第16話 魔法


 大騒ぎをした翌日、朝一女将さんに叱られた後鍛練、朝食を取った。

 宿を出発しギルドで薬草採取の依頼を取り、今日は街の外へ出る日だ。


 門に居た自警団員に依頼で出る時の説明を受けた。初日マブラに入った時に態度の悪かった団員だ。謝られたので大丈夫だと笑っておいた。


「日が沈むと門扉は閉じられるからな、入り損ねたらそこの小窓を叩いて自警団員を呼ぶんだぞ。まぁそんな遅くなる前に戻って来てもらいたいもんだが」

「夜に狩りをしたい場合は?手引きに夜じゃないと見つけにくい魔獣がいるって書いてあるんだけど」

「あぁ、ナイトバットか?昼でも見つけるコツはあるが、夜中丸々出ているならそこにパーティ名と人数を記帳しておいてくれればいい。あとは宿に伝えておくんだぞ」

「わかった、ありがとう」


 自警団員に見送られ、ツカサとラングはしばらく道を歩き、それから森の方へ向かった。


 ギルドで依頼を取った際にパーティも組んだ。

 ギルドカードに処刑人パニッシャー記載できなかったラングが【パニッシャー】を望み、そんな物騒な名前をパーティ名にできるかとツカサが蹴った。

 ツカサがかっこいい名前を付けたいと言いゲームチックなアイデアを出せば、ラングがぼそりとダサイ、と言って蹴った。ダサイという表現を知っていることに驚いた。もしかしたら変換のおかげかもしれないが。


 ひと悶着あったが、結局パーティ名は無難に【異邦の旅人】に決まった。


 大陸どころか世界が違うのだ。例え隣の大陸オルト・リヴィアに行ったとしても、この大陸スヴェトロニアから来た異邦人に変わりはない。

 ラングが故郷で組んでいたパーティ名を使う案もあったが、常にソロでいた為にパーティ名はなかったらしい。

 途中他のソロと組むことはあったが、長くて半年程度で目的を達せればそこで解散したという。

 最初に目的を遠くに置いておいて良かった気がした。


『それで、薬草はどの種類を?』

『手引きによると、三種類あるね』


 森の手前で手引きを開く。薬草、というページに傷薬草、毒消し草、気付け草の目印が記載してある。この三種類を薬草と総称しているようだ。葉が丸い物が傷薬草、ギザギザの物が毒消し草、三つ葉のような物が気付け草と書いてある。

 さて、とツカサは【鑑定眼】を発動した。聖典ラノベではこうすることで目的の物を容易く見つけられていた。が、ツカサの目論見を察したのかラングの掌が目を覆う。


『なに?』

『まずは自分で探すことだ』

『でも、時間がかかるし』

『何を当然のことを。もしその【鑑定眼】が使えなくなった時、一番困るのはお前だ』


 至極真っ当なこと言われてしまう。


『ラングといると、チートだってこと忘れそうになるよ』

『嫌味を言われたのだろうな?』

『ごめんなさい』


 明らかに剣呑な雰囲気で顎を上げて不快感を出されれば、誰でも謝る。ラングはシールドで表情が見えない分、そうした動作で伝えてくれるのは助かるが怖い。


『実物をきちんと目で探し、覚えておけ。それが一回でも二回でも、何かの時には役に立つ』


 言って、ラングも足元を探しながら草原を見て行く。

 一緒に集めてくれるらしい。そういう人なのだ。


 少し離れたところで少年たちが同じように腰を屈めている。あちらも薬草採取なのだろうか。

 時々パーティ内でわぁわぁと声が上がり、笑い声が聞こえる。

 ちらりと見てみれば、年はツカサより下だろう。少年が二人、少女が二人の四人パーティ。

 地球の友人たちが恋しくなった。その気持ちがすぅ、と落ち着いて行く。【適応する者】の効果だ。この場所に適応するために、地球への郷愁が抑えられているらしかった。

 

