第12話 マブラの街
翌朝、隊商の三人と【真夜中の梟】とツカサとラングで朝食を取った。
ラングは面倒そうにしていたが、ツカサが【真夜中の梟】と食事を取りたがったため、致し方なくと言った様子で付き合ってくれた。
隊商の主人は昨夜の出来事よりもラングのテントが気になったらしく、あれこれと質問を重ねていたがカダルに必死に止められていた。
テントのマジックアイテムはそれなりの数があるが、ラングの持つ規模の物はなかなか無いらしい。
一度畳んで仕舞うと、もう一度開いた時に中がまた綺麗になっている洗浄機能などはとても憧れるという。
「俺たち体が資本だろ、だから衛生面は金を出しても整えたいんだよ」
上位冒険者になればなるほど身綺麗なのはそのためだという。
食事が終わるとツカサはストレッチをする。ラングに教わったものだ。
隣でラングも同じようにやる。足の筋を伸ばし、体全体をほぐしておくことで一日の移動距離が違うのだとラングは言った。
それを見て【真夜中の梟】も教えてくれとせがみ、ラングが投げたのでツカサがやり方を伝えた。
荷物をまとめ、今まで武器以外手ぶらだったラングがある程度大きいショルダーバッグを掛けた。
ツカサにも予備の鞄を差し出して掛けさせた。
「お、流石オニーチャン、わかってるな」
「なにが?」
「あと一日もすりゃ街が見えて来るからな、鞄をかけるのは正解だ」
手ぶらでの旅はアイテムボックス持ちを自ら教える行為だ。どの冒険者もそれを防ぐため、カモフラージュに鞄を持つのだという。持つ人は、だいたいその鞄の中に本物のアイテムボックスが入っているのだ。
サイダルからここまでなし崩しに手ぶらだったが、この先は変わってくるという訳だ。
ツカサは鞄の中に空間収納から革財布を取り出しさっそく入れておいた。
「なぁ」
では出立するか、というところでカダルが声を掛けて来た。
「武器を見せてくれないか、と、兄さんに聞いてみてくれ」
「良いけど」
「決して馬鹿な真似はしないとも伝えてくれ」
ぽかんとしたが、ツカサはラングにカダルの言葉を伝えた。
ラングは暫く考えた後、黙ったままカダルに武器を差し出した。
両腰に拵えてあった剣を二本、それから、マントで見えなかったが腰の後ろに真横にして隠してあった短剣を一本。
昨夜カダルへ向けていた短剣はそこにあったのか。ツカサも初めて知った。
ラングはツカサが起きるよりも早く身支度を整えているのだ。
カダルは恭しく受け取った剣をじっと見つめると、すら、と鞘から引き抜く。
刀身を確認し、またするりと音を立てて鞘へ納める。それを三本ともやったあと、カダルはラングへ剣を差し出して返した。
慣れた手つきで全てを元の場所に戻し、ラングは歩き出す。
『行くぞ』
『挨拶くらいさせてよ!』
それでもラングは立ち止まらず、どんどん離れて行ってしまう。
「皆さんありがとうございました!サイダルではお気を付けて!」
「ありがとよ、そっちも気を付けな!
