第8話 会話

 歩き続けてキャンプエリアに辿り着いた。まだ空は暗い。朝までは時間がかかりそうだ。


 キャンプエリアは町と町の間に点在し、隊商キャラバンや冒険者、旅人が夜明かしをする場所のことだ。ある程度人が使いこむため、魔獣が現れにくい利点がある。

 ギルドで話しを聞いていたが見るのは初めてで、ツカサはきょろりと辺りを見渡した。石が積まれただけのかまどが三、四カ所点在し、現在の利用者数は一組。真ん中に木を立てて布を被せただけのテントの横で、火を焚いて不寝番をしている冒険者がいる。


 ゲームであれば、ああしてテントを張って眠り、短い音楽が鳴って夜が明ける。

 現実でそんなことがあるわけがない。


 何よりもついさっきギルドを騒がせて出て来たのだ。もしあの不寝番の冒険者が監視ならここでも休めないかもしれない。

 いつもなら寝ているはずの時間を歩き通しだったツカサはへとへとだった。睡魔が頭を優しく撫でて揺らすようだ。


『もう少し歩く』


『休まないの!?俺もう、やばいよ』


『やばい?』


『限界ってこと』


 ラングはため息を吐いたようだ。


『若いだろうが、歩け』


 容赦なく拒否され、ツカサは棒のようになった足を再び動かす羽目になった。休まずに歩き出す二人を冒険者が首を傾げて見ていたが、キャンプエリアで詮索をするのはタブーらしい。声をかけられたりはしなかった。


 ホウホウ、さわさわ、森の中を通る街道だ。真っ暗闇で月明り程度しか地面を照らす物はない。時折荷馬車が通って凹ませた溝につま先が引っ掛かったり、踵が落ちたりして歩きにくい。

 黒曜石のようなバイザーをつけたラングが何に躓くこともなく歩いているのが不思議でならない。眠気覚ましに話すことにした。


『ラングさん、前見えるんですか?』


『ラングで構わない』


『よくこの暗がりで転びませんね』


『敬語もいらん』


 質問に答えてくれない。


『それ、前みえているんです、見えてるの?ヘルメット?バイザー?』


『シールドだ』


 名称があるらしい。


『寝ないから、話しに付き合って』


『好きにしろ』


 ツカサの歩ける速度にラングは合わせてくれた。


『どうして俺が殺されるってわかったの』


 実際には殺されなかったかもしれないが、痛い目には遭っていたかもしれない。ツカサ自身よりも金を取られたことは暫く忘れられそうにない。


『内輪の利益だけを考えているのなら、有り得る話しだと思った』


『どこでそう判断したの?』


『解体に乗り気ではなかった』


 端的に返答をするラングへ質問を繰り返し聞き出したことによると、魔獣を狩ってそれを糧としているのであれば、ギルドは喜んで買い取りを行うのだそうだ。物の循環は人の循環を呼ぶ。


『私の知るギルドはそうだった。所変われば、かもしれないが明らかに余計な真似をしたと言った顔をされた』


 そんな所感でわかるものなのだろうか。


『あの後、森の深部に何度か行ったがあの大型魔物には会わなかった』


『また行ってたの?』


『最深部までは時間が足りず確認していないが、察するに、あの魔物は年1回程度しかあの辺りに来ないのだろう。私は恒例行事を潰したわけだ』


 なんとなく話が見えて来た。


 マブラの街へ年一回依頼をするのがずっと続いていると言っていた。ラングが狩ったことでその必要がなくなり、マブラの街へ義理が果たせなくなるのだ。もしかしたら二体目が現れるかもしれないが確約は出来ない。


