第32話 後始末
眼が覚めたら木の天井があった。
体を起こすために腕に力を入れれば、ふかっとした柔らかさに手のひらが沈む。この感触は覚えがある。
「【グリフォンの寝床】のベッドだ」
【真夜中の梟】の定宿だ。いつの間に戻って来たのだろう。
かちゃりと洗面所の扉が開き湯気の立つラングが出て来た。インナーと、フードとシールドはいつも通りついている。最初はちぐはぐな姿に笑いそうになってしまったが、見慣れてしまった。
「起きたのか、おはよう」
「おはよう、いつ宿に戻った?」
「昨夜。お前は寝ていた」
ですよね。
運んでもらったのだろう、礼を言っておく。軽く首が傾いたのはどういたしまして、だ。
「お風呂入ったんだ、お湯は?」
「魔石使った、大量にある」
「そういえばそっか、俺も入りたい。足伸ばしたい」
「行く前乾かしてくれないか」
「うん」
ラングは【てにをは】さえわかれば、あとは単語を覚えて行くだけで会話は問題がなさそうだ。フードの中に手を入れる。ほかほかした風呂上がりの熱気を感じたので、風を吹き入れて髪を乾かし熱を逃がす。十分に乾いたら手を抜く。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「今日は鍛錬をする」
「ダンジョンから戻って、休みにするとかはないんだ?」
「体は動かす」
「それはいいけど、おなかも空いたよ」
「下でもらおう」
頷いて風呂に向かい、足し水、魔法で沸かし直して体を洗いばしゃりとお湯に浸かる。じんわりと指先から温まっていく。
ふぅ、と息を吐いた。目を閉じればダンジョンの草原が浮かび、目を開けば木の天井がある。
少し開けてある窓から涼しい風が入り込んで湯気を逃がしていく。もうそろそろ冬になるはずだ。街の喧騒は前よりもうるさい気がしたが、それはきっとダンジョンに籠っていたからだろう。
風呂から出たら日記を書こう。
ダンジョンにいたのは二十三日。日付が変わっていたはずなのでカウントは間違いないはずだ。
生きている。いつまで続くのかわからなかったダンジョンの恐怖が薄れていく。
風呂の中でぼーっとした。何もする気力が起きなかった。最後の最後に怒涛すぎて夢を見ている気がしていた。
「神様の力でも戻れない、か」
時の死神、セルクスの顔が思い浮かぶ。荘厳であり、それでいて人間臭い神様だった。
嘘を吐く神もいる。そうして騙される人や陥れられる人もラノベで読んできた。
「自分がその立場になると、何を信じていいかわかんなくなるなぁ」
素直な気持ちだった。読者と当事者では違うのだから当然ではある。
元の世界で神なんてものに会ったことも無ければ声を聞いたこともない。いるかどうかもわからないものが存在していて、言葉を交わした。学校の友達に言っても笑われるだけだろう。
夢を見る年ごろだが、同様に現実を見ている年頃でもあるのだ。
戯れにステータスを開いてみた。
【三峰 司(17)】
職業:
レベル:65
HP:380,010
MP:32,000
【スキル】
空間収納
鑑定眼
変換
適応する者
全属性魔法 レベル3
治癒魔法 レベル4
二度見した。
冒険者ではなく
憧れている人の職業に近づきつつある。それが思春期男子に嬉しくないわけがないのだ。
風呂にざぶりと沈んで、お湯の中で叫ぶ。
大声を出さなかったのは嬉し恥ずかしかったからだ。
一頻り湯をばしゃばしゃさせて発散した後、もう一度ステータスを開いた。
そして文字をなぞり、詳細を見る。
――
不思議な祝福だった。有用性がわからない。