オルバス、また調べなくてはならないことが増えた。
ツカサは大きく手を振ってラングのあとを追いかけて行った。
エルドたちもまた、隊商と共に逆の道を行く。
「ツカサは良い子だったなぁ」
「だなぁ、サイダルにいて良く擦れなかったよな」
「もう少し、お話しすればよかった、です」
隊商の前に斥候のカダル、後方にやや広がってエルドとマーシ、その間にロナ。
荷馬車には主人と小姓が乗っている。護衛は乗り込まないのが基本だ。
「カダルが武器を見せてもらうのも珍しかったな。おい、カダル!」
マーシが荷馬車の後ろから先頭まで聞こえる声量で呼びかけ、カダルは主人に断りを入れてから後方へ合流した。
マーシは素早くカダルと肩を組み、【真夜中の梟】は全員が顔を寄せた。
「なんだ、護衛なら護衛らしくしてろ」
「なぁ、どうだったんだよお前の【鑑定】」
「き、気になってました!カダルさん、いつもすぐに話してくれるのに、それに、人様の武器なんて、見せてもらおうとしないじゃないですか!」
「そうだそうだ、どうだったんだよ。お前が全然話そうとしないから大したことないと思っていたが、あの様子じゃ逆なんだろう?」
ラングの立ち居振る舞いに何かを感じて居たのは全員が同じだったようで、ロナですら冒険者らしい熱気を見せて聞きたがった。
カダルは目を閉じ、昨夜とは違い晴れ渡った空を仰いだ。
「見えなかった」
どんなスキルがあって、どこそこのダンジョン産で剣の銘がこれで、と、報告を期待していた一同は一瞬何を言われたかわからなかった。
「カダル、お前【鑑定】のランク高いよな?」
「見えなかったのは昨日が初めてだ」
「え、まじで見えなかった?ステータスは?スキルは?武器は?」
「名前だけだ。それもラングとだけ。ツカサも家名がなかったからそうなのかもしれないが、それ以外は見えなかった。というより、見られなくしてあった」
荷馬車が一定の速度で進んで行く。思わず立ち止まってしまっている3人を呼び、歩きながらカダルは続けた。
「【鑑定阻害】と出ていた。そういうアイテムでも使っているのか、本人のスキルなのか。ラングは何も見えなかった」
「おわぁ、筋金入りか?すげぇな」
「あぁ、でも、エルド」
「なんだ?」
「お前、あの人に喧嘩売らなくて正解だったぞ」
エルドが首を傾げ、続きを促した。
「ツカサにも【鑑定】があった。あいつはラングとエルドのレベルを知っているんだろう」
すぅ、と次はエルドが天を仰いだ。足が止まる。
「あー、つまりあれか、
「
「まじかよ」
「足が止まっているぞ、歩けリーダー。ロナ、押せ」
ロナが慌ててエルドの背中を押して促す。マーシも笑いながら手を貸した。
「あははは!世界は広いな!すげぇや!」
「今笑えているからいいがな、俺の報告も待たずに接触を図るから殺されそうになるんだぞ」
「悪い悪い、いやぁまさかそこまで力量に差があるとは思わなくて!」
「
「だからあの人もお前を面倒くさがってたんだろうが!」
高ランクの冒険者は自身の実力を誇示したい者も多い。その中で凪いだ水面のようなラングはある意味で珍しい。力を持つ者としての立ち居振る舞いを心得ている感じだ。
カダルは首筋を摩り、頭と胴が繋がっていることを改めて確かめた。
「武器はどうだったんだ?何か見えたか?見せてくれたということは、見ることを許してくれた訳だろ」
「それなんだけどな」
「もったいぶるな、早く!」
「読めなかった」
「あっ」
全員が気づく。言語が違ったのだ。
「役立たず!」
マーシの駄々っ子にカダルが蹴りを入れ、【真夜中の梟】はサイダルへの道中を進んだ。
―――――
『着いちゃったなぁ』
【真夜中の梟】たちと別れて次の日、ツカサとラングは石造りの壁の前に居た。
街をぐるりと取り囲む城壁のような壁はサイダルにはなかったものだ。
門の前には警備兵のような者たちがいて、ツカサたちが来るのを待っている。
これぞファンタジー!とツカサは心がうきうきしてしまった。足が止まっていたようで少し先でラングが振り返る。
