第6話 稽古

「やぁぁっ!」

「はっ。」

陽がまだ出始めの頃、二人の剣士は川の近くの土手で剣を重ね合っていた。佐伯はみのるの剣をひらりと交わしていた。お母さんはまだ布団の中で寝ていた。

「おいっ!はぁ、少しは当たれよ!そんな弱くないはずなのにっ。」

「それが自惚れっていうんだろ。はっ。お前の剣は読みやすい。誰に教わったのかわからないが、型にはまりすぎていて独自性がない。」

「くっ、独自性?自分らしくやっているつもりだが。」

「それに、体がか細いのも欠点だな。」

「お前のように筋肉をつけろってことか?」

二人は剣を休めた。

「それは無理だろ。あいにく、女と男の体のつくりは違う。いくら剣が強くたって、男より上に立つには限度がある。それはこの世で決まっていることだ。」

みのるは目線をゆっくりと下ろした。

「いくら剣が強くたって、ねぇ。そうなんだよな。私がこんなに頑張ったって、女はただの駒でしかない。なによりも欲しいのは男。女なんぞ、多くはいらないのだ。」

「お前、本当にどこの生まれなんだ。言っていることが俺らの会話とはかけ離れているように思うのは、気のせいか。」

みのるは寂しげな顔を上げ、仮面を取ったようにすぐさま明るく、作られたような笑みを佐伯に向けた。

「き、気のせいだと思うよ!さっ、稽古の続きやろう。」

「お、おう。」

納得しないような顔をしながら、剣をみのるに対してまっすぐに構えた。

 稽古が終わり、家に帰った。

「おかえり、朝ごはん、用意してあるからね。みのるくんも。」

「ありがとうございます。」

民たちの家には浴槽、というものがないため、みのるは人生で初めて、川で体を洗った。

「佐伯、いつ向こうに戻ってしまうのかい。」

三人で長方形の机を、短い辺にみのる、長い辺にお母さんと佐伯が対峙するように囲みながら、朝ごはんを食べていた。

「明々後日くらいにはもう出て次のところに暴れに行かなきゃいけない。」

「無事でいることが一番よ。お母さんとお父さんはここでお前を待っているから。」

なぜ暴れることが許されているのか聞きたくて口を開けたが、それと同時にガラガラ、っとドアが開いた。

「ただいまー。」

女の子の声であった。

「おかえり、えみちゃんと楽しく過ごせたかい?」

「うん。えみとけんけんぱしたり、石を川に投げて遊んだり、、、」

説明をしながら食べているところへ向かってきたが、その部屋に入った瞬間、みのるが目に入ったために、言葉を呑んでしまった。

「え、誰?」

泥棒に偶然出会ったような顔をしていた。

「あ、初めまして。みのる、と申します。少しの間、佐伯さんにお世話になります。」

箸を置き、正座になり、その子に向かって深々とお辞儀をした。その途端、顔が晴れやかになった。

「え、すごくかっこいいんだけど!お兄の友達?」

みのるとは反対方向の短い辺に腹部を押し付けて、顔だけ伸ばした。女の子は茶色い髪を後ろで結んでいて、元気いっぱいのようだ。

「おうよ。こっちは妹のゆら。年が離れた兄弟だ。」

「え、お兄さん、年は?」

「12歳だよ。」

ゆらの元気さについてゆけず、肩をすくめながら小さく言った。

「私の三つ上だ!よろしくお願いしまーす!っていうかずっとここにいていいよ!」

お母さんにねっ、ねっ、と何回も言っていたので、そんな、いいですよ、と控えめに断った。

「ねぇ、佐伯。親父さんはなんで亡くなったの?」

はしゃいでいるゆらを横目に、佐伯に小声で聞いた。

「親父は戦で討ち死にした。歩兵でさ、俺らをこれでもか、っていうぐらい溺愛してて、なんていうか、憎めない親父だった。その戦いは勝ったけど、それは親父の命と引き換えに、だった。なんでも天皇を守るための戦いだったから今までの戦のようでは無理だったみたいだ。」

「天皇を、、、守るため?」

ふんふん、と静かに聞いていたみのる顔はやがて青白くなっていった。

「そうだよ。」

その青白い顔を不思議そうに見ながら答えた。

「、、、お線香、あげてもいい?」

そういうと、机を支えにして立ち上がり、食べ終わった食器を揺らした。

「知らないやつからはいいよ。親父も気分悪くなるだろ。」

佐伯が普通の声の大きさで言ったので、お母さんとゆらは、何の話?と言ってきたが、こっちの話、と会話から除外した。

「ごめん、ここは譲れない。どうしてもやらせて。」

強い目で訴えるように、反論を妨げる蜘蛛の糸を張っているようであった。

「わかったわかった、あげてやってくれ。どういう理由なのかは知らんが。」

あぐらをかいていた足をほどき、みのるを仏壇へと案内した。

 お線香を立てて、正座をし、静かに目を閉じた。綺麗な細い手を重ね、親父さんへ思いを寄せた。

(私の父のために、命を費やしていただき、まことに感謝いたします。そのおかげで父上は今もなお、元気に暮らしています。娘ではありますが、父の謝辞を私の心で述べさせていただきます。貴方様方のおかげで今こうして生きているのに、そのような戦があったなどと存じなかったわたくしどもをどうかお許しください。)

「まことに感謝いたします。」

「感謝?」

「えっ」

最後の文が、気持ちを込めすぎて口から出てしまっていたようだ。その瞬間、みのるの心臓は太陽へ引っ張られ、燃やされたように熱くなった。二人しかいない空間に、みのるの額から出る、薄黒い汗と心臓だけが動いていた。心臓の音が聞こえないように体を縮こませた。佐伯が顔をしかめる。

「お前、実は、天皇の子供?」

事実を言うか、笑ってごまかすかを考えた。事実を言ったら、私はこの世界に居場所をなくしてしまう。笑ってごまかすのは気が引けた。ここまで助けてもらったのに、何一つ恩を返すことができていないからだ。やはり、ここはお世話になったこの者たちに事実を言い、また元のように過ごせばいい。これでいこう。そう言い出そうとしたとき、佐伯が先にえくぼをつけながら口を開いた。

「ぬぁーんちゃって!そんなわけないよな。そうだったらお前のこと追うやつがいたり、いい着物とか着てるよなぁ。」

がははっと背中をのけぞりながら笑った。

「あ、あはは。そうだよ。そ、そんなわけないよ。あは。」

事実を言わず、もう少し佐伯とともにいられることを嬉しく思ったと同時に、雲行きも怪しくなっていたように感じた。心臓がちゃんと元ある場所に戻った気がした。

「じゃあ、お線香も終わったところで、稽古といきますか。」

「おう!」

ガラッと扉を開け、お母さんとゆらに行き場所を伝えた。ゆらはついていきたい、と何度もお願いしたが、本物の刀使うし、危ないからだめ、と兄弟愛が感じられ、懐かしいような気がした。

「お前、兄弟とかいるのか?」

川へ行く道の途中、それまでは無言であったが、なんとか沈黙を避けようと、みのるについて色々ろ聞き出そうとした。

「姉と、妹がいる。」

へー、と言ったきりまた沈黙が続いた。佐伯の動揺を感じ、なんとか話を繋げようと、とりあえず口を開いた。

「あー、ゆらちゃんってさ、ちゃんと可愛がってもらえてる?」

言い終わった後、こんなのどう返事が返ってくるんだー!と自分を責めながら返事を待った。

「ちゃーんと愛されてるよ。俺も可愛がってるし。」

それを聞いて、うつむき、少し口角を上げた。

「そうか、幸せだな。」

「ああ。お前は、幸せじゃないのか?」

悲しそうな、遠くを見る目が、佐伯の目に映り込んだ。

「僕はもう、帰るところがない。」

「捨てられたのか?」

「うん。駒でしかないんだ、私達は。上下関係の。」

「あー、辛いよな。」

予期せぬ同情に目をキッと向けた。

「お前に、何がわかるんだ?」

気迫は憎しみを持った鬼のようであった。

「いや、俺もさ、大将のただの駒でしかないんだよなって。俺の親父もさ。」

予想外の言葉に気迫は薄まった。軽く顎を上下させた。

「俺が勝利に寄与すれば俺らの大将は上の地位に行くし、俺の親父は死んだけど、その隊長は位が上がったらしいし。」

「どの世界でも、そうなんだ。」

自分だけではない、という気持ちが、みのるの心を軽くしてくれた。

「だからさ、お前もそんな気を重くするなよ。強くなるって決めたんだろ?女だけど。」

拳を胸あたりに突き出した。みのるはゆっくりと、その拳をギュッ、と両手で掴み、勢いよく顔を上げた。佐伯はその勢いに負け、うぉっ、と驚いた顔をし、後ろに下がった。

「うん。強くなってみせる。誰よりも。」

「待て待て、俺よりも強くなるわけがないだろ。」

握られた拳を振り払い、前を向いた。

「いや、佐伯よりも!」

「よーし、後で覚えてろよ。わからせてやる!」

「望むところだ!」

太陽は60°あたりまできていた。にこやかに笑いながら土手を走る二人は、太陽に暖かく迎えられていたように見えた。

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