祝福というからには悪い物ではないだろう。これはまた別途検証、と決め風呂から上がる。単純にセルクスが居たことが夢ではなかったとわかれば、それでいい。
少しごわついたタオルで体を拭い服を着替える。心なしか筋肉がついて来たような気がして、力こぶを作る。ぐぅ、と腹の虫が鳴いたのでそれくらいにして部屋へ戻った。
「あれ、軽装?鍛練するんじゃ」
「食事しようと【真夜中の梟】が。行けるのか」
「髪乾かすよ、待って」
マントだけは着けていないラングが待っていて驚いたが、とりあえずは食事だ。髪を風魔法で乾かしラフな格好のままで階下へ降りる。
「おはよう、ぐっすり眠れたか?」
「おはようエルドさん、マーシさん、カダルさん、ロナも」
「おはようツカサ」
すっかり貸し切りになっている食堂で一堂に会する。女将が笑顔でたくさんの料理を並べてくれた。
こんがり焼かれた厚切りのベーコン、良く焼いた目玉焼き、サラダにオリーブオイルで作ったドレッシング、シチューもあるし米もパンも山盛りに並んでいる。
ぐぅ、ともう一度腹の虫が鳴いて、笑いながら手を合わせた。
テーブルに皿を乗せ、椅子に座り食事を取る。それだけなのに人間に戻ったような気がする。
「地面に座って食う飯も悪かないが、やっぱこうしてる方が食べやすいよな」
ツカサの気持ちを知ってか知らずか、マーシがばくばく食べながらそんなことを言う。
「わかる、人間に戻った気がする」
「はは!言うね!」
「やっぱりベッドは良いよね」
「お前な、ダンジョン内でも普通に夢のようなテントの中でベッドだっただろ!」
わいわいと話す声、カチャカチャ食器の擦れる音、向こうで感じる他の人の生活音。
冒険者が酒場や宿屋を好むのがわかった気がする。こうして「戻ってきた」のを感じたいのだ。
「さて、飯を食いながら聞いてほしい」
エルドがばくんとパンを齧り、注目を集めた。
「明日、ジルが呼びに来るまでは自由行動だ。しっかり体を休めてくれ。明日の報告を経て【真夜中の梟】と【異邦の旅人】の合同パーティは解散となる」
かちゃりと全員が一度食器を置いた。
お互いに命を預け合い、同じ釜の飯を食べて来たメンバーと別れる。それは少しだけ切ない感情をツカサに覚えさせた。
「が、とは言え、だ。すぐにさよならになるわけじゃない」
ぐびりと飲んだのは朝からエールだ。
「二週間、ダンジョンが元に戻ったかを確認するのにかかる時間だ。十二日間はジュマにいてもらう必要がある。報酬は確認後だ。しばらく滞在してもらうことになるが、予定の一ヵ月半は間に合うだろう?」
「かまわん」
「よし、じゃあそう言うことでな。とりあえず今日は飲みに飲んで食うに食うぞ!」
おお!と冒険者らしい感じで杯を当て合う。ツカサもロナも果実水だが空気で酔える気がした。
朝食というには重いメニューをたらふく食べ、そのまま一日中酒盛りになるのだろうか。
女将が奮発してか甘い飲み物も出してくれた。紅茶にハチミツが入っているだけで味が格段に違う。
ラングも食事を進めているかとそちらを見遣れば、エルドとカダルと真剣な顔で話し込んでいた。
「【銀翼の隼】のやりようについて、俺たちから言うことも出来るんだがな」
「七十八階層踏破の功績と突破にかかった人命、比べればギルドとしては前者を取るだろう」
「そうなるだろうな」
「街の発展に変えられる物はないからな、ギルドも運営があるし、街と密接だ」
「やはり、自己責任か」
「同じことがないよう、周知するよりほかにない」
ふぅむ、と大人たちは腕を組んで頷き合った。
「ツカサ、どうした?食ってるか?」
マーシに肩を組まれ頷いて返す。ツカサの視線の先を見て、察したようにマーシは肩を竦めた。