『早く来い』
『わかってるよ!』
駆け寄り、並んで門へ行く。門に近づくと警備兵と目が合う。
「マブラの街へようこそ」
じろりと見られ、手を差し出される。なんの手かと思い警備兵を見上げると、不機嫌そうな顔でツカサを睨んでいた。
「サイダルから来たんだろう、ギルドカードを出せ。ったく、これだから」
は、として慌ててギルドカードを出す。そのカードを乱暴に受け取り警備兵が確認をすると、ぴたりと動きが止まる。カードとツカサを何度も見た。
「灰色?銅ではなく?」
「灰色です」
「二人とも?」
「そうです」
ラングのランクは違いますけど、と内心で呟く。
「よく出してもらえたな」
「出してもらったわけではなく、出て来たというか…」
「ははぁ、なるほど?お前が連れ去られたギルド職員?」
「ってことになっているらしく」
「エルドが話したんだな。はっ!やっぱりクソだなサイダルは!」
警備兵がわらわらと近寄ってきて、大変だったなと労ってくれた。変な笑顔を浮かべてしまった。
ジャイアントベアーのことを尋ねられたり、何があったのかを問われたりと忙しい。
「おい、良いから中に入れてやれ」
ザッと警備兵が割れる。歩み寄ってくるのは緑髪の大剣を背負った若い男性だった。
この世界に来てから髪色が気になったことはなかったが、鮮やかな緑にツカサはつい見入ってしまう。ツカサほど真っ黒な黒髪は珍しいそうだが、ダークブラウンの髪色などがいるので目立ったことはない。
「マブラの街の自警団団長キースだ。すまない、ジャイアントベアーの真偽のことで皆興味があるんだ。時間はそう取らせない、詰所で何があったかを詳しく聞きたいのだが構わないだろうか」
警備兵改め自警団、きちんとした組織のようだ。サイダルの日替わり冒険者とは違う。
胸に手を当て僅かな黙礼。礼を尽くしてくれての申し出だ。半日歩き疲れてはいたが、これは応えた方が良い気がした。
ラングを見ると小さく頷かれた。
『大方、上の者が出て来て話しを聞きたいと言われたんだろう?後が楽になる、応えよう』
同様の経験もして来たのだろうか。あっさりと了承を見せたラングに頷いて返し、キースの案内で詰所に向かった。
門を入ってすぐ横、扉の中に入ると意外と広い。城壁の幅サイズの部屋が中にあり、かなり奥まで広がっているようだ。
気になって尋ねれば、ここに自警団の寮が入っていて大きな宿舎になっているのだという。序列が上の者たちは別にきちんと家を借りたり買ったりして、ここでは寝ない。下の者たちが休めるように配慮しているのだ。
水晶にギルドカードを当てて入った記録を付ける。出る時にはまた水晶に当てて、出た記録を付ける。こうして人の流れを管理するのだ。
これもサイダルではなかった。
キースは急に呼び止めてしまった事を丁寧に詫びながら二人にお茶を出してくれた。ふわりと薫った香りに覚えがあり、覗きこんだら紅茶だった。紅茶が飲めることにツカサは感動した。
ラングの淹れてくれるお茶はいわゆるハーブティーだったので、この世界で紅茶は初めてだ。出来れば砂糖が欲しかったが価値がわからないので黙っておく。
「サイダルから灰色で出て来た冒険者もなかなか見ない、先程は部下が不躾にすまなかった」
「いえ、大丈夫です」
「ツカサとラングだな、ラングの方には記載がなく、ツカサはスキルの文字が読めない物だったが」
「あまり見せたくなくて、そう言う時は秘密の文字を使うように、と」
「なるほどな、確かにそういう冒険者も少なくはない」
キースも正面に座り、紅茶で一息つく。
ツカサはそうっと【鑑定眼】で見てみた。
【キース・ウェンドロ(27)】
職業:マブラの街 自警団団長
レベル:74
HP:480,000
MP:8,000
【スキル】
静穏の声
両断の腕
風魔法Lv.4
レベルが高い、それにいくつか気になるスキルがある。
調べようとしたところでキースと目が合ってしまった。
「ツカサ、君たちの話しを君たちが話したいように聞かせてくれ」
心に沁み込むような優しい声に、ツカサは誘われままに話し出した。
