第46話 冬の訪れ
翌朝、ぶるりと震えて目を覚ました。
昨夜は気にならなかった冷気がある気がして思わず布団を手繰り寄せた。
それでも寒さを意識した四肢が温まらず、仕方なく覚悟を決めて起き上がった。
窓の外はまだ薄暗い。
「おはよう。早いな」
「おはよう、寒くて」
「そうだな」
先に起きていたラングがしゅんしゅんとお湯を沸かしていた。ツカサが起きたのでランタンの灯りが強められ、部屋が明るくなる。目が反射的にぎゅっと細められてツカサは大あくびをした。
テーブルに置かれているのは三脚で持ち上げられた小さな鉄製のカップに炭を入れ、その上にポットを置いてお湯を沸かす道具だ。炭はキッチンにお願いして一かけらもらってきたのだろう。火魔法が使えればクズ魔石に火をつけて使えるので、今はテントの中でよく使っている道具だ。これはラングの故郷の必需品の一つらしい。
ツカサは寒さのあまり鉄製のカップに手をかざした。
「本格的に冬が来るのかなぁ」
「季節が、わからん。月がよくわかっていない」
「あぁ、カレンダー的なものかな、ええと、前にメモをした気がする」
ツカサは空間収納から通学鞄を取り出し、科学の教科書を開いた。ノート自体は旅記で埋まっているため、メモがこうして散らばる羽目になっている。
「ノートは買えるだろう、時間のある時に書き写すべきだな」
「やるやる、今度買っとく。あった、これだ」
この世界の月の数え方と、故郷での数え方を並べて書いてある場所を指差す。
新月の月 1月
空の月 2月
萌え木の月 3月
春の月 4月
飛竜の月 5月
水竜の月 6月
土竜の月 7月
火竜の月 8月
潮騒の月 9月
紅の月 10月
雪花の月 11月
氷竜の月 12月
これはアーサーから習ったものだ。ラングはそれを勉強用ノートに書き写し、自身の故郷のものを三列目に書いて並べていた。
そちらの方でも十二ヶ月なのを見ると、時間の感覚は似ているのだろうと思った。
「俺の故郷と同じ月換算だったら、四月にサイダルに来ているから、今はたぶん十二月かな?寒いわけだよね」
まだ一年経っていないがそれでも長い気がした。生活の不便さにもある程度慣れたは慣れた。
「雪は降るのか」
「積もるって聞いた、もう少し詳しく聞いた方が良いかも。ロナがジェキア詳しいみたいだから朝ごはんの時に聞いてみようか」
「そうだな」
ドアがこんこんとノックされた。
「はい」
「おはよう、エレナよ。二人共起きているかしら」
ラングと顔を見合わせてから鍵を開けてエレナを迎え入れる。
ショールをふんわりと肩にかけて暖をとっているエレナの姿に、やはり寒いのだと再認識する。
「おはよう、どうしたの?」
「朝食まで少し時間がありそうだから、お茶でもどうかしらと思って。被っちゃったかしら?」
あら、とテーブルの上のポットを見てエレナが微笑む。
「いや、まだお湯沸かしてただけだから」
「そのお湯はお代わりに頂いていいかしら?もう用意して来ちゃったの」
エレナが手に持っていたポットを優しく持ち上げて、たぷりと音がした。
ラングが椅子を引いて無言でエレナを呼んだ。ツカサは慌てて顔を洗いに行き寝癖を直し、戻ったらすでにお茶の支度は済んでいた。ふわりとスパイスが香ったので得意のチャイだろう。
朝食前にこんな優雅な時間を過ごしたことがあっただろうか。
ラングが沸かしていたポットがシュンシュン湯気を出し、心なしか暖かくなった気がしている。
「そろそろ雪が降るわね」
「あ、そうか、エレナさん、エレナに聞けばいいのか」
「なにかしら」
年上を呼び捨てにすることに慣れない。けれどエレナは強情で、呼び捨てにしないと返事をくれないのだ。
「この辺、雪ってどのくらい降るの?」
「そうね、冬の女神の吐息が来ているからジェキアに着く頃には積もっちゃうと思うわ」
「冬の女神の吐息?」
「冬の季節の節目に起こるものをそう呼ぶのよ、霜が降りることをそう言うの」
なるほど、日本で言うところの立冬とか初冬とか、気候を言葉で表す時と同じだ。
