中で休まずにそのまま先を目指した。
予定よりわずかに早い旅程で昼頃に到着し、早速【水鳥の巣】へ馬車を向かわせた。
馬車で行く中央通りは綺麗だった。さらさらと水の流れる音があちらこちらから聞こえ、だがうるさくはない。
全体的に石で作り上げられ、街を支える足は強固なものだ。湖の比較的浅いところに建てられているそうだが、沈まないか心配になってしまう。
入口の北側から、出口の南側まで大きな道が一本通っていて、用のない者は税を支払う必要がなく、そのまま真っすぐに出ていくことができる。代わりに、申告のない滞在が伸びたりすると税が跳ね上がる。
水に強い石材で作られているこの街は、正しく湖の上の街だった。
ただ、水辺なのに不思議とオルワートほどの湿気は感じない。
「この辺はもう、ガルパゴスに近いからね」
そう言ったのはミリエールだ。
言われてみれば景色は平原ではなく遠くに山が見えるようになっている。たった六日程度の距離であっても気候は変わるのだと知って驚いた。
故郷でも県境で多少の気温差を感じたことを思い出した。
【水鳥の巣】は落ち着いた店構えで、冒険者用というよりは稼ぎの良い商人向けの宿だった。ミリエールは少し躊躇したが、ツカサとエレナは構わずに馬車を停めた。
「あら、うちに冒険者の馬車が停まるなんて珍しい」
物音に出てきた女性が素直に不思議そうな顔をして見上げてくる。くるくるの巻き毛をわしりと結んだ頭、意思の強そうな眉とそばかす。その顔が記憶の中のダイダールと被る。
「あなたがダエリール?」
「そうさ、どこかで会ったかい?」
「いいや、弟のダイダールの推薦で来たんだ。馬房はあるかな、馬車はアイテムボックスにしまえるから」
「おやまぁ!お得意様かい?それは失礼!馬房はあるよ、馬車はその便利なボックスにしまっておくれ」
ツカサはコインを渡してダエリールに笑い、言われたとおりに馬車を空間収納にしまった。
エレナは伸びをして、ミリエールはツカサをなんとも言えない顔で見ていた。
「なに?」
「本当、装備が規格外よねあなた」
「便利は便利だよ」
ツカサはにこりと笑ってダエリールに呼ばれ、ついていった。
ルフレンが入る馬房は広く、手入れが行き届いていた。ほかの馬もいることから商人が何人か泊まっているのだろう。
「弟が冒険者にコインを渡すなんて珍しいね、何を買ったんだい?」
「街の情報と赤ワインを」
「ははぁ、なるほど、面白そうだね。気に入ったのがわかるよ」
首を傾げるツカサの背中を叩き、ダエリールは宿の中へ促した。
「ダイダールは戻っているのか?」
「一か月前、ヴァロキアまで足を延ばすって手紙が来てたよ」
「あぁ、じゃあ会えそうにはないな」
「あんたが来てくれたことは伝えておくよ」
雑談を交えながら手続きはとても簡単で済んだ。
物資の補給で滞在は六日間、全員朝食を付け、夜は朝に依頼をする。お得意様値引きで朝食代は無料になった。部屋は二部屋、エレナはミリエールと女性部屋で、ツカサは久々の男子一人だ。
ツカサは中庭があれば鍛錬に使いたいことを伝え、それにも許可を得た。
部屋は商人向けなだけあって綺麗だった。物はきちんと洗濯されいい香りがし、布団の上にハーブの束も置いてある。出かける際にはこれを布団の中に入れてハーブの香りをつけるのだ。つまりシーツの交換はないということでもある。
暖炉にクッキングスタンドがあり、ツカサは夜食を作ろうと決めた。少し休んだあと三人で街の散策に出る。
通過点であるだけ、商人が行き交い、冒険者も客の顔をしている。ヴァロキアでも似たような空気の街があったなとぼんやり思い出した。
散策ついでに買い食いもする。レバーとパン粉で作った肉団子が入ったコンソメスープは滋養に良さそうな味がした。湖近くの森で採れるキノコを使った料理や、薄い衣をつけて上げたカツレツに似た料理など、美味しい物を楽しんだ。
夜が近づけばランタンが点けられ、夜市が活発になる。
常に門扉を開いているルフネールは商人が眠ることはない。
酒場でまずは生きていることを乾杯し、名物をテーブルに並べてもらう。
ここでいう牛を指すミノエスという魔獣の煮込み料理、湖の魚のムニエル、クレープのような生地が入ったスープなど、フェネオリアの地元飯を楽しんだ。
ミリエールはまだ気を遣っているらしく、肩を小さくして食事をしていた。
宿に戻り風呂に入る。外の賑やかな喧騒を聞きながら眠る夜も、悪くない。
翌日から調査に出た。
食材の調達をしつつ、乗合馬車組合に行って先の道を調べた。
ルフネールの先は国境都市のダージェスタ。ガルパゴスの気候や風土についての調査も忘れない。