『単純に、裏取引があるのだろう』


 内容までは考えていないそうだが、それは確実だとラングは言った。

 思考回路が疲れツカサは生返事で答え始め、会話が途切れた。溝に足の側面がはまり、転びかけた。


『仕方のない、休むぞ』


 ツカサの足が千鳥足になっているのを見て、ラングは道を逸れ森に入った。ぼんやりとしたままその背を追い、街道が見えないところまで来て漸く足が止まった。


 やや開けた森の隙間。太めの幹の根元に腰掛、ラングはシールドを深く下ろしマントの中で腕を組む。そのまま微動だにしなくなった。


『森の中で寝るのは初めてだ』


 乾いた笑いを浮かべ、ツカサはラングに倣い木の根元に寝転んだ。あっという間に意識を失い、そうしてラングに起こされるまで一度も起きなかった。



―――――



『体痛い』


『地面に寝転んでいればそうなる』


『教えてよ』


『聞かれなかった』


 ラングに頬を叩いて起こされすぐさま歩くことを強要された昼。


 なんだかんだ異世界に来て初めて、ツカサは洗顔も歯磨きもできないまま一日を過ごすことになる。

 衛生面が綺麗な場所からそうでもない場所へ旅行に行った場合もこうなのだろうか、と自分を慰めながら渡された干し肉をかじった。

 これが日本で食べていたジャーキーとは違うが、適度な噛み応えがあり、噛めば噛むほどじゅわりとした肉の脂と旨味が出て来て美味しかった。炙って食べたいと思った。

 ラングと他愛もないことを話しながら歩を進める。


 サイダルで過ごしていた日々のこと。三食寝床付きは有難かったが、夜食は自費のため結局一日に一、二枚しか銅貨を貯められなかった事。

 タオルなど綺麗なものを使いたければ買わねばならず、結局消耗品を買うことで貯めた金もなくなってしまっていたこと。サイダルを飛び出した時の所持金は五万四千リーディしかなかった。


 一ヶ月が三十日周期のこの世界で、四ヶ月、百二十日休みなしで働いて五万四千リーディ。


 ラングは学があるらしく、単純計算で四十八万はあるところそれしかないと気づいたのだろう。なんとなく雰囲気が憐れみを纏っている。


『お前をほぼ無料の労働者として手に入れていたわけだな』


『言われてみれば、そうなのかなぁ』


『何を盛られるかわかったものではなかったしな』


『あ、だから全然食べに来なかったんだ?』


 ラングの沈黙は肯定だ。会話を続けて少しずつわかるようになってきた。


『最後はなんで来たの?』


『ご当地ものはせっかくだ、食べることにしている』


『そういうのすごく良いと思う』


 ツカサは笑った。

 昨夜ぐしゃぐしゃに泣いたせいで瞼はまだ重い。寝不足もたたり、少し頭痛もしていた。

 時折ラングが休憩を挟んでくれたおかげで、ツカサは昨日より歩けた気がした。


 二つ目のキャンプエリアに辿り着いて、ラングは人がいないのを確認してからそれでも離れた場所を選んだ。


『ここで泊まっていく』


『あー休める!』


 木の根元で寝たのは昨夜が初めて、野宿というものをするのは今日が初めてだ。どさりと地面に座り込んだ。


 転移にしろ転生にしろ、だいたい最初は酷い状況から上がっていくものなのにな。ツカサは思いつつも一向に座らないラングを見上げる。


『野営の仕方はわかるか』


『…やったことない』


『教えてやる』


 来い、と短く呼ばれる。


 今座ったばかりだというのに、ラングは森に入って行ってしまう。深緑のマントを着ているラングは、暗闇はさることながら森の中だとさらに見失いやすい。


『枝の選び方だが』


 どれでもいいと思っていた。そうではないらしい。

 最初に見つけるのは小枝や木切れ、乾いた葉が落ちていればそれも拾う。ラングが出して渡してくれた麻袋に言われた通りのものを拾い、入れて行く。

 空間収納を使えばいいのだが、まだ話していないしいざという時のために伝えていない。


 次に針葉樹の枝。葉を見て見極めろと簡単に説明を受け、鳥が止まって落ちた枝や、他の冒険者が薪のために切り倒して放置された材木をその場で鉈を使い必要な量だけ切り出していく。ラングから鉈を受け取り、ツカサは息を切らせて言われた量を麻袋に入れた。倒木を選ぶのは、水分がなく乾燥しているからだ。雨に濡れていたら不運だという。


 最後に、火を長時間持たせるための広葉樹の材木。これはキャンプエリアに薪が積んであったので助かった。どうやら薪を使い切った冒険者や隊商が追加で木を倒し、作成しておくことが暗黙の了解のようだ。