「ダイムからジェキアまでは馬車もあるし、六日から八日で着くと思うわ。ジュマほど山に近い訳ではないし、積雪は膝下くらいまでじゃないかしら」
「それでも結構あるなぁ」
「ジェキアでどのくらい滞在する予定なの?」
エレナの視線がラングを見た。お茶を飲みほっとした息を吐いてラングは視線に応える。
「旅記を調べる時間は必要だろう。それから
「そうね、私もなんだかんだジュマで十年過ごしてしまってるし、今ならもっと良い道があるはずだもの」
「道中雪が積もっているのなら、春を待つ必要もあるかもしれん」
それは二、三ヵ月をもしかしたらジェキアで過ごすということだ。
「カダルたちはそのつもりだそうだ」
「長期休暇って言ってたっけ」
「ダンジョンもある、気晴らしに行ってそれなりに稼げるらしい」
「へぇ!」
「あらあら、男の子ねぇ。それならジェキアで冬宿を取った方が良さそうね」
「冬宿?」
「冬が明けるまで定宿にすることを冬宿、と冒険者は言うのよ。暖房魔道具は欲しいものね」
確かに、今でさえ気を抜くと手や足を擦り合わせてしまう。昨夜は布団の中に入りさえすれば大丈夫だったが、今朝は布団の中で寒かったのだ。今夜は工夫が必要かもしれない。
「何かあっためられる方法ないのかな」
エレナがお代わりのお湯をポットに注ぎ、少しだけ蒸らして全員のコップに注ぐ。そういえば自分用のコップが欲しいなとツカサは思った。全員でお揃いを買っても良いかもしれない。今日は食器を見に行こう。
「そうね、単純に火があればそれなりに暖かいわよ。例えば魔力で起動するランタン、あれを置いておくだけでも違うわ。あれは魔力を火に変換する術式が込められているものだから。あとは部屋を暖めるための魔道具ね。宿によっては小さな暖炉が付いていて薪を有料で売ってくれるところもあるわ。冬、暖炉で燃やすためにくず魔石をギルドは買い取ってたりするのよね」
「へぇ、そうだったんだ。魔力でつけるランタンならあるよ、ジュマのギルドで買ったやつ」
「ならそれを今夜点けてごらんなさい」
「わかった。エレナは?寒くない?」
「えぇ、スカイから持ってきている魔道具があるわ、ありがとう」
エレナは出来ることを全て自分でやる人だからこそ、気にかけてあげたくなるタイプだ。
必要でないことを断ることも出来る人で、ラングも好意的に接していることから気に入っているのだろう。
それからしばらく朝食はなんだろうとか、今日見に行きたいものを話したりしていたらすっかり陽が昇り階下から良い匂いがし始めた。
「じゃあ、食器は一緒に見に行っていいかしら」
「もちろん」
そんな話しをしながら降りていけば、食堂には何組かの商人と冒険者がすでに席についていた。
宿の小さな娘さんは年齢よりもハキハキとしていてツカサ達を見ると角のテーブルを指差した。
「おはよう!お兄ちゃんたちはあっちね」
「おはよう、ありがとう」
指差されたテーブルに座り少し周囲を見渡す。食堂には暖炉があって火が入っていて暖かい。その一番近くには高齢の男性がゆったりと腰掛、時々思い出したように紅茶を飲んでいた。
席の采配は女将だろうが、もしそれが娘本人が人を見てきちんと分けているのだとしたらこの宿の将来は安泰だ。
温かいクリームスープ、炙ったパン、ソーセージにハムの朝食は体を温めてくれた。ツカサ達の食事が終わる頃、まだ眠そうなマーシを筆頭に【真夜中の梟】のメンバーが降りて来た。
「うう、さぶい、冬の女神の吐息だなこれは」
「まだ数日あると思いましたね」
「席はどこだろうか」
「おにいさんたちはあそこ!」
ツカサ達の隣の席に来て朝の挨拶をする。
「もう今日から一枚増やさないと外はきついかもしんないな」
「ツカサ、ローブはあるのか?マントとか」
「あー、それも今日見てこようかな。この服、丁度良い感じに調整はしてくれるみたいなんだけど、やっぱ首とか手とか寒いし」
「いっそ旅の道中でなかったことが幸いしたな」
賑やかな会話に巻き込まれ席を立つタイミングを失った。空気が嫌でなくてついつい長居してしまい、結局ラングに鍛練に連れ出されて離席することになった。
