第18話 出立


 三日目の朝、ラングとツカサは作戦会議をしていた。


 これからマブラを出るが、サイダルでの決着もわかっていないままジュマへ向かう。

 道中で会う可能性も否定が出来ず、ただここに居続ける訳にもいかない。

 結論としては非常に簡単だった。

 

 街道をそのまま行く。


 それしかなかった。


 マブラを出る日、朝食を済ませ宿を出てサイダルから入ったのとは違う出口でギルドカードをかざした。キースたちが見送りに来てくれて、餞別にあの串焼きを渡される。


「うちの団員が済まなかったな。本来ならサイダルのことが落ち着いてから出る予定だったんだろう?」

「大丈夫、団長さんにはお世話になりました」


 ぺこりとお辞儀をすれば肩をぽんぽんと叩かれる。

 

「道中の無事を祈っているよ、冒険の女神オルバスは心にいるかい?」

ラング師匠ならいます」

「ではただ、友として祈ろう。武運をラクリェール


 ツカサは笑って頷き、歩き出したラングについて行った。見えなくなるまで何度か振り返り、キースとダイオンに手を振った。


 これで、ツカサのマブラでの生活は終わった。


「言語はこのままでいいんだっけ」

「あぁ」


 ジュマまでの道のり、ラングはツカサとたくさん話すことにしたらしい。人に聞かれたくない会話や、すぐに意思疎通をしなくてはならない場合を除き、ここの言語での会話を続けることにした。

 言語を合わせる場合は、ラングが左の宝珠をトントンと叩くのが合図だ。

 これは通訳の合図とは違い、あまりにもわからない時の救済措置として決めた。言葉が通じないストレスでお互いに険悪になりたくない、ツカサからの提案だった。


「昨日は大変だったね」

「大変、…子供」

「そう、あの子たちのパーティ」


 宿の料理が豪勢だったのは良い。他の宿客に睨まれるからと部屋に運んでもらったため、食べきれない分は空間収納に入れて来れたのも助かった。

 今こうして昼休憩に食べているのはその残りだ。街道から少し外れて腰かけられる岩に座り、そよそよと心地よい風が吹いている。


「大変だった…」


 ぽつ、と呟き、昨日の出来事を思い出す。




 昨日、解体されたジャイアントスネークの素材と報酬を受け取りにギルドへ行ったときだった。

 ティアのカウンターに並んでいた時に、生き残りの少年と少女に声を掛けられたのだ。

 助けてくれた人の特徴として、ラングのシールドは良い目印になったのだろう。

 最初はよかった。助けてくれたことへの礼を述べ、ラングとツカサが求めなかった救済の保険金をギルドから受け取って欲しいとの申し出を受けた。ツカサが通訳として間に立って話し、それを断った後からが問題だった。


「パーティに入れてくれませんか」


 そう打診を受けたのだ。

 ツカサは困惑した。その時ティアのカウンターに辿り着けていたら仲裁があったのかもしれないが、辿り着けていなかったのも不運だった。

 周辺の冒険者がそのやり取りを遠巻きに眺めていた。

 パーティリーダーは自分じゃないから、とツカサがラングに確認を入れると、にべもなくただ一言


『断る。甘ったれるな』


 とだけ返ってきた。

 自分たちが兄弟でパーティを組んでいること、リーダーである兄が断っていることを伝えたが、少年は引き下がらなかった。


「最適なパーティ人数は四名だと習いました、それに、あの魔獣を倒せるだけの人のパーティで力を身に着けたいんです!」

「悪いけど、答えは変わらないよ」


 ラングに優しい言葉で断るなと釘を刺され、ツカサもはっきりと断り続けた。

 違う言葉で同じ内容の応酬が何回か続いたあと、少年は叫んだ。


「ならどうしてもっと早く、来てくれなかったんだよ!来てくれてたら、二人だって!」


 それを聞いた瞬間、ツカサは喉で言葉が詰まった。

 ラングが自分のために決めた選択で、命を失ったあの二人の姿が脳裏に思い浮かぶ。いや、ラングだけが全力で走って行っても間に合ったかはわからない。よくよく思い返してみれば、壊滅状況からして遭遇してすぐに追いついた気もするのだ。