 この世界でも友達ができるだろうか。サイダルで友達だと思っていた冒険者たちは、あの夜ツカサに剣を向けていた。


『どうだ』


 陰になって見上げればラングが居た。


『あ、うん、いくつか見つけたよ』

『答え合わせをしてみるか』


 草の上にそのまま座り込み、ラングは革袋から採取したものを取りだした。軽い物はアイテムボックスに頼らないでおくのも慣れだという。


 【鑑定眼】による答え合わせの結果、ツカサもラングも二、三個ただの雑草が混ざっていたが、依頼書に記載された数は超えていた。


『ラングでも間違えるんだ』

『当然だ、初めての種類だからな。故郷ではあらゆる種類を間違えなくなるまで、延々採取だけをこなしていたこともある』

『何種類くらいあったの?』

『毒草も含めると二百は超えていたな』


 毒と聞いてぞっとした。誤って口にしたり薬にした場合、大変なことになりそうだ。


『お前が採取と薬草に慣れるには時間が足りない。だが、初手は自分で努力し、最終確認はスキルに頼る。そうして経験と安全を取って行くつもりだ』

『なるほど、わかった』


 スキルのない世界でラングが生き残るために身に着けた術は、きっと途方もない時間と経験の末に得たものなのだ。最初に鑑定した時のことを思い出した。ラングを創り上げている全ては実際の経験から来ているのだ。

 空間収納というチートも増えたがカウント外だ。


『ラング、これで依頼は達成になるけど、この後はどうするの?』

『森に入って魔物を探す』


 実践という訳だ。魔法を覚えたらしいツカサの能力にラングも興味があるらしい。故郷に無いと言っていたので見たいのだろう。ツカサ自身も使ってみたかったのでちょうどいい。


『昼を取ってから森に入るぞ』

『わかった』


 ショルダーバッグからパンと水を取り出す。街を出る前にパン屋で買ったサンドイッチだ。ハムフィセルは地球の食パンに慣れたツカサには少し固いが、同様に地球のカスタマイズできるサンドイッチ屋も思い出した。

 挟んであるのは保存のしやすいハムだけ。野菜も挟まれていないので舌の肥えているツカサには物足りない。それでも美味しい部類に入る。

 食事をして喉を潤し、しばらく休憩。今日は良い天気だ、さわさわ風が流れるのが気持ちいい。


『そういえば、ラングの故郷では魔獣じゃなくて魔物って言うんだね』

『あぁ』

『何が違うんだろう、そっちではなんで魔物なんだ?』

『何故と言われてもな』


 革の水筒を傾けて首を傾げるラング。先にこの場所の説明をすることにした。


『ギルドで聞いたんだけど、ここで魔獣って呼ぶものはダンジョンから出て来たんだって』

『そうなのか』

『そうやって言い伝えられてるって言ってた。ラングの方ではどうなの』

『そもそも、私の故郷ではダンジョンからは出て来られない』

『へぇ!バリア的な…壁的なもので出れないのかな』

『いや、消滅する。ダンジョンから一歩出たら、跡形もなく消える』


 答えに近づいた気がして、ツカサはその点から攻めることにした。

 ラングの故郷では魔物とモンスターの二種類がいるという。

 ダンジョン内で現れるものをモンスター、ダンジョン外で出るものを魔物と表現するのだ。

 共通なのはダンジョン内では素材と魔石を落とすこと。違うのはダンジョン外でも魔石が手に入ること。ただ、その場合は解体をするか、心臓部分から手ずから取り出さなくてはならないらしい。ダンジョン外では魔物は消えずそのまま残り、肉も素材も丸のまま取れる。そこはここと同じだ。


『ここでの魔獣は、ラングの故郷で言うと全部モンスターの部類に入るのかな』

『そのようだ』

『面白いなぁ。ラングは故郷でどのくらいダンジョンに入ったことがあるんだ?』

『さぁ、あまり多くは入っていない、十くらいだったか。私は外専門だったからな』

『外専門?』

『ダンジョンを攻略するタイプの冒険者ギルドラーではない、ということだ』


 また詳しく聞いた。

 ダンジョン専門の冒険者ギルドラーは、文字通りダンジョンだけを攻略し、ランクを上げていくのだという。ダンジョン内で落ちる素材の納品や、ダンジョンを深く踏破していくことで名を上げる。

 逆にダンジョン外を専門とする冒険者ギルドラーは、魔物を狩り納品をしたり、護衛や人助けなど雑務に近いこともするのだという。時には増えすぎた魔物を間引いたり街を防衛したりなどの仕事もあったそうだ。


