第70話 新年祭
その年の最終日。
真っ白な雪景色の中、ランタンが煌々と吊るされる。
この日ばかりは雪かきがしっかり行われてたくさんの屋台が出た。
煮込みものが多いが、それを買い込み今日明日は家の中でのんびりとする人が多いらしい。
ギルドも開店休業状態で、今日は買い取りも行なっていない。冒険者もそれを良く知っているのでダンジョンへ出入りしてもカウンターへは近寄らない。ギルドを敵に回したい冒険者はいないのだ。
ツカサたちも屋台で大量に食事を買い込み、食堂には既にたくさんの料理が並んでいる。宿が作る料理もあれば、旅の商人が自身の故郷の料理を振る舞ったり、ラングも軽装で厨房に籠っていたりする。
【真夜中の梟】はエルドとマーシが酒を大量に買い込んできて、カダルとロナはチーズやハムなどのすぐ摘まめるものを手に入れて来た。
ルフレンの厩には他にも馬が増え、藁がたっぷりと敷かれている。扉の閉められた厩は併設の宿からの暖気で寒くはない。
それからツカサはエレナが作るミートパイの材料を出したり、拙いながらも調理を手伝ったりした。
意外なことにブルックも食事やお土産を手に、【若葉の宿】で
朝から仕込まれたいろいろは昼過ぎにはテーブルを埋め尽くし、宿にいた全員でコップを手に酒盛りの開始を待っていた。
ツカサの手にも酒がある。飲んでみれば良いと言われてから随分時間が空いてしまったが、
「で、これ誰が挨拶するの?」
ツカサは隣のロナに囁いた。
皆が皆そわそわとして周囲の様子を窺っている。商人は食事が冷めてしまうことを、マーシは早く酒が飲みたくて、宿の女将も主人も今日ばかりは食べて飲んでのんびりするために。
「基本的に、こういった宿で
「じゃあ、…エルドさん?」
「だと思ってたんだけど…」
ひそひそ話をしつつエルドを見る。エルドは手にコップを持ったまま、じっとラングを見ていた。
ラングはその視線に気づきながらも視線を合わせない。
「ラングさんにさせたいみたいだね」
「おなかすいたなぁ、エルドさん諦めて挨拶すればいいのに」
ツカサとロナが苦笑を浮かべていると、視線を感じた。そちらを見遣れば、その口元を不機嫌なへの字にしているラングであった。
聞こえたかな、とツカサは少しだけ肩を縮こまらせて上目にラングを窺う。
小さな嘆息の後、ラングはコップを手に持ち、それを指で弾いて注目を集めた。
「さして上手い口上が言える訳ではないんだが、そこの大男にやる気がないらしいので代わりにする」
苦笑が彼方此方から上がり、エルドは破顔を、マーシはその脇腹を小突き、カダルは胸に手を当ててラングに礼をした。
商人や宿の人たちはファイアドラゴンを討伐した冒険者こそと言いたげに、満足そうに頷いている。
エルドをしっかりと睨みつけた後、ラングは続けた。
「
各々思い当たることや思い返されることがあるのだろう。全員が頷いて聞いている。
「私の故郷では
ツカサは目を見開いた。
故郷のことをいずれ、いつか、と濁し続けたラングが語っている。
エレナもカダルもロナも、ラングとツカサの素性を知っているからこそ表に反応を見せなかったが、内心では驚いているだろう。
ラングは少しだけ沈黙をしたあと、ゆっくりと杯を掲げた。
「長い挨拶はどこでも嫌がられる、続きは聞きたい者にだけ話そう。良い
「乾杯!」
乾杯、と声が上がり、ようやく宴が始まった。
ツカサは手に持ったエールを一口飲んでみたが、正直美味しいとは思えない。酒精は感じるが味は薄く苦いだけで、強い酸味に喉が詰まる。これならホットワインの方が好きだった。
「ツカサ」
渋い顔をしているとこに声が掛かった。振り向けばラングだ。
人差し指をちょいちょいと動かしてツカサを呼ぶ。食事や酒に盛り上がっている人々は、挨拶の済んだラングに絡まないでいてくれたらしい。
食事だけとらせて欲しいと言えば、ラングの分も持ってくるように言いつけられた。両手に山盛りの食事を持って戻ればエレナも同席していた。
「たくさん持って来たわね」
「おなかすいちゃって、朝から食べてないしさ。はい、ラング」
