11~夏の秘密は目に見えない~
そのあと、俺はいつものように彼女と何気ない雑談しながら、彼女の行きたい所、そしてやりたいことなんかを聞いたりした。
夕暮れ時になってから、いつものように彼女を家まで送り届けた俺は、しかし帰路には着かず、元来た道を引き返した。
日が沈みかけている河川敷に辿り着き、いつも俺と彼女が隣り合って過ごしている場所辺りを見やると、そこにはなんというか俺が思っていた通り、彼がいた。
彼は芝生で覆われた斜面に腰を降ろし、後ろ手を突いて、俺のことを見ていた。その口元は、ニヤニヤと鬱陶しく歪められている。
俺が彼に近付き「よう」と声をかけると、彼は愉悦を含んだ口を開いた。
「君から僕に声をかけてくれたのは、初めてじゃないかい?」
「そうだったか?」
「そうだよ。君に声をかけるのは、いつも僕からだった。じゃないと君は、僕のことを綺麗さっぱり忘れて、二度と思い出してくれなかっただろうからね」
「俺はお前のことが嫌いだからな」
「奇遇だね、僕も君のことは大嫌いだよ」
彼はくつくつと笑みをこぼしながら、顎先で自分の隣を指した。「ほら、君も座りなよ」
俺がそれを無視していると、彼はやれやれとでも言わんばかりに首を振った。
「全く君は、本当にどうしようもないな」
「うるせえよ」
「口も悪いね。彼女の前で君が見せているあの取り繕ったかのようなヤサシイ態度を、少しでも僕に向けてくれたらいいのに」
「お前の言動は、一々俺の癇に障るんだよ」
「ま、好きな女の子と、嫌いな男、それも自分自身に向けると態度となれば、大きく違って当たり前か。誰に対しても優しい完璧人間なんか、そうそういるもんでもないしね。そして君は、そういう人間じゃない」
「分かってるよ、そんなことは」
「全く、彼女もこんな男のどこを気に入ってしまったんだか。案外彼女はダメな男に惹かれてしまうタイプなのかもね。君はどうしようもなくこじらせためんどくさいダメ男な訳だし、ふむ、前に僕が言ったように相性バッチリという訳だ。よかったじゃないか」
「お前さ、もしかしてイラついてる?」
「お、分かっちゃう? そうだよ。僕があれだけヒントをあげて、お膳立てしてあげたっていうのにさ、結局彼女の方から歩み寄ってもらって、その上でまだ何を欲しがるって言うんだい?」
「仕方ないだろ、こういうヤツなんだ、俺は」
「おいおいおい、開き直るなよ」
「別に開き直ってる訳じゃない」
「じゃあ何なんだよ、今ここで、そんなどうしようもない自分を変えてみせるとでもいうつもりなのか? 君は」
「あぁ、そうだよ。だからお前に会いに来た」
俺がそう言うと、彼は驚いたように目を丸くした。いつも飄々としていて掴みどころのない彼がこんな表情をしているのを見るのは、初めてかもしれない。
「本気で言ってるのか? 君が? ずっと自分を閉じ込めて、周りの顔色ばかりうかがって、直感で判断することを恐れて、意味のない形ばかりの理屈に頼って、本当の自分を出すことすらできなくなった臆病者の君がか? 今更変わるって?」
「だから、そう言ってる」
「ふーん、そっか。だから初めて、君の方から僕に会いに来たって訳だ。君がずっと昔に閉じ込めた、元気だけが取り柄で空気を読むことができなくて、周りから疎ましく思われていた頃の自分に、会いに来たんだね」
「あぁ、やっぱりお前と正面から向き合わなきゃ、どうにも俺は今を変えられそうにない。自信を持って、彼女の側にいられそうにない」
「向き合うまでに、随分と時間がかかったね。僕の正体に気付いたのも、ほんのついさっきなんじゃないのか?」
「そうだな。でも、ほんとはもっと早く気づけたはずなんだ。お前にはおかしなところがあり過ぎたから。ただ、俺が気付かない振りをしてただけだ」
「その通りだ。君は、僕のことが嫌いだったからね」
「あぁ」
「んで? 君は具体的にどうしたい?」
「彼女と遊んだ昔の記憶を返して欲しいのと、俺が彼女を連れて行ったっていう夏の世界への行き方を、教えてくれ」
「ふむ、断る」
「なんでだ?」
「今更、虫の良すぎる話だとは思わないかい」
「確かにそうだ。でも、頼む」
「はぁ……、全く君ってやつは、本当にしょうがないね」
心底呆れたような顔で、彼は言った。
そんな彼に、俺は言う。今まで、ずっと言えなかったことを。
「俺はさ、お前のことずっとイヤなヤツだと思ってた。鬱陶しくてウザくて鼻に付くし、空気は読まないし、遠慮がなくて、うるさくて、ずけずけと俺の心の中に入って来て、聞こえの良い綺麗ごとばかり並べて、気味の悪いヤツだって」
「本当に、随分な物言いだよ」
彼は苦笑をもらす。
「でも、それはたぶん、俺の見方が悪かっただけなんだ。昔、俺は、急に周りから仲間外れにされて、疎ましがるような視線を向けられてさ、怖かったんだよ。本当に怖かった。自分が何かをしてしまったんだろうってのは分かっても、一体何が悪かったのかも分からなかったから」
「あぁ、昔の君は、本当にバカなヤツだった。いい意味でも悪い意味でも天真爛漫で、めちゃくちゃにうるさくて、強引で、空気が読めない。そりゃ、そんな君に振り回される周りも、痺れを切らすさ」
「あぁ、その通りだ。でも、そのあとで俺は学べばよかったんだ。これをすると周りに迷惑がかかるから抑えよう、これはやっちゃいけないことだから我慢しようっていう具合に。みんなに謝って、また仲間に入れてもらえばよかった」
「あぁ、そうだな」
「でも俺は、それまでの人生が順調で、楽しすぎたせいで、その分、急な周りの変化にビビったんだよな。本当は、周りが今まで我慢してくれてたのに、俺がそれに気付いてなかっただけなんだけど」
「あぁ」
「あの頃の俺は本当にバカなヤツで、まるで自分が除け者にされるに至った原因を理解していなくて、そのくせ中途半端なプライドだけはあったもんだから、何が悪かったのか聞くことも出来なくて、急に周りから除け者にされたことにビビったまま、怖がって、臆病になって、訳の分からないままどんどんと孤立していった」
「全く、改めて聞けば聞くほどバカらしい話だ」
「でも、当時の俺にとっては冗談で済ませられる話でもなかった」
「あぁ、そうだな」
「そうやって孤立した俺は、昔の自分が全て悪いと思い込んだ。そう考えるのが一番楽だったからだ。一体自分のどこが悪くて、みんなの神経を逆なでしてしまったのか、なんていう苦しくなることを考えたくなかったんだよ。だから全部封じ込めて、自分を消して、周囲の人間の顔色をうかがったりするようになったんだ」
「あぁ」
「でも、そうするべきじゃなかった。あの時、俺は逃げずに、ちゃんと自分と向き合うべきだったんだ。昔の俺は、ただイヤなヤツ、なんていう一言で済ませられるような子供じゃなかった。あの時の俺にだって、良い所はあったはずなんだ。彼女は、そんな俺に救われたって言ってくれた」
「あぁ」
「だから、俺の見方が悪かっただけなんだ。お前は確かに鬱陶しいヤツだけど、全部が全部、イヤなヤツって訳でもない」
「なるほどね」
「少なからず、俺はお前の存在に救われていた所がある。お前は俺を救おうとしてくれていた。俺がそれを受け入れようとしなかっただけなんだ。だから、少しくらい、お前にだって良い所はある」
「少しくらい、ね」と、彼は苦笑し、そのあとでくつくつと愉快そうに笑った。「全く君は、素直じゃない」
「悪いな、こんな俺で。だから、俺と……俺と彼女の夢のためにも、頼む」
「いいよ、許してあげよう。僕は君と違って細かい所なんて気にしないからね。これくらいで許してやるよ」
「ありがとう」
「ま、そんな君でも、同じ僕だからね。なぁに、これから一つずつ学んで、成長していけばいいさ。君はもう子供じゃないが、まだ大人でもないんだ」
「……ありがとう」
「ところで、君が望むのは、本当に、彼女と過ごした昔の記憶と、昔の君があの世界へどうやって行ったか、ということだけでいいのかい?」
「あぁ、それだけでいい。彼女は、こんなしょうがない今の俺のことも、好きだと言ってくれるみたいだし」
「そうかい。ま、せいぜい愛想つかされないようにがんばってくれよ」
「ほんとに、ありがとう。俺、がんばるよ。今度は、ちゃんと気も使える夏になれるようにさ」
「どういたしまして。がんばるにしても、気張りすぎるのだけはやめたほうがいいぜ。どうにも君は極端な所があるみたいだから」
「分かってる。それじゃあな」
「あぁ、さよなら。自信を持てよ、君なら、大丈夫だから」
〇
翌朝、俺は最近あまり使っていなかった自転車を引っ張り出してきて、タイヤに空気を入れ、それに乗って河川敷に向かった。
空は快晴で、どこまでも昇って行けるような群青が広がっている。遠くの空には、真っ白な入道雲が聳えているのが見えた。
頭上の太陽は、今の季節が真夏であることを忘れさせまいとするかのように激しく主張している。気温こそ高いが、湿度は低く、吹く風は涼やかで、心地が良かった。
セミは相変わらず至る所で大合唱していて、やかましい。
軽快に自転車を走らせると、あっという間に河川敷のいつもの場所に辿り着いた。
今日は朝早くから遠出するということをあらかじめ連絡していたからか、いつもより早い時間だというのに、そこには彼女がいた。一応の集合時刻としていた時間よりも、二十分ほど早い。
青々とした芝生の上に、彼女はしなやかな二本の足で立っていた。艶やかな黒髪と、真っ白なワンピースが吹き行く風のリズムに合わせ、ゆらゆらと揺れていた。
そんな彼女に、俺は自転車を押しながら歩いて近付き、声をかけた。
俺の声に反応して、こちらを見てくれた彼女は、微笑んでいた。穏やかで、そして夏の太陽のように眩しい笑みだった。
その瞬間、俺の中で何かがカチリと気持ちいい音を立ててはまる感覚があった。
そうして、今日も俺の夏が始まる。
〇
「俺たちは今、河川敷にあるアスファルトの舗装路を、川の下流に向かって自転車で進んでる。空は太陽が眩しくて、群青がどこまでも広がってる。小さな白い雲が少しだけ風に吹かれて流れてる。快晴の空だ。鳩っぽい鳥が二、三羽、飛んでるのが見えた」
俺は彼女を自転車の後ろに乗せて、ペダルを力強く踏み込む。彼女が俺の腰に回した腕に、少しだけ力が籠った。
「周りに人は誰もいない。左手側は、俺たちがいつも座ってる芝生に覆われた堤防の斜面が見える。右手側の、川の向こうには二階建てくらいの少し古い民家が並んでいて、田舎と都会の間って感じくらいの素朴な町並みが見える。そのさらに向こうには濃い緑の山並みが見えて、でっかい入道雲が見える。快晴の群青を塗りつぶすみたいに真っ白で、山よりずっとでかく高く昇ってる」
「ねっ、その入道雲ってさ、ここから見える山の何倍くらい高い?」
「あー、そうだな、五倍くらいかな」
「うわ、すっごい大きいね」
「まぁ、ここからだと山がそこそこ低く見えるからな。ここから見ると、そうだな、プリンの高さを半分くらいにした感じ?」
「ふふっ、なにそれ。でも、なんとなく分かるかも」
「あ、もうすぐ坂を下るから気を付けてくれ。五十メートルくらい先」
「ねっ、ねっ、それって長い下り坂!?」
「いや、確かそんな大した坂じゃなかったはず」
「なーんだ」
少し拍子抜けしたような声が聞こえた。
「でも、もう少し先に行って、河川敷からちょっと離れることにはなるけど、デカい坂を下る場所はあった気がする」
「ほんと!? じゃあそこ行こう!」
「じゃ、行くか」
「うんっ!」
背後で、透き通るような歌声が弾み始めた。
きっと今、俺の背中で気分よく歌っている彼女は、目を細め、口の端が大きく持ち上がるような眩しい笑みを浮かべ、ワクワクが抑えきれないというような逸る表情で、楽しげにしているのだろうと分かった。夏の妖精のように綺麗なのだろうと分かった。
小さな坂に差しかかり、少しだけブレーキをかけて減速すると、慣性の勢いに任せるようにして、彼女が思いっきり俺の背中に抱き着いて来た。
「君の汗の匂いがする」
「恥ずかしいからやめてくれ」
「えーっ、いい匂いなのに」
「あのさ」
「なにー?」
「君の小説家になるって夢、絶対に叶うなんて無責任な保証はできないけど、俺は全力で応援するし、俺にできることがあるなら何でも協力するから! すごい君が、もっとすごくなれるように、協力する」
「うん、ありがとっ! 頼りにしてる!」
青春っぽいことをしていると思った。
今までほとんど青春らしいことをしてこなかった俺が、『青春』ってヤツを心のどこかでバカにしていた俺が、これまで青春してきたヤツらは今、受験に向けて勉強してるんだろうなと思いながら、青春している。
自嘲は、こぼれなかった。
俺は今、心の底から楽しくて笑っている。我ながら単純なヤツだと思う。バカだとも思う。でも、笑えてくる。
大学に行くのも悪くないなと思った。せっかく勉強する気にもなったんだし、大学に行って、本当に自分がやりたいと思えることを探してみてもいいと思った。もし彼女が父親を説得して、彼女も大学生になることができたなら、別に彼女と同じ大学に行くとは限らないのだけど、それはきっと楽しいことになるんだろうなと思った。
ほんと、単純なヤツ。
人ってのは案外、たった少しのキッカケで、どんな風にも変われるし、変わってしまうものなのだ。良い方向にも、悪い方向にも変わり得る。
それはともかくとして、今の俺の気分は悪くない。とりあえず今は、それだけでいいだろう。
突き抜けるような夏空が、なんだかとても愛おしく思えて、柄にもなく「夏ーっ!」と全力で叫んだ。背中にいる彼女が、可笑しそうに声を上げて笑っていた。夏のように笑う彼女を、夏の青空以上に愛おしく思った。
自分の気持ちをそっくりそのまま相手に伝える方法はどこにもなくて、どんなに言葉を重ねたとしても、人の気持ちはすれ違うものだけど、きっとこれからも色んなものがすれ違って、食い違って、それでもどこかが嚙み合ったりして、苦しかったり楽しかったりしていくんだろうけど。
今この時、俺と彼女は、間違いなく同じことを考えているんだろうなと思う。
今年の夏は、小学二年生のあの夏休みに彼女と過ごした一日と同じくらいか、きっとそれ以上に素敵なものになることだろうと、そう思った。
了
夏の秘密は目に見えない 青井かいか @aoshitake
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