 それでも。ぎゅ、と唇を強く結ぶ。

 その様子に何かを察したらしいラングが、ツカサの前に出た。


 ぱん、と乾いた音が響いたのはすぐのことだった。


 ラングの振りぬいた平手が少年を張り飛ばし、床に転がす。

 目を白黒させている少年に近寄ると、その胸倉を掴みぐいっと上まで持ち上げた。


『今こいつは何を言った』

『確認してからそういうことして!?なんでもっと早く来てくれなかったんだ、って言われたんだよ』


 余りの出来事に結んでいた唇が呆気に取られ開いてしまった。

 行動してからの問いかけに、脱力をしてツカサは通訳をする。視界の端に駆け寄るギルド職員が見える。


『自分の命に責任が持てないのなら、冒険者など辞めてしまえ。パーティメンバーの命に責任を持てないのなら、パーティなど組むな』


 放るのではなく、床に叩き落としてラングが吐き捨てる。

 背中を叩きつけた少年は咽て咳き込み、必死に息をしている。もう一人の少女は魔導士らしく、杖を抱え込んでがたがたと震えていた。


 ラングが故郷でパーティを組まなかった理由の片鱗が見えた気がした。

 駆けつける職員が状況を確認する声に、ツカサは今のラングの言葉をそのまま声に出した。


「俺たちは他の人をパーティに入れる気はない。あの二人は、運が悪かったんだ」


 何度も聞いた慰めを口にする。慣れるしかないのだと思った。

 少年は床に転がったまま、震えながら泣き出してしまった。


「あんたの言うことは、冒険者なら誰もが肚に決めておかなきゃならねぇことだ。ちっとイテェお仕置きだったが、正論だ」


 後ろに並んでいた冒険者がラングの肩を叩こうとして払いのけられ、苦笑しながらそう言った。

 

 そうして、無事に素材と報酬は受け取れたものの、後味の良くない状況でギルドを後にしたのだ。

 とはいえそう思っているのはツカサだけなのだが。


「そろそろ動くぞ」

「わかった」


 ラングに促され立ち上がる。ツカサはまだ微かに見えるマブラの城郭を見た後、前を向いた。


 

 旅の道中は特にトラブルもなく十日が経った。


 街道で人とすれ違う回数と、キャンプエリアで出会う隊商と冒険者パーティの数だけがサイダルとマブラの間とは違う。

 ツカサはラングと共にジュマから来た冒険者と会話し、ジェキア周辺のことやジュマのダンジョンのことを聞いて尋ねた。

 

「ジュマのダンジョンは最近七十九階まで行ったらしいぞ」

「マブラでは七十八階って聞いたけど、すごいね」

「それがな、大規模なパーティを組んだらしいんだ」


 冒険者たちが焚火を囲みそれぞれの話題で盛り上がっていたが、ジュマのダンジョンの話題で全員が話し出す。


「フェネオリアじゃ最深部が六十階だからな、この時点でジュマは上を行っている訳だが、何階層なんだろうな」

「だがよ、七十九階まで行った時にも七十八階ボス部屋でかなりの人数が死んだらしいぞ。ボス部屋見つけただけでもすごいんだがよ」


 ここでもボス部屋という単語を使うのか。ツカサはふむふむ聞きながら情報の収集を行う。

 ラングはたくさんの音を聞いてわかる単語を拾っているようで、ノートを手に聞こえた単語を指差している。ラングのことは先に説明をしていたので、世話焼きな冒険者が「違う違う、今のはこっち」と横からラングのノートを指差していたりする。ラングもそういう交流は大丈夫らしい。


