第3話

「……ご苦労でしたね」

 パデュイリー貧民街区のそばにある飲み屋、その一番奥の席。

 くだを巻いているいかにも危険そうな、誰も近寄ろうとしないその酔っ払いに、頭巾ずきんかぶったままの女がひとり、躊躇ちゅうちょなく近寄っていく。

「っく……ああ、あんたか。直接ここに来るとは珍しいな」

「ええ、今日はたまたまパデュイリーに用があって。私が報告を聞くわ。おかしな仕事を頼んで悪かったわね」

「なに、構わんさ……なかなか面白かったからな。それにこの薬、こりゃあ便利なモンだ。こんな飛び抜けた報酬ほうしゅうもらえるならお安いご用さ」

 粗暴そうな男は懐から小瓶こびんをチラリとのぞかせると、愉快ゆかいそうに笑った。

なぐられてもこの薬があれば痛みすら感じねえ。強請ゆすたかりの暴力芝居にゃ打って付けだぜ」

「それでどう? 枢機卿すうきけいさまは、何か云っていたかしら」

「ああ。次からは身なりをもう少し落とすなり、護衛ごえいをつけるなりすると、そう云っていたな」

「そう。ひとまず上手く行った、というところね」

 パチリと、女は懐から銀貨を五枚ほど男のテーブルに積む。

「うへっ、後金あときんこれだけかよ……いや、まあ薬の効果を考えりゃ納得だけどよ」

 悪びれもせず、男は銀貨をわしづかみすると、ふところにしまい込んだ。

「それにしても、襲う方も助ける方もどっちも芝居とは、お偉いさんは考えることが違うねえ……あんたもそう思うだろ」

「まったくそうね。けれどそれは他言無用と云ってあったはず……口には気をつけなさい。身を滅ぼすわよ」

「へいへい、重々承知で。侍従じじゅう様」

 女は手を横に振って会話の終了を示唆しさすると、そのまま背中を向けて店を出て行く。


「……まあ、口に気をつけても、その薬はあなたを放っておいてはくれないでしょうけれど」

 店を遠く離れて脱いだ頭巾の下には、ザンダール家の侍従である、サンドラの顔が隠れていた。


 数日後、男の死体がパデュイリーの水路に浮かんでいた。薬物による中毒死の可能性あり――衛兵詰所の調書には、そのように記録されている。



            † (人称が変わります)



「――では、アベルも枢機卿さまにお説教をしたのね」

「まあその、お説教というほどのものではないのですが、僭越せんえつながら……義理とはいえ大切なお父様ですし」

 いつものように、いつもの如く。

 悪女と名高いザンダール公爵令嬢、つまりわたくしの談話室で、今日も聖女であるアベル嬢はお茶をばれにやって来ていた。


「それで、お説教に効果はあったのかしら」

「ええ。貧民の出であるお前が云うならと……どうにか聞き入れて頂けたようで、ほっと胸をなで下ろしているところです」

「そう。それは良かったわね」

 先日の貧民街で起きた揉め事で、枢機卿は以降、街区で教導を行う時には同行者として護衛を用意すると決めたようだ。


 襲わせたのも、助けさせたのも私だけれど、こういうはかりごとは初めてだったから、上手く行ったようでこちらとしても胸をなで下ろしているところだ。

 どういうわけか、折角アベルが私に懐いてくれているようなので、今エルネスハイム枢機卿に何かあっては困る。

 いかな聖女といえど、アベルは貧民街出身の孤児みなしご。後ろ盾がいなくなれば、その立場も立ち行かないものとなるだろう。

 いざ不要となったらアベルを亡き者にして、次代の『聖女』を教会から新しく『誕生』させる――教会かれらにしても、それくらいはやりかねないしたたかな存在ではあるのだから。


「父は厳しい人ではあるのですが、やはりいささか、下々の事情にはうといところがおありのようで……」

「ふふっ、貴族や教会の人間なんて、多かれ少なかれそういうものよ」

 獅子ししや象が、自らの食料となる鹿や雑草のことなどを心配する筈もない。それは貴族であろうと司祭であろうと同じことだ。

「そ、そういうものですか……ならば、そう仰有おっしゃるカイン様は逆にそうではない、ということですよね?」

「私? そうね。けれど自覚があるからと云って、その行いが変わるわけではないかしら……実際、下々の者と触れあう機会もないし、もし何かの手違いで爵位しゃくいを失うようなことになれば、その時はそもそも生きてすらいないでしょうからね。私の場合は」

