第5話 出会い

 クーバーの傷は出血量は多く見えたが、思ったよりも軽い物だったらしい。サイダル周辺に生息する肉の美味い、小型の熊のような魔獣に不意を突かれ鎧を砕かれたのだと言う。


 怪我のことよりも装備を買い直さなくてはならないことにクーバーは嘆いていた。その調子では問題ないだろうとその場の冒険者たちは笑って和ませた。


 ツカサはそれを視界の端に捉えながら、目の前の人物から目を逸らせなかった。真っ黒なバイザーから相手の表情がわからず、恐怖を抱いた。


『これは読めるか』


 流れる様な動作で差し出され、一瞬反応が遅れてしまった。提示された定期券大のカード、よく見ると冒険者証ギルドカードのようだ。ただ、デザインと記載された内容は違う。ツカサもギルドカードを出し、そこに並べる。


 ツカサの持つギルドカードには、名前、職業、スキルの刻印があるが、その人のカードには名前、ランクしか記載がないのだ。サイダルではランクはカードカラーで示す。だが、この人のでは記載して示すのだろう。


『俺は読めます』


『つまりお前だけか』


『そうだと思います』


 ギルドカードをしまいながら、小さなため息が聞こえた。ため息に混ざってはっきりと「面倒なことになったな」と呟きも聞こえた。


『先ほどから見ている限り、お前はここの言葉もわかり、私の言葉もわかる。そうだな?』


『そう、ですね』


『通訳を頼みたい。いくらだ』


 突然の申し出にツカサはきょろりと辺りを見渡し、アーサーを探す。まさか通訳を頼まれるだけではなく、それでお金がもらえるとは思わなかった。今までその必要もなかったからだ。どうすればいい、どうすれば。


『自分で決めろ』


 アーサーに相談をしたい気持ちを、不安を、ぴしゃりと叩かれた気分だった。


『お前が断るのなら身振り手振りでどうにか伝えてもいい。お前に依頼するのは、言葉が通じると言うことが時間の短縮に繋がるからだ』


 そのとおりだ。この世界に来てアーサーのように言語を学ぶところからだったら、この四ヶ月での検証はそう上手くいかなかっただろう。アーサーとすら碌に意思疎通が出来ず、いろいろと自棄になっていたかもしれない。


 ならば、引き受けるか。


『流されるな』


 口を開く前に、再びぴしゃりと言い放たれる。怒ってはいないらしい、それはわかる。けれど、依頼を求めた本人から引き受けるのを止める様な発言をされる意味がわからなかった。


 ツカサが答えあぐねいていると、その人はわかりやすくため息をついた。


『条件を聞いて来ないのはなぜだ。どのような内容を通訳するのか、知らないまま契約をするのか?』


 はっとした。


 言われてみればそのとおりで、ツカサは条件も内容も知らないまま「いいですよ」と承諾するところだったのだ。それが契約となるのなら、成功報酬は、失敗の場合は、と冒険者なら考えなくてはならないのだ。今まではそう言ったことも考える必要がなかった。


 自分で決めろと言うのには、様々な点を鑑みた上で考えて決めろと言うことなのだろう。


『ありがとう、ございます。内容を聞かせてください』


 先ほどまであった緊張が少し緩んだ気がする。わざわざ自分の不利になるようなことをきちんと注意してくれる辺り、この人物は悪い人ではない気がした。


『クーバーと言ったか、あいつをここまで連れて来たのは私だ。魔物から命を救った礼が欲しい』


 言い分は正しい。サイダルの冒険者ギルドでも救済行動には見返りがあって然るべきとしている。その際、冒険者ギルドが仲立ちして着地点を見出すことが多い。


『金額例などはあるか?お前への報酬の参考にしたい。その金額次第で受けるか断るかを決めてくれ』


 ギルドカウンターでこの四ヶ月見て来た例を話す。


 サイダルでは駆け出しの冒険者が多いので、意外と持ちつ持たれつが多かったりする。なので金額は相手が支払い能力を持つまで一ヶ月待ったり、支払われても銅貨八枚であったりなど相場が安くなっている。


『ギルドが仲立ちするだろうし、そのくらいだと思う』


『安い命だな』


 否定は出来ない。だが、駆け出しに金がないのもまた事実なのだ。


『待つことはできない?』


『この貨幣は使えるのか』


 さ、と出されたものは金貨だった。


『この町では金貨なんて見ないよ』


『ではこちらは』


 銀貨、それなら仕入れで見かける。


『そのお金じゃない』


『であれば、当座の現金を得なくてはならない』


 なるほど、そのために謝礼が必要なわけだ。

 慣れているな。


『異世界が初めてじゃない?』


『お前にそこまで話す義理はない』


 ぴしゃりと言い放たれるのも何度目か。けれど拒絶されたわけではなく、事実を告げられただけで委縮する感覚はない。


 経験があるかどうかは置いておいて、この人の希望はそうすると非常に低価格になってしまう。ツカサに支払う報酬も視野に入れると、一銅貨も得られない可能性がある。


「ツカサ、どうした?クーバーはなんだどうした」


 アーサーが駆け寄り、目の前の異質な冒険者にびくりとした。気持ちはわかる。


「この人がクーバーを魔獣から救ったんだよ、それで、謝礼が欲しいって」


「なるほどな」


「ただ…言葉が、俺にしかわからなくて」


「なんだって?」


 掻い摘んで説明をすると、アーサーは目を見開いたあと腕を組んで考え込んでしまった。


「ツカサが来たのもつい最近、サイダルにそういう出来事が多すぎないか?」


「そう言われてもわからないけども」


「そうなんだけどな」


 クーバーの無事に冒険者が散らばっていく。鎧を着込んでおらずそもそも全体が見えにくいその人の横を通る時、誰もが怪訝な顔をしていた。


「クーバーを助けてくれたのはそいつか。助かったぞ、あいつはまだ駆け出しだからな」


 タンジャが真っ直ぐにツカサたちの方に近寄り、その人の肩に手を置いて親愛を示そうとした。肩に手を置かれる前に半歩引き、それを拒否する。タンジャは眉を顰めたが、触れられることを嫌がる冒険者はいる。両手を挙げて害意がないことを示した。