サイダルでの生活、給与のことでショックを受けたこと、ギルドがルールを守っていなかった事、ジャイアントベアーを狩ったのはラングだということ。
サイダルを逃げようとしたときに襲われたこと。その後、エルドに会った際に連れ去られたことになっていると知ったこと。
夢中になって話したせいで、喉がからからになってしまった。
キースはお代わりの紅茶を用意してくれた。
「やはりサイダルは虚偽を告げていたのか」
「信じていなかったんですか?」
「あぁ、冒険者ギルドから聞いた時には、自警団内で賭けが成立しなかったほどだ」
真実か嘘かで、全員が嘘に賭けたのだろう。それよりも自警団がそんなことをして良いのだろうか。
「事情はわかった。お兄さんへ通訳をしてあげてくれ」
「ありがとうございます」
ツカサはずっとだんまりを決め込んでいるラングへ、エルドのときと同じように説明をしたこと、先日決まった兄弟設定で通したことを伝える。
『だいたいわかった。あいつらに話していた内容と音がほぼ一緒だったからな』
『偉いじゃん』
『どうも。それで?【
『良い宿の場所を聞こうと思う。あとギルドの位置も』
『ついでに武具屋の位置も聞いておけ』
『ギルドで聞けば良くない?』
『情報の出所を一か所にまとめたい』
『了解』
「本当にこの大陸の公用語ではないんだな」
「お待たせしてすみません。あの、おすすめの宿と、ギルドの場所と、武器とか防具屋の場所を教えてもらえませんか」
「もちろんだ。よかったらギルドまでご一緒しよう」
「助かります」
詰所を出ると、聞き耳を立てに来ていた自警団の人たちとかち合う。キースが穏やかな笑みを浮かべて見渡せば全員がものすごい勢いで走り去った。思い切り転んだ人もいたが大丈夫だろうか。
「すまない。マブラは冒険者の出入りで情勢が変わるんだ。ジャイアントベアーの件もそうでね」
「素材とか、肉とか、ですか?」
「あぁ、マブラにはダンジョンが存在せず、純粋に魔獣狩りと交易で成り立っている街だから」
そういう街もあるのだ。サイダルしか知らなかったツカサの中に、どんどん新しいことが入って来て世界が広がっていく。視野が開ける感覚に、わくわくしたものを感じた。
「ダンジョンかぁ、行ってみたいけど怖いな」
「怖いという感情は大事だ。楽しみだ、と言われるよりは安心だな。ジュマにはあるからお兄さんと相談して決めると良い」
ふ、と笑った声が優しくて少し恥ずかしい。
『ラング、そういえばダンジョンとかは行かないのか?』
『行く必要があるのか?』
『必要かはわからないけど、俺は行ってみたい』
『まずまともに剣を扱えるようになってからだな』
ぴしゃりと叩きつけられたのが数日ぶりで、ツカサは悔し気にラングを睨む。
『私の世界との差異がわからないが、ダンジョンは舐めてかかると死ぬぞ』
『それも検証したいんだけど』
『いずれな』
ぽん、と頭に手を乗せられツカサは立ち止まる。
慰めにしても何にしても、ラングに頭を撫でられたのは初めてだった。
『何をしている』
人混みに入ろうというところで立ち止まっていたので慌てて駆け寄る。
なんだかんだ優しいのだ、この人は。
―――――
まずは宿を取った。
キース本人の紹介で来たので、宿側が気を利かせてサービスしてくれた。
朝夕食をつけて二人で一泊一万リーディ。銀貨一枚だ。基本的に夜は追加料金なのだという。そう聞くとかなりのサービスだ。
正しい情報の仕入れと旅の支度のために、七日間泊まることにした。
風呂はなかった。ただ、水道が整備されていたので冷水シャワーを浴びることは出来た。魔石があればお湯が出るというが、魔石は持ち込みのみだった。温かい湯船が恋しくて仕方なかった。
手続きを済ませ、夕食前に戻ることを告げて宿を出た。
【子羊亭】、なかなかファンタジーな名前の宿だ。
ギルドまでの道中、武具屋の並ぶ通りを教えてもらったり、昼食を取るのにオススメの店や屋台を教えてもらった。大通りに立ち並ぶ屋台はどれも美味しそうな匂いをさせている。