「カイン様……」

「人の形をしているけれど、人ではない――そう云い換えることも出来るわね」

 私の言葉に、アベルはギョッとしたように目を丸くする。可愛いわ。

 そもそも私は公爵令嬢としての、しかも『ザンダール公爵令嬢としての生き方』しか知らない女だ。今まで眺めてきた貴族達の善悪美醜の様々を考えてみれば、恐らく我が夫となる者は地獄を見るであろうし、それによって私が行いを変えるということもないだろう。

 私よりも立場が上になる男というのは、実際王家の男と我が父上くらいのものだろう。そして権勢けんせいはかりとして考えれば、私が王家にとつぎ出される可能性は皆無かいむだ。


「つまり、人ではないことをカイン様はご存じなのですから、人の振りをすることは出来る……ということですよね。十分なのではありませんか」

「……んん?」

 アベルはにこにこしながらそんなことを云い出したので、つい首をかしげてしまったけれど。

「あの……私、またおかしなことを云ってしまったでしょうか」

「おかしい……おかしくはないかしら。でも、どうしてそう思って?」

「いえ、だってその……私も、聖女の『振り』をしているわけですし」

「ああ。なるほど……確かにそう云われてみるとそうね」

 つまりアベルはみずからに対して、『聖女のなりすまし』といった意識があるのね。ある日とつぜん神の都合で覚醒かくせいしたのだったわね。

「けれどアベル。それは『聖女のたまご』とでもいうべきものなのではないかしら?」

「どうなのでしょう? 『貴族のたまご』ではあるかも知れませんが、聖女らしい徳は積んでいませんし……」

「云われてみればそうね……」

 貴族の行儀作法を叩き込まれているとは聞いているけれど。

「つまり、神が選んだという時点で、貴女あなたは聖女としての峻別しゅんべつが済んでいる――ということなのね」

「あっ、そういえば孤児院の司祭様がそんなことを云っていた気がします。神の選んだ子に、神の教えを説くのはムイミだとかなんとか……」

「あら、それで放り出されてしまってはアベルも大変ね」

「いえ、司祭様のお説教は昔から苦手でしたので、そこは助かっていると申しますか……」

「まあ。ふふっ……」

「とは云いましても、いろいろなところで聖女としての振る舞いを求められますので……結局ある程度は学ばなければならないようですが」

「そうでしょうね。私だって、聖女様自らの手で秘蹟ひせき恩寵おんちょうたまわれるというなら、きっと感激のあまり爪先つまさき接吻せっぷんでもしかねないでしょうから」

「や、やめて下さい……司祭様達のように、ちゃんと御業みわざおさめているわけではないですし」

「けれど、アベル自身に神のお力が宿っているのだから、それはもう神ご自身から恩寵を賜れるということと同義なのではなくて?」

「皆さんそう思って下さっているようですけれど、私自身としては……」

 アベルは、そう云ってやや顔を曇らせる。


「……」

 ――その気持ち、わからないではないわね。

「アベルは、少しだけ昔の私に似ているわ」

「カイン様……」

「けれど、なってしまったものは神のおぼし。仕方のないことだし、貴女自身の所為でもないと思うのよね……違うかしら」

「そう、ですね」

 子どもの頃の私を思い出すわ。どう足掻いても『ザンダールの娘』として扱われる――生まれ落ちたその時から、色眼鏡で見られるそのむず痒さを。

「私も、誰に頼まれたわけでもなく、ザンダール公爵の娘として生まれてしまったから……貴女の気持ちも少しだけわかるかしら」

「あっ……」


 っていた特殊な立場としてはどちらもさして変わりがない、ということをアベルも理解したのだろう。小さく声を上げてから不思議そうな顔で私のことを見た。

「それでは、きっとカイン様もご苦労なさったのでしょうね……いえ、私などが云うことではないのでしょうけれど」

「あら、そんなことはないわ」

「えっ……」

 おずおずとたずねるアベルに、私がきっぱりと否定すると、彼女はもう一度びっくりしたような顔になる。そんな様子だけで私はこの娘がもう可愛くてしょうがない。

 並の貴族では、ザンダールの前に立つと素の表情を見せることも難しいものだ。

 内心で驚いたとしても、必死に表に出ぬように微妙な笑顔を浮かべたりするのが常なのだけれど――奔放ほんぽうというべきなのか、彼女にはそういうところが微塵みじんもない。


