第15話

「待たせてしまってすまない」

「いえ、良いんです。親子の素敵な再開に、私も泣いちゃいました」


 俺は落ち着きを取り戻した母と並び、ずっと静かに見守ってくれていたルアンに向き直った。


「こちらの方は?」

「ルアンだよ。母さんに会えるように協力してくれて、俺が獣王になるために一緒に活動してくれることにもなった仲間だよ」

「そうなの。大切な息子を支えてくださり、ありがとうございます」

「こちらこそシャノバ……優希さんに助けられてばかりで、むしろ私が支えて貰って感謝しています」


 母に大切な息子とか、ルアンに優希さんと呼ばれるのは少し気恥ずかしい。

 けれど、二人から思われていることが伝わって、悪い気分はしなかった。


「二人は付き合っているの?」

「はっ? なっ、違うよ!」

「そ、そんな滅相もない。昨日初めて会ったばかりですから」

「あらあら。二人して息がピッタリね」


 何気なく聞かれて二人して全力で否定すると、母はクスクスと楽しそうに笑う。

 恥ずかしさで一気に俺の顔は赤くなったが、十二年振りに母の笑顔を見られて、俺の頬も自然と緩んだ。


「ルアンさん、息子のこと、よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ。力になれるよう、精一杯頑張ります」