「お仕事の話しかぁ、まぁエルドたちは仕方ない、そういう立場の人間だ」
「金級って大変なんだ」
「まぁな、それに俺たちは街付きだしな。拠点にしているとどうしたって役割が生まれるもんさ」
「マーシがなんだか大人なことを言ってる」
「大人なんですけど!?」
わしわしと頭を撫でくり回され笑い声が上がる。
「楽しそうだな」
「まぁね、あの、財宝を分けない?」
「あぁ、最後の、そうだな」
話しを切り上げる形だったが、エルドやカダルも頷いてくれた。
女将は食事と酒と果実水をありったけテーブルに出すと奥へと戻っていった。報酬に関して知らないでいることは宿自体を守るのだ。
かつて冒険者の財産を奪う宿もあり、報復をされ、報復をし、繰り返されるイタチごっこに暗黙の了解としてルールが生まれた。女将は誠実にルールを守っているのだ。
少なくとも、そうすることで良い冒険者が宿に付く。時にクズのような冒険者もいるが、それは少数派だ。
「じゃあ、出すよ」
セルクスから渡されてツカサが持っていた財宝が、テーブルの一つを埋め尽くす。
じゃらら、きん、かん、と金属の擦れ合う音が一頻り響き、やがて止まる。カダルと共に鑑定を行ない、紙に書きだしていく。
「冒険者って、命の危険はあるけど儲かるんだね」
「ツカサ、勘違いするなよ。今回のこれはとんでもなくイレギュラーだぞ」
「普段下層に居たって白金貨十枚出れば大儲けだったんだからな。今回ギルドが俺たちに支払うって言う白金貨百枚はかなりの破格なんだ」
「え、そうなの!?」
「個々人に分配してもかなり余裕があるからな、今回、【真夜中の梟】は体が鈍らない程度に長期休暇をとろうと思っている」
鑑定をし、記入し、繰り返しながらカダルが言い、エルドは肉を齧りながら頷いていた。
「お前たちはダイムに行くんだろう?」
「うん、ジェキアに行って調べたいこともあるし、そうなるかな。ダイムはどんな場所なの?」
「可もなく不可もなく。通過点には良い街だ」
「補給の街って感じではあるな」
これは見るべきというものは差し当たりないということか。実際行ってみないとわからないが、そういう評価もあったと思っておく。
財宝の記載が終わった。最後の報酬はこれだ。
アイスドラゴンの皮
アイスドラゴンの鱗
アイスドラゴンの牙
アイスドラゴンの爪
白金貨 600枚
金貨 400枚
魔石(最高級:大) 8個
魔石(高級:大) 10個
身代わりの指輪
影縫いのナイフ
癒しの杖
氷の剣
魔力の服
安眠のランタン
なるほど、入った時にはすでに討伐後だったので何がいたのか知らなかったが、アイスドラゴンが居たらしい。七十八階層踏破のとき【銀翼の隼】がクランで攻略した魔獣だろう。なかなか凶悪なガチャだが、ドルロフォニア・ミノタウロスが八十六階層ボス主なので力量がわからない。
もしかしたらゲームで時にある、ボスよりも中ボスが強いパターンなのだろうか。頭を振って余計な考えを振り飛ばす。
青く煌めく鱗が窓から差し込む明かりの中でブルーサファイアのように輝いている。透かしてみればどこまでも深い海のようで、時に差し込む陽の光のようにきらきらしている。鱗とはいうが、これはもう宝石だ。掌サイズの鱗は一枚ではなく複数枚あるので、これは等分された。
白金貨と金貨は二等分、三百枚と二百枚であっさり分ける。魔石も等分ができる数だったのですぐに分配が終わる。
ドラゴン討伐報酬のアイテムをさらに鑑定した。
―― 身代わりの指輪。一度だけ致命傷を代わりに引き受け、砕ける。
―― 影縫いのナイフ。影に刺せば対象の動きを封じられる。
―― 癒しの杖。
