第31話 脱出
体の重力が一瞬おかしくなり、不意に地面に落とされる。
と、と、と足を整え周囲を見渡す。
篝火が至る所に焚かれ、腰のランタンの助けもあってかなり明るく周囲が見える。
哨戒していた冒険者がランタンや松明を手に駆けて来る。
屋台の骨組みはばらして退かされ、新たに哨戒用のテントが建てられていて野営地になっていた。こちらのランタンが眩しかったのだろう、光を手で遮り目を細め、それから確かめるように叫ぶ。
「【真夜中の梟】か!?」
「そうだ、ロナは!」
「集会所に運んである!」
あの建物が集会所という名前だと初めて知った。
着いて来いと言われ全員で向かう。ラングは最後尾で周囲を見渡してからついて来た。
「ロナはどこだ!」
「落ち着いてください、マーシさん」
集会所に勢いよく入ったマーシが叫び、ジルが宥めた。エルドもカダルも気が気でない様子で中にいる人たちを見渡した。衝立のところに人が集まっていた。
「皆さん」
疲れている声がした。けれどしっかりと話している。
「ロナ!」
ぶわっと大粒の涙を零してマーシが飛びついた。
エルドも駆け寄り、カダルは深く、けれど目立たないように息を吐いた。
ツカサも冒険者や自警団の間を無理矢理進んで衝立の向こう側を見た。
「ツカサ、大丈夫だった!?」
あれだけ大怪我をしておきながら顔を見て開口一番叫んだのは、ツカサの怪我の心配だった。
ロナの剥きだしだった歯列は見えず、布団の上に置いた右手には肉がついていた。元通りのロナだ。
「ロナ!」
マーシがくっついたままのロナにツカサも飛びついた。
わぁ、と笑いを含んだ声でロナもマーシもベッドに倒れた。ぐすぐすと涙が溢れる。背中をぽんぽんと叩いてくる腕が嬉しい。
「ロナ、生きてた、よかった…!」
「ツカサも無事でよかった!ごめん、止められなかったよ」
「俺が短剣、奪われたから、ごめん!」
「予想外の行動されちゃったね」
「ロナ、手当て間に合ったんだな」
「やっぱあいつが帰るのきちんと見届けるべきだったな、ごめんな」
全員がそれぞれ胸に思うことがあった。それらを全て置いておいて生還を無事を喜んだ。
死が常に隣り合わせの冒険者だからこそ喜ばしいことだった。
「ジル、手当てをしてくれたのは誰だ、ここまで五体満足に治してくれた恩人は?」
この時ばかりはエルドがしっかりと周囲を見ていた。リーダーとして礼を通すところは礼を通さねばならぬとわかっているのだ。
「通りがかりの金級パーティがロナを助けてくれました。」
「通りがかり?ジュマにはうちと【銀翼の隼】しか金級はいないと思っていたが」
「そうです、ですから、通りがかりだったんです」
ジルがお茶を指示し、関係者だけを残して集会所を閉め切った。
すっかり体の起こせるようになったロナを囲み、お茶を手にベッドや椅子に座って一息を吐く。生きていることがわかり、加えて五体満足でいたことが安堵に拍車をかけ睡魔が襲って来ていたが寝る訳にはいかないだろう。
今ここにいるツカサは冒険者なのであって学生でも子供でもない。命の危機に瀕したロナがそうであったように、一丁前の大人として扱われているのだ。
「まず状況からご説明します」
こほん、と咳払いのあと、ツカサ達が戻るまでの数十分をジルが話してくれた。
ロナがミラリスと現れる前に時間は戻り、深い夜の闇を篝火が照らしてる時分。ジルは微かな眠気と語らいながら交代の報を待っていた。
冒険者ギルドからは日に二人、二交代制で担当が出て来ていた。この日は統括のジルと年若いナディアが共にいた。ナディアは慣れない緊張下で疲れ果てすっかり眠りについていた。
現状、それを責めることは出来ない。
ジュマの街に居たら居たで、ダンジョンへ出れない冒険者からの問い合わせや罵詈雑言に、説明と下げても意味のない頭を下げなくてはならない。常日頃蓄えているタイプならいいが、それが出来ない冒険者はこう言った時に暴挙に出る。
他の町村からジュマのダンジョンを当てにして来ている者たちもまた、頭を抱えていた。