(怖い物知らず、というわけでもなさそうなのがまた何とも……ふふっ)

 周囲から散々我が家の恐ろしさは耳に入っていることだろうに、そう、どうたとえれば……『恐る恐る、けれど果敢かかんに狼の皿へと飛び乗ってくる兎』とでも云うべきだろうか。

「ふふっ……」

 いけないわ。つい喩えだけで愉快になって、思わず笑いがこみ上げてきてしまう。

「アベルと違って、私はぬくぬくとしたものね。善し悪しはあるでしょうけれど」

「えぇと、ぬくぬくというのは、悪いところがあるものですか?」

 不思議そうに首を傾げる。そもそも裕福というものに縁のなさそうなアベルらしい問いではあるだろうか。

「子どもにとっては、あまり良くはないかも知れないわね――例えば失敗をしでかしてもばつもなく野放図のほうずなままというのは、将来が心配になる育ち方でしょう」

 私自身、正直ザンダール家の娘でなければこんな風に成人出来ていたかどうかはかなり怪しいところではあったけれど。向こう見ずな子どもというのはそもそも死にやすいものだし。

「そうなのでしょうか……確かに、子どもの頃は司祭さま方にしかられてばかりでしたが」

「アベルもいくつか実例を垣間かいま見て来ているはずだけれど。思い当たる節はないかしら、貴族の奔放な横暴ぶりというものをね」

「えっと……ああ、はい。そうですね、云われてみれば……」

 何を思いだしたか、アベルが苦笑いを浮かべる。


「あら、その話は聞いてみたいわね」

「いえ、ええと……あまり愉快な話ではありませんから……」

「いいのよ。そういう話は好物だわ」

「そ、そうなのですか?」

「ええ。『人の振りを見て我が身を正せ』と云うでしょう?」

 まあ、本当はそんなこと、微塵みじんも思っていないけれど。

「うーん……」

 アベルは考えている。きっと、彼女の基準ではどうあっても楽しい話と思えないのだろう。

「もし話してくれるなら、昨日見つけてきた珍しい焼き菓子をお出しして差し上げてよ」

「本当ですか!?」

 目が輝く。思わず噴き出してしまいそうになるが、アベルは物で釣られるくらいでいてくれる方が可愛らしい。

「……こほんっ。そ、そこまでしてお聞きになりたいのですか?」

 私が笑いをこらえているのに気づいたのか、顔を赤くする。

「もちろん。貴族の令嬢は噂話が何よりの好物なのだから――それにそこまで云いよどむような話であるなら、洗いざらいぶちけてしまった方が、アベルも清々せいせいするでしょう?」

「うっ、それはそうなのですが……本当に楽しくないお話ですよ?」

「構わないわ。アベルの話がつまらないなんてこと、私にはあり得ないもの」

「はうっ……!」

 ちょっとしなを作って微笑みかけると、アベルはぽん、と顔をあからめる。まったくお可愛いこと。


「では、その……先日のことなのですが……」

 不承々々ふしょうぶしょうに口を開くアベル。

 本当に。最も底辺の身分から、いきなり貴族ですらうっかり手が出せないような高貴な身分に引き上げさせるだなんて――どうしてなかなか、神様も私たちに負けないくらいの人でなし……ああ、元々人ではありませんでしたね。そうでした。

 お陰でこの娘にはまるで誘蛾灯ゆうがとうのように、いやしい野望をたぎらせた貴族達が、その気持ちを隠すこともなく近寄ってくる。

 勿論もちろん私もその一人。踊り、踊らせ、振り撒かれる鱗粉りんぷんを輝かせながら、精々せいぜい派手に舞い続けて見せましょうとも。


 ――いずれそのまぶしい灯火ともしびに触れ、きらめく炎に包まれながらけ落ちるまで。

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