 ラングがダンジョンに入ったのは一つを除き、どれも救助依頼だという。

 高ランクのダンジョンで尊い身分の人が日数を超えても戻らず、緊急依頼で即席パーティを組んで挑む。ラングの世界で言う金級、Sランク冒険者が集い攻略をしていく。聞くだけでまとまりのなさそうなパーティだ。

 実際には仕切るのが上手い奴が居れば恙なく回るそうだが、中には喧嘩腰で処刑人パニッシャーにリーダーをさせようとする者もいた。そう言う時はラングがまずそいつを黙らせるところから入らなければならなかった。


『連携というものが私には出来ない』


 ソロが長すぎるのか、それとも。

 ツカサは苦笑いで返しておいた。


『ちなみに、救助依頼じゃない目的で入ったダンジョンってどんなだったの?』

『いずれな。食後の休憩はもう良いな』


 話しを切り上げられた。

 さ、と立ち上がりマントについた葉を払い、ラングが森を見る。 


『行くぞ』

『あ、うん』


 ふと気づけば四人パーティがいなくなっていた。

 街に帰ったのだろうか。先を行くラングの背を追いかけて、ツカサは小さな感想をすぐに忘れた。



―――――

 


 森の中は思ったよりも静かだった。


 鳥の声や動物の生きている音がしていると思っていた。風だけが木々を揺らしてざわざわと言わせていた。

 野宿したあの時も、虫の鳴き声や梟の声は聞こえていた気がする。

 さくさくと歩を進めるラングのあとを必死について行く。時折立ち止まりツカサが追いつくのを待ち、また歩いて行く。

 

『ラング、森ってこんなに静かなもの?』

『いや、異常だ』

『異常なのにこんなハイペースで動いてるの!?』

『不安は回避するか、早く取り除くに限る。短剣をいつでも抜けるようにしておけ』

『わかった…』


 ツカサは指示通り右手を短剣に置いて後をついて行く。


『見ろ』


 ラングがしゃがみこんで土を指差した。そこには微かに土が蹴られた跡があった。


『冒険者の足跡だ』

『さっきからこれを追って来てたの?』

『そうだ』


 草を掻き分けた跡、足跡、そう言った痕跡を辿って来たのだと思い至る。


『ええと、なんで?』

『考えろ。間違えてもかまわん』


 こんな時にも実践なんだから、と内心でぼやき、ツカサは考えた。


『ええと、得物を横取り、という訳ではないだろうし。森が異常だから、合流しようとしてる?』

『半分は正解だ。正しくは、この異常事態を起こしたのが先行者だと考えている。だから追いつこうとしている』

『それは、ええと、あ、魔獣がいるかもしれないってこと?』

『あまりに小動物がいない。その可能性が高いだろう』


 なるほど。ラングが足先の向きを確認し、足跡を数える。

 

『四人いるな。先ほどのパーティかもしれん』

『え、じゃあ急がないと!?』

『落ち着け』


 慌てて先に行こうとしてベルトを掴まれる。くの字に折れて引き戻される。


『先にお前には冒険者の心得を話しておく必要がありそうだ』

『こんな時に、もし危ない目に遭ってたらどうするんだ!?』

 

