第10話 流行病

 わたくしは十二歳の頃、おそらくでございますが、一度死んでしまったのではないかと思いますの。流行病は大変ツラく息も絶え絶えになり目も霞んできたのでございます。わたくしは寝たら最後だと思いながら意識を手放しました。


〰️ 〰️ 〰️


 むっくりとベッドから起き上がる。寝ぼけ眼には見たことのない部屋が広がる。最初は胡乱げに最後は超高速で瞬きを繰り返した。それでも見える世界は変わらず私はベッドから転がり出て鏡と思われるものまで走った。


 そこにはまさに西洋のお嬢様然とした幼女が映っていた。


「うっ! わっ!!!」


 女の子らしからぬ叫びとも嘆きともとれない言葉は誰にも聞かれていないようで叱責は飛んで来なかった。


 私はどうやら転生してしまったようだ。十二歳の誕生日の次の日、歩道に待つ私へ向かって赤い車が暴走してきた。最後に見たのは目を見開いたお婆さんの顔。おそらく運転手だろう。

 その後は………、そう! この顔の女の子に抱きしめられたっ!


 と、鏡を見ながら自分の顔を伸ばしてつねってとしているところに、ノックとともに女性が入ってきた。


『あ、お母様だ』


 女性の顔を見た瞬間にわかった。


「まあ! コレット! 起きてるの? 旦那様! 旦那様!」


 お母様と思われる女性は踵を返しておそらくお父様を呼びに行かれた。


 そしてその女性の顔でコレッティーヌとしての記憶が蘇り私はその場で意識を手放した。


〰️


 再び目が覚めると、わたくしはほぼほぼコレッティーヌでございました。


「コレット! 目が覚めたのかいっ! ああ、よかった。よかった。本当にお前を失うかと思ったよ」


 お父様が右手をお母様が左手を握りしめ、お父様の後ろにはお兄様や妹たちが、お母様の後ろには弟たちがいて、みんなが涙を流しています。壁際に立っているメイドや執事までが泣いていましたわ。


 そう。わたくしコレッティーヌは流行病にかかり生と死を彷徨っていたのです。その時、夢でピンクの可愛らしい風船を掴みました。その風船がフワフワで暖かそうなので胸にギュッとしたら風船は割れずにわたくしの中に入ってしまわれました。そしてその時、わたくしと同じ年の『はるか』という女の子の記憶を走馬灯のように夢を見たのでございます。

 『はるか』は『転生した』とおっしゃっていました。確かに今までのわたくしでない考えも浮かんでまいりますが、わたくしがわたくしでなくなるほどではありません。


「コレット。まだ完全ではないようね。でも、顔色もよくなって安心したわ。もう少し休んだ方がいいわね。スープとミルクを持ってこさせるわ」


 お母様は優しくわたくしのおでこを撫ぜてくださいます。わたくしはその手の冷たさの気持ち良さに気を抜いておりました。

 

「ハムとたまご!」


 わたくしはとっさに口を手で押さえて閉じましたわ。なんとはしたない。


「おお! 食欲はあるのか! では、ハムとたまごも運ばせよう。それを食べたら寝るんだよ。明日、ゆっくりと話をしよう」


 お父様のお言葉に口を手で押さえたままコクリコクリと合図を送りますと、なんとか通じたようでございます。そして、家族は名残惜しそうに退室していきました。

 お兄様はわたくしのほっぺを優しくプニッと摘んでから退室していきます。これは、お兄様がわたくしを励まそうとなさるときのお決まりです。わたくしはウルッと泣きたくなりました。


 メイドの数名がわたくしを立たせて体を拭いて着替えをさせてくださいます。そのタイミングで食事が運ばれてまいりました。

 わたくしの専属メイドカリアーナは見事にやつれておりました。

 ごめんね。カリアーナ。


「ソファーでいただくわ」


 わたくしは食事を済ませるとベッドへ戻りました。大丈夫だと告げてメイドに下がっていただきます。


「カリアーナ。今日はお願いだから休んでちょうだいな。また、わたくしと一緒にお庭のお散歩をしてちょうだいね」


 カリアーナは目頭を抑えながら退室していきました。


「さてっと」


 わたくしはまたしても口を手で押さえます。わたくしの言葉ではありませんもの。


 わたくしは夢の中の女の子の名前を心の中で呼んでみました。


『はるか』


 返事はございません。夢で見たように『はるか』は私の中に入っていると思われることが起きております。が、呼びかけには応じていただけません。


 わたくしもスープだけでなくハムとたまごも食べたいと………少し、ほんの少しですわよ! 確かに考えましたわ。でも、淑女として、あんな要求の仕方はありえないことです。

 先程の気合いを入れるようなお言葉も静静と過ごす淑女にはありえないお言葉ですわ。

 も、もちろん、気合いを入れたいお気持ちはよ〜くわかるのですけれど。


「そうだわ、試してみましょう」


 わたくしは『はるか』をお呼びするのではなく『はるかの知識』の引き出しを開けるようなイメージで、今の不思議な状態を考えてみましたの。


「そう。これは『同化』というのね。うんうん、なるほど。では、どちらが優先かはわかりませんのね」


 一応淑女言葉ではありますが、頭の中がコレッティーヌだけの考えではないのはなんとなくわかります。

 『はるかの知識』では起きた直後に『転生』という聞いたことのない言葉を使っていらっしゃいましたが、今のわたくしにはなんとなく理解ができてしまうのです。これも『同化』なのでしょう。


「この世界で生きていくなら『わたくしの知識』が優勢でないと困りますものね。もし、先程のように『はるかの知識』が出てしまったら、寝込んだときのショックで少し人格が変わったのだと説明しましょう」


 そう。なぜか口に出すと落ち着くのです。まるで誰かに言い聞かせているようですわ。


「わたくしはコレッティーヌ・ボージェ。ケーバルュ厶王国、ボージェ侯爵が長女ですわ。今十二歳。『はるか』と同じ年ですのよ」


「………。そう、『はるかの知識』にはない人なのね。わたくしも『はるか』を知らないですものね」


「……。とにかく、ゆっくりと寝てみましょう。明日になったら何か変化があるかもしれませんし、ね」


「おやすみなさいませ」


 わたくしは一通り独り言を済ませますと、いつものようにベッドへ潜りました。


「綿でフワフワなだけで、寝心地がいいわけじゃないのね」


 口を開いたのはわたくしですわ。ですのに、わたくしはびっくりして飛び起きてしまいました。確かにそう感じてしまいましたが、わたくしはこのようなベッドしか知らないのですから、このような感情を持つことがありえないのですわ。


「『はるかの知識』が口から漏れてしまうのはどうにかならないものかしら?」


 それはまたの課題にしましょう。そう考えると急に睡魔が襲ってきて倒れるように眠りにつきました。


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 それからというもの、わたくしは『はるかの知識』を引き出そうと試みてみました。その結果『はるか』はケータイというもので本を読んでおり『転生』やら『同化』やらはその本で知り得た知識のようでございますわね。


 そして、『転生』をすると前世の知識から大変成功させることが可能らしいのですの!

 わたくしはそれを知ってワクワクして『はるかの知識』を引き出してみましたのよ。でも残念ながら、『はるか』はわたくしと同じ十二歳でしたわ。成功につながるといわれる物はいろいろとご存知でした。しかしながら、それが何でできているとか、それがどのような仕組みであるとか、大切なところは何も知らなかったのですわ。


「ホホホ。甘くはないということですわね」


 強気な独り言を言い自分で肩を落とすことになってしまったわたくしでございました。

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