「七十八階までってどうなってるんだろ」

「十階までなら結構楽に行けるぞ。出るのもスライムだゴブリンだコボルトだ、低級ばっかりだしな」


 ファンタジーきた!と声に出さず叫ぶ。

 今のところ遭遇したのが小型の熊とでかい熊の死体とでかい蛇だったので、感慨深いものがある。


「コツさえ知ってりゃ難なく進めるだろうな」

「サイダルでもダンジョン入ってなかったんだろ?最初は二階までにしておけよ、初めてなら結構しんどいぞ」

「そうそう、スライムだって上手く核を潰せなくて窒息死するやつが今だっているし、運が悪けりゃ中から溶かされて喰われちまう」


 そういうこともやっぱりあるのか。ツカサはごくりと喉を鳴らした。


「核を潰すときはな、メイスかハンマーで叩き潰すか、じゃなきゃ突きの一撃で殺すのさ」

「火魔法が使えりゃ楽だが、魔導士が少ないからな。坊主はどうだ?」

「俺は短剣二本で頑張るよ」

「おうおう、粋が良いな!使い方はわかるのか?」

「バカ、さっき兄貴に教えてもらってるって言ってただろうが」

「お、いいぞ、よーし見せてみろ!」


 酒の入った冒険者も中には居て、囃し立てるように指笛が鳴らされる。すでに灰色級なのは伝えてあるので、恥を承知で腰を上げる。


『ラング、短剣振って見ろって言われたんだけど、いいかな』

『かまわん』


 師匠からの許可も得て、ツカサは短剣を二本手に持ち、立礼をとる。

 構え、教わった動きをゆっくりとだが繰り返す。

 自分の体の一部のように、腕を伸ばすようにして短剣を突き出し、体をなぞるように滑らせて盾にする。動きの一つ一つの意味は繰り返し教わった。そしてそれが体に馴染むまで続けることで動きが刷り込まれて行くのだとラングは言った。

 咄嗟の時、それが自身を守る力になるのだと諭された。


 一連の型が終わり、再び立礼を取る。


 いいぞ坊主、よ、未来の金級冒険者、と揶揄われ少し照れながらツカサはまた地面に座った。


「坊主にここまでしっかり教え込むたぁ、兄貴は良い腕してるんだな」

「わかるの?」

「ある程度冒険者をしてる連中は、動きを見れば程度がわかるのさ。アンタはまだ動きがなまっちょろいけど、教わってる剣技は良いもんだ」


 焚火の向こうから声を掛けて来たのは女性冒険者だ。

 バネッサと名乗った赤髪の女性は銀級冒険者だ。パーティは人数も多くて五人、リーダーのバネッサの他にも女性が二人、男性二人のメンバーだ。

 バネッサは腰に剣を下げていて剣士、男性がタンク、斥候、女性が癒し手と遊撃手だ。

 バネッサのパーティの女性はセクシーな装備ではなく、肌の露出はほぼ全くと言っていいほど無い。光沢のあるズボンは動きに合わせてよくしなることから、かなり良い装備なのだと思う。

 【鑑定眼】で覗き見したらシャドウリザードの皮らしい。知らない魔獣の名前だった。


「酒の席の余興だよ、どうだい、アタシと一手ヤらないかい?」


 立ち上がり、鞘に納めたままの剣をラングに向ける。

 周りが歓声を上げて盛り上がる中、ラングは隣の冒険者にノートを突き出し、単語に夢中だ。その冒険者も熱心に付き合っていて喧騒に気づいていないのが笑ってしまった。

 

「ラング、ラング、話しかけられてるよ」


 ツカサがマントをくいくい引っ張ってようやく気づいたらしいラングがバネッサを見上げる。隣の冒険者を振り返った。


「あー、えーと、彼女は、うーん、あんたと戦う、したい、わかる?」

「なんでお前まで片言になってんだよ。坊主、ちゃちゃっと説明してやれ」


 背中を叩かれて通訳をする。雰囲気でわかる、面倒くさそうにしている。バネッサを見上げてため息を吐いた後、ふいと視線を逸らしてまた隣の冒険者にノートを突き出してしまった。


「フラれたな、バネッサ姐さん」


 げらげらと笑う冒険者たちにバネッサは耳を掻いた。この程度のことで激昂はしないらしい。

 冒険者の中ではこう言ったやり取りも日常茶飯事なのだろう。


「なんだい、つまらないね!じゃあ何か賭けるかい?」

「お、何を賭けるんだ?」

「あー、賭ける、物を、えーと、景品にすること!景品、通じる?」

「お前ぇはまだやってんのか」

「埒があかねぇ、弟、兄貴に何とか言ってやれ」


 総勢二十名近く居れば、会話もとっちらかる。

 ツカサは乱暴ではあるが険悪ではない雰囲気に笑って、ラングにバネッサからの申し出を伝えた。

 ついでに言葉も教えておいた。ラングは早速それを実践で使う。


「賭ける。何?どれですか?」

「おお、いいぞいいぞ、使えてる!発音もばっちりだ!」

「だからなんでお前が感動してんだよ!」


 ラングとノートを覗きこんでいた冒険者は人が良いのだろう。自分のことのようにうんうんと頷いていた。それにまた笑いながら、ツカサはバネッサの出方を窺う。


「そうさね、アタシからはパーティメンバー以外の何か一つくれてやるよ。おっと、武器は無しだ、商売道具なんでね」


 ひゅう、とか、おお、とか盛り上げる声が上がる。


「アンタに賭けてもらうのは、そのシールドの下の素顔でどうだい?」


 今夜一番の歓声が上がった。ツカサもそわっと腰が浮いた。

 しばらく考え込んだラングだが、ノートをぱらぱらと戻り、文章を見つけると読み上げた。


「私は手加減ができない」

「上等じゃないか!」


 バネッサは楽しそうに笑って剣を振った。もちろん、鞘に納めたままだ。戯れであって命のやり取りではないのだ。

 ラングはシールドの下で呆れたように息を吐くと、立ち上がり両腰に吊るしていた剣を二本ともツカサに渡した。冒険者の輪から出てバネッサと対峙するラングは素手で行くらしい。両手を挙げて武器を持たないアピールをした。