 盛大なため息が聞こえた。腕を掴まれくりんと捻り上げられ、体から力が抜けて膝を着く。痛い。


『何するんだよ!』

『冷静になれ、忘れたか』


 痛みの中、悔しいが思い出す。

 冷静であれ、それが強みになる。


『わかった、わかったよ、もう急がないよ』

『よろしい』


 腕を放される。自分で摩りながらラングを睨むが、大して響いた様子はない。


『進みながら話す、来い』


 黙ってラングの後に続く。あの四人パーティのことも気になるが、それ以上にラングが落ち着いているのがツカサには不思議でならなかった。

 危ない人がいるのなら助けに行くべき、とツカサは考えているからだ。


『冒険者は危険と隣り合わせだ。行動に責任を持てなければ死ぬのが冒険者だ』

『わかってるけど、もし手が届く範囲なら、助けるのが人じゃないの?』

『お前は綺麗ごとを言うのだな』


 厳しい言葉をかけられる。確かに、ツカサには命のやり取りがわからない。

 ただ良心として当然と思うことを行なおうと、言っただけなのだ。


『悪いことではない、だが、冒険者は自分の行動に責任を持たねばならん』


 草の倒れた向き、踏みしめられた土を確認しながらラングは話した。


『街に迷惑をかけるような軽率な行動は慎まねばならない。力量が足りていないのならば、すぐさま引き返し応援を呼ぶ、それも冒険者に求められる責任だ』


 状況判断をしろということだろうか。


『近いぞ』


 ラングの声が厳しい音に変わる。早歩きだったものが不意に全力疾走に変わり、あっという間に遠くなる。マントだけがラングについて行き、ツカサは慌ててその後を追いかけた。