 キャンプエリアの石組みされたかまどに戻り、燃えやすい物を下に、燃えにくい物を上に置いて行く。

 そこからは知っている火起こしだ。火打石を使うというのでやらせてもらった。意外と強く叩かないと火花が出なくて困っていたら、ラングが角度があると教えてくれた。


 無事に火がついたらあとはラングが黙々と支度をしてくれた。

 ポシェットから小鍋、食材、水を取り出してあっという間に温かいスープが出来たし、バゲットを切って火で炙ってくれた。

 焚火にポットを直置きする形でお湯も沸かし茶葉に直接注いで淹れた茶もある。外で食べるには豪勢な夕食になった。


 ふぅ、と吹いた湯気が風に押し返され、顔に当たり消えていく。塩っ気をきかせてくれたスープが美味しくて欲張ったら口の中を火傷した。慌てて飲み込んだらじわりと熱が胃まで落ちていき、ぷはぁ、と息を吐いて空を見上げた。


 焚火の明かりのみ、日本に居た時には見たこともない満点の星空が広がっていた。

 急に厳粛な気持ちになった。異世界にいるんだな、と実感した。


 酒場で働いて、冒険者に触れて、違う場所なのだとわかっていつつも現実味がなかった。魔獣に襲われて死にかけたのが夢だったのではないかと思うくらい、ここにいるのだというリアルが薄れていた。


 今夜寝たら長い夢で、起きたらまた電車に乗って学校へ行くのだ。

 明日は起きたら母にお礼を言おう。父に話したいと言おう。

 それでも目を開ければ変わらない、固いベッド、中世のような田舎の町、剣に鎧に杖に魔法。


 知らない場所。

 その現実が、今になってツカサにどっと流れ込んできた。

 星空から手元の器に視線を落とし、スープの水面をぽちゃぽちゃと揺らしながらスプーンを進める。

 嗚咽が零れる。何かを掻っ込むようにしてツカサはスープを食べ続けた。

 鼻を啜る音が夜空に響く。

 堪えきれなかった泣き声がみっともなく響き渡る。


 ラングはただ黙って茶の入ったコップを傾けていた。


 

―――――



 ず、と鼻を啜る。


『話しをしよう』


 慰めることもせず、寄り添うこともせず。ただ、そこに在ってくれただけ。


『うん』


 それでいい。その優しさが何よりも嬉しかった。


 空になった器を置いて、一度飲み切ったコップに再度湯を注ぐ。二番茶なので味は薄いが水よりはいい。熱い茶を冷ましながら、それまで話しをしよう。


『お前は、ここで生きる者なのか?』


『ううん、俺は日本って場所から、気づいたらここに居た。異世界から来たんだ』


『異世界、という言葉の意味を測りかねている』


『そう、だなぁ。違う世界、としか言いようがないんだけど』


 ツカサは地面に枝で一本の線を引き、その両側に丸を描いた。


『こっちの丸から、この線を越えてこっちの丸に来ること。たぶん、ラングも転移して来たんだと思う』


『その根拠は?』


『だいたいのセオリー的に、冒険者って全世界共通用語なんだよね。冒険者ギルドラーっていう名称自体がないと思う』


『セオリー?』


『うーん、わかりやすく言うの難しいな、定石っていうの?世界共通の認識っていうか』


『なんとなくわかった』


 ふぅ、と茶を吹いて啜る。まだ熱い。


『転移は初めてではないのか?』


『初めてだよ!』


『その割に落ち着いている』


『あぁ、それは、俺の世界には物語がたくさんあってさ。異世界転生とか、異世界転移を題材にしたものが多いから』


『変わった思想だな』


『いや、別にただのフィクションだし』


『フィクション』


『創作物語ってこと、現実にはないの』


 ふむ、とラングが顎を摩る。癖なんだ、やっぱり。ツカサは少し怖くなって聞いてみた。


『あの、俺がこの世界に詳しくないと知って、契約を辞めるとかは』


『安心しろ、それはない』


 断言され、肩の力が抜ける。


『暫くの間、言葉はお前に頼ることになる。理解できるようになったとしても、約束を果たすまでは共にいるさ』


 【自由の旅行者】の著者に会いたい。それがツカサの望んだ報酬だ。


『まぁ、死んでいるなら無理だが』


『現存してるって聞いてる!』


『そのくらいは信じて引き受けている』


 肩を竦めて見せたラングに茶を飲んで自分を落ち着かせる。まだまだ熱い。


『本名は?』


『三峰司。ここではツカサだけで通ってる』


『そうか』


 暫しの沈黙。ぱきりと爆ぜた焚火に、ラングが薪を追加した。


『ほかに、話すことは?』


 隠しているだろう、という確信のある声だった。ツカサは一度星空を仰いでから、ラングを見た。


『いくつかスキルがあるよ』


 いずれ話すとは思っていたが、そのタイミングは思ったよりも早く来た。

 ツカサは包み隠さずラングに伝えることにした。


 空間収納

 鑑定眼

 変換

 適応する者


 ラングが持つポシェットのようなものをスキルとして持っていること。

 人や物の鑑定が出来ること。

 言語を変換し、意思疎通が可能になること。

 それから、憶測になるが環境に適応できることを指し示すだろうスキルがあること。


 ラングはその中で【変換】について多く質問をしてきた。

 スキルが発動する条件下、使用者の意志決定が反映されるのかどうか。

 【変換】できない言語があったかどうか。

 他の何かに【変換】を試したかどうか。


『どういうこと?』


『お前のそのスキル、もしかしたら使える幅が広いかもしれない、ということだ』


 ラングが取り出したのは、ラングの世界の銅貨だ。


『変換してみろ』


 はっとした。

 言葉ばかり意識していて物を対象にすることを全く思いつかなかった。

 ラングから銅貨を受け取り、スキルを発動する。


――変換を発動します。物質に対して変換を行いました。別の変換が必要な場合は再度使用してください。


 いけた。


 握り締めた手のひらをゆっくりと開く。

 見慣れた【この世界の銀貨】がそこにあった。

 銅貨から銀貨、価値が上がった事にも驚いた。


『お前が居れば、あの魔物の素材や肉をタダで渡してもよかったかもしれないな』


 ラングのそんな言葉に頷くよりも先に、ツカサは空に向かって雄叫びを上げガッツポーズを取っていた。


『なんで思いつかなかったんだろう!これはまだ検証してない!』


『それは後にしろ、調べたいのはわかるが話が先だ』


『うん!』


 銀貨が出たついでと言わんばかりに、ラングは二十枚の銀貨をツカサに差し出した。


『件の報酬だ。アイテムボックスがあるなら現金を渡してもいいだろう。だが出すときは必ずどこかから出すようにしろ』


『わかってる、財布として使ってる革袋があるから、そこの中で空間収納につなぐよ。異世界転移転生の常識』


『今変換した銅貨、いや銀貨はそのままやる』


『ありがとう!記念に取っておく』


『これも全て【変換】してくれ』


 ずしりと重い革袋が差し出され、ツカサは両手でそれを受け取った。紐を開けて覗けば、金貨が大量に詰まっていた。銅貨から銀貨、つまりラングの世界の金貨はここでは。


『ラング、何者なの』


『【変換】を使うなら答えよう』


 ツカサは【変換】を使い、ラングに革袋を返した。まばゆい輝き、間違いなく白金貨だろう。念のため鑑定をしたら白金貨と出た。知ってた。あの重い袋一つで一財産だ。


 この世界の金貨を見たことがないという会話を覚えていたラングが、さらに銀貨も金貨に変えさせて、金貨と白金貨を二枚ずつツカサに差し出した。

 ラングの世界では銅銀金のみで、白金貨は存在しないらしい。それにしてもどれだけの金を所持しているのか。見た目にはまったくわからないがかなりの富豪だ。


『見て覚えておけ。騙されずに済む。それから、何かあった時には迷わず使え』 


 これは先行投資だという。

 ツカサは大事に空間収納に仕舞った。


『対価には応えなくてはな』


 ラングは一度茶を飲んだ。


『私をその鑑定眼、とやらで鑑定していいぞ。私の世界にはスキルというものが存在しないから、この世界でどう表示されるかはわからないが』


『あ、うん』


 【鑑定阻害】が表示されていたラングを、改めて鑑定する。



【ラング・アルブランドー(48)】

 職業:冒険者ギルドラー レパーニャの処刑人パニッシャー

 レベル:358

 HP:2,201,000

 MP:0

 【スキル】

 オールラウンダー

 鑑定阻害

 追跡妨害

 威圧

 世界神の気まぐれリガーヴァル・ウィムシー

 暗殺者の肺アサシンブレス

 夢見師の加護レーヴ・ベネディクション

 

 


 ツカサはそっと、目を閉じた。



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