飲食店は食材の在庫に怯え、住民も店から減っていく食材に怯えていた。
ジュマの街周辺にも食材になる魔獣はいるが、ドロップ品ではなく解体と加工が必要になるため、冒険者ギルドと解体が出来る肉屋は圧迫されていた。
そう言ったやり取りもあったために、経験の浅いナディアが疲れ果ててしまうのも仕方のない事だった。
ギルドマスターはギルドマスターで、連日魔道具を使って他の街に呼びかけ、食材の調達ルートと
それでいてダンジョン前に張っていなくてはならない職員に対し、自分が行けないこと、負担を強いることを誰よりも疲れた顔で詫びるのだから良い人だ。
ただ、それでも流石に疲れが酷い。目頭をぎゅうっと押さえて揉む。
「ジルさんよ」
「あぁ、交代が来てくれましたか?」
集会所に入って来た冒険者に力のない笑みを向ける。冒険者は苦笑を浮かべ、首を振った。
「いや、それが、金級が来てて」
「他の街からの援軍ですか?」
「どうも違うようで」
要領を得ない会話にジルは手招きに従って外に出た。
ダンジョン前に見慣れぬ装備の冒険者が居て、ランタンを照らしダンジョンの入り口を覗きこんでいた。
「立ち入り禁止ですよ、どこの冒険者の方ですか?応援でしょうか」
「あ、いや通りすがりで話しを聞いて、少し見に来ただけなんだ」
ランタンがからんと鳴って振り返る。その冒険者は冒険者らしからぬ優しい風貌をしていた。
闇夜でも輝く金糸の髪に暗闇でも見える様な透明な水色の瞳、ピンと筋の通った姿勢、不思議な威圧感があった。
「
「えぇ、そうです。今は金級の【銀翼の隼】と【真夜中の梟】が入ってます」
「そっか、まぁでも大丈夫だろうね」
「ところで、あなた方は?見かけない冒険者ですね」
篝火に照らされた馬車は上等なものだ。御者席の冒険者は視線が合うと丁寧に会釈をしてくれた。
「僕たちは【快晴の蒼】という冒険者パーティだ」
ギルドカードを差し出され、ランタンの灯りの元で確認をする。
金色のカードに書かれたパーティ名、名前、職業は双剣使い。金髪の青年は腰に剣を二本下げていた。それはラングと同様に鍔のないすらりとした物だった。
「僕はリーダーのヴァン、よろしく」
差し出された手を自然に握り返し、よろしく、と無意識に返した気がした。
「サイダルに向かう道すがら、こちらにも入ろうと思っていたんだけど。閉鎖されているというから
「そうでしたか。こちらとしては金級冒険者は願ったりです、大丈夫そうなら」
「1階層の間引き?それならもう行ってるよ」
にこりと笑われてハッと入り口を見遣る。
入口を警護していた冒険者と自警団員がおろおろと中を覗きこんでいた。
魔獣避けのランタンで一階層入り口を蓋をしてあるが、その光の向こうで魔獣の眼がぎらぎら輝いていたことを思い出す。
「危険です」
「冒険者なんだからそれは当然」
当然のように言われ返す言葉が浮かばない。
なんの心配もしていない表情で言われれば不安が消えていく。
「ところでなんでまた
「七十八階層を踏破して、それからダンジョンがおかしくなったんです。気づいたのが早かったので犠牲は一パーティで済みましたが、ジュマは大打撃ですよ」
「ふぅん…、七十八階層で踏破にならなかったんだ。ここ、随分深いんだね」
「えぇ、そのようです。ヴァンさんはどちらから来られたんでしょうか?」
「アズリア方面から来たんだ」
アズリアは
各地を放浪出来るだけの能力がある冒険者なのだろう。どこでも仕事があるのだ。
ダンジョンの入り口を眺めるだけの沈黙が続く。
ぱちりと音がしてヴァンを見れば、懐中時計で時間を見ていた。
「そろそろ戻ってくるかな」
声に応えるようにごつ、ごつ、とブーツの音がして入り口を見張っていた冒険者がざわつく。
「おおい、ヴァン!待たせたな、結構数がいて素材拾うのに時間がかかった」
「ひゃー狭かった狭かった!シェイ様様!」
茶髪のガタイの良い男と、緑髪を一つに結んだ男と、中世的な銀髪の者が暗がりから篝火の下に現れた。
それぞれが前衛の剣士、遊撃手、魔導士だということが見た目でわかった。