 走ったのはほんの数秒だったと思う。


 辿り着いた先には大きな大蛇が居て、草原で見た少年少女のパーティが壊滅していた。

 咆哮が聞こえなかったのも、地響きがしなかったのもこのせいだ。蛇だったのだ。

 地面に倒れている少年に大蛇がかぶりつく。そのまま首を上に持っていき、丸呑みにしてしまう。

 ツカサは呼吸が早くなった、目の前で捕食されたのは人間だった。ゲームでも映画でもなく、現実で、今目の前にしている。

 サイダルで小型の熊のような魔獣に襲われた時のことを思い出し、足が竦んだ。


 ラング、逃げよう、とツカサは叫ぼうとした。


 だがその前にラングは姿勢低く大蛇へ向かって駆け出していた。


『ラング!』


 ツカサの叫び声に大蛇が反応する。まだそこに獲物が居てくれることに喜んだかのように見えた。

 しゅると音を立てて地面を滑るために一度体を引いた。その動作がテレビで見た獲物に跳びかかる動作と気づいたが、ツカサは動けなかった。


 大蛇の跳躍と合わせてラングが飛び、真横から大蛇の片目に剣を深く差し込んだ。

 もう片方まで貫通をして大蛇はその巨体をびちびちと跳ねさせる。


『下がっていろ、まだ死んでいない。こちらの世界はわからないが、蛇というものはしぶとい』


 投げ出される力を利用してツカサのところまで跳んで戻ったラングが、動けないでいるツカサの腹を押す。後ろに何歩か下がり、木に背中を当てて止まる。


 剣を一本大蛇に刺したままのラングが、もう一本を両手で構える。


 すーはーすーはー、と独特の呼吸音が聞こえた。


 大蛇が痛みに一頻り悶えて、ゆっくりとラングを睨み据える。そこにいるのがわかるのだろう。

 シャァ、と一鳴き、ラングに襲い掛かる。

 ラングはその場から僅かに体をずらし、大蛇の口端に剣を当てた。

 そこからすぱりと体を途中まで裂かれて行き、大蛇は木々に頭を突っ込み巨体を転がしていく。

 玉突き事故を起こすようにして土煙を上げ、木々をなぎ倒し、やがて止まった。

 びくり、びくりと震えているが、あれだけ割かれてしまえばもう戦えないだろう。いずれ力尽きる。


 ラングは大きく剣を振って綺麗な血の円を描いた。ぴちち、と地面に赤黒い染みがつく。


『動け、いつまでも座っていては死ぬぞ』


 ツカサはその声に体の硬直が解けた。慌てて、ラングに倣い倒れている少女の冒険者に駆け寄る。


『こちらは死んでいるな』


 ラングの淡々とした声がツカサに重く伸し掛かった。

 ツカサはそう、っと少女の体に触れる。まだ温かい、呼吸は。口元に手を当てると、微かだが呼吸をしていた。


『この子、生きてるよ!』

『そうか』


 ラングは腰から短剣を抜くと、先程裂き切れなかった大蛇の腹に突き立てて横に引き裂いた。ビィっと音がした後、なかからずるりと塊が落ちて来た。

 少年が二人。ツカサたちが辿り着く前にすでに一人喰われていたのだろう。


『二人目の方は息がある』


 少年一人、少女が一人生きていた。

 一人の少年は毒牙を突き立てられたのだろう、首が砕けて繋がっているのが奇跡だった。

 一人の少女は締め上げられたのか手足がおかしな方を向き、口から泡や血や様々なものを零して絶命していた。

 ツカサは眩暈がした。自分よりも年若い子供があっという間に死んでしまう。

 これがこの世界なのだ。冒険者なのだ。


『ツカサ』


 ラングに名前を呼ばれ、ゆっくりと顔を上げる。酷い顔色をしていたのだろう、ラングがシールドを僅かに上に上げた。


『お前の魔法は何ができる』


 魔法、そうだ、魔法。ツカサはぼんやりとしていた頭をフル稼働させた。

 ツカサに出来ることは、全属性と治癒魔法。


『治療できるかもしれない』


 ゲームによくある蘇生魔法は、様々な聖典ラノベで禁忌だった。そもそも使えるかわからないものに期待するより先に、今ある命をどうにかしなくては。


 ツカサは少女に手をかざした。その隣にラングが粘液にまみれた少年を並べる。


 ツカサは記憶にある回復魔法の名称をたくさん唱えた。何も発動しない。どっと汗をかいた。

 あるだけで使えない力なら、あってもなくても同じだ。


『落ち着け』


 ツカサの肩を掴み、ラングが声を掛ける。

 そうだ、冷静であれ、冷静に。ツカサは深呼吸をした。緊張のせいで指先の感覚がない。


 ゲームでも漫画でもアニメでも、聖典ラノベでも、初めての魔法が上手く出来なかったときは、どうしていた。ツカサの経験値はラノベだ。思い出せ。


 時には人体を把握していた人もいた。

 時には無我夢中でやって使えるようになった人もいた。


 俺は、どうしたらいい?


 助けたい、俺に力があるのなら。


「頼むよ、治癒魔法があるんだろ、助けてよ」


 日本語で呟く。ぎゅうっと目を瞑る。体に置いた手に力が入る。


 ふわ、と体から力が抜けていく気がした。は、と目を開くと、白い靄状の何かが自身の周りを包んでいた。

 ドライアイスを水に入れたときに発生する現象に似ている。それを一か所に留まる様にイメージをしてみた。

 少年と少女を包み込むように。

 かくしてイメージは上手く行った。二人を包んだその輝く靄はふわふわと揺蕩い、目に見えていた擦り傷が塞がっていく。


『なるほど、これは奇跡だな』


 魔法のない世界のラングが呟く。


「うん、本当に」


 日本語で返したのでラングには通じないだろう、それでも言いたいことはわかるはずだ。


 しばらくして靄は風に吹かれるようにして消えていった。

 残ったのは呼吸の安定した二人。後ろに尻餅をついて、ツカサは汗を大量にかいていた。


『よくやった』

『ありがと、でも、二人が』

『運が悪かった、それだけだ』


 ぎゅっと唇を噛んだ。

 森は微かに鳥の声が戻って来ていた。


『もっと早く来たら、違ったかも』


 呟いた言葉にラングは返事をしない。

 刺さっていた剣を回収し大蛇を空間収納に仕舞い、命を落とした少年少女の前に跪き、右手の親指の爪を自分の唇に当て二人の上に指の甲を当てた。

 それがラングの故郷の黙礼と知るのはしばらく経ったあとだ。

 

『戻るぞ』


 遺体も空間収納に仕舞い、生きている少年を背負う。


『そちらは背負えるか?』


 無言でツカサは少女を背負う。

 

『行くぞ』


 ラングが来た道を戻っていく。

 ツカサは木々がなぎ倒され、血の残る戦場跡を何とも言えない気持ちで見た後、背を向けた。




―――――


「随分早いお帰りだったなって、どうした!?」


 疲れた様子のツカサと、その背中の少女を見て団員が慌てて門から駆けて来た。

 ラングは駆けつける団員に背中の少年を預けている。ツカサも少女を下ろし、団員に任せた。


「でっかい蛇の魔獣がいて、それで」

「蛇の魔獣!?この辺で出るとしたらポイズンスネーク程度だと思ったが、いや、それよりもそいつら若手の冒険者だな?」


 自警団員が詰所からわらわら出て来て、誰かがどこかへ走っていく。少年と少女は救護室へ一旦運ばれ、ツカサとラングは詰所に案内された。

 魔法を使った影響か、それともショックが大きいのか。ツカサは理由もわからずぼんやりとしていた。


 しばらくして、キースが詰所にやってきた。


「ツカサ、ラング、何があった」


 若干髪に寝癖がついている気がした。もしかしたら今日は休みだったのかもしれない。


「採取が終わって、森に入って魔獣を狩る練習をしようってことになって」

「待て、続きは場所を変えて聞こう。モルガン、今から外に出る冒険者は銀級以下は出すな」

「了解」


 手早く指示を飛ばし、ツカサとラングを別室へ案内する。

 ここは所謂会議室なのだろう、周辺地図が壁に貼られていて、サイダルのところにピンが刺さっていた。キースは会議室内にいた団員を追い出し、副団長を残し周辺からも人払いをした。