「ありがとう」
ラングにも皿を渡せば礼が返って来る。
持って来た料理はエレナのミートパイとラングの作ったもの、それから買って来た串焼きや女将が作ったシチューなどだ。
軽い雑談をしながら料理を口に運ぶ。さくさくのパイ生地ととろりとした中の具材が美味しい。ラングが作った魚の香草焼きは臭みがなく、ぷりぷりした魚の身が美味しい。ドードー肉をカリっと焼き上げたものもジューシーで堪らない。
少し固く焼かれたパンは日持ちするためでもあるが、シチューにつければ柔らかくなる。すっかり食べ方にも慣れた。皿を半分減らしたところで、不意にラングが尋ねた。
「お前の知る
問われ、暫し考える。
ツカサは笑顔を返した。
「違うけど、これはこれで楽しいよ。なんでなのかわからないけど、スキルで懐かしい気持ちとか、そういうのが抑えられてるみたいなんだ。だから純粋に楽しいと思うよ」
「そうか」
「エールのお味はどう?」
「うーん、あんまり美味しくない」
「ふふふ、あらあら!」
エレナは可笑しそうに笑ってツカサは撫でた。その手が優しくてなんだか気恥ずかしい。
「スカイに着いたら美味しいお酒も飲ませてあげるわね」
「楽しみにしてる」
これは正直な気持ちだ。聞いている限りスカイの文明は高い。ということは美味しいものもあるということだ。それに生活ももっと便利なのではないだろうか。
過度の期待は危険だが、そうした希望は海を渡る覚悟を後押ししてくれる気がした。
新しい景色を見ることが楽しみでもある。
会話が盛り上がって来たところでラングから名を呼ばれた。
「ツカサ、手を出せ」
言われた通りに手を出せば、革紐で括られたペンダントを渡された。
「何これ?」
「お守りだ」
お守り、と言葉をオウム返ししてツカサは【鑑定眼】を使う。
――ラングのお守り。カプリオレスからドロップする赤い宝石を革紐で括ったもの。
確認が終わりラングを見れば、肩を竦めて返される。
「視たのならわかるだろうが、特別なお守りではない」
「カプリオレスからドロップって、ギルドのボードに貼ってあった宝石?」
「そうだ。革は物持ちの良いものを防具屋で買った。括るのは久々だったが、装備の下に着けるには問題ないだろう。着けてみろ」
言われ、ツカサは革紐を頭から通し首にかけた。指先で摘まめる小さなビー玉サイズの宝石だ。いっそ包んでいる革紐の分厚さを無粋に思ってしまう。首に当たる面はよく鞣されているのでつるつるしているが、首に触る物が初めてで落ち着かない。
「長さは大丈夫そうだな」
「うん、ありがとう」
ツカサは変な笑顔でお礼を言った。
正直、ロナやカダルと会話していた気持ちが高すぎて、この小さな贈り物を素直に喜べないでいた。その空気はラングにも伝わっているだろうに、何も言わないで果実水を飲んでいる。
「貴方の故郷の風習に倣う、と言っていたらしいじゃない?これはどういう風習なの?」
助け舟を出したのはエレナだ。
以前にエルドが仲裁出来るメンバーを入れた方が良い、と言っていたことが思い出される。
「明確には私の故郷、生まれた国の風習ではないんだが」
ラングは顎に手を当て、言葉を選んでから続けた。
「…育て親の、師匠の風習だ。何かあった時、小さくとも価値あるものを身に着けていれば、それがお前を助けるだろう、と。だからお守りだ」
言われ、ツカサは首にかけた宝石を指に取った。
ラングは自分に何かあっても良いように、ツカサに様々な予防線を張っている。そしてこれもまた、ラング手作りの厳しくて優しい贈り物だ。それを【こんなもの】と思ってしまった自分の心が恥ずかしくて逃げ出したくなった。
改めて謝罪とお礼を言おうと顔を上げれば、ラングに手で制された。
「お前の反応はまだマシだ。私は師匠に、もっと実益なものを寄越せとはっきり言ったぞ」
言ったのか。ツカサは思わず笑ってしまった。
「その時に言われたんだ。金の価値が違う場所でも、見る者が見ればわかる価値あるものならば、当座の資金にもなる。それがたった一晩の宿代でも、きっとお前を助ける時はあるだろう、とな」
