第18話
「おぉ……痛そう……」
自分で仕掛けておいてなんだが、見ているだけで頭痛がしそうな光景に顔を歪める。
煽って歩かせ、片足立ちになった瞬間に地面の摩擦を無くし、転んで地面に倒れる直前に摩擦力最大にした板状の空気に激突させる。
言うなれば、足を滑らせた直後にテーブルの縁に頭をぶつけた、みたいな状態。
人間なら頭部に激痛が走り、下手すれば頭蓋骨にヒビが入るか、最悪死んでしまうような衝撃。
巨体かつ超重量の魔物に起きたら、地面に倒れ込むだけで大地震が発生するレベル。
だからこそ、敵にダメージを与えつつ、地面への衝撃を緩和するように、分子崩壊にはせず空気の板にした。
それでも地面はかなり揺れ、踏ん張らなければ吹き飛ばされそうなほどの風圧に身体は押された。
「これで終わるわけないよな」
アヴィスタは数多の召喚獣の攻撃すら余裕で耐えた。これで相手が動けなくなるとは思っていない。
魔物は致命的なほど肉体に損傷を受けるか、心臓とも言えるコアを破壊すれば消滅する。
アヴィスタのような超巨体であれば、全身を破壊し尽くすよりコアを見つけて破壊するのが定石。
人間のように必ず胸部にコアがあるわけではないのが難点だが、人間型をしている魔物は、胸か頭にコアを持っているパターンが多い。
どちらも潰せれば最良だが、アヴィスタの胸部は狙うには範囲が広すぎる。
胴体よりはまだ範囲が狭い頭部に狙いをつけて、収まり始めた風の中を俺は駆けた。
「頭を軽くしてやる！」
摩擦力をゼロにする刀を横向きに構え、滅多斬りにする気概で近づいていく。
一撃で頭すべてを切り裂くことはできないが、これだけの巨体を動かすコアであれば、それなりに大きいはず。相手の体勢が戻るまで可能な限り切り刻んで、運よくコアを破壊できれば儲けもの。
横倒しになってから微動だにしないアヴィスタ。今こそ倒すチャンスと肉薄し、俺は見えざる大剣を水平に振ろうとした、瞬間──
──全身がゾクッと震えた。
「な、なんだ!?」
言い知れぬ不安からくる悪寒に、俺は急制動をかけて立ち止まる。
アヴィスタの頭部はもう目と鼻の先。刀を一振りすれば刃が届く距離。
絶好のチャンスにもかかわらず、これ以上踏み込んではいけないと告げる本能に、俺の腕と足は強制されたように止まり。
光を失っていたアヴィスタの瞳が、カッとまぶたを見開いたように赤い光を取り戻す。
短時間だけ気を失っていたのか、魔物は巨大な瞳で俺の姿を視界に捉えると、怒りに満ちたように瞳孔を拡張させた。
高層ビルと見紛うほど巨大な瞳に至近距離で見つめられ、思わず一歩後ずさる。
アヴィスタは頭を上げる様子はなく横たわったまま。しかし、戦闘時を遥かに凌ぐ威圧感は、精神的に俺を押し潰そうとしてきた。
「くっ……気圧されてる場合じゃない」
一歩踏み込み、刀を横に振るだけで相手に剣が届く。相手に気づかれているとはいえ、そんな状況で攻撃を躊躇している場合ではない。
自分を奮い立たせ、なんとか一歩踏み出し、刀を持つ手に力を入れ。
威嚇するように敵の瞳を見つめ返したとき、赤い光が急激に輝きを増しているのを見た。
「マズい！」
〈アナライズ〉がなくとも、アヴィスタの瞳にエネルギーの高まりを感じ取り、俺は振ろうとしていた腕を再び止める。
召喚獣が能力を使用する場面にも似た、ただし〝圧倒的な出力の放出〟を感じさせる前兆に、本能だけでなく思考でも命の危機を感じた。
攻撃を止めるために剣で斬りつけるか、回避や防御をするか。
逡巡したが、攻撃では止まらないと即断し、剣を消して摩擦力最大の空気のドームに切り替えようとするが。
「──ッ!? ルアン！」
自分の後方にいるパートナーのことが頭に浮かび、敵前だということを忘れて振り返った。
アヴィスタと俺の直線上。そこに小さくルアンの姿が目に映る。
互いに今から走って合流できる距離ではない。ルアン自身が能力を使って攻撃範囲外に逃げるしかないが、明らかに高出力かつ広範囲になるだろう敵の攻撃を、避け切れる保証もない。
「ルアン！ 可能な限り遠くに瞬間移動しろ！」
遥か上空でも別の都道府県でもいい。とにかく能力で影響範囲外に逃れろと叫ぶ。
その間にも、アヴィスタの瞳はドンドン光量を増し、決壊寸前のダムのごとき様相を呈す。
自分も集中しなければ、能力で張った空気ドームの僅かな綻びから、死を招き入れてしまう。
俺も能力を最大にして防御しようと、両手を前に突き出して構え。
直後、真横に現れた人影に、集中が乱れそうになった。
「ルアン!? なんでここに!?」
遠くではなく自分の近くに来たパートナーに、これでもかと目を見開く。
しかしその答えを聞く暇もなく、放たれる寸前の極光に、全力で集中しようと意識を即座に切り替え。