そういえば昼を食べる前に中に入り、話し込んでしまったため何も食べていない。
ツカサの腹がそれなりの大きさで訴えたので、キースが串焼きを御馳走してくれた。塩を振って焼いただけの串だったが、じゅわっと滲む脂が美味しい。
『この街出る前にまた買っておきたいな、空間収納に入れておこう』
『ふむ、なるほど。ダンジョンの必要性が見えたな』
『お、なに?』
『報酬の分配が必要になるだろう。今あるものをただ消費するだけでは、いずれ無くなる』
何百万、何千万リーディも持っている人がかなり現実的なことを言った。
しかし考えれば当然なのだ。あれはラングの金だ。その内の数枚を渡されているが、食べ歩きに使えと渡されたものではない。
今ツカサが自分で使える所持金は報酬含め二十五万四千リーディ。それとは別に銀貨が一枚あるが、あれは地球で使っていた財布にいれた。記念の銀貨なので使わない金だ。
「街では、一か月だいたいどのくらいの生活費が必要なんですか?」
かける恥は今の内だ。サイダルから来たというだけで、もうかなりの恥な気もする。
察したのだろう、キースが優しく微笑んでくれた。
「月に銀貨二十枚、二十万リーディもあれば十分に食事が食べられる。マブラでは家賃がだいたい銀貨五枚、五万リーディだ。それ含めて二十万リーディと考えていいだろう」
銀貨と貨幣名称と併せて説明をくれることから、遠回しに教えようとしてくれているのを感じる。そこは大丈夫ですと言うのは野暮だ。
そしてツカサは思い出す。サイダルでの給料を。
フルでもらえて月に十二万リーディ。実際手元に残ったものはそれよりも少なかった。
苛立ちが浮かんでくるが、戻ってまで文句を言おうとは思わない。なるほどサイダルから出た冒険者が戻らない気持ちがわかる。行っても無駄な労力になるのだと感じた。
「冒険者は所属にならない限り定宿を取ることもないだろうし、もう少し金額が浮くだろう」
「なるほど」
もう一本買って差し出されたのは、まぁ、同情されたのだろう。有難くいただく。
『基本的に宿代は私が出す。お前はお前の身支度と買い食いに使うくらいでいい』
『でもそれじゃ俺がお得過ぎない?』
『宿代と食費を人生経験レベル1に出させるほど、私は腐ってはいない』
『だから違うって』
串焼きを食べきり、棒を店主に返しながらラングが言う。
『キリの良い数頼んでおけ。美味いな』
ラングの奢りだ。ツカサは意気揚々と店主に四十本依頼した。一つ五百リーディだったので、全部で二万リーディをラングが支払った。
店主は嬉しそうに笑うと宿に届けておくと申し出てくれた。夕方を過ぎる可能性もあったのでお言葉に甘えることにした。
『お前の所持金は、この分だとすぐに底をつくだろうな』
呆れたラングの声に、ツカサは目を逸らした。
―――――
串焼きで一旦腹を満たしてギルドへ辿り着いた。
サイダルでは木造建築だったが、ここでは石造りだ。しっかりとした佇まいに少し圧倒されてしまった。
振り返れば街並みも石造りで整頓されており、ゲームで言うところの大きな街だ。
元の世界でビルを見慣れていたのに、しばらく見ないだけでこう言ったものに感動してしまう。人間の記憶がいかに脆いかがわかる。
中に入ると空気もサイダルとは違った。
まず人数が違う。比べ物にならないくらいの人数がいて活気がある。
コルクボードの前で相談をしていたり、依頼書を取り合って喧嘩になっていたり、ギルドカウンターにも三、四人がいて忙しく走り回っている。
その内の一人がキースに気づいた。
「あら!団長さんどうしたの?」
「ギルマスはいるか?」
「えぇ、執務室に」
「上がらせてもらうよ」
冒険者たちに軽く挨拶をしながらキースが進み、ラングとツカサはその後に続く。
ラングのシールドにぎょっとする冒険者もいたが、連れて来たのがキースと知ると興味を失ったようだ。
一緒に来てもらったのは正解だったのかもしれない。
キースに差し招かれ階段を上がっていく。
「ドノヴァン、居るか」
ゴツゴツと扉を叩くと、中から唸るような声が返って来る。
