第16話
「けど、俺がやるしかない」
自分が動かずに生き残っている召喚獣に任せるのは容易い。しかし、自分が動かなかったせいで母を失うのは絶対に嫌だ。
ルアンに母を安全な場所に連れて行って貰ったとはいえ、敵の目標は人間と召喚獣の根絶。いつかは必ず命の危機に晒される。
滅ぼされるのを待つか戦うか。どちらかしか選択肢がないなら、俺は戦う道を選ぶ。
震える心と体を根性で抑えつけ、空に来てなお見上げるほどの巨体を睨みつけた。
「あれは?」
視界の端にいくつも光が迸るのが目に入り、何事かと視線を巡らせる。
赤や青、白など、様々な光がアヴィスタへと迫る光景。
虹が分裂して巨体へ橋を架けるかのごとき鮮やかな一幕。
それらは、アヴィスタの体表に到達すると、爆撃のような破砕音を響かせた。
「生き残っている召喚獣たちか!」
爆心地から離れた場所から土煙を貫いて飛来した攻撃に、俺は味方の存在を確信する。
俺は一人で地球に降臨したわけじゃない。たくさんの仲間と来て、いくつもの修羅場をくぐり、魔物を倒してきた。
姿は見えずとも確かに感じた仲間の存在に、俺の心は昂った。
「だが、ダメージを与えられていない……」
攻撃は確実にアヴィスタの胴体や頭に直撃していた。しかし、まるで何事もなかったかのように怯みもせず、岩でできているように見える体に穴が空くことも、瓦礫が崩れ落ちてくることもなかった。
「圧倒的な攻撃力と防御力。魔王が自信を持っていたのはそのせいか」
かつて現れていた大型の魔物は、どんなにステータスが高くとも、複数の召喚獣が力を合わせれば倒すことができた。
物理的な距離による威力の減衰がある。となれば、できるだけ至近距離から大技を叩き込むしか方法はない。
「危険だが、ミューと交換した能力ならやれるはず」
俺は決意を固めると、上空まで来たのと同じ方法でアヴィスタへと接近していく。
距離はあるが障害物のない空を駆けるなら、相手の体に直接触れるほど近づくまで三十秒もかからない。
慣れない能力ではあるが、事前に考えていた使い方を実戦で投入して倒す。
その気概で空気のブロックを蹴るように跳んでいると、こちらの動きに気づいたのか、アヴィスタは両手を広げてこちらに向き直り。
「嘘だろッ!?」
両サイドから竜巻のような風圧を伴って迫ってきた巨大な手のひらに、俺は思わず空中で立ち止まった。
数秒後には合わさる、軽く百メートルを超える手のひらを避ける時間はない。
足を止めずに前へ進んでいれば、ギリギリ挟まれなかったかもしれないが、予想外の展開に判断を誤った自分を恨む。
分厚く巨大な壁が、ちっぽけな存在を押し潰そうとする光景。上下左右、どこに逃げても死が舞っている状況。
それに抗うように、俺がとっさに両手を左右に広げた直後。
仏が罪人を懲らしめるように、バチンッと合掌された手のひらの中に飲み込まれた。
光がすべて失われ、何も見えなくなった世界。
人間としての死を迎えたときに、数瞬だけ体験したものと同じ光景。
ああ……俺……死んだな……
死を思い起こして力が抜けそうになるが、いつまでもハッキリとしている意識に、自分のイチかバチかの抵抗が功を奏していたことに気づいた。
「くそっ、好き勝手やってくれて」
生きていると実感した途端、湧き上がってきた怒りに、俺は見えない相手を睨む。
「……俺は……孫悟空じゃねえぞ!」
暗くて見えないが、伸ばした腕の数センチ先で止まっているはずの岩の壁を見据え。摩擦力を最大まで上げた球形の空気ドームを維持しながら、ドーム表面の摩擦力だけをゼロにした。
瞬間、濡れた石けんが滑るように、上方向に岩肌を猛スピードで移動し始めた。
「うおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
自分で仕掛けたこととはいえ、予想以上の速さに声が出る。
巨大な両手で挟まれた真の暗闇。その中を貫くように進んでいく様は、ジェットコースターなんて目じゃないほどの恐怖体験。
時速三百キロある心霊エレベーターに乗っているような気分に、クラクラと目まいがしそうになりながらも、次の手順を頭の中で思い描き。
「──抜けたっ!」
ツルンッと闇を抜けて太陽光のもとへ飛び出ると、両手を閉じたまま正面を見ているアヴィスタを視認した。
ここまでは防御一辺倒。巨大ゆえに圧倒的な攻撃力を持ち、堅固ゆえに超絶的な防御力を誇る岩でできたゴーレム。
何人もの召喚獣が力を合わせて、何度も高火力を打ち込めば倒すこともできるかもしれないが、その間にさらに多くの土地と人命が失われてしまう。
生き残った人間たちに召喚獣を喚び出す権利があれば、世界中から集まった仲間とともに短期決戦に持ち込めるが、アヴィスタと同じ魔物が世界中に解き放たれたなら、他の召喚獣はそちらで手一杯だろう。その上、召喚契約が破棄された現在では、ただの夢物語にしかならなかった。
けれど、試したことはないが、〈フリクション〉の能力を手にしたからこそ、俺一人でも対処できる秘策はあった。
「今度はこちらの番だ!」
俺はアヴィスタの手首に着地し、能力の効果範囲を最大にすると、すぐ後ろの足元の摩擦をゼロにしながら、腕の付け根に向かって走り出した。
直後、俺が走り抜けた場所から下方に二十メートルの範囲が、抉られたように崩壊し始め、自身の腕を削られたアヴィスタが咆哮を上げる。