―― 氷の剣。冷気を纏った剣。
―― 魔力の服。常に魔力を回復する衣服。清浄機能付与。
―― 安眠のランタン。魔力を使用し起動すると、睡眠の質を向上させられる。
なかなかの品揃えだ。
まず、氷の剣はロングソードの分類だったので得物が合うマーシに渡った。クリスタルガラスで出来たような氷の剣は、鞘から刃まで透けていて、ほのかにひんやりとした冷気を纏っている。鞘から抜けばこちらも透明な剣だ。
美術品のような剣に切れ味や耐久に不安があり、マーシはエルドに協力を得て横から大剣で叩いてもらった。傷一つ付かずリィンと綺麗な音を立てた剣にマーシは大感動していた。
今後、帯剣するための方法は考えるらしい。
癒しの杖はどちらにも癒し手がいるので悩んだ。ただ、ダンジョン内で癒しの宝玉を【真夜中の梟】がもらっていたこともあり、杖と宝玉を交換した。
ロナの杖は持って帰って来ていたが、芯が折れてしまっていて魔力が込められなくなっているのだという。ロナの魔力が込められた宝玉を受け取り、ツカサは癒しの杖に魔力をありったけ込めてロナに渡した。
身代わりの指輪はラングが摘まみ上げてツカサに渡した。
困惑するツカサは【真夜中の梟】の面々を見た。全員がそれを当然のように頷いてくれて、ぺこりと頭を下げて右手の中指にはめた。こちらも防毒の指輪と同じでサイズが自然とぴったりになった。
影縫いのナイフはラングかカダルに向いている武器だ。
ラングは暗殺術にも長け、カダルは斥候、相手の動きを縫い止めるのには適している。ラングは特に欲しがらず、カダルは少し考えると言って保留になった。
安眠のランタンは【真夜中の梟】へ、魔力の服は魔法主体で戦いを見せたツカサへ回った。
トマリの服はズタボロでもはや清浄機能すらまともに発動しなくなり、いわゆる廃品になってしまっていた。新しい服が手に入り素直に喜ぶ。
今回の七十四階層、七十五階層の攻略で得た稼ぎは各パーティかなりのものだ。
白金貨 1,100枚
金貨 750枚
銀貨 150枚
もはや一生遊んで暮らせるレベルで稼げている。
ツカサとラングは今回以前にファイア・キングコボルトやアルゴ・オーガで得た収入もある。パーティ人数が二人なのもあってかなり余裕だ。
今後、この資金を考えればダンジョンに入らなくて済むので移動は早く出来るだろう。
一旦、割り振りが終わり全員がようやく肩から荷が下りる。
道中手に入れた余剰のランタン等はカダルが責任を持って売りに行くと請け負ってくれた。
「ギルドが白金貨百枚って言って、すごい喜んでたけど。これだけ稼いじゃうと金銭感覚狂いそうだな」
「そこはしっかりと財布の紐締めておけよ。うちは分配後の貸し借りは禁止なんだからな」
「わかってるって!そこは俺やらかしてないでしょ!今回はまず帯剣用のベルトを新調するんだ。こいつとの付き合いも長いから、どちらも状況で上手く使えるようにさ」
「堅実的な使い方で良いと思うよ」
「だろ!?ツカサは何に使うんだ?」
「うーん、石鹸欲しいなって。風呂も欲しい」
「お前ね、そういう使い方なの」
マーシに笑われなんだよ、と笑って返す。故郷でボディソープやシャンプーに慣れていた身としては、泡立ちの悪い固形石鹸はそれなりにストレスなのだ。熱い湯にたっぷり入りたいし、贅沢を知っているツカサには求めたいレベルがあるのだ。
「ま、二週間、のんびりしようや」
再びコップを掲げて全員が乾杯をする。
全員が見守る中、ラングも肩を竦めたあと軽く掲げてくれた。
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