持っていて嵩張らず、邪魔にならず、いざという時に備えられる。
なるほど、無くても変わらないがあって困らないのは確かにお守りだ。
「ありがとう」
次はちゃんと心から言えて、ラングはそれにふっ、と小さな吐息で応えた。
「私も聞いていて良い物かしら?続きがあるなら部屋に戻ったらどう?」
話題からしてラングの本質に触れると判断したエレナは、柔らかな声で提言した。その気遣いは温かく、女性的なものだ。
またしばらく考え込んだラングは軽く手を上げて断った。
「いや、風習についてこれ以上の会話はない」
「
「言葉が違うだけだ」
「あら、そう」
エレナはワインを傾けながらくすくすと笑った。
ツカサは恥ずかしさに滲んだ涙をこっそりと拭い、お守りを服の中に仕舞い込んだ。
「ラングは、師匠さんに何をもらったの?」
「もう手元にはない」
言葉をわかりかねてツカサは首を傾げた。
「まだ駆け出しの頃、依頼でヘマをして死にかけてな」
「ラングが!?」
「お前は私を何だと思っているんだ」
「いや、ごめん、全然想像できなくて」
慌てて謝り続きを促す。強い姿しか知らないので、失敗をする姿がイメージできない。
泥にまみれた姿や血反吐を垂れ流す姿というのが浮かばないのだ。ファイアドラゴンとの戦いでも酷い火傷は負っていたが、それを感じさせることなく凛然と立っていたのだから。
ツカサの知るラングは、常に真っ直ぐに立ち続けているのだ。
ラングは肩を竦めた。
「私にもクソガキだった時はある。師匠の思いやりを跳ね除けて反抗的だった時もあるし、自分の慢心が原因で誰かを死なせたこともある」
いつだったか聞いた、ラングは自分の力を過信しすぎて人を死なせたことがあると。
「あの時は単純に経験が足りな過ぎてな、よもや草原地帯があんなに長く続くとは思わず、餓死しかけた」
「ラングが!?」
「お前しつこいぞ」
「ごめん…」
「ふふ、あはは!二人共おかしいんだから!ほら、続き話しちゃいなさいな!」
エレナがラングの肩を叩き、ツカサには唇に指を立てて静かにと示す。
ツカサは笑いそうになる唇をきゅっと噛んだ。目がにやにやしているせいだろう、ラングは舌打ちをして続けた。
「私の故郷ではランクを上げるのに必ず受けなくてはならない依頼というものがある。そう言った試験的な依頼はギルドが斡旋するんだが、まぁ、そのギルド長というのが師匠の腐れ縁でな。飛び切り面倒な依頼ばかりを選んで、笑顔で渡してくるものだから何度か殺そうと思ったこともある」
思ったこともある、なので、実行してはいないのだろう。恐らく。
ツカサはこくりと頷いた。
「簡単な荷運びだと考えていた。聞いたことのない場所だが、村は点在しているだろうし馬車も、必要なら馬でもとな」
「草原地帯、というと、私の知っている草原地帯だと決まった村はないのよねぇ」
「え、そうなの?」
「えぇ、私の故郷、
「こちらも似たようなものでな、村や町があるだろうと安易に考えていたことが本当に悔やまれた」
なるほど、草原地帯のルールというものを知らなかったわけだ。
「手持ちの食料はなく、水も空。不運にも雨は降らず干からびるのを待つばかりというところで、遊牧民に見つけてもらえてな」
干からびるラングを想像が出来ず、口元が変に歪む。
本人は大変な思いをしたのだから、笑ってはいけない気がしたので我慢した。
「手持ちの硬貨は価値を成さず、食料と水、荷運び先の情報と道案内を頼んで、師匠からもらっていたお守りを代金として支払った」
「そっか、だから手元にないんだ」
ラングが頷く。
「お師匠さん、大笑いしたんじゃないの?」
エレナがワインを飲みながら尋ねれば、ラングは肩を竦めた。
「一生酒の笑い種にされた」
ツカサもエレナも笑ってしまったが、ラングは不愉快にならなかったようだ。
そう言った失敗話も経験も、自分にも出来ていくのだろうか。
ツカサは今日の
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