能力に全神経を注ぎ、俺とルアンの足元まで含めた空気と地面の摩擦力を最大にした──刹那。
周囲の空間ごと破裂したような衝撃光に包まれた。
「くっ……」
何物も通さない、空間の断裂と言っていいレベルの摩擦ドームのお陰で、音も衝撃も俺たちの身体を打つことはない。しかし、直撃すれば身体が塵になりそうなほどの衝撃波と、目を閉じても瞳を焼こうと貫いてくる赤い光で、周囲の状況はまったくわからなかった。
「うおっ！」
ガクンッと落ちるような感覚に体勢が崩されて、俺とルアンはよろけそうになる。
なんの音も聞こえず衝撃もなく、身体だけが沈み込んだ感覚は、落とし穴に落ちたような気分になる。
おそらく、能力の影響外にある地面が消滅したのだろう。
地面を含めて摩擦力を最大にしたお陰で落下は防げたが、放出されたエネルギーがあまりにも強大すぎるのか、ほんの僅かに影響を与えたようだ。
幸い、衝撃が流れ込んでくることはなかったが、気を抜けば確約された死が訪れる。
能力だけは絶対に突破させまいと、俺はルアンの存在を感じながら、決死の覚悟で嵐が過ぎ去るのを待った。
「シャノバさん」
「無限のエネルギーなんて存在しない。必ず終わりが来る。それまで堪えてくれ」
ルアンを安心させようと、左手をルアンと繋ぐ。気を抜けないので表情を窺う余裕はない。
手のひらから伝わる温もりを絶対に守ると、俺は自分に言い聞かせて力を振り絞る。
周囲は光の渦でも、闇の底にいるような奇妙な気分。
結界とした空気のドームから一歩足を踏み出せば、一瞬で蒸発して消えるだろう。
それほど膨大なエネルギーが自分の周囲を流れている中、竜巻のトンネルをくぐっているような悪夢から、早く覚めて欲しいと切に願った。
「光が……」
その願いが届いたのか、エネルギーを出し切ったのか。
周囲を包んでいた光が収束していく気配に、ルアンが俺の手を優しく放して辺りを見回す。
つられて俺も視線を下に移すと、足元にあった広大な地面は半円状に消え去っていた。
削られたというより、ごっそり消滅したと表現したほうが正しい抉られ方に、背筋がゾクッと凍りつく。
街はどうなったのかと、俺は慌てて振り返ると。
そこには何もなかった。
いや、正確には街の残骸は存在していた。
しかし赤い光が通ったと思われる跡には、足元と同じく半円状の奈落のような道ができており。通常は無数の建物で見えないはずの地平線が、地上から見えた。
数百メートルなんてレベルではない。数キロは消滅した直線上の街と大地。そこにいたはずの人間と召喚獣たち。
新たに見せつけられた圧倒的な〝遠距離攻撃〟に、俺は絶望しそうになる胸を押さえた。
「シャノバさん、大丈夫ですか？」
真横から掛けられた心配する声に、俺はハッとして目を向けた。
「大丈夫だ。俺は……大丈夫だ」
さらに失われた命の多さに気が滅入り、前へ進むことができなくなりそうだ。
だが、自分が立ち止まれば、まだ救える命すべてが消え去ってしまう。
心と体に溜まった重さは、区切りがつくときまで内側に留めておくべき。
そう何度も自分に言い聞かせ、俺は思考を切り替えて尋ねた。
「俺は大丈夫だが……なんでルアンは俺の所に来たんだ？」
あまりの事態で忘れかけていたが、俺が逃げろと言ったはずなのに、そばに瞬間移動してきたパートナーの真意を知りたい。
ともすれば咎めているように聞こえる一言に、ルアンは真っ直ぐな瞳で答えた。
「シャノバさんを一人残して、私だけ安全な場所に逃げるなんてできません」
自身の命が懸かっている状況なのは重々承知。それでも迷うことなく飛び込んできたと告げた覚悟の声音。
「それに私もいれば、万一の時には協力して、攻撃を凌ぎ切れると思ったんです。ですから、私の中に一人だけ逃げるなんて選択肢はありませんでした」
死なばもろともではなく、共に死線を乗り越える胆力を持って来たとルアンは答えた。
先程のアヴィスタの一撃は、俺の能力で防ぎ切れるか不安があったのは正直なところだ。
独力で耐えられたのは、ルアンを死なせないという気概が、俺の底力を引き出してくれたお陰と言っても過言ではない。
結果として力を借りることはなかったが、そばにいるだけで精神的に支えてくれたルアンに、俺は感謝の意を示した。
「ありがとう。けど、ルアンは無茶し過ぎだな」
「獣王を目指す人のパートナーですから、無茶をしてやっと一人前です」
「ははっ。頼もしい限りだな」
上手く笑えてはいなかったが、こんなときだからこそのルアンの軽口に、俺の心は少しだけ軽くなった。
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