第87話 急変
ダンジョンがおかしいと報告を受けたグランツは、その真意を問うためにギルドを出て行った。
このタイミングを逃さないといった感じで【異邦の旅人】もギルドを後にし、買い出しをして宿に戻った。
夕食を男性部屋で四人で済ませ、お茶を飲む。四人なので買って来た量はそれなりにあったが、男性が三人もいれば綺麗に空になった。
宿へはギルドの要件が済んだことを伝え、明日出立になったことを伝えた。
そのときに「ダンジョンがおかしい」の情報も伝え、クロムとジェシカの判断に委ねることになった。
彼らは腕の良いスタッフだ、その真面目さと真摯な対応があればどこでも雇ってもらえるだろう。
ラングと空間収納から食材を交換し合い、それが落ち着いた頃にふと心配になった。
「あの二人どうするんだろう」
ツカサの呟きにアルがその頭をわしゃわしゃと撫でた。
「まぁ、ラングも言ったけど、ここは王都で、王国兵もいるし、冒険者の数も多い。幸か不幸か流通も多いからダンジョンからの供給が半年くらい無くったって潰れたりはしない。王都に閉じこもるか、安全を取って離れるか、それは難しい所だ」
「死んだりはしない?」
「どうだろうな、余程魔獣が溢れなきゃ大丈夫だと思うけど」
このメンバーの中で
「…大丈夫かな」
開け放ってある窓から暗い空を見上げた。
ダンジョンがどうであれ、【異邦の旅人】は先を目指してここを出る。
「今日はもう休め」
ラングが声を掛け、エレナが立ち上がり部屋へ戻る。
アルは少し体を動かしてくる、と中庭へ。
ツカサはラングに誘われてベッドに入り、額に触れる温かい手を感じて夢に落ちた。
――― ふわ、と風が抜けて瞼をくすぐった。
この感覚には覚えがある。
「おはよう、いいえ、おやすみかしら?」
優しい声が聞こえて、ツカサは体を起こした。
前に来たことがある、ラングの家だ。
その前で穏やかに微笑んでいるアイリスに笑みを返し、立ち上がる。
「久しぶり」
「えぇ、久しぶりね。随分と力を使わないで済んでいたみたいね?」
「おかげさまで」
扉を開けて中へ通されて少し驚いた。
以前は大人だけが暮らしていた場所に、小さなゆりかごがあったり、木で作られたおもちゃが転がっている。
「生まれたの? ラングの孫」
「えぇ、無事にね。これは娘に見せてもらったものをそのままにしてて…あら、あなた、ラングから聞いていたのね?」
「うん、だから早く帰って来いって言われてるんだって」
「そう、なんだか感慨深いわね。あの人、ツカサのことを余程信頼しているのね」
少しだけ面映くて口元が緩んだ。
「どんな子? 名前は?」
「双子なものだからてんやわんやしているみたい。娘に見せてもらった姿を見せるわね」
アイリスに手招きされゆりかごへ近づく。
中を覗けばすやすやと眠る赤ん坊がいた。
「性別…わかんないんだね」
「そうね、生まれてすぐは見分けつきにくいわよね」
くすくすと笑って、アイリスは愛おしそうに赤ん坊たちの頬を撫でた。
「
ツカサはなんだか自分の甥っ子姪っ子を見る気持ちで双子の赤ん坊を見ていた。
「男の子がリーマス、女の子がカミラよ」
「すごい、男女なんだ」
「そう、男の子の方はラングが名付けたの」
「女の子は?」
「私がつけたわ」
故郷だと義父母が名づけをすることにひと悶着あったりするようだが、ラングの故郷ではそうではないらしい。
「ラングはこの子たちの成長を見れているの?」
「えぇ、定期的に加護を使って眠ってくれるから、見せているわ」
「よかった」
ほっと胸を撫で下ろせばアイリスに頬を撫でられた。
驚いてそちらを見れば、慈愛に溢れた眼差しで見つめられていて恥ずかしくなった。
「あなたはとても優しい子ね。ラングのこと、よろしく頼んだわよ」
「…うん」
自分がラングに出来ることなんてあるのだろうか。
それでも、頼られたならばその時は頑張ろうと思った。
は、っとアイリスの表情が変わる。
「いけない、起こされているわ、お行きなさい」
今まではアイリスが送り出してくれていたが、どうやら起こされているらしい。
ぐらりと足元が歪んで悲鳴を上げそうになった。
「大丈夫、いってらっしゃい」
そっと伸ばされた手がツカサの額に触れ意識が遠のく。
挨拶もすることなくツカサは目を覚ました。
「―――ツカサ! 起きろ!」
「起きた、起きたよ!」
頬をパシパシと叩く手を払い、ツカサは体を起こす。
目の前には武装したアルがいた。
「今すぐ着替えろ、思ったより不味い状況だ!」
なんで、どうして、は聞かない。
以前にも言われていたが、まずは行動を始めることだ。
ツカサははっきりとしない頭をどうにか覚ますために両頬を叩き、簡易な寝間着から装備に着替える。
「何があったの? ラングは?」
着替えながら問えば、アルは窓から半分乗り出していた体を戻した。
「
ぎょっとしてツカサはベルトを結ぶ手が止まった。よくよく耳を澄ませば、明け方に鳴らないはずの鐘が不規則に鳴り続けているし、キャアキャア、ワァワァ、人の悲鳴のようなものが響いている。
「ラングとエレナは」
「ラングは屋根の上、エレナは支度を整えたらこっちの部屋に来る」
アルが指差す方を見れば、ラングは別の建物の屋根の上でダンジョンの方角を向いている。
ツカサはとりあえず把握して急いで装備を整えた。目覚ましに水を一杯飲んだところで、ラングが窓から戻った。
「すまない、別行動をしなければ巻き込まれなかったな。昨日出ていればと悔やまれる」
「いいって、その行動に賛成をしたのは俺たちもだ。誰が悪いわけでもなく、タイミングだけが悪かった」
「そうだよ、それで、どうする?」
「お待たせしたわね」
エレナが合流し、ラングが頷く。
「もとより
「あぁ、ダンジョンの大穴から建物の出口まで真っ直ぐだったもんな。あれが曲がりくねってたりしたら、また違っただろうに」
「でも、あの建物の中には冒険者もいたし、王国兵もいたよね? その人たちは何を」
「わからん、情報が無い。ダンジョンの中でどうなっているかも不明瞭だ」
外の喧騒が気になって窓から下を見た。住民は出来る限りの身支度をしているように見える。
扉に板を打ち付けたり、今まさに食料を買い込んで来ていたりと籠城を決め込むようだ。その行動からは王国兵と冒険者への信頼と期待があるのもわかる。
「マジェタを出る?」
「そうしたいのは山々だが、この騒ぎ、我々単身ならば出れるがルフレンは連れていけないだろう」
「いや待て、出来るかもしれないぞ」
アルが気づいたようにラングを手で制した。
「馬車で走ろうと思うから無理なんだ。空間収納に馬車をしまってしまえば、あとはルフレンに乗るだけで良い」
「そっか! その手が!」
「スキルの応用力の違いだな、それならば行けるだろう。エレナ、お前がルフレンに乗れ」
「感謝するわ」
「私たちは
ツカサにはわかった。
この問いかけが、全員に向けているようでその実、ツカサに向けられているものだということに。
決めたこと、覚悟したことの責任は自分に負い被さってくるのだ。
「大丈夫。もう決めた。何よりも俺、こんなところで名誉のために死にたくない、みんなを失いたくない」
その為ならば負け犬だろうが臆病者だろうが、いくらでも後ろ指を指されても良い。
ラング、アル、エレナがその言葉に頷きを返してくれた。それでいいと言外に言われた気がして、ツカサは拳を強く握った。
「もしも、もしもだ」
ラングが人差し指を立てて言う。
注目を集めたところでゲイルニタス乗合馬車組合の紹介状を全員に二通ずつ配った。
「もしはぐれてしまったその時は、スカイを目指せ」
ごくりと喉が鳴った。
「こうなってしまった以上、万が一に備える必要がある。もしバラバラになってしまった時は、ギルドに伝言を残すのも良いが最終目的地をとにかく目指せ」
「スカイのどこにする? アズリアからの船が入った港町か?」
「いいや」
ラングはアルに首を振り、ツカサに視線を戻した。
「スカイ王国フェヴァウル領、イーグリスだ」
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