 副団長はがっしりとした体格で、戦斧を背負い、座ったキースの横に休めの姿勢で控えている。

 全体的に自警団は体格のいい人が多い気がする。


「すまん、手間をかけた。話してくれるかい?」


 紅茶は出なかった。

 ツカサは見たことを話した。こういう時、早くラングに言語を覚えてもらわなくてはと思う。

 ツカサが話すよりも、ラングから話した方が信頼値が違う気がしてならない。

 一応ラングに確認を取ったところ、魔法以外は話していいというので大蛇のこと、駆けつけた時の惨状、討伐をしたのがラングであることを説明した。


「報告感謝する。聞いている限りポイズンスネークよりも大きいな。この辺で目撃された魔獣は何がいたかな」

「目撃例ならいろいろありますが、過去討伐例で言うならジャイアントスネークでしょう。まさかバジリスクな訳もないでしょうし」

「バジリスクがいたとしたら、お手上げになってしまうな。ツカサ、絵は描けるか?もう少し特徴を知りたい」

「いえ、あの、持ってきてます、ラングが」


 うん?とキースと副団長が首を傾げる。


「ラングのアイテムボックスに、魔獣の遺体があります。あと、あのパーティの…亡くなった子たちも」


 キースと副団長が絶句する。ゆっくりと顔を見合わせツカサに視線が戻り、それからラングを見る。


「アイテムボックスに遺体が入るというのは、初めて聞いたんだが」

「ラングのアイテムボックス、この大陸スヴェトロニアの物ではないので」


 隣の大陸オルト・リヴィアに責任をなすりつけるのも慣れて来た。

 真実の宝玉を使われても真実なので問題ない。段々とツカサも開き直って来ていた。


「魔獣の遺体はギルドで出してもらった方が良い、パーティの遺体は…安置所に着いてきてもらえるかな。ダイオン、先行して開けてもらうように言ってくれ」

「了解」


 副団長、ダイオンはビシリと敬礼を取ると足早に部屋を出て行った。

 ツカサはラングに通訳し、キースの後に続く。


「全く、君たちは規格外だな。いや、ラングがそうなのか?」


 空間収納だけで言えば、二人共です。

 ツカサは口の中で舌をもごりと動かして沈黙を守った。

 会議室から外に出て、門扉近くにある小屋に入る。

 木製の台が四つ並び、白い布が敷いてある。その上に遺体を乗せるのだということはすぐにわかった。

 ラングがポシェットを指で叩き遺体を取り出す。この動作はそのポシェットがマジックアイテムなのだと示すためでもある。

 