エレナは、ラングとツカサの鍛錬が終わるまで部屋で石鹸の素材の在庫を確認すると言って戻って行った。
外に出ると息が白かった。
柔軟をするのにも体が強張り、思うように伸びていかない。見かねたラングは先に剣技の型を軽くやらせて体を温めることを優先した。
寒くとも体が言うことを聞くように、そうできるようになるのだと言われ、ツカサは遠い目をした。
温めて柔軟、その後基礎から手合わせまでやって鍛練は終わり、買い物に出ることにした。
ラングは宿でもう少しゆっくりするらしい。こだわりが強そうなので食器類は一緒に来て欲しかったが任せると言われた。代わりに風呂のお湯を熱めに沸かしておいてくれと頼まれたので、ツカサ達が出かけたらゆっくり体を伸ばすのだろう。エレナの石鹸を渡したら以前よりも風呂の時間が長くなったのをツカサは知っている。
「移動中、冬が来る。支度をして来い」
買い物で言いつけられたのはそれだけだった。
故郷の冬支度とは違うだろうからエレナに教えてほしいと頼めば優しく頷かれた。
街に出てお目当ての買い物を目指す。
冬支度は冒険者と商人と住民で若干の差があり、店も分かれていた。後学の為にエレナに全ての店を付き合ってもらったが、小さな差異が大きな違いで面白かった。
住民なら一時の外出の為に上着や雪避けの外套程度。
商人なら雪道を行くことを考慮して魔獣の毛皮や厚手の生地で織られている物が多い。かなり着ぶくれもする。
冒険者は動きやすさ重視で雪避けはマント、通常装備の上にもう一枚着れるよう少しサイズに余裕のあるものが多く並んでいる。それはラングが着ているように上から着て腰で留め、膝下まで長さのある上着だ。一枚あるだけで違うだろう。中には魔獣素材が使われていて嵩張らず薄手だが暖かい物もあった。
ツカサは魔獣素材を鞣した撥水性が高く軽いマントを一つ選んだ。いつだったかキャンプエリアで出会ったバネッサのパーティが身に着けていたシャドウリザードの革だ。鱗素材でざらざらかと思えば鱗下の革を加工したものらしく、さらさらで柔らかく滑らか、それでいて風を通さない高機能だ。しかもかなりお手頃価格だった。ジェキアのダンジョンの人気素材でダイムにも届きやすい素材なのだそうだ。肌寒さがあったので早速装備した。
上着は自身の袖丈に合う物で動きやすくスリットが入ったものを選び、ズボンも厚手の生地のものを何着か、靴下も同じように購入した。雪道を行くので足が一番凍傷になりやすいからとお店の人にアドバイスを受けたのだ。せっかくなのでラングの分も購入した。
エレナの冬支度はと問えば、十年いるのだから支度は出来ていると笑われてしまった。言われてみればそうだ。
それから食器を見に行った。冒険者用の破損しにくい木製の器やコップ、スプーンにナイフやフォークを改めて揃えた。ツカサは今までラングが最初から持っていたものを使っていたので、こうして自分のものを持つと早く使いたくなった。
午後を回り、エレナと共に昼食を外で済ませてから食材を覗きに市場へ繰り出す。
そこでラングと合流した。魚を持ってじっとしているラングに困惑したお店の人がどうすべきか悩んでいるところへツカサ達が来たのだ。ラングと同じパーティメンバーだということを伝えると涙目でお礼を言われた。シールドで表情が見えないせいもあるだろうが、無言で魚を見ていたラングが怖かったらしい。
「食材見に来たんだ?」
「そうだ」
「なんかあった?」
「魚をいくつか欲しいな」
「ふふ、せっかくだからあったかいお料理にできる食材を買いましょうね」
新しい関係性はとても心地の良いものだった。
食材について説明してくれるエレナ、無言で眺めてはいるが突然手に取って買い物を決めるラング、興味を惹かれたものを全て買おうとして笑われるツカサ。
異世界で初めての冬は、なんだか暖かいものになりそうな気がした。
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