第7話 陵の次女

「もう、行くんだね?」

「お兄、みのるさん、頑張ってね。無事でね。」

「ありがとう。行ってくる。元気でな。」

玄関先で、みのるとお母さん、佐伯とゆら、佐伯とみのるは場所を交代し、次はみのるとゆら、佐伯とお母さんが一瞬のはぐをした。小さく、お世話になりました、というと、たくましくなったね、命を大切にするんだよ、とささやき返してくれた。そんな言葉を言われたのは初めてであった。みのるの目には、朝日に照らされた露と、少し小さく見えたお母さんの目から流れる水滴が映った。

「みのる、乗れ。」

「はい。」

みのるの腕には、佐伯ほどではないが、淡く重なっている筋肉が見えた。足にも一回り筋肉がつき、しっかりとした一歩を踏み出すことができていた。

「行ってくる。」

馬がヒヒーン、と高く吠え、前足で思い切り地面を蹴った。一瞬でその姿は太陽に吸い込まれてしまった。女二人は少し黒く染まった布を顔にあて、胸の前あたりで手を振り、消えるまで目を離さなかった。

「お前の家、羨ましいな。」

「なんで?」

家は米粒くらいに小さくなり、次第に見えなくなっていった。誰もいない河原を、太陽をめがけて走っていた。

「お前にだけはいうが、実は私は、天皇の娘だ。」

「!」

突然突拍子もなく出たみのるの言葉に、馬を操縦していた手が止まった。しかし、それは一瞬であった。すぐに操縦を始め、前に座るみのるのさらさらとした髪を見ながら、落ち着いた顔になった。

「なんか途中から、そう確信し始めた。明らかに他のやつとはちげえもん。なんか、異彩を放っていた、というか、なんか見えたんだよな。」

あまり驚いた顔をしない佐伯に対し、みのるは内心ほっとしていた。だからこそ、佐伯に事実を、このタイミングで言ったのだ。

「お前が仏壇で僕の言葉を拾ったとき、こいつ、実は勘付いていたのかな、って思った。お前は頭が切れるしな。」

「ははっ。お前をからかうのも楽しかったぜ。剣の稽古のおかげで俺も少しばかり強くなった気がするしな。」

「それはよかった。」

 山の中にたどり着き、ひたすら上へと登った。あたりは霧で包まれていた。

「見えたぞ。あそこが俺らの陣だ。」

なんとも言えない形の赤い模様を掲げた旗、二、三本が、はためくと同時に霧を払っていた。

「我は中島佐伯なり。ただいま戻ってきた。」

やぐらのようなところをよく見ると、鎧を着た人が二、三人いた。そして、佐伯の低く、重圧のある声を聞くと、慌ててなにかをし始めた。次の瞬間、ギギギィ、と古く、重い音を立てる扉がゆっくりと開いた。

「佐伯、また女のところにいたのか?って、そいつは誰だよ。」

仲間の一人が出迎えてくれたようであった。

「母ちゃんのところにいたんだよ。でもってこいつは俺の子分。」

みのるの頭を真上から押しつぶした。

「お、おい!誰がお前の子分なんかに!」

髪をぐちゃぐちゃにしながら、懸命に佐伯の顔を見ようとした。

「なんだ、ガキじゃねえか。どれ、こっちに来いよ。」

「あっ」

みのるは腕をいきなり引っ張られたため、反応が遅くなってしまった。念の為肩から被っていた布が取れてしまい、胸のラインが見えてしまった。

「お前、胸があんのか?女、か?」

ガキだと思っていたやつが女だと気づき、少しの間、しきりに睫毛だけを動かしていた。その瞬間をチャンスだと感じ、すぐさま剣を抜き、その男の顔の前に突き立てた。

「ならば戦いで勝ってみよ。」

男は言われるままに剣を抜いた。その気迫に逆らうことができなかったのだろう。しばらくの間、剣は混じり合ったが、みのるの方が押していた様子であった。ついに、男の剣は空中に飛んだ。男は地面に背中をつけ、肩がつかないように両手でみのるより一回り大きい体を支えた。剣の音があたりの音を吸い込み、響き渡ったため、休んでいた兵士たちが大勢見ていた。ほとんどが男の応援であったが、男の体を押していくと、次第に、みのるを応援する声も多くなっていった。

