第19話

「シャノバさん、どうしますか?」


 光波の放出が終わり、頭を上げてゆっくりと立ち上がり始めたアヴィスタを見上げ、ルアンが今後の展開を問う。

 〈フリクション〉能力で落ちずに空中に浮いているものの、足場となる地面は谷となり、遥か下に位置している。


 能力を解けば自由落下による衝突で大ダメージを受けるほどの高さ。かと言って、谷となった地面に下りれば周囲は逆に崖となり、動ける範囲が制限される。だが足場がなければ自由に動き回ることもできない。


 俺自身は空気の摩擦力を上げれば足場を作れるが、ルアンにも同じことをやりながら、アヴィスタに攻撃を仕掛けるのは脳への負荷が大き過ぎる。

 ルアンに離れた位置から攻撃して貰っても、アヴィスタがまた遠距離攻撃を行えば、今度はどちらかが死ぬかもしれない。二人で一緒に戦う手段と広い足場がどうしても必要だ。


「ルアン、空中に足場を作れるか?」

「やったことはないですが、やってみます」


 できるかどうかではなく、とにかく何か考案して実践するとルアンは告げた。

 彼女の応用範囲の広い能力であれば、打開策が見つかる可能性はある。

 アヴィスタの動きに注視し、空気と地面のドームを維持しつつ、俺はパートナーに信頼を預けた。


「踏み締めて」


 小石二つを手に、ルアンが柔らかく呟くと。

 俺とルアンが履いていた草履と下駄に粒子状の光が注ぎ込まれ、染みるように入っていった。


「履き物に任意で空気を踏める付与をしました。これで空中でも地面のように歩けるはずです」


 ルアンの説明を聞いて、試しに足を持ち上げて空気を踏むイメージをしながら下ろしてみると。

 足に踏み締める感覚が伝わり、空中で地面を踏んだように止まった。


「よし。これなら二人で空中戦も可能だな。さすがルアンだ」

「あ、ありがとうございます」


 純粋な褒め言葉に、ルアンは気恥ずかしそうに頬を染める。

 頼もしい限りだと感心し、俺は完全に立ち上がったアヴィスタを見据えた。


「俺が能力を解いたら、あいつの腕と光線に警戒しつつ、懐まで飛び込んで至近距離から大技で仕留めるぞ」

「はい。絶対に倒しましょう」


 最初は不安でいっぱいだった様子のルアンが、キリッとした表情に変わっていた。

 街と命の多くが失われ、自分の感情に翻弄されている場合ではないと気合いを入れ直したのだろう。


「行くぞ。相手の頭か胸を狙え」


 俺は返事も待たずに能力を解除すると、足元に残っていたわずかな地面が、能力による支えを失って落下していく。

 履き物の付与された力のお陰で、俺たちはその場に留まり、地面を踏みしめているのと同じ感覚で空中に立つことができた。


「絶対に生き残るぞ」


 自分が生存競争に勝つことが、母を含めた人類の命を救うことに繋がる。

 絶対に負けられない戦いに俺が決意を口にすると、ルアンも無言で大きく頷き同意を示し。

 二人揃って空気を蹴ると、風に髪をなびかせながら空を駆け上った。


「ルアン、左!」


 こちらの動きに気づいたのか、アヴィスタが右手を横に振って、俺たちを弾き飛ばそうと試みてきた。

 一回り小さくなってなお、小高い山のような岩壁の手のひらを避ける手段は少ない。


「ルアン、俺のそばに!」


 風圧と轟音を伴って迫る影に、俺はパートナーに手を伸ばして腕を引き。

 自分たちの周囲を摩擦力ゼロにして包むと、アヴィスタの手のひらは俺とルアンに当たらず、二十メートルの穴を開けてすり抜けていった。

 振った腕が急に止められないのは魔物も人間と同じ。俺は風穴の開いた巨手を右に仰ぎ見ると、能力を解いて二人で再び前進を始めた。


「シャノバさん、二手に別れましょう」

「大丈夫か?」

「守られてばかりではいられません。私を信じてください」

「わかった。俺があいつの気を引くから、ルアンは強力な一撃を叩き込んでくれ」


 巨体ゆえに痛みを感じない程度のダメージなのか、そもそも痛覚がないのか。左腕を脱落させ全身を焦がし、右手のひらに穴が開いても止まらないアヴィスタ。

 放つ光波は途轍もない破壊力を持った遠距離攻撃だが、懐に飛び込んでしまえば、自分も巻き添えになるので撃つことはできない。


 他の攻撃手段を持っていないとも限らないが、強力な広範囲攻撃よりは対処しやすい。

 そう思い……いや、そう〝信じて〟立ち向かうしかないと、俺はルアンより先にアヴィスタに肉薄した。


「ハァッ!」


 自身を中心に摩擦係数をゼロにした空間を広げ、体当たりするように巨体に突っ込む。

 触れた物質を崩壊させる球体となった俺は、アヴィスタの腹から侵入して、浅く掘り体表に飛び出すことを繰り返す。

 イルカが海原を波状に進むような荒技に、さすがの巨体ゴーレムも脅威と捉えたのか。瞳から無数の衝撃波を放出し、あらゆる角度から浴びせてきた。


「面倒な風だな」


 願い虚しく、アヴィスタの新たな技と対処のしにくさに辟易する俺。

 魔王がこの個体で世界を破壊し尽くせるとした魔物だ。体に纏わりつかれたときの対処技も用意していたのだろう。

 ほんの短い間の期待と願望だったなと、あっさりと打ち砕かれた悲壮感もそこそこに、目前の状況に集中した。


「舐めるなよ!」


 俺は自身を囲む摩擦力ゼロの空間を維持したまま、衝撃波を無視して掘削を続ける。