 他人の母親に息子のことを頼まれたからか、ルアンは緊張しながら応える。

 年月だけで見ればルアンのほうが年上に当たるが、精神年齢は母のほうが上のようだ。


「母さんはこれからどうするの?」

「ずっと親戚の家にお世話になるわけにはいかないから、落ち着いたら家を借りて、のんびり暮らそうと思ってるわ」

「ごめんね。本当は一緒に暮らしてあげたいんだけど」

「いいのよ。優希にはやりたいことがあるでしょ? 時々、顔を見せに来てくれれば充分だから」

「じゃあせめて個別契約しておいてくれよ。何かあったときに喚び出してくれれば、即座に母さんの所に行けるからさ」

「そうね。優希がすぐ駆けつけてくれるなら心強いわ」


 俺は召喚紋を空中に描き、手紙を届けるように母に送る。

 子が親を思い、親が子を思う。

 そんな親子の会話を聞いていたルアンが、微笑ましく見守るほうに母は向き直った。


「良かったら、三人でお茶でもしながらお話しない? 優希の今までの話も聞きたいし、ルアンさんとも仲良くなりたいわ」

「良いですね。私も色々とお母様のお話伺いたいです」

「じゃあ場所を移動して、近くのカフェでも行くか」

「せっかくだから、優希とよく行ってた喫茶店に行きましょう。あのお店、今も営業しているし、優希あそこのホットケーキ好きだったでしょう?」

「良いね。久し振りに食べてみたいな」


 意見が一致する母とルアンに俺も異論なく、むしろ懐かしい店の建物のことを思い出しながら、期待に胸を膨らませた。


「それじゃあ、行こう──ッ!?」


 「か」と口にしかけた瞬間、地面と大気すべてが震えた感覚に、動きと声を止めざるを得なかった。


「な、なんですかこの振動!?」

「ゆ、優希!?」


 ルアンが驚愕して目を見開き、母は恐怖からか俺の腕を懸命に掴む。

 大気まで振るえているので地震ではない。だが、何かが爆発したような衝撃波もない。

 まるで巨大なエネルギーに世界そのものが揺さぶられたような感覚に、俺たちは何が起きたのかと周囲を見回した。


「シャノバさん、あれ!」


 視線を空へと向けていたルアンが、何かを見つけ指を差した方向へ目を向けると。

 二、三キロほど離れた上空に急激に黒い雲が立ち込め、雲が地上まで繋がる巨大な人型の柱となって収束していく光景が見えた。


「何かヤバイことが起きようとしている……」


 尋常ではない雰囲気に、俺の緊張感もグングンと上がっていく。

 かつてこのような自然現象が発生した記録も記憶もない。

 明かな異常事態に、俺は母を背中側に回らせ、警戒度をマックスに構えると、地を這うような男の声が空から響いた。


『時は満ちた。魔物たちよ、反撃の狼煙を上げよ。人間、および召喚獣たちよ。恐怖と絶望に心を支配されるがいい』


 こいつが魔物たちの親玉だと、本能が告げる威圧感と高慢な宣告に、俺の心と体が震える。

 魔物が地球に出現した時期。ある程度討伐され、人間同士の争いが始まるまでの時期。どちらの時期も、魔物たちには統率的な動きが見られた。

 誰かが指揮をしていることは推察されていたが、その姿を確認した者は誰もいなかった。

 それが唐突に姿を現し、魔物が減って戦力が大幅に減少している状況で宣戦布告をしてきた。

 明らかに戦況を覆せる算段があるから出てきたと予感させる空気に、俺は何があっても母とルアンを守るため、いつでも能力発動できるよう備える。 


「な、何が起こってるの優希!?」

「母さんは俺のそばにいて。ルアンは周囲の警戒を頼む」

「わ、わかりました」


 魔物を率いる統率者──ありきたりだが、『魔王』と心の中で俺は名付けた。


『すでに人間と召喚獣、すべての戦力は把握できた。地球を我らがものとするため、我の生み出せし魔物に悉く滅ぼされよ』


 黒雲の魔王が片腕を伸ばし、世界中に響き渡るような宣告を広げる。

 つまり、魔物が地球に来てから今まで、すべては敵戦力を測るための前哨戦に過ぎず、準備が整ったので行動に移すという告知。

 俺たち召喚獣が倒せないレベルの強力な魔物を生み出したのか、圧倒的な物量の魔物を作ったのか。

 どちらにせよ、召喚獣一人では対処しきれない事態が起きることは、容易に想像できた。


「今までの魔物が先発隊。これから現れるのが本隊ってことか」


 魔物が出現してから世界が落ち着くまで、数え切れないほど人間と召喚獣の命が失われた。

 そして今、それより多くの命が潰える可能性を示唆され、頭の中で警報が鳴りっぱなしになった。


「また雲が……」


 事態の変化に気づいたルアンの視線の先。魔王のすぐ横に、同程度の巨大さを誇る暗雲がもう一つ立ち込め。

 雲の姿の魔王とは違い、ハッキリとした色味と輪郭を得て、空まで支配できそうな巨体が出現した。

 全身ゴツゴツとした肌に、荒く四角に削った隕石のような胴体から長い腕と足が生え、赤い両目を光らせた魔物。


 見た目は黒い岩でできた人型のゴーレム。他の魔物と違うのは、今まで誰も目撃したことのないほどの巨大さ。

 大型の魔物自体は存在が何度も確認されているが、日本一高いとされるタワーより遥かに背が高く、街の一区画は収まるほど巨大な幅の個体は、どの召喚獣も遭遇したことはないはずだ。

 ただ歩き回るだけで街を破壊して回れる重量と質量は、見ただけで世界の終わりを予感させる圧倒的な力量差を感じさせた。


『世界中に同じ個体をいくつも放った。せいぜい無駄に抗い、絶望を深くするがいい。滅びを撒け、アヴィスタ』


 魔王は号令を放つと、角の生えた暗雲は竜巻となってフッと姿を消し。

 アヴィスタと呼ばれたゴーレムは、命を吹き込まれたように赤い目を光らせ、伏せていた視線を上げて街を見下ろした。

 さながら岩でできたロボットにも見える動きに、子供の頃に空想した大量破壊兵器のイメージが脳裏を横切った。


「ルアン、母さんを連れてできるだけ遠くの……日本の離島かなんかに瞬間移動できるか?」

「小石でもなんでも良いので、何か手渡して貰えれば可能です」

「奴の言を信じるなら、あいつらは世界中に出現してるはずだ。あいつらがいない場所で、攻撃も届かない場所に母さんを避難させてくれ」


 俺は実家の周囲に落ちていた、小石サイズの家の残骸をいくつか手渡す。

 自分の作った領域空間に避難して貰うことも可能だが、俺に万一のことがあれば、母は一生そこから出られなくなる。

 命を懸けた戦いが避けられない現状では、離島に避難させるのが最適解だ。


「わかりました。安全な場所にお母さんを案内したら、すぐに戻ってきますね」

「優希、絶対に生きて迎えに来てね」


 善は急げと会話もそこそこに、ルアンは母の手を握って姿を掻き消した。

 いつどんな攻撃が始まるかわからない。一秒の行動の遅れが命取りになりかねない状況を鑑み、避難を最優先させてくれたようだ。

 心の中で感謝をし、俺はアヴィスタの一挙手一投足を見逃さないように動きに注視すると。

 巨体が頭上の雲に風圧で穴を開けながら、片腕を振り上げている光景が目に入った。


「──まさかっ!?」


 何をするつもりか察した俺は、急ぎ〈フリクション〉能力を用いて、自身の周囲の空気と地面の摩擦力を最大にして構えた、次の瞬間。

 高層ビルをいくつも束ねたような太い腕が、生物特有のしなりを伴って振り下ろされ。

 地面に到達すると、星が砕けたかのごとき衝撃が爆発した。


「くっ……」


 地面を大きく陥没させた振動が伝わり、ジェットコースターの上に立っているように揺れる。

 併せて噴き上げたコンクリートと土が広がり、摩擦力最大の空気ドームに触れた刹那、建物を崩壊させながら迫ってきた衝撃波がブチ当たる。

 空気が通り抜けないため、バリアの中に音や衝撃は伝わらない。だが、横にあった実家の瓦礫は消し飛び、後方の建物も一瞬で土台から引っこ抜かれて吹き飛んでいく途方もない破壊力が目に焼き付いた。


「くそっ……何も見えない」


 衝撃波が通り過ぎたのを確認し、空気バリアを解いた俺に届いたのは、未だに反響する雷のような音と、視界を埋め尽くす砂塵だった。

 現状把握と第二撃を避けるため、俺は〈フリクション〉でテンポよく空気と足に摩擦を生み出し、階段を飛ばして上るように空中を駆け昇っていく。

 そして土煙を抜け青空の下に全身を晒すと、アヴィスタのいた方向を見据えた。


「嘘……だろ」


 そこには何もなかった。

 いや、正確には巨大なクレーターだけはあった。

 しかしそれ以外──コンクリートの道路も建物もなく、人間も人間がいた痕跡すらも残っておらず。

 ただ一体、振り下ろした拳を引き抜き、立ち上がったゴーレムだけが、何事もなかったかのように爆心地に佇んでいた。


 人間だけではない。数は人間より少ないとはいえ、召喚獣たちもそこにいたはず。それが何の抵抗もできず、防御も叶わず、一瞬で消滅した。

 時間さえかければ、人間や召喚獣のみならず、文明そのものを消し去りかねない魔物。

 こんな大量破壊生物に立ち向かえるのかと、俺の全身は粟立った。

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