 その人は引いた半歩を戻して謝意を受け入れた。


「すまんすまん、俺はここのギルマスのタンジャだ」


「タンジャ」


 名前の部分を聞き取ったのか名前を復唱したその人は、タンジャの前に手を差し出し続きを遮った。


『こうなってしまってはお前に通訳を受けてもらうしかないだろうな。報酬はまたあとで相談とさせてもうがいいか』


『あ、はい、わかりました』


 話さざるを得ない状況になってしまっては、悠長に取り決めている時間もないのだ。ツカサに対して即座に提案を切り替える辺り、判断の速い人なのだろう。


「ツカサ?」


 ストップの手のまま会話をする冒険者とツカサを見守っていたタンジャが確認を入れる。


「ギルマス、場所を変えて良いかな。この人、ここの言葉がわからないんだ」


「なんだって?」


 タンジャの視線がアーサーを向く。アーサーは肩を竦めて酒場の方へ戻っていった。あれはお茶を淹れに行ったのだろう。


「俺の部屋に行こう」


 タンジャはわかりやすく上を親指で指し、階段へ向かう。それを引率と理解したその人はツカサより先に歩き出した。

 ツカサは慌ててついて行った。



―――――



「さて、何から話せばいいのか?」


 タンジャはギルマスの椅子に、固いソファにはその人とツカサが並んで座り、ロクシーを押し退けてアーサーがお茶を持ってきてツカサの対面に座った。

 ソファで足を組み、会話の切り出しをじっと待っているその人に、ツカサがそわそわしてしまう。


「ええと」


 ツカサが沈黙に耐えられず、何かを言わなくてはと腰をやや浮かす。


「いい、いい、ツカサ座って居ろ。改めてクーバーの件は礼を言う」


『何を言っているかはわからないが、礼だろうな?』


 その人の問いに肯定する。再びの沈黙に、タンジャがため息を吐いた。


「ツカサは言葉がわかるんだな?全くお前は博識だよ」


「そんなんじゃないけど…」


「すまないが通訳してくれるか」


「わかった」


 通訳することをその人に伝え、そちらからも了承を得る。


「クーバーを襲った魔獣だが、殺したか?追い払っただけか?」


『殺した』


「死体はそのままか?」


『何故問う』


「そのままにしておくと、他の魔獣が来るからだ。場所を特定して持ち帰るなり処分するなりしなくてはならない」


『であれば問題ない』


「どういう意味だ?」


 腕を組んでソファに寄り掛かり、バイザーの下でふん、と鼻で笑うような音がした。


 タンジャの心配する事態にはならないのだろうが、どう処理してあるのかが不明だ。


『ところで、私は謝礼が欲しい』


「あぁ、助けたことに対してだな。クーバーの受注状況からして、あいつが支払えるのは銅貨三枚が限界だろう」


『ふざけているのか?』


「仕方ないんだ、あいつはこれから装備も整え直さなくてはならないんだ」


『それが私になんの関係がある』


「同じ冒険者だろう、事情を汲んでやれ」


『ふざけないでもらおう』


 ガンッ、と大きな音がしてツカサは椅子から尻が浮くくらい体が跳ねた。


 隣に座っていたその人が、お茶の乗っているテーブルに踵を叩きつけた音だった。カップが倒れ茶がぶちまけられ、アーサーがわなわなと震えている。


『実力のないバカが身の程知らずに森の深部に居たんだ。通りがかっただけで見捨てることも出来た。魔物と戦い命の危険も顧みずに救ってしかもここまで運んでやったのに、事情を汲んでやれ?ここの冒険者はクズの集まりか?』


 ツカサには通訳をする気力がなかった。その人の様子から憤怒を感じ取り、タンジャは目を細めてその姿を見据えている。


『ならばクズからもらうことは諦めてもいい、だがこれをどうにかしろ』


 つい、とその人の手がマントの中に回り、腰元のポシェットを指で叩いた。


 ドガン、と音がして、先ほど踵を落とされた木製のテーブルがぐしゃぐしゃに割れた。



「ジャイアントベアー…」



 小型の熊のような魔獣ではない。それは銀級冒険者が二、三パーティで狩るような大型魔獣だった。ギルマスの部屋はぎゅうぎゅうになり、血の匂いが一気に充満した。


 ツカサはソファごと壁際に追いやられてしまった。アーサーは少し挟まったようだ。


『少なくともあいつの手に負える様な魔物ではあるまい。お粗末な罠と策略だったぞ』


 ジャイアントベアーは時折森の深部で見かけられる。毎年秋には都市部へ遣いを出して銀級冒険者を依頼するのだ。


 その魔獣をソロ狩りできる冒険者。




 サイダルが絶対に敵に回してはならない人なのだと、その場の三人は理解した。





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