 そこに無数の風が俺をバラバラにしようと背後から飛来するが、体に当たるより前に、波が岩壁に跳ね返るように霧散していく。


 衝撃波は空気の振動。

 振動を伝えるには空気が必要で、空気は窒素や酸素などの物質で形成されている。例え衝撃波と言えど、摩擦力を操作すれば分解して無力化することは可能だ。


「さすがに体表近くでは、コアにブチ当たらないな」


 何箇所もアヴィスタの体を削っているものの、体の奥深くにあると予想されるコアを掠める気配はない。

 アヴィスタの気を引きつけるため、あえて深く潜らずにいるので仕方ないが、もどかしい気持ちは拭えない。

 それでも、自分の役割はちゃんと全うしようと、俺は掘削を終了して空を駆けた。


「その目、邪魔だ!」


 強力かつ広範囲を殲滅できる光線。再び撃たれるのを憂いを無くそうと、俺はアヴィスタの瞳に向かう。

 敵の攻撃手段を減らせば減らすだけ、失うものが減らせる。自分たちの勝率が上がる。

 おとり役として派手に振舞い眼前に迫る召喚獣を、アヴィスタも無視できないはずと、俺は一直線に空中を──


「なっ!?」


 ──走り抜けようと近づいた瞬間、高速で迫ってきた巨大な影に、急制動をかけた。


「くっ……」


 予想外の事態にもかかわらず防御できたのは奇跡。

 しかし能力の調整が間に合わず、摩擦力を上げた空気のドームごと後方に猛スピードで弾き飛ばされた。

 地面にぶつかる前になんとか能力を調整し、衝撃を殺しつつ空中に立ち止まり。

 何がぶつかってきたか確認すると、見えた全体像にゾッと背筋が凍った。


「あいつ、無茶苦茶だな」


 カラクリは単純。目を狙って急接近してきた俺に、アヴィスタが頭突きを仕掛けてきたのだ。

 事前に俺に気づかれれば返り討ちにされる。だからこそ、あえて俺を至近距離まで引き付けてから、不意打ちの形で行われた。

 能力による防御が間に合わなければ、文字通り肉塊と化していたほどの打撃に、俺は唇を噛みたくなるが。


「けど、それは大きな隙だな」


 代わりにニヤリと口角を上げた俺の視線の先。アヴィスタの真下で、小さな人影が太陽に揺らめき。

 火山が噴火したかのごとき極炎が、地面から天へ向けて解き放たれた。


 地獄の業火。太陽フレア。

 それらを想像させる灼熱に、頭突きをして頭を下げたアヴィスタの上半身が丸々飲み込まれる。

 接近した俺にカウンターを食らわせた直後に、ルアンからのカウンター。

 二人で行うからこそ成し得た連携に、囮となった自分の苦労が報われた。


「あいつ、絶命したのか?」


 赤々と空を染めた炎の柱が収束していく。

 生物であれば、反射的に熱から逃れようと頭を逸らすはずの炎だが、アヴィスタは微動だにせずに止まっていた。


「ルアン、急いでこっちに来い」


 崩壊しないものの、黒焦げになったアヴィスタがゆっくりと傾いていく。

 そのまま巨体の真下にいては、間違いなく押し潰されてしまう。

 俺は地面に立つパートナーに声を掛けると、応えるようにルアンが俺の真横に瞬間移動し。

 上半身から大量の瓦礫が落ちる地響きと土煙を伴って、両膝をついたアヴィスタを空の上から見下ろした。


「あれでも倒せないなんて……」

「だが、攻撃を避けることもできなかった上、明らかに満身創痍。今なら他の召喚獣たちの攻撃でも倒せるはずだ」


 コアまでは破壊できなかったが、アヴィスタは筋肉のない痩せ細った人間のような体型になっていた。

 強固な体が持つ防御力も、圧倒的な重量から生み出される攻撃力も失われている。

 油断はできないが、俺たちしか対処できない事態からは脱した。

 上半身が大幅に削られボリュームが減った分、頭か胸にあるコアにも攻撃を命中させやすくなった。


「そう……ですよね。諦めずに最後まで頑張ります」


 何度も強力な攻撃をまともに受けても倒し切れない敵を見て、ルアンの心には不安がよぎったのだろう。

 けれど、挫けそうになっても、しっかりと立ち直ることができる。そんなパートナーの姿勢に、俺はフッと口角を上げた。


「今ならあいつは相当動きが鈍くなっているはず。今度は囮なし。二人で一気に攻め落とすぞ」


 もう小細工は必要ない。力押しでもなんでも、壊せる確率が飛躍的に上がったコアを見つけ破壊すればいい。

 俺は自信を宿した瞳でルアンを見つめ、互いに勇気を共有した。


「まだ攻撃手段として残っている目を完全に潰すついでに、頭に集中砲火を仕掛けよう」

「頭にコアがあることを祈って、ですね」


 グズグズしていたら、また未知の攻撃手段を講じてくるかもしれない。

 全身が大量に削られ瓦礫として地面に落ち、二回りは小さくなった体のボリューム。

 さらには両膝をつき、頭が低い位置にある今が絶好のチャンス。

 貫通力のある俺の〈フリクション〉と破壊力のあるルアンの〈リアクティブ〉で、なんとしてでもコアを破壊したい。


「出し惜しみはなしだ。全力を叩き込むぞ」


 俺たちは顔を見合わせ大きく頷くと、共に空中を蹴って駆け出し。

 ドクンッと脈打った本能の鼓動に、ピタッと同時に体の動きが止まった。

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