「どうだ、私は女だが、お前よりも一回り小さな体だが、勝利したぞ。これで何も文句は言えまい。私についてくるか?」

見下すような冷酷な目で、剣を眉間の先に突き出した。あいつほどの強いものが負けた、とあちらこちらで口放った。その軍の中では強い者だったらしい。

「おいおい、手下のお誘いかよ。どうなっても知らんぞ。」

馬の尻に頭を置き、寝っ転がってしまった。周りにいた人たちも皆、驚愕した。

「そこまでだっ!」

その声が聞こえると、観衆は道を作った。

「お前は、女なのか?」

「いかにも。」

その男はまじまじと舐めるように見た。しかし、みのるの目は常に相手の目にしか集中していなかった。おそらく大将だろう、と瞬時にわかった。

「お前のその目。陵に行ったときの、次女の気迫によく似てる。俺を睨むような、冷酷な目だ。身が震える。」

口角をわざとらしく上げた。男らしい、低く、透き通る声であたりの空気をピリっとさせた。しかし、みのるはその空気を恐れることはなかった。正体がばれてしまったことは水に流し、この際、この身分というものを存分に使用し、旅を続けることを計画した。

「いかにも、私が天皇の娘だ。私の下につくことに、何か不満でも?」

「いえ、ぜひお供させていただきたい。なぜ、あなた様のような存在が、この汚らわしい場所にいらっしゃるのですか?命を多く狙われたでしょう。」

「それは皆、佐伯が守ってくれました。この、心も。」

皆の視線が一気に、馬に寝転がっている佐伯の方を向いた。佐伯は何か変な空気を察し、体を起こし、自分がなぜ注目されているのかわからずに、どうもどうも、とにこやかに笑い、また寝転がってしまった。その視線は再びみのるの方へ向いた。

「姫様、大変苦しい話なのですが、あなた様のいた場所が、天皇が反乱軍に狙われております。私達はそこへ援軍として向かうつもりでした。」

大将は馬から降り、片膝をつき、報告をした。

「な、なんだと!」

感謝でいっぱいだった目が突如、震えた目となった。

「母上が、姉上が!早くそこへ連れて行ってくれ!」

大将の胸ぐらを掴んだ。

「し、しかし、貴方様が天皇の娘だということが知られたら、真っ先に狙われますぞ!」

力いっぱいに握られ、声は苦し紛れになった。

「いい、私なんぞ死んでもいいから、姉上たちを守るのだ!皆の者、お前たちは天皇の駒なんかではない、己の人生だ。生きるも死ぬもお前達次第だ。自分のために戦うのだ。その先に戦いの勝ち負けが生じる。さあ今決めろ!私についてくるものはついてこい!」

皆、演説中はみのるの声に耳を澄ましていた。はきはきと、心に直接訴えてくるような説得力のある言葉、一つ一つに、目を奪われていた。話が終わり、一人ずつ、持っていた刀を上に突き上げ、天高く、うぉぉーっ!と叫んだ。その迫力に追いやられ、霧が晴れていくように見えた。

「お前、強くなったな。」

「お前のおかげだ。感謝している。」

皆が戦いにやる気を出し、そそくさと準備をしていた。みのるは寝転がっている佐伯のそばに駆け寄り、与えられた武具を着た。他の者のよりも堅いことに気付き、優遇されたことに憤りを感じたが、これ以上の争いは止めにし、体力温存に専念した。

「いいのか、ばれちまって。」

「ああ、どうせいつかばれるなら、今ばらして闘志を燃やしたほうが得策と考えた。」

「まあいいさ、上司の俺が守ってやるから。」

ドン、とみのるの肩を強く押した。みのるは足で踏ん張った。

「僕の力をみくびるなよ。」

佐伯を睨み、武具の上から黄土色がくすんだ布を纏った。

「しっかり紐を締めておくんだぞ。」

「ああ、今回のようなヘマはしない。」

佐伯は馬を降り、自分の支度の準備を始めた。

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