国境都市にも備えるための店は多いが、先に準備をしておきたい。
「おたくは随分慎重だな、商人だってそんな細かいこと気にしないよ」
情報収集に来たツカサに対し、対応してくれた男性が苦笑を浮かべる。
話を聞いたところ、ガルパゴスは湿気などはなく過ごしやすい国らしい。フェネオリアで湿気に悩まされた一行としては嬉しい情報だった。
国としても冒険者を歓迎しており、手持ちの素材などはかなり喜ばれるそうだ。
なんだかんだ換金に出していない素材も多い。ジャイアントスネークの素材など、かれこれ二年目になってしまう。傷みはしないがそろそろ出すべきか。
ある程度旅先の目途もたった。
食料の買い出しもした。
ダンジョンはあるがここでは入らない。
一人部屋なのを良いことに、ツカサは夜にクッキングスタンドでソーセージを焼いて食べたり、ホットワインを作って飲んだりした。
一人になるのは久々だった。
明日出立し、国境都市を目指す。
ふぅと吹いたホットワインの水面が揺れる。
エレナに言われたことが忘れられない。
殺人を楽しんでいたのだと気づいて未だに頭の中が混乱していた。
守るために戦うことは自分にとっての正義ではある。
楽しかった。あの時、確かにツカサの中で正義よりも、恐怖よりも、ただ楽しさが勝っていた。
「化け物かぁ」
独り言ちた声はポットを温める火の音に消えていく。
膝を抱えて座った背中から影が伸びた。
ぽちょんと水音がして顔を上げる。
なぜかその音が気になった。
風呂は使ったあと水を抜いてしまう。魔法で水を張ったので魔石管から水が出ることはない。
いったいどこからあの水音がするのだろうか。
ツカサは気になって風呂場を覗いたが、やはりというべきか、何もない。
急にお化けが思い浮かんで怖くなった。殺し合いは怖くなかった癖におかしな話だ。
「――― なぁ、悩んでいるならラングに手紙でも書けよ」
はっきりとした声が聞こえて短剣を手に振り返る。
振り抜いた空間には何もなく、ただ切り裂いた風だけが残っていた。
変な汗をかいた。あまりにも鮮明に聞こえた声は、幻聴ではないと確信が持てる。何もいないのにそこに何かがいた気配すらある。
ツカサは動悸がするのを感じながら、振り払うようにシャドウリザードのマントを羽織り、宿を後にした。
夜の明かりの中を足早に行く。
商人の間を縫って、酒を飲みに出ている冒険者の隙間を縫って、ツカサは冒険者ギルドに駆け込んだ。
「レターセット、三つくらい」
カウンターに硬貨を叩きつけるようにして言い、ツカサは先にペンとインク壺をもらった。
紙を渡されると端の方の机を借りて手紙を書き出す。
何かに取りつかれた様にペンを走らせた。
依頼を受けたこと。
暗殺者に襲われたこと。
返り討ちにしたこと。
その時の戦闘が楽しくて仕方なかったこと。
今思えばそんなのおかしいことなのに、エレナに咎められた一瞬、理解が出来なかったこと。
文脈も何もかもを無視して思いの丈を手紙にぶつけた。
封をしてカウンターで手紙を送った。
それを確認はしたものの、ギルドを離れる気にはなれなかった。
テーブルで何をするでもなくぼんやり過ごしていると、ギルドスタッフが声をかけてきた。
「ツカサさん?先ほどお手紙送られてましたよね」
「あぁ」
「お返事が来てますよ」
「なんだって?」
差し出された手紙を奪い取り、差出人を見る。
そこに書かれた綺麗な字の、ラングという名に気が急いて指が震えた。
ギルドスタッフに受領料を支払い、礼を言うのも忘れて手紙を開ける。
そこには、いつも長文を書かないラングがある程度配慮してくれただろう文があった。
―― ツカサ
人というものは、特に男というものは自身の強さがどこまで通用するのか知りたがるものだ。
その結果、人を殺めることに繋がるのは、道理ではないかもしれない。
だが、やらなければやられる、それが
エレナにこの手紙を見せる必要はない。
―― ラング
たったこれだけの手紙が、ツカサの心を救ったと言っていい。
道理ではないが、やらなければやられるのが節理である。
生きるために仕方のないことであるし、本能でもあるとも言ってくれた。
ツカサはその手紙を、感じたままで良いと言われていると理解した。
「道理ではない、ただ、節理ではある」
ふらりと立ち上がり宿への帰路につきながら、これはツカサの新しい道標になるだろうと感じた。
日頃自分をすべてにするなというラングが、ラング自身の指標の片鱗を見せてくれたことが嬉しかった。
ツカサは深呼吸をした後、改めて強く一歩を踏み出した。
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