扉を開けてキースが中へ促してくれたが、書類の散乱した部屋に入り口から一歩も入れなかった。
キースはその惨状に額に手を当てて脱力していた。
「キース、何の用だ」
「サイダルからの冒険者だ」
「なんだと」
書類に向いていた顔が素早くツカサたちを捉えた。
神経質そうな眼鏡をかけた男性だ。目の下に隈があるのでどうやら多忙だったらしい。
「サイダルからいつ来た」
「ついさっきだ、詰所で話しを聞かせてもらっている」
「嘘か真か」
「嘘だったな」
「やっぱりな!」
書類に倒れ込んだ。眼鏡がぶつかって痛くないのだろうか。大丈夫だろうかと見ていたらぐりんと首が動いて血走った目と目が合った。軽くホラーだ。
「それで、そいつらをわざわざ連れて来たのはなぜだ。私は事後処理に追われているのだが」
「お兄さんの方のランクを修正した方がいいと思ってね。彼がジャイアントベアーを単独狩りしたそうだ」
「今の等級は」
「灰色」
「どうしてそうなった!」
ガツン、と机を叩いたがためにインク壺が倒れて床まで飛び散った。
キースは服が汚れなかったかを気に掛けてくれた。そもそも入口に立ったままなので問題ない。
それにしても神経質な見た目で激情型である。
「途中エルドに会ったなら、サイダルとマブラの関係性は聞いたかな」
「大まかには」
「つい最近、ギルマスが変わったんだ。そこのドノヴァンに」
なるほど、机に突っ伏してぶつぶつ言っているノイローゼ気味の人に。
「あれ、じゃあ四ヶ月前にサイダルのギルマスが来てたのって」
「挨拶だな、あとはドノヴァンからの小言」
「挨拶だけならまだ良いとも!だがあの野郎と来たら私に賄賂を受け取れと来た!」
堰を切ったようにドノヴァンが叫び出した。
「私は心穏やかに過ごしたいだけなのに、なぜこんな問題だらけのギルドに来る羽目になるんだ!サイダルとマブラの謎のジャイアントベアー契約があったし、サイダルで灰色級から搾取した金額をギルド同士で分け合って前任者の懐がすごかったんだぞ!やったな!その金でギルドのカウンターを新しくしてやった!ざまあみろ!次はお前をぶっ潰してやるぞタンジャァ!」
「要するに、搾取した冒険者がマブラに行くけど放っておいてくださいって約束していた訳だ。その代わり、搾取したお金と素材の美味しい魔獣討伐依頼はマブラに出します、と」
何度も聞いた話でもあるし、なんとなく察してはいたので説明はいらないが、大人しく聞いておく。
「割に合わない気もするんですけど」
「そう、実際に対応する冒険者やギルドカウンターの人たちは大変だった。もちろん我々自警団もね。ギルマスに訴えても月に数人、物の知らない冒険者が来るだけだろう、と取り付く島もなし」
「美味しかったのはギルマスだけだった?」
「そう言うこと」
もはやふぅん、としか感想が出て来ない。サイダルがとんでもなく酷い町だったことはよくわかった。
染まる前に出て来れたことは幸運だったのかもしれない。
「しかも、今回は危険度にも関わる討伐を虚偽報告した」
叫んだことである程度発散できたらしく、かなり落ち着いたドノヴァンが眼鏡をかけ直した。先ほど取り乱していた姿からは想像が出来ないほど、姿勢よく立っている。
振り乱されていたシルバーグレイの髪を櫛でオールバックに整え、細身であることも相まって執事のようだ。
「サイダルに監査の手を入れるよう、これでジェキア本部に申請が出せる。浮き足立っている冒険者たちも落ち着くだろう」
棚に向かいながら呟き、安堵の息を吐く。ロクシーが使っていた鍵魔法を使い、ドノヴァンが箱から出したのは洗面器ほどの大きさの盆だ。カードを作る際の水盆の少し小さい物だった。
「取り乱して申し訳なかった。マブラのギルドマスター、ドノヴァン・ダイーナだ。ジャイアントベアーの単独討伐記録を確認して、ランクに更新をかけよう」
同一人物かと疑いたくなるほどの落ち着きぶりにツカサは目を擦ってしまった。
席に促されたがインクが散っていたので椅子は固辞した。反省した顔でもう一度謝り、ドノヴァンは会議室の方へ全員を案内した。