「どのくらい片付いたの?」
「手あたり次第だったからなぁ、とりあえず一階層は綺麗になったと思う」
「だな、大きめの魔石も出たからかなり高ランクが上がって来てたな」
ふむふむと聞いているヴァンには余裕がある。
「持ちそうかな?」
「余裕だろ。あとはもう、ここの冒険者に任せるしかない」
「十分、それじゃ行こうか」
「待て」
低い声がしてジルは驚き、銀髪の人を見た。低音がそちらから聞こえたのだ。肩まであるさらりと揺れる銀髪と細身のせいで女性と思っていたが、どうやら男性だったらしい。
男が見ている場所へ、僅かな間の後、人が二人現れた。【離脱石】か【帰還石】を使ったのだろう。
慌てて近寄りランタンをかざし絶句した。【真夜中の梟】のロナが今にも死にそうな息でそこに居た。
「ロナ!」
「神官殿の手当を!」
見たことのない女が叫ぶ。掴んだ左腕を肩に回してロナを担ぎ上げようとするが、それは悪手だ。内臓が流れ出てしまう。
「止せ、動かすな!そこで手当てをする!」
「退け」
銀髪の男が一歩近寄り、離れた場所から手をかざした。
辺り一面が明るくなるほどの光が弾け、目を瞬かせてロナを見れば怪我は一つも無くなっていた。
まるで雪のように暖かな光がきらきらと宙に舞い、落ちていき静かに消える美しい光景に目を奪われた。
「これで良いか、ヴァン」
「ありがとうシェイ。あ、失くした血は戻らないからしばらくは安静にさせておいてね」
それじゃ、と軽い挨拶で【快晴の蒼】は自前の馬車に乗り、さっさと離れて行ってしまったという。
話しを聞こうとすればガタイの良い男が良いから良いから、と笑顔であしらい、お礼を言いながら駆け寄った女は銀髪の男の手を勝手に取って不興を買い、ぶわりと圧が抜けたと思えば木に叩きつけられて気を失った。
ヴァンは笑顔を絶やさずに馬車に戻るまで銀髪の男と何かを話し、緑髪の男はジルに騒がせたと苦笑を浮かべて労い、御者席の冒険者は慣れた手つきで馬を回してその場から消えた。
ジルはそれ以上追えなかったという。
「不思議な一行だった、けれど確かにロナは助けてもらいました」
「礼をさせずに、求めずに立ち去るなんて粋だがでかい借りを残されたもんだ」
エルドが何とも言えない笑みを浮かべてがりがりと頭を掻く。冒険者として借りを作るのは避けたい。ただ、話しを聞くだけで同じ金級でも格が違うのは感じたエルドは、その厚意を有難く受け取ることにした。
「じゃあミラリス、ロナを連れ去った元凶はどこに?」
「それでしたら外のテントに。素性が知れない、いつダンジョンに入ったかもわからないので、こちらで保護するには不安要素でしたので」
「賢明な判断感謝する。ロナをあんな目に遭わせたのがあの女だ」
カダルが苦虫を噛み潰したような顔で言う。
ツカサはざっくりと何があったかを話し、ミラリスが余計なことをする人物であることを伝えた。ジルは感じる所があったのだろう、深く頷いて立ち上がった。
「皆さんが戻られたのは、ロナのことだけではありませんよね?」
「あぁ、目途がついた。報告は急ぐことでもない、すまんが明日にさせてくれ。ダンジョンの閉鎖は二週間そのまま続けてくれれば良い」
「わかりました。二日後皆さんの定宿へ伺います。体を休めてください」
あぁ、終わった。そう思ったのはツカサだけではなさそうだ。
マーシは一気に脱力して椅子でだらけているし、カダルも膝に肘をついて深呼吸をしていた。
ダンジョンの調査はこうして終わるのだ。明確な答えは求めなくても、最深部まで行かなくても元に戻ることがわかればそれで良い。ゲームのような始まりと終わりがはっきりしていないが、現状から解放されるなら満足だ。
いつかダンジョンは踏破してみたい。けれどそれは、こんな風におかしくなっていないダンジョンでしたい。
微睡みに堪えられなくなり、ツカサはロナの隣のベッドでそのまま目を瞑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます