2
俺の人生の雲行きが怪しくなり始めたのは、小学三年生になったばかりの頃だったと思う。
簡潔に述べると、俺はいじめを受けたのだ。
いや、ハッキリいじめと言えるほど過激なことをされた覚えはないので、いじめられたと言い切るのは少し違うかもしれない。もっと正確に事実だけ述べるのなら、俺は煙たがられ、仲間外れにされたのだ。細かいことはあまりよく覚えていないのだけど、そうだったと思う。
それまでの俺の人生は、主観的に見て、順調で楽しいものだった。そう、あくまで、主観的に。
だからこそ、俺は周りと比べて自分が少しズレた位置にいることを気付けず、そのズレがどんどん大きくなり、致命的なものになって、自分は周りとズレているのだと自覚する頃には、もう手遅れだった。
当時の俺の感覚を何かに例えるとするなら、順調に走っていた列車の前に突如急カーブが現れて、振り落とされたようなものだった。
いつものように、友達の輪に入って一緒に遊ぼうとして、急に仲間外れにされたのだから。
でも、よくよく思い返してみると予兆はあったのだ。彼らの言動の端々に、彼らが俺のことを疎ましく思っていると捉えられるような予兆はあった。でも俺はそれに気付かずに、彼らの神経を逆なでし続け、そしてついに我慢の限界が来た彼らに除け者にされてしまったのだと、今ならそんな風に思える。
俗に言う、空気が読めていなかった、というやつである。
そのあと、俺が彼らに謝罪して、自省して、上手く立ち回ることができれば、俺はまた仲間に入れて貰えたはずだった。
でもあの頃の俺はバカなヤツで、まるで自分が除け者にされるに至った原因を理解していなくて、そのくせ中途半端なプライドだけはあったもんだから、何が悪かったのか聞くことも出来なくて、訳の分からないままどんどん孤立していった。
こうして、今まで楽しかった俺の日々は、少しずつ暗くなっていく。
〇
孤立気味になった俺は学校に行くのが段々辛くなっていて、だからこそ、学校に行かなくてもいい夏休みは、俺にとって救いだった。
ひとりになった俺の夏休みが始まり、そして俺は、彼女を見つけた。
〇
その日は空が青くて、雲が白くて、太陽が眩しくて、セミがやかましくて、そしてとても暑かった。
夏休みになり、ずっと家に引きこもって、親に友達がいないのかと心配されることを恐れた俺は、行く当てもなく家を出て、毎日ふらふらしていた。
とにかくひと気のない場所を求めていた俺が辿り着いたのは、近所にあった大きな川の畔、いわゆる河川敷だった。
ある日のこと、その河川敷の堤防の役割を果たしている斜面に、彼女はいた。
俺と同い年くらいの、華奢な少女。
青々とした芝生の上に、しなやかな二本の足で立って、細い腕を大きく広げて、どこか優雅な佇まいで、彼女は風に吹かれていた。
艶やかな黒髪と、真っ白なワンピースが吹き行く風のリズムに合わせ、ゆらゆらと揺れていた。そんな彼女の足元には、白い杖が転がっていた。
何かがあった訳じゃない。でも、俺がそんな彼女を見つけて、視線を奪われて、その場に立ち尽くしていると、不意に彼女が振り返って俺に顔を向けた。
彼女の目は虚ろで、ここではないどこかを見ているようだった。でも、どうしてか分からないけれど、その時の彼女は、俺を見ているように思えた。
その時、彼女が微笑んだのを俺は見た。穏やかで、そして夏の太陽のように眩しい笑みだった。
その瞬間、確かに俺は、彼女に見惚れた。
夏の熱気に温められた体がさらに熱くなって、心臓が激しく鼓動した。ずっとさがしていたものを、ようやく見つけることができた気がした。
夏という季節を完成させる最後の一ピースが、カチリと気持ちいい音を立てて、俺の中にはまった。
そうして、俺の夏は始まった。
〇
彼女の姿にしばらく見惚れていた俺は、しかしそのあと何もせず、その場を去った。
なぜかといえば、俺という人間が、人と関わることに恐怖を覚えるようになっていたからだろう。当時の俺からすれば、理由も分からず突然仲間の輪から外れされたように感じていたのだから、その恐怖は妥当なものであったと思う。
でも、逃げるようにその場を去ったあと、俺は少し冷静になって、彼女の足元に置いてあった白杖のことを思い出した。どこで知ったかは分からないけど、それが、目に障害を持つ人が持っているものであるということを、俺は子供ながらに知っていた。そして、俺がじっと見つめていたにもかかわらず、俺に視線の焦点を合わさなかった彼女は、目が見えないのだろうと自然に理解した。
盲目である彼女の存在は、その時、人と関わることを恐れていて、けれども、まだ孤独に慣れていなくて、寂しい思いをしていた俺にとって、身も蓋もなくいってしまえば、都合がよかった。
〇
夏休みの間、俺は毎日のように何かに付けて河川敷を通り、彼女の姿をさがし、彼女の姿を見つけるとしばらく眺め、そして逃げるようにその場を去るということを続けた。
俺が彼女を眺めている時間は、日によってバラバラだった。通りすがりの一瞬だったり、少し立ち止まっての数分だったり、長い時には何時間もの間、少し離れた所に座って不躾に彼女を眺め続けたりした。
彼女の目が見えないと分かって、彼女を見ていても彼女に気付かれることはないのだと、俺は妙な安心感を覚えていた。
彼女の近くにいる時だけは、俺は冷たい孤独感を覚えずにすんだ。
こんなこと誰かに話せば、お前が孤独であることに変わりはないと鼻で笑われるのだろうけど、別に俺が彼女と接して何かを話をしたりした訳ではなかったのだけど、彼女を見ている間は、寂しくなかった。
きっとそれは、彼女が俺と同じようにひとりでも、孤独であると感じさせない雰囲気を有していたからだと思う。
彼女はまるで夏という季節の一部であるかのように自然体で、夏の中に溶け込んでいるようだった。
眩く焼けつくような陽光、頭上に広がる清々しい群青、立ち昇る入道雲、草木を揺らすさわやかな風、川のせせらぎ、セミの合唱、そして彼女。
そんな彼女に、俺は救われていた。
〇
当時の俺はあまり疑問に思っていなかったのだけど、彼女は頻繁に河川敷に姿を現して、ただ一人で気ままに過ごしていた。
そして夏休みが終わると、彼女は河川敷に姿を見せなくなった。
夏休みが終わっても、放課後、俺は河川敷に立ち寄って彼女の姿をさがしたりしたのだけど、見つかることはなかった。
この次に、俺が彼女の姿を見つけるのは、その翌年の夏休みが始まってからだった。
〇
彼女が河川敷に姿を現すのは、毎年決まって夏休みの間だけだった。
逆に言えば、夏休みになると、必ず彼女は河川敷にやって来た。
俺が三年生の夏休み、彼女は日によって河川敷に現れたり、現れなかったりしたのだけど、その翌年の夏休みからは、毎日のように河川敷にやってくるようになった。
〇
小学三年生の夏休み以降、俺は多少の落ち着きと冷静さを得て、前みたいに友達と仲よくはっちゃけて元気に遊び回る、とまではいかなかったけど、少しずつクラスの仲間とも接したりすることができるようになり、表面上は孤独ではなくなった。
でもあくまでそれは表面上だけで、俺の中に一度根付いてしまった他人への恐怖は、そう簡単になくなるものではなかった。
つまるところ、俺は他人と接すると、精神的に酷く疲れるようになった。決して嫌われないようにと気を回し、相手の顔色をうかがうというのが癖になってしまったのだ。
こうなるともう、今度は自分の方から、俺は他人と距離を置くようになった。ひとりの方が気楽でいいと、そう思うようになった。
子供心ながらに、そのことで先生や親を心配させてしまうと面倒が生じることを察して、そういうところでだけはしっかりと空気を読むことができて、最低限は人との関りを持ち、先生や親を心配させない程度には友達付き合いをしながら、面倒事を避け、基本的にはひとりを好むという生活が、当たり前になっていった。
我ながら、面倒くさいこじらせ方をした、可愛げのない子供だったと思う。
〇
そんな俺にとって、唯一、何も余計なこと考えずに、のんびりと過ごして癒しを得ることができるのが夏休みで、要するに彼女の近くにいる時だった。彼女を見ていると、まるで太陽の光を浴びるみたいに、心が温かくなった。
毎年、夏休みが始まり、彼女の姿を遠目に見つけると、胸がいっぱいになった。
だが、別に俺は彼女に話しかけるということはしなかった。
彼女と話してみたくはないのか? と、当時の俺に尋ねれば、決してそんなことはない、できれば話してみたい気持ちはある、と答えたことだろう。
でも、結局俺は臆病で、誰かと関わることを必要以上に恐れていて、情けなかったから、無理に話しかけてこの時間が壊れてしまうくらいなら……と、ただただ、少し離れた位置で、彼女のことを眺めていた。
〇
思うに、子供というのは、時に純粋過ぎる。純粋が、行き過ぎてしまう。
子供は、大人より知識や経験が少なく、そして何より幼いから、大人より純粋に欲望に忠実で、世間一般では疎まれるようなことでも、大人なら人としてやっちゃいけないと思うものでも、興味本位で平気にやってしまう。そう、善悪の区別が曖昧なのだ。
ただ気になるから、やってみたいと思うから、ただそれだけの理由で。
それは例えば、気になるあの子のスカートをめくってしまうことだったり、ダンゴムシを平気で踏み潰すことだったり、蟻の巣に水を流し込むことだったり、障子に指を突き刺して破ることだったり、家の壁にクレヨンで落書きすることだったり、いじめだったり、そういった類のものだ。
無邪気ゆえの悪とでもいうのだろうか。そういうことを、子供は全くの悪気なくやってしまうことがある。
だから俺はそういった具合に、あまり褒められた行為ではないという自覚なく、河川敷にいる盲目の彼女を、失礼にもストーカーのように毎日眺めていたのだ。ただ、彼女を見ていたいから、という理由だけで。
いや、既にもう、あの時の俺は、立派なストーカーだった。
〇
彼女は、芝生で覆われた堤防の斜面に座って膝を抱えていることが多かった。
白杖を傍らに置いて、何をするでもなくぼんやりとして風に吹かれ、夏という季節を全身で感じ取っていたり、イヤホンを付けて音楽か何かを聞いていたり、点字盤と点筆を使って何やら紙に点字を打っていたり、本を広げ、すらりとした細い指先でページ上の点字を読み取っていたりしていた。
イヤホンを付けている時、彼女はたまにハミングしていた。
その声音は、綺麗で、どこか儚くて、透き通っていて、俺の手には届かない場所にある尊い何かみたいで、夏のさわやかな風音だったり、そんな風に吹かれた枝葉が掠れて鳴らす音だったり、川のせせらぎだったり、しゃわしゃわと響いているセミの鳴き声だったり、そういう夏の音の一部だった。
俺は、そんな風に気分良くハミングしている彼女を少し離れた位置から見ていることしかできなくて。
彼女の目が、見えていないということを理解していたから。
卑怯な俺は、彼女が盲目であるということを利用して、そこに付け込んで、ただ、彼女に気付かれないように、密かに彼女を見守っていた。
そして、ふと気付けば、夏休みは終わってしまう。
彼女が河川敷にやって来ることはなくなってしまう。
サイダーの中で弾ける泡みたいに、儚く、淡く、綺麗で、清々しく、一瞬の内に、夏が終わる。
俺にとっての何より大切な時間は、そんな風にして、あっという間に過ぎ去るのだった。
俺は、次の夏休みがやって来るのを、次の夏が始まることを、強く強く望む。
〇
我が家は割と古い造りの家で、障子付きの戸があった。
幼い頃、俺は家の障子にすべて穴を空けて滅茶苦茶怒られたことがある。子供っていうのは、そんな風に、やってはいけないことをして叱られたり、咎められたりして、あるいは、悪いことをして叱られている誰かを見かけたりして、そういう経験を積んで、知識を蓄え、理性を得て、成長していくのだ。
これはやってはいけないこと、これは恥ずかしいこと、そういうことを学んでいく。
そんな感じで、段々と俺は、ただ黙って彼女を遠くから眺めているという自分が中々気持ち悪いことをしていると自覚していくのだけど、そのことに気付いた時には既に、俺の中で彼女を静かに眺めるという行為は習慣になってしまっていた。
夏休みに河川敷にいる彼女を眺めるのは、もう癖みたいなもので、やめようと思って簡単にやめられるものではなかった。せっかく夏休みが来たのに、彼女の姿を見ないなんてあり得ないとすら思っていた。
俺は酒を飲んだりタバコを吸ったりしたことはないのだけど、アルコール中毒やニコチン中毒になった人が、それらをやめたくてもやめられないと言っている感覚が、理解できる気がした。
あるいは、一度万引きが成功すると、二度目の万引きのハードルが低くなって、次第に万引きという行為自体に対する罪悪感が薄れて、癖になってやめられなくなっていく、というような話はたまに聞くけど、こっちの方がより近しいかもしれない。
だから俺は、成長し、小学校を卒業して、中学生になっても、夏休みに彼女の姿をさがして眺めるという行為を続けていた。
彼女を見ていると、自分でもよく分からない彼女に対する感情が溢れて止まらなかった。夏休みを重ねる度に、俺は彼女のことが好きになって、夏が好きになっていったように思う。
そう、いつの間にか、俺は彼女に惚れていたのだ。
見ているだけで惚れるなんて、と言われるかもしれないが、彼女を見ている時間が、俺にとって一番居心地よかったのだから仕方ない。
彼女という存在が、俺の中でかけがえのない救いになっていたのだから仕方ない。
だから惚れた。何もおかしいことはない。
まぁ、我ながら俺って危ない奴だなぁという自覚はあったけど、それとこれとは、また別の話だった。
〇
彼女はイヤホンで音楽を聴いている時、よく体をゆらしていた。
音楽のリズムに合わせるように、ゆらゆらと、楽しげに。
そして彼女は、一際気分が良くなった時、音楽を聴いてる内にどんどんと楽しくなってしまった時、ハミングをするようだった。
やわらかそうなまぶたを閉じ、桜色の瑞々しい唇を閉じ、小さく可憐な鼻から抜けるようにして、声音を出していた。
ゆるやかな風に乗って、彼女の鼻歌が耳に届くと、胸の奥が甘く痺れ、体の芯が沸き立って、熱くなった。ただでさえ、暑苦しい日差しを浴びて熱されていた俺の体がさらに沸き立って、心も熱くなる。
〇
彼女がハミングしている曲が、何の曲か分かることは少なかった。
第一、俺は彼女に気付かれてしまうことを異様に恐れていて、しっかり彼女と距離を空けていたものだから、メロディの細かい部分までは上手く聞き取れなかった。
彼女が盲目であることは分かっていたけれど、それでも、足音や気配で、気付かれてしまう可能性もあったから、俺は彼女の姿を眺める時、いつも必ず一定の距離を置いていた。
しかしながら、唯一、彼女がイヤホンでゆずの『夏色』を聴いている時は、なぜだかすぐに分かった。
彼女がイヤホンで『夏色』を聴いて、ハミングしはじめた時は、あぁ今は『夏色』を聴いているのだなとやけにすんなり理解して、納得することができた。不思議なことに、彼女の鼻歌の声音がほとんど聞き取れなくても、どうしてか確信できた。
きっとそれは、その時の彼女の気分良さそうな表情だったり、楽しげに緩んだ口元だったり、体をゆらすリズムの取り方だったり、そういった声以外の要因を、俺は無意識の内に感じ取っていたのだと思う。
視線の先にいる彼女は、とても綺麗だった。
夏の日の、青い空と白い雲の下を、眩い日差しを浴びながら、緑の芝生の上で、風に吹かれながら微笑む彼女は、まるで一枚の絵画のように様になっていて、夏の妖精のようだと思った。
こんなこと、恥ずかしすぎて誰にも言えないのだけど、素直にそう思った。
彼女には夏が似合っていた。
俺は夏の中の彼女しか見たことがなかったのだけど、きっと春の中にいる彼女も、秋の中にいる彼女も、冬の中にいる彼女もとても綺麗だと容易に想像できるのだけど、でもそういう彼女を知ったとしても、夏の中にいる彼女が一番だと、俺はそう思うだろう。
彼女には、夏がよく似合っていた。
〇
恋は盲目、という言葉がある。シェイクスピアの格言の一つらしい。
彼女を見ている時の俺は、多分そういう意味で、盲目だった。
理性の中にある、あまりに自分に酔った考えや、詩的、いわゆるポエミーなことを考えてしまうのを抑制するためのストッパーが、あっさり外れた。
人は誰しも、自分に酔うという行為を気持ちよく思ってしまう生き物だと、俺は勝手に思っているのだけど、そういった自分を表に出す人は案外少ない。
なぜだろう。
多分それは、恥ずかしいから。
愛しいその人のことしか見えず、他のことがどうでもよくなって、独りよがりにどこまでも自分本位になっている人は、傍から見ると酷く滑稽で、危うい。
君以外には他に何もいらない、世界で一番君を愛している、君さえいればそれでいい、君の全てが愛おしい。
そんなことを喚いている人を、冷静に、傍から見ればどう思うだろう。
仮に、そんな重たい愛を向けられている側も、同じ気持ちであるのなら、それは良いことなのかもしれない。お互いがお互いのことしか見えず、同じような感情の強さで愛し合って、他の誰かに何を言われようと気にならないのなら、きっとそれは幸せの形の一つなのだろう。
だけど、現実でそんな上手い具合に事が運び続けることはほとんどあり得ない。
自分の気持ちをそっくりそのまま相手に伝える方法はどこにもなくて、人の気持ちはすれ違うものだから。
自分に酔って、愛を伝えて、それがまるで世界で一番尊い行為のように思えて、幸せを感じて、はじめの内はそれでもいいのかもしれないけど、そういったものは大抵いつか瓦解する。そして、冷静になってみて、そんな自分を振り返ってみて思うのだ。
あぁ、なんて自分は恥ずかしいヤツだったんだろう、って。
周りの人たちから、自分はこんなにも恥ずかしいヤツに映っていたのか、って。
あぁ恥ずかしい、恥ずかしい、気持ち悪い、って。
どこまでも自分に酔って、独りよがりに、クサい何かを吐き出し続けていたのに、それを全く良いものだと思っていたのは、自分だけだったのだから。
結局最後はそうなってしまうことが何となく分かっているから、人は基本的に、自分に酔うことを抑制する。つい、詩的な表現をつくって、気持ち良くなりたいのを我慢する。
そんな風に俺は思う。
そんな風に思った上で、やっぱり恋は盲目なのだと思う。
だって、やっぱり、考えてしまうのだ。
それが恥ずかしい行いだと、傍から見れば酷く滑稽であると、独りよがりの自分本位であると、あとになって振り返ってきっと後悔するんだろうなと理解していても、彼女を見つめている俺は、気付けば心の中で呟いている。
夏の中にいる彼女は、きっと世界で一番綺麗だな、と。
いつまでもここでこうして、彼女を眺め続けていたい、と。
彼女はまるで、夏の妖精のようだ、と。
恋は盲目で、人は恋に落ちると、その人しか見えなくなってしまう。
そして、その人のことをずっと頭に想い浮かべて考えて、その人がいかに尊いものであるのかというのを、誰かに説明したくなる。こんなにも尊くて素敵なものを知っていることを、自慢したくなる。自分のものでもないのに、まるでお気に入りのオモチャを見せびらかす子供みたいに。
こんなにも愛おしく思っていることを、その人に知ってもらいたくなる。その人の全てが、一挙手一投足が全て愛おしくてたまらなくて、溢れ出て止まらなくなる。
だからそのために、クサい表現をしてしまう。
ほら、また詩的になってる。無意識の内に。
思わず笑ってしまうくらい傲慢で、独りよがりな考えだ。でも、勝手にそうなってしまうのだから仕方ない。意図せずとも、いつのまにか、彼女のことしか見えなくなっているのだから、仕方ない。
全くホントに危ない思考だ。危ないヤツだ。
恋は盲目、とはよく言ったものだ。
〇
結局、小学三年生の夏休みが始まってから、高校二年生の夏休みが終わるまで、彼女が河川敷にいる間に、俺は彼女に話しかけることはしなかった。
俺と彼女が言葉を交わすことはなかった。
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