―――――
「なんだつまらん、スキル表記はなしなのか」
ラングのギルドカードを受け取って、ドノヴァンはぶすりと呟いた。ぽいと水盆にカードを入れ、そこに水を注いでいく。一定の水量になるとサイダルでも見ていた淡い光を持ち始めた。
スキルと言えば、ラングのスキルは水晶には表示されない。それが【鑑定阻害】からのものだったのか、水晶の問題なのかがわからない。
よくよく思い出せば【鑑定眼】で見える職業と、水晶が映した職業にもわずかだが差異がある。
これはまた検証が必要だとツカサは思った。
「討伐履歴を確認したが、カードには映っていない」
「あ、それは倒した後にギルドカードを作ったからです」
「なぜそんなことに」
「別のギルドでカードを作っていたんですけど、ここでは身分証にならなくて」
「それでツカサが作成を担当して、生き別れた兄弟が再会できたわけだ」
「それは何より」
そこには興味がないらしく、ドノヴァンは登録するときに指に傷をつける道具を持ってきた。
「血を水盆へ落としてくれ、それで討伐を確認する」
ツカサが通訳をする前にラングは箱に人差し指を突っ込み、次いで水盆に指先を突っ込んだ。
「入れなくていいというのに」
眼鏡を直し、水盆を覗きこむ。
ツカサもキースも同じように覗きこんだ。
ジャイアントベアー、の名前はある。ラングの血が赤い文字として浮かんでいる。
『ジャイアントベアーって出てる』
ツカサの言葉にラングが指を引き上げる。滲み出た血が他の言葉も紡ごうとしていたが、それはラングの故郷の言葉で綴られたため、ドノヴァンとキースは読めないだろう。
「ふむ、直近の記録は確かにジャイアントベアーだ、単独狩りと言ったな?」
「そう聞いている。真実の宝玉を使うか?」
「いや、いい、長年カウンターにただ居たわけではない、私もある程度の審美眼はある」
ドノヴァンはカウンター出身なのだと知る。そこからギルマスに押し上げられてしまえば、いろいろ気苦労もあるだろう。ツカサはそっと応援した。
「金か銀か選んでいいぞ」
『ジャイアントベアーの単独狩りもしてるから、金級か銀級選んでいいって』
『銀という単語は?』
「銀」
「銀、良い」
片言だが、ラングが初めてこの世界の公用語を話した。
ツカサは驚いた後、感動が沸きあがって来た。
「ほう、金にはしないか、堅実なのか性格が悪いのか」
「金にしないとだめなんですか?」
「上になりすぎるというのも、時に不自由なものなのだ」
ふ、と遠い目をするドノヴァンに苦笑する。
「金級冒険者は難しい依頼をこなす責務があるから。君を連れての旅なら銀が良いだろう」
「なるほど」
ランクよりもツカサを優先してくれた訳だ。面映い。
ドノヴァンがぶつぶつと言っていると、灰色から銀色に変わったギルドカードが浮かび上がってくる。ハンカチで水滴を拭い、ラングへと渡された。
「さぁ、出来た。ジャイアントベアーの討伐者、ラング」
ぴかぴかのギルドカードを覗きこむと、項目が増えていた。
名前:ラング
職業:冒険者
称号:ジャイアントベアーハンター
スキル:
「称号が増えてる!」
「銀からは付くんだ、こうしてカードを更新するときに、履歴から抜かれるんだよ」
面白い、ツカサは項目が三つだけの自分のカードを取り出した。
いつかこれにも称号欄が増えるのだろうか。
エルドたちのギルドカードも見せてもらえば良かった。【鑑定眼】で見れることに満足して見たいとは言わなかったのだ。
レベルを上げたい、冒険がしたい。目的は忘れはしないが、それでもできることをやってみたくなった。
ジュマではダンジョンに行こう、とラングに訴えるつもりで振り向けば、ギルドカードを手に不機嫌なオーラを出していた。
『どうしたの?』
『この文字は【冒険者】だろう。お前、なぜ職業欄に【
何を言っているんだこいつは。
『書ける訳なくない?』
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