ミューは〈フリクション〉は攻撃に使えないと言っていたが、とんでもない。
物質は分子同士の結合で形を保っている。分子同士の摩擦を無くして結合を外してしまえば、どんな物質でも崩壊させられる凶悪無比な使い方もできる。
自分好みの使い方ではなく、決して悪人に持たせてはいけない能力だが、今だけはこの能力を〈わらしべ〉で交換しておいて良かったと、心の底から思った。
「くそっ、もっと効果範囲が広ければ」
敵の体が巨大過ぎるゆえに完全崩壊とはいかず、掘削機で削るようにしかダメージを与えられない。
だが、他の召喚獣たちでは攻撃が通らなかった堅牢な魔物でも、能力と使い方によっては効果があると判明しただけでも、試してみた価値はあった。
「よし、このまま──」
アヴィスタの胸の部分を目指して、内部にあるコアを破壊して活動を止めようと決めた瞬間。
突然なくなった足場に不意打ちを食らい、引っ張られるように落下を始めた自分の身体に意識を持っていかれた。
何事かと視線を下に向けると、アヴィスタの腕が地面近くまで下がっていた。
どうやら、これ以上腕が削られるのを防ぐために、腕を大きく下に振ったようだ。
人間が痛みを避けるように本能的に行っただけだろうが、巨大質量が一気に動いたせいで竜巻のような気流が発生。猛烈な吸引力によって全身が下方へ引き寄せられる。
「くっ……」
摩擦力を操作して空中に踏み止まろうとするが、乱気流で視界と意識がかき乱され、指定範囲が上手く定められない。
どちらが空でどちらが地面かもわからなくなり、縦横無尽に空中を暴れ回る自分の身体に翻弄される。
摩擦力操作では落下の衝撃は相殺できない。
グングンと近づいていく地面。受け身もまともに取れない体勢で、数百メートルの高所から勢いよく叩きつけられれば、召喚獣だとしても死は免れない。
人類を、何より母を守りたい。
意志を貫くため、死を逃れようと能力を何度も発動させ、文字通り決死の抵抗を試みる。
嫌だ! 嫌だ! 死にたくない! 俺にはまだやりたいことがあるんだ!
シャノバではなく優希に戻った心が叫ぶ。
しかし思いは届かず、願いは何一つ叶わず、無情にも身体が地面へと近づき。
「母さん──」
死を覚悟しようにも、後悔の念が強すぎて覚悟できないまま、成す術なく地面に原寸大の影を落とし。
全身が地面に触れた瞬間。
襲ってきたのは激しい衝撃ではなく、クッションのような柔らかな弾力だった。
「えっ?」
沈み込むように大きくヘコみ、包み込むように身体を受け止めた地面に、俺は拍子抜けした声を漏らす。
俺を中心に波打つ地面。水を入れた風船に乗っているような感触。
有り得ない状況と展開に、敵が近くにいるにもかかわらず、俺は放心状態になってしまった。
衝撃がゼロだったわけではないが、召喚獣であれば痛みも感じず怪我もしない程度で済んだ。
命が助かったことには安堵したが、いったい何が起きたのかと困惑し、未だに緩やかに波打つ地面を見つめていると。
「シャノバさん!」
母を避難させて一時離れていたルアンが、波打つ地面の範囲外から声をかけてきた。
「もしかして……ルアンが助けてくれたのか?」
パートナーの存在を確認し、放心状態から抜け出して立ち上がった俺に、ルアンは〈リアクティブ〉能力を解除し、地面を元に戻して駆け寄ってきた。
「お母さんを安全な所に送り届けて、戻ってきたら街がなくなってて。シャノバさんを捜していたら、空から落ちてくるのが見えたので、急いで地面を柔らかくしたんです」
ルアンが戻ってくるタイミング。俺を見つけて助けるまでの判断。
わずかでもズレていたら助からなかったという事実と、助けられた感動に心が震えた。
「ありがとう。ルアンがいなければ死んでいた。本当にありがとう」
召喚獣として死ねば、あの世に逝くのか無に還るのか。とにかく、やっと会えた母に二度と会えなくなっていた。
事態を説明してくれたルアンに、俺の心は喜びの海に沈みそうになるが。
「まだ命の危機は終わっていません。喜ぶのはすべてが終わってからにしましょう」
神妙な面持ちで上空を見上げたルアンに、つられて俺も視線を上げた。
アヴィスタ──街を破壊し、周囲にいた命を刈り取り、俺の命まで奪おうとした魔物。
奴が存在する限り、自分も母もルアンも召喚獣も人類も。誰も彼もが命の危機に晒され続け、討伐できなければ自分たちが滅亡させられる。
シンプルなリージョンゲームのような課題だが、途轍もなく困難なクリア条件。
終わらせることができるのか……いや、終わらせなければ未来は──ない。
「そうだな。あいつを倒して、詳細を世界に発信するぞ」
アヴィスタと同じ個体を、世界中に解き放ったと魔王は言っていた。
目の前にいる個体を倒せても、何体いるかわからない強敵と他の召喚獣たちが世界中で戦っているに違いない。討伐までの過程や弱点の情報は彼らの手助けともなる。情報収集に努め相手の弱点を見極めつつ戦うべきだ。
無理難題とも思える所業だが、そうするしか生き残れる道はない。
いかに効率よく、効果的にダメージを与え倒すか。
その手段が判明すれば人間に手伝って貰って、インターネットを駆使して世界中に情報共有すれば世界を救える。
自分たちの一歩が世界中にいる人類と召喚獣の命運を分けることを意識し、俺はアヴィスタの一挙手一投足を見据えた。
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