 机の上に出て来た少年と少女の遺体。ツカサは改めてそれを見て吐き気を催した。

 嘔吐えずいてしまい、体が折れる。ぐぷ、と喉で一旦は堪えたが、視線を上げたところで何も映さない濁った少女の眼と目が合い、反射で吐いてしまった。


「ツカサは初めてか。外に居た方がいいかもしれないな」


 ツカサが吐く姿にも冷静に返し、キースは遺体を検分している。


「恥じるな、自警団員も最初と何回かはそうなる」


 ダイオンに慰められ、ツカサは昼に食べたものを全てその場にぶちまけてしまった。

 土に染み込んで視覚的に気持ち悪いものが残ってしまう。申し訳ない気持ちと、脂汗をかいて体がふらつく。見かねたラングがツカサの首根っこを掴み、外に連れ出してくれた。


 魔獣のこともあって門扉周辺は喧騒がすごい。

 足止めを喰らって文句を言う冒険者、仕事として規定ランク以下を出さないようにしている自警団、外から戻ろうとして詳細を聞きたがる冒険者。

 安置所が視界に入る、けれど少し離れた場所で石壁に背を預け、ずるずると座り込む。


 映画で見るものとは違う。何度も感じているがいまいち現実味のなかった他人の死が重い。


『人が死ぬのを見るのは初めてか』

『いや、祖父が亡くなっているから、遺体を見たことはあったけど。ああいうのは初めてで』


 それは死に化粧をした後の綺麗な顔だった。体が砕かれてぐちゃぐちゃになったものではない。


『お前は平和なところから来たのだな』

『そうだよ』


 膝に頭を埋め、ツカサはぐったりと答える。


『俺の故郷は、俺のしてた生活は安全に守られてたから』


 義務教育、保障された衣食住、整理された交通路、交通手段。魔獣に襲われることのない日常。魔法はないが科学により進んだ文明。

 ぽつぽつと話すツカサの言葉を、ラングはじっと聞いていてくれた。

 電車に乗って学校に行くはずだったのに、とツカサが震えた声で呟くと、ラングが隣に座り込んでその頭をわしゃりと撫でた。


『すまない、似たような場所から来たと考えていたのだが、想像よりも平和な場所から来たようだ』


 ポシェットを叩く動作は忘れず、空間収納から水筒とコップと、琥珀の液体に浸った葉っぱの入った瓶を取り出した。

 コップにとろみのついた液と葉っぱを入れ、水筒の水を注ぐ。コップを振って混ぜたあと、ツカサに差し出した。

 受け取り、そっと口を寄せる。スゥっとした香りがした。ミントだ。


『ハチミツにミントを漬けたものだ。吐いた後には気分が楽になる』

『甘味あったんじゃん』

『特別な時用だ』


 ゆっくりと口に含む。口内に残っていた嫌な酸味が消えていく。瓶と水筒をポシェットに仕舞い、ラングは座り直した。


『初めて遺体を見た時、私は九つだった』


 ラングの声に、そっとそちらを見る。


『目の前で自分の首を、自分の剣で斬り落とすのを見ていた。状況が過酷なものだったからな、生きることに必死で嘆く暇もなかった』

『なんでそんな…』

『次に見たのは、十の時だった。魔物を狩ろうとして力及ばず、死を覚悟した時だ』


 チャリ、と飾りが揺れる音がして、ラングがツカサを見た。


『私を守ろうとして、そいつは死んだ』


 ラングはツカサ側の手を差し出して見せた。指ぬきグローブから出た指は、よく見ると細かい傷が多い。


『必死に力を身に着けた。守られることのないようにと思った。私は力を得なくては生き残れない環境でもあったしな。だが、力を身に着けて私は勘違いをした』

『どんな?』

『力があるのならば、私がやるべきだと勘違いしたんだ』


 誰かが出来ないのなら、自分が。誰かが救えないのなら、自分が。

 力を持つ者が陥る、おごりというやつだ。


『それが見透かされて、師匠にぼこぼこにされたな』


 ふ、と笑うような息が聞こえた。口元は微笑んではいないが、懐かしんで僅かに緩んでいる気がした。


『言葉が上手くないのでな、伝わるかはわからないが。お前の責任ではないのだと言いたい』


 あのパーティが壊滅したのはツカサのせいではない。それを言う為だけに遠回りに話したのだと気づく。


『救えた者がいることを誇れ。手の届く範囲で構わない、守れたことを誇るんだ』

『うん』

『力を身に着けろ、自分の物とすることだ』

『うん』


 もし魔法が思うままに使えたなら、もっとやれることがあったのかもしれない。

 魔獣への恐怖を軽く考えていなかったなら、あの時体を動かせたかもしれない。

 ラングの中の天秤は常にツカサに比重が傾いていて、反対の皿に乗った人たちはいつも後回しにされる。

 あの時、ラングがすぐにでも駆けつけなかったのはツカサを守る為でもあったのだ。


 ラングの選択であって、ツカサに責任はない。そうも伝えたいのだろう。


『俺、全属性魔法も、治癒魔法も、練習するよ』

『あぁ、期待している』


 ツカサはコップの中を飲み干した。

 噛めば少し苦みのあるミントも奥歯ですり潰し、飲み込んだ。


 この気持ちを、この味を。忘れないようにしようと心に決めた。


 

 

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