「舐められたもんだね」


 それはバネッサのプライドに火をつけたようだった。

 囃し立てる冒険者たちの声に、ツカサも剣を腕に抱えて固唾を飲んで見守る。

 処刑人パニッシャーを名乗るラングが人と戦うところを初めて見るのだ。


「どんな面だか見てやるよ!」


 バネッサが素早く地面を蹴ってラングと距離を詰める。自分の体で導線を隠し地面すれすれから剣を振り上げた。大ぶりの動作で振り上げた脇が無防備になるが、ラングはそこに打ち込みはしなかった。

 とんとんと後ろに下がり、当たらないだけの距離を取って終わる。

 

「おや、良い勘してるじゃないか」


 バネッサはわざと隙を見せて誘い込み、カウンターを喰らわせたかったのだろう。

 距離を取るラングにまた駆け寄り間合いに入れる。剣戟を振るうバネッサの攻撃を必要最低限で避け切り、ラングの右手がすいと伸びた。

 上段から振り下ろされたバネッサの剣を避け、ここで初めて一歩前に足を出し手のひらをその背中に当て、そして落とした。

 どさりと地面に体を叩きつける音がして、煽っていた冒険者たちの声が止む。


 バネッサが地面にべたりと倒れ、ラングがその腰に膝を乗せ抵抗を封じていた。


「あぁくそ!アタイの負けだよ!」


 潔いバネッサの声に、大きな歓声が上がる。


「ずいぶん簡単にやられたじゃないか、バネッサ姐さん」

「くそ!嫌味な奴だよ」


 土を払い、バネッサはラングに手を差し出す。ラングはそれを握り返してすぐに離した。

 ツカサはラングに駆け寄った。

 

『どうやったの!?』

『何も』


 剣を受け取り元の場所に戻しながら端的に答える。ツカサは地団太を踏んでしまった。


『詳しく説明して!』

『振り下ろされた剣の角度と、踏み込んだ足の位置は見えたか』

『こんな感じ?』


 【鑑定眼】のおかげか眼だけは良いツカサは、最後のバネッサの形を真似をした。その背中にラングの右手が当てられる。


『重心の位置を予測して、押してバランスを崩しただけだ。素早さに重点を置く剣士にはよく効く』


 ぐいと押されてたたらを踏む。バネッサはこれを思い切りやられたわけだ。

 今ラングはツカサが転ばぬように前に押してくれたが、バネッサは上から下へ力を掛けられたのだろう。

 尊敬の眼差しでラングを見るツカサに、バネッサが顔を真っ赤にして叫んだ。


「人の負け風景を再現しないどくれよ!」


 笑いが起こり、一頻りバネッサは冒険者たちに怒鳴り散らした。その声も笑っていて、恥ずかしくはあるが本気で怒っているのではないとわかり、ツカサもバネッサに首を抱えられ叱られて笑った。

 

「それで、アンタは何がほしいんだい」


 バネッサが自身の荷物を差し出す。強い男ならありだよ、と冗談交じりに誘いをかけていたが、またラングが世話焼きの冒険者とノートを見ながら荷物を見ていたためにスルーされていた。


「アンタの兄貴、マイペースすぎやしないかい」

「否定はしないよ」


 笑って返し、ラングのシールドがツカサを向いたので恐らく呼んでいるのだろう。駆け寄った。


『この二つ、説明が欲しい』

「これなんですか?って、詳細知りたがってます」


 ラングが差し出したものは、手記と地図だ。


「あぁー、そう言うのに目を付けるんだね。そりゃ魔獣の特徴を書き記してある手記だよ。そっちは隣の大陸オルト・リヴィアの地図」


 説明を受け、ラングは迷わず手記を引き、地図はバネッサの荷物の上に落とした。


「あぁー!嘘だろアンタ!」

「バネッサ姐さんが負けたからな」

「仕方ないわよ」

 

 パーティメンバーに笑って慰められ、バネッサはがっくりと肩を落とした。癒し手の女性がラングの手にある手記を指差して説明をする。


「それね、もともと半分は書いてあったの。どこかのダンジョンで亡くなった冒険者の手記でね、冒険者の手から手へ渡って、書いてないものは書き足されてって感じで」

「ジュマでダンジョン行くんでしょ、私たちが書きこんだのもあるから、役立ててよね」


 なるほど、これは知識の集まりなのだ。情報と知識がなければやっていけない冒険者なら、これは手放したくないだろう。


「大事にするよ」

「ホントだよ!」


 バネッサの叫びに何回目かの、真夜中らしからぬ笑い声が上がった。



 ―― 翌朝、冒険者がそれぞれ身支度を整えていく。

 ツカサとラングは鍛錬のあと、しっかりと朝食を取った。キースからの餞別の串焼きを、パン屋に無理を言ったパンで挟んで食べる。肉汁がパンに染み込んで美味い。


「兄貴に甘やかされてるねぇ、朝から良いもん食っちゃって」

「おはようバネッサさん」


 身支度を整え、一足先に出立をするのだろうバネッサのパーティが挨拶に来た。


「ラングの方針なんだよ、食べるものをこだわるって言う」

「良い旅してそうだね、昨日見たテントと言い、アンタ恵まれてるよ」


 強く頭を撫でられてツカサは笑った。

 どうにも、サイダルを出てから出会う冒険者が気風が良くて心地良い。

 外の冒険者を知ったからこそ、改めてサイダルの異常性がわかる。あれは教会と似た、宗教に近い集まりだったのだ。

 あの場所で冒険者として活動しなくてよかったと胸を撫で下ろしたのも何度目か。


「あ、そうだ、聞きたかったんだけど。バネッサさんたちは隣の大陸オルト・リヴィアに行ったことあるの?」

「あぁ、いや、無いよ。この地図はね、昨日みたいにして手合わせでぶんどったものなのさ」

「冒険者ってそういうの多いの?」

「いや、うちのリーダーくらいだから安心しろ、坊主」

「お黙り!」


 テントを片づけていたり、朝食を取っていたりする冒険者たちから笑い声が上がる。


「アタシらはあの大陸に用もないし、気になるならこれもやるよ」


 荷物から取り出して差し出され、ツカサはつい受け取ってしまった。

 今持っている地図と並べると、世界地図のようになった。ティアが指差した大陸の先が記載されている。


「アンタ、本当は隣の大陸オルト・リヴィアの生まれなんだろ?いずれ戻るならアンタには必要だろうしね」


 嘘なのだが、次は優しく頭を撫でられると申し訳なさと恥ずかしさで肩を竦めてしまう。


「ありがとう、バネッサさん」

「いいって、冒険の女神オルバスは?」

「ううん、武運をラクリェール

「そうかい、武運をラクリェール


 バネッサたちを見送り、ラングとツカサもショルダーバッグをかけ、冒険者たちに軽く挨拶をして歩き出す。


 冒険の女神オルバス武運をラクリェールについて、ツカサはマブラで聞いたことを思い出す。


 エルドに言われたのでどの冒険者も使う言葉だと思っていたのだが、実はそうではないらしい。

 冒険の女神オルバスは冒険者ギルドが設置している女神の像なのだという。何かしらの心の支えになればいいと、二百年程前の女性ギルドマスターが創った架空の存在なのだ。

 心の拠り所ではあってもそれを信念にしてはならない、と架空であることははっきりと宣言されており、心が折れそうになった時、どうしても寄り掛かる物が必要な時に用意された物なのだという。

 冒険の女神オルバスを別れの挨拶にする者の多くは一度挫折を味わい、這い上がった者なのだという。

 それを拠り所に這い上がっても言わない者もいる。個人の自由だ。

 冒険の女神オルバスによって心を救われたことを恥じる必要はなく、自らその言葉で他の冒険者を鼓舞し見送る者が、エルドのような冒険者だ。


 冒険の女神オルバスであっても、武運をラクリェールであっても、お互いに前を向いて行こう、という意味なのだ。


 ツカサが武運をラクリェールを選ぶのは、ラングが居るからだ。

 ラングは自分を全てにするなと言った。自分で考えることをやめるなとも。


 ツカサは自分の中に自分という芯を置くことの難しさを感